ゾンビだらけの宗教と後輩メイド 4
ジョボボボ
真っ白な便器へ、しょんべんをたらす。掃除がしっかりなされているのか、染みひとつない。組織の末端まで教育が行き届いている証拠だった。
あれからおれとつゆは、西王教団本部に宿泊することになった。
おれはともかく、つゆをよく分からない新興宗教なんて場所に置くなんてしたくなくて最初は断ったが、食事を用意してくれるというので甘えさせてもらった。
ほんと、あのZへの対抗策を握っているかもしれない少女に関しては食費がネックだ。
小銭を稼いだところで、たちまちに消えてしまう。ここ最近は。自転車操業じみた活動にさえなっていた。
だが一〇〇万。
あの馬鹿げた食事量をもってしても、そこそこの余裕ができる額が今回の仕事で手に入るかもしれなかった。
おれは必ずや成功するべく、気合を入れる。
「おっと。ちゃんとできた」
加齢のせいか、最近、尿切れが悪くなっていた。
幸先の良さのようなものを感じながら、トイレから出ていく。
「~~」
来た道を戻って部屋へ帰ろうとしたのに、人の声のようなものが聞こえてきた。
なにをしているのか気になって、おれは様子を見にいく。
昼間、おれたちが話していた広間へ来た。影に隠れながら、静かに中の様子を伺う。
「ようこそ。西王の元へ」
光の量を調節しているらしく、ライトが点灯しているがほのかに暗い。
昼間は太陽の光で絢爛だった空間が、どこかミステリアスなものへと変貌を遂げていた。
薄暗闇の中には、四人の姿があった。ひとりは隠れたままの嫦娥。もうひとりは、メイドの高芸。そして西王教団に属しているふたりから見下ろされるように、母娘らしきふたりがいた。
母娘は、床に跪いていた。
「あなた様が、教主である嫦娥様でよろしいでしょうか?」
「いかにも」
「ああ。本日はお目に見えて光栄です」
反応からして、母娘は信者でもないようだ。
では信者でもない人間、またおれのようなビジネスパートナーでもない人間をこんな仰々しいところへ招いてなにをしようというのか?
対岸の火事の気分でおれが先を考えていると、母のほうが驚くべき発言をした。
「教主様。あなたには超常なる力があると聞きました。どうかそのお力で――Zになってしまう娘を治療してください」
声が出る前に、急いで口元を抑える。
今なんて言った?
Zとの濃厚接触ではなく、空気感染ではZになってしまう場合は初期症状がある。
だがたとえその段階で気づいたとしてもできることはZと化す前に殺してやるくらいで、対抗策なんてものはまるっきりなかった。
なのに治すだと。そんなものまさしく奇跡でしか――
「よろしい。ではこれから、奇跡を起こそう」
嫦娥は信じられないことを言いのけた。
やつが合図をすると、高芸が透明なガラスの器を持ってきた。刻まれたカットからして江戸切子で、光量と相まって幻想的な美しさだった。
よく知らない母娘も見惚れてしまう。
「その中には、お湯が入っている」
「は、はい。おっしゃる通り、ぬるい水です」
指示されて、母のほうがガラスの器に手を入れて確かめた。
高芸はそのままお湯を幕の前まで持ってきた。
嫦娥はまた手だけを出した。
影が闇と同化しているため、手だけが宙に浮いて、まるで幽霊かなにかのようだった。
「よく見ておくがいい」
そう言われて、おれも含めてこの場にいる人間全ての視線が一点へ集中する。
視線の先で、嫦娥は手を器へ沈めた。
「凍った!?」
指先が水に触れた途端、一瞬でお湯が氷となった。
馬鹿な。
目の前の現実におれは驚愕する。母娘も同じ反応だ。当然だとばかりに堂々としているのは、嫦娥と高芸のみだった。
「触れてみるがいい。温かいだろ?」
「……温かい氷……不思議」
母娘ともども渡された氷を握る。数秒ほど手にあると、氷は解けて水へ戻っていった。
それからも嫦娥は、おれたちの前でいくつもの奇跡起こした。
一度燃え尽きた灰を炎へと還す。風もないのに回る風車。雷の無力化。床に落とした金貨の消失。そして最後に――触れてもない巨大な鉄の箱を浮遊させた。
度重なる不可思議な現象に、母娘はすっかり魅了された。
「教主様はまるで神様のようだと聞きましたけど、どうやら本当だったのですね」
「……朕はあくまで未知を扱えるだけだ。病は手を洗って防げる、山びこは音の反射、脚気はビタミンさえ取れば起きない。今では常識だが、かつてはそれらもまた未知で信じられてこなかった。そしてそのせいで、多くの人間の命が失われた。だから朕はなんの因果か生まれ持ったこの未知の力で、人々を救いたいと願っている」
「イエス・キリストみたい……」
かつて触れるだけで人を癒すなどの奇跡を行った聖人。色々と嫦娥に被ることがあるのは事実だった。
幕から伸びる掌。その上に二色の小さな欠片のようなものが転がっていた。
「これが、おぬしたちが求めているものだ」
「まさかそれを飲めば?」
「うむ。Zを拒絶できる」
母娘は立ち上がって駆け寄ろうとする。
だがそうすると、嫦娥は手を引っこめた。
「な、なぜ?」
「朕だってできることなら、これをすぐに渡してあげたい……しかし世の中には、必ず対価というものがいるのだ。火を燃やし続けるには空気が必要なように、なにかを得るにはなにかを失わなければならない。そのバランスを無理に崩そうものなら、うぬたちの他にも助けを求められる人を救えなくなってしまう」
「で、ではどうすれば娘を救えるんですか!? 娘のためなら、わたしは自分の命だって差し上げます」
「ママ!」
なんとしてでも娘を守ろうとするへ母へ、嫦娥は言った。
「ではまず家を引き払いたまえ」
「えっ?」
「言ったであろう。なにかを得るにはなにかを捨てねばならないと。人の命というのは、そんなに安いものではない。全てを捨て、多くの人々を助けねばたとえこの薬を飲んだとしても娘さんの命は失われる」
「……」
「こう考えるのだ。そもそも今まで多くを持っていたせいで、娘がZになってしまったのだと」
「……わ……わたしのせいで」
「だからそれらを捨てることにより、おぬし自身の手で娘を救うのだ。生活については、教団に入ることで保証しよう」
「わたしの力で……」
「ママ……」
わずかな沈黙のあと、母娘から了承の声が聞こえてきた。
「では、こちらをお願いします」
薬と一緒にパンフレットが渡され、入団への準備や財産の受け渡しの説明がなされていく。言われるがまま、母は書類へサインをした。
おれは、おれの後輩と名乗ったカエルマスクのメイドが淡々と話すのを覗いていた。




