第104話 悪役貴族、伝説の企画を終える ①
スージーは空になった小瓶を見つめたまま、ぱちくりと瞬きをする。
「どうだ? スージー」
マルスが声をかけた、その直後だった。
「うっ、あ……っ」
少女の肩がびくりと跳ねた。
両手で胸元を押さえ、上体がぐらりと前に傾く。
喉の奥から漏れた声は、明らかな苦悶だった。
《え、なに?》
《様子おかしくない?》
《おいおいおい!》
スージーは揺り椅子の上で身を縮め、浅い呼吸を繰り返し始めた。
肩が激しく上下する。顔色がさあっと青ざめ、額に汗がにじむ。
「うそっ……!」
真っ先に立ち上がったのはリサだ。
だが、駆け寄ろうとした彼女を、ブリジットが制す。
「待て。下手に手を出すな」
「でも」
「……信じろ」
噛みしめるような声だった。
ブリジットも不安なのだ。それでもマルスを信じている。何かあれば、自分が全て責任を取る覚悟もあった。
スージーは胸を押さえたまま、苦しげに身をよじる。
「う、はっ……はぁ……っ!」
指先が力み、ワンピースの襟を握り締めた。
《やばいって》
《見たらわかる。これ絶対あかんやつ》
《おいマルス! まさか失敗か?》
コメント欄が一気に不穏になる。
マルスの頬からも笑みが消えていた。彼は些細な変化も見逃さないようじっと様子を見ていたが、すぐにスージーの前に膝をついた。
「スージー、大丈夫。深呼吸だ。ゆっくりでいい」
子どもを宥めるような、柔らかい声。
「あつい……っ、からだ……っ」
絞り出すような声に、リサの顔色が変わる。
「お姉様っ……これ、リサの――」
「言うな。黄金病は未知の病だ。治癒の過程で何が起こるかは誰にもわからぬ」
「でも、こんなのっ」
リサは気が気でなかった。
自分の血のせいでこんなに苦しんでいる。自責の念に駆られるのも当然だ。
《危ない薬だったんじゃねーの?》
《ダンジョンで見つかったもんだしな。村の古文書とかも眉唾だろ》
《子供に何飲ませてんだよ。クソマルス》
《こりゃ人体実験だな。やっぱ異端者か》
《医学の進歩には犠牲はつきもの》
コメントが荒れ始める。
それと同時に、どたどたと荒い足音が階段の上から響いた。
「スージー!」
駆け下りてきたのは村長だった。
顔色を変え、居間へ飛び込んでくると、苦しむ孫娘を見て言葉を失う。
「な、なんじゃ……」
すぐにマルスを押しのけ、スージーを抱きしめるように覗き込む。
「あんた達! スージーになにをしたんじゃ!」
振り返った目には、明らかな怒りがあった。
「村長、落ち着かれよ。治療の途中だ」
「落ち着いていられるか!」
震える声で叫び、スージーの傍らに膝をつく。
「スージー。しっかりしろ、スージー!」
孫娘の肩を抱き、必死に呼びかける村長。
だがスージーは満足に返事すらできない。
「だめじゃ……お願いじゃ、スージー……!」
厳めしい顔が、恐怖と不安に塗り潰されていく。
黄金病に苛まれた孫娘。いずれ眠りにつくことはわかっていた。覚悟していたつもりだった。
それでも、今日だとは思っていなかった。
もう少し。あと少しだけ一緒にいられると信じていた。
「わしが、馬鹿じゃった……やはり、こんなこと止めておれば――」
「まだ終わってない」
諦めの言葉を、マルスが遮った。
いつもの軽薄さは微塵もない。鋭く断ち切るような声音。
マルスはスージーの様子をじっと観察している。
苦しみ方は激しい。
だが、それだけじゃない。
「ブリジット」
「うむ」
彼女も同じものを見ていたらしい。
スージーの首筋へ視線を落とし、目を細める。
「霊薬は本物のようだ」
「だな」
村長が怒気を宿したまま振り向く。
「何を言っている! この子はこんなに――」
「見て」
マルスの一声で、全員の視線がスージーの首筋に集まった。
そこに貼りついていた黄金が、ぼろぼろと剥がれ落ちていく。
スージーは依然として苦しそうに喘いでいたが、その肩の上下はさっきよりわずかに落ち着き始めていた。
呼吸が、少しずつだが深くなっている。
「はぁ……っはぁ……っ」
力んでいた指先がわずかに緩む。
その変化に最初に気づいたのは、村長だった。
「あ……」
彼は孫娘の脚を見た。
すねのあたりから先。金箔を張り付けたように光っていた部分が、粒子となって剥離している。
《うおおまじか》
《治ってる?》
《やばいやばい。こんなの初めて見た》
スージーの全身を蝕んでいた黄金が、たちどころに崩れていく。
剥がれ落ちるというよりむしろ、細かく砕け散っていくようだった。
首筋の斑点も。
指先の金色も。
頬に浮いていたまだらな光沢も。
村長が息を呑む。
スージーはなおも汗を流していたが、先ほどのような苦悶はもうなかった。
荒れ狂っていた呼吸が、徐々に平静を取り戻していく。
「う、あ」
涙で濡れた睫毛が、小さく震える。
「スージー」
村長がその手を取る。
スージーは一度、大きく深呼吸をする。
「お……じいちゃん?」
「スージー、平気か? どこか痛いところはないか?」
「うん、へいき」
彼女は、ふと自分の身体に視線を落とす。
手、脚。それから首筋へと触れる。
「……きえてる?」
呆然とした声。
そこにあったはずの黄金がない。
少女の体を蝕んでいた黄金病の痕跡は、跡形もなく消え去っていた。




