幕間 マスク争奪戦
おれとつゆがカサ村に行く直前まで、時間は遡る。
「どうしても、行かなきゃ駄目か?」
「どーしても、行かないとだめ」
二階の自室で、おれはマスクを装着したまま会話する。基本的に加湿器を使うのは客が来た時だけだ。このご時世、ただの水ほど高い飲み物はない。
コーラやアルコールが十円に反して、水は百円。十倍の価値だ。
当然、そんなバカ高いもの一銭も入ってない状態で日常的に使用できるはずなかった。
まあそれはいい。
これまでの一年間も同じように通してきたから、特に今さら不満はない。
「めんどくせえな。別に電話かけて運ばせればいいだろ?」
「だめ。被るものなんだから、実際に間近で見ないとよくわかんない」
カタログ広げて、怒るつゆ。
そう。
この少女が装着するマスクのことについて、おれたちは揉めていた。
一時間後、おれたちは渋谷の一〇九に到着した。
止まったエスカレーターを階段代わりに登り、三階のマスク専門ショップの前まで移動する。
入口でもらった人間証明書を提示し、バリケードを開けてもらって入店する。
「うわーどうぶつさんのかおがいっぱいあるー!」
「ずいぶん猟奇的な喜び方だな」
仕留めた獲物を飾りにしている猟師みたいな喜びかたをしているつゆへツッコむ。
少女はよほど興奮しているのかおれの無粋な言葉は無視して、吊られているマスクを見て回る。
「梅人見て見てー! パンダだよパンダ。がおー」
「はいはい。かわいいよ」
「キャプテン・ファルコンだ。しょゆむーぶす」
「はいはい。かっこいいよ」
「月影先生だよ。恐ろしい子っ!」
「はいはい。凄まじい演技力だね」
気に入ったマスクの前でいちいちはしゃぐつゆ。
だから女との買い物は苦手なんだ。なんでもかんでもリアクション取らなきゃすまないから、時間がかる。時は金なりという言葉を知らんのかね? こうしている瞬間にどれだけ稼げるのかきかせてやりたいものだ。
まあ将来的につゆで稼げる金はそれの百倍以上なので、こうしてご機嫌取りしてるのが一番の金稼ぎなのだが。
おれはテキトーなところへ寄りかかりながら話す。
「でもよ。やっぱりカタログで気に入ったのを注文すればよかったんじゃねえかな?」
不満を言うと、つゆはブーたれる。
被っているのは穴の開けた紙袋なので、目がはっきり見えて感情がかなり分かりやすかった。
「だから言ったじゃん! 実際にこの目で見ないと生地とかの材質が分かんないって!」
「いや素材は詳細に記載されていただろ?」
「そういうことじゃないの。ほらこういう細かい縫い目とかが見た目には大事なの」
「見た目ってね……」
「でも梅人のハクチョウさんだっていいやつじゃん」
おれのマスクは確かに金をかけた最上級品だった。
だがそれは、ブランドで相手をはかる金だけ持っている連中相手の商売をやりやすくするためのもので、おれ自身、これほどの金をかけてまで作る価値はあったのかと疑問視していた。
「少なくとも、安い金でここまで吟味する必要があるかというとな」
「予算が少ないほうが、買いものは面白いよ?」
「その感覚がまず分からん」
あーでも昔、同じことを言っているやつがいた気がした。
でもおれにとっちゃ買うも売るも商売の一部で娯楽に感じたことはなかった。
けど、おれはそれを口に出すのはやめた。
この少女に嫌われても、百害あって一利なし。これまではついここまで足を運ばせられたストレスで反論しちまったが、ちゃんとイエスマンに徹しないとな。ガキは、うんうん頷いていれば勝手に向こうから好きになってくれる。
そのチョロさに感謝して、おれはプレゼントを買い与えて好感度稼ぎをすることにした。
余分な空気が入ってこないようにか、サイズを吟味するつゆ。
あくまでつゆがマスクをするのは、周囲の認識を誤魔化すためであって本来のマスクの機能にこだわる意味はないんだがな。
そんなこんなで持ってきたマスクをテキトーに褒める作業を繰り返す。
「これはどう?」
「はいはい。似合っている似合っている」
「ぶー。なんか投げやりになってきてない?」
「そ、そんなことないが」
「そう? それならいいけど」
「というかそろそろおれ関係なく、時間がなくなってきている。準備も含めると、千葉県へは明日に間に合わなくなるぞ」
バレそうだったので、これ以上考えられないように催促する。
さすがにつゆも責任感があるのか、両手に持っているふたつのマスクを悩むように見つめる。
おれはようやくこの無駄な時間が終わると、胸をなでおろした。
「本日十五時より、限定販売の開始で~す――なんと今の最先端を作るとされるトップデザイナーことシャオリン様直々にデザインされたマスクですよ~」
そのひと声で、店内の他の客が急に殺気づく。
さらには上下のエスカレーターからも大量の集団が流れこんできた。
「おいおいマジかよ」
ギュウギュウ詰めで帰るのにひと苦労しそうだな。こりゃ早く選んでもらわなきゃ。
そう考えてつゆを見下ろすと、
「つゆ。あれ欲しい」
「はあ?」
「あれ一番欲しい! 買って買って!」
つゆの視線の先にあるのは、人間でできた海の先にある限定販売のマスクの内のひとつだった。
あの中に飛びこめと?
装備もなしに荒れ狂う日本海へダイビングするみたいなものだぞ?
つゆにそう目で訴えかけるが、まったく伝わらずに無邪気な笑顔で返された。
なにか手はないかと思考を巡らせている内に、声がかけられる。
小奇麗な格好をしたハニワのマスクの男だ。
「あれれ? もしかして、あんな葬逆社長ですか?」
「誰だおまえ?」
「その声にマスク、やっぱり。ボクですよボク。サトウです」
「佐藤……砂糖……サトウ。あっ」
おれが記憶を探り当てると、サトウは喜んだ。
「思い出したみたいですね」
「ああ。きっちりとな……このゲス野郎! まだ地獄に落ちていなかったのか!」
「ええっ。ちょっとちょっと」
怒鳴りつけると、動揺するサトウ。
てめえにそんな人間味ある行動が許されていいわけねえだろうが。
「久しぶりの再会ですよ。なんでそんなに怒ってるんです?」
「当たり前だろボケ! 二度とおれに近づくな!」
「梅人。よく分かんないけど、そんなにキレることないんじゃないの?」
「つゆ。おまえもこいつには決して今後出会うな。声をかけられても無視しろ無視」
「そんな。ボクたち渡り鳥には葬逆さんは他の連中と違ってよくしてくれたじゃないですか?」
「なにが渡り鳥だ? かっこつけてるんじゃねえよ回商如きが。そんな上等なものじゃなくて寄生虫だよてめえらは」
回商とは、一般客として買ったものを他の客に売り渡す連中のことだ。
おれたち企業にとっちゃクソにたかるハエのような存在だった。
「でもボクたちの行為は違法ではないですよ?」
「それが余計に腹立つんだよ。別にちょっとやるくらいなら、見逃してやっていてもよかったが。てめえらの場合は買い占めまで行うじゃねえか」
「でもそのおかげで、売れ残りがなくてウィンウィンの関係じゃないですか?」
「他の客に行き渡らないほうが困るんだよ。実際に使ってもらって気に入られたら、新しく製造した商品をまた買ってもらえる。たった一回の完売より、よっぽどこっちとしては稼げるんだよ」
「ならボクたちも何回も買い占めますよ」
「分かってねえ……」
根本的に価値観が合わない野郎だった。
ともかくおれからすると、このサトウは本来発生する利益を掠めとる悪党だった。
確かに過去、おれはこいつらと接触して金を渡したりもした。でもそれは買い占めを事前に止めるためのもので、容認なんてものまったくしていなかった。
「でも葬逆さんに悪党呼ばわりされるのはな、ボクよりよっぽどひどいことしてたじゃないですか?」
「おれはいいんだよ。駄目なのは、おれの儲けを少しでも下げる行為だ」
「な、なんて自己中」
「ジコチューってピカチュウみたーい」
呑気に笑うつゆ。
というかこいつがここに来たってことは、あの限定マスク狙いか。
おれの邪険な扱いに耐えかねて、遠ざかるサトウ。
いつまでもマスクを選ぼうとしないつゆへ、尋ねる。
「そんなにあれがほしいのか?」
「うん。だって一番かわいいんだもの」
「。でも、手に入らないかもしれないぞ?」
「あれがいい。つゆ、絶対にあれがほしい」
どうやら譲らない気のつゆ。
限定に引き寄せられた集団、買い物については歴戦の猛者であるおばさんズ、そして回商。はたしてこの強敵たちを潜り抜けて、おれはあのウサギのマスクを手にいられるのだろうか?
十五時になった。店員の呼び声とともに、マスク目掛けて人の大群はスタートを切った。
昔見たゾンビ映画のような光景。
ゾンビの集団が、獲物へ一斉に食らいつくシーンを想像させた。
一抜けで、先頭に立ったのは回商チーム。購入制限があるから、複数人で買い占めるつもりだ。
続いておばさんズがラグビー選手顔負けの突進で、周囲を突き飛ばしながら第二先頭グループを形成する。
二チームとも速い。速すぎる。
もはやただの買い物じゃなくて、一種のスポーツと化していた。
後ろを走る客たちも汗をかいてまで必死だ。
その中で、おれは最後尾の集団に紛れていた。
もちろん全力でこれだ。
足はそんなに遅くないつもりだが、もみ合い押し合いでは力負けして前にいけない。
このままでは絶対に勝てない。
だが、策はあった。
「きゃー! あの子、外に出たわ!」
「なにっ!?」
「本当だ。子供が外にいる」
「保護者はどこだ!? あのままだとZに噛まれるかもしれないぞ!」
ほとんどの人間の足が止まり、外の非常階段にいる子供に注目が集まる。
今だ。
おれは隙間を縫って、固まっていた集団をごぼう抜きしていく。
子供の正体はつゆだ。
いざという時にでも、あいつならいくらZに噛まれようが構わない。
おれはおばさんズすら追い抜いて先頭に立ったと思ったが、なんとまだ先にも人がいてそいつらは走り続けていた。
「回商ども! おのれ。人の心はないのか!」
「自分の子供を身代わりにするあんたに言われたくはないよ! それに三階なんだからZの心配をする必要なんてないでしょ」
それはそうだ。
だからこそつゆの体質をバラしたくないおれも、あそこに置いた。
だけどまあ普通だったら、万が一を心配するものだ。
今も構わず商売のために動いているおれたちは、どこか狂っているとしか思えなかった。
買われていくマスク。
おれが到着するころには、全てのマスクが回商たちに握られていた。
「ひとり一個で、三十人でそれぞれ三種を十個買い占める。事前に提示されたルールは破っていませんよ?」
「クッ」
悔しがるおれ。
クソ。あと一歩だったのに。
サトウたちは勝ち誇ると、騒ぎが収束したらすぐ買うためにレジへ並んで待つ。
ブルブルブル
バイブするスマホ。
マナーモードはたしかメールのはず。
おれは届いたメールを開いた。
「なになに」
「なんだと!?」
同時刻に届いたのか、サトウもスマホの画面を見て驚く。
「マスクトップデザイナーのシャオリン。盗作が発覚」
「脱税に、暴行、売春などの犯罪までしていたことが分かったって」
「……」
マスクの艶が、途端に色あせるように感じた。
おそらくサトウはマスクと同じ顔になっていた。
「なあサトウ?」
「は、はい」
「おそらくそれを買い占めても、値段以上に売れることはないぞ」
「……はい」
おれが言わずとも分かっていたらしく、落胆して帰っていく。こういう商売とはいえ仮にも長く続ければ、そのへんも判断できるほどの鋭さは身に付いたのだろう。
おれの前にあるのは、余りマスクの山。
シャオリンのニュースが他の客にも伝わったらしく、つゆが非常階段から戻ってきても足踏みしてしまっていた。
「なあつゆ。このマスク悪い人が作ってるけどほしいか?」
「一番かわいいからほしい!」
駆け寄ってくる少女へ、おれは買い取ったマスクを渡した。




