第94話 悪役貴族、気付く ①
夜明け前の空気は冷たい。
古塔アルヴェリスの前に広がる騎士団の野営地では、焚き火が燃え上がり、鋭い声と鎧の音が絶え間なく響いている。
ダンジョンへ向かう者。戻ってくる者。代わる代わる人員が行き来する。
配信終了から数時間。
空が白みはじめてもなお、夜通し続いた霊薬の捜索は終わらない。
野営地の一角に張られた簡素な天幕の中で、マルスは横になっていた。
といっても、眠ってはいない。体を休めていても、神経にはまだ戦闘の余韻が残っている。
(やっぱ強かったなぁ。どうやったらあれに勝てるんだ……?)
緋々色の騎士。
ゲームではついに討伐できなかった相手だ。だが、数え切れないほど挑むうちに、少なくとも負けることはなくなった。戦闘パターンは体が憶えているし、それが現実で通用するのもわかった。
(外に出たあいつが悪さをしないか不安だ。それに、リサとのつながりも気になる)
ゲーム内ではマップを徘徊するだけで、目立った行動は起こさないエネミーだった。それがこの世界でも同じとは限らない。
(まぁ、今はひとまずスージーの件に集中だな)
マルスは小さく寝返りを打つ。
天幕の隅では、ほのかな灯りの中でエリシアが静かに座っていた。
膝を抱え、うつらうつらと船を漕いでいる。
瞼を閉じそうになって、慌てて目をこする。その繰り返し。
「寝ればいいのに」
ぼそりと呟くと、エリシアは疲労の滲んだ目を向けてくる。
「あなたこそ」
「俺はまあ、こういうの慣れてるし」
深夜配信。徹夜RTA。耐久配信だって嫌というほどやってきた。
「エリシアは寝てていいよ」
「いえ、皆さんが頑張っていらっしゃるのに、私だけ眠るわけには」
「いいじゃん。役割が違うんだから」
「気持ちの問題です」
「損な性格だねぇ。エリシアのそういう律儀なところ、俺は好きだけどさ」
「……ん」
いつものように塩対応をする気力も残っていないのか、エリシアは曖昧に頷くだけだった。この様子ならもう限界だろう。
「……ほんとに大丈夫? 早く寝なよ」
再び寝返りを打った時、天幕の外から足音が近づいてくる。
「マルス。起きているか」
ブリジットの声だった。
「どうぞー」
天幕の布がめくられる。冷たい空気と一緒に、ブリジットが入ってきた。
彼女はすでに鎧を脱ぎ、代わりに外套を羽織っていた。髪は少し乱れ、冷気に晒された頬はほのかに紅潮している。
夜通し探索の指揮を執っていたにもかかわらず、そのまなざしは活力に満ちていた。
「すまない。休んでいるところを」
「いいよ。こっちこそごめんね、任せっきりで」
マルスは上体を起こす。
「それで、どう?」
「それらしいものは見つかっていない」
やはり、という空気が落ちる。
「価値のありそうなものはいくつか回収できたが……」
「薬っぽいものは?」
ブリジットは首を横に振る。
「うーん……やっぱりないか」
マルスは意外なほどあっさりしていた。
驚きも落胆もない。むしろ、どこか納得した口ぶりだ。
束の間の沈黙。
外ではまだ騎士達の声が聞こえている。
ブリジットはしばらく黙っていた。言葉を選んでいるのか、それとも何も言えないのか。
やがて、ぽつりと口を開く。
「……リサは眠っている」
「容体は?」
「医師の話では、最初から傷など負っていないようだと。むしろ出発前より元気でな。無理に眠らせたくらいだ」
「お、そりゃよかった。さすがラストエリクサー」
ブリジットは小さく頷いた。
だが表情は晴れない。焚き火の光が天幕の隙間から差し込み、彼女の顔に揺れる影を作っている。
「……わたしは、聖国騎士失格だ」
ぽつりと落ちた言葉は、天幕の静けさに重く沈んだ。
マルスは軽く首を傾ける。
「任務より私情を優先させた。団長としてあってはならぬ判断だった。笑えるだろう。聖国一の騎士などと持ち上げられておいて、このザマだ」
「いやいや」
「この依頼が終わったら、辞表を提出するつもりだ。わたしに団を率いる資格はない」




