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今日はまだ、こっちでいい

彼に会う予定もないのに、指は淡いレースに触れていた。


カーテンの隙間から、春の光が細く入っている。引き出しの中で、レースの柄が浮かび上がる。


ベッドの端には、アイロンをかけたブラウス。椅子の背にはジャケット。机の上のスマホは伏せられたまま、ときどき短く震えた。


玄関の小皿には、鍵がひとつ。


会社に行くだけの日だった。


夜に来る約束もない。だから迷うほどのことではなかったはずなのに、指はレースの縁を、もう一度なぞった。

白に近いベージュ。薄い縁を指に乗せると、頼りないくらい軽い。


似合う、と彼に言われたら、たぶん嬉しい。嬉しくないふりをして、うるさい、と返すところまで、簡単に想像できた。


嫌ではないから、困った。


彼の目を思い出しただけで、手の中の布が、少し先の夜のものになった。


有羽ゆうはレースを引き出しに戻した。薄い縁が、隣の布に押されて少し崩れる。


彼に似合うと言われたい自分を、今日はまだ、引き出しの奥に置いていく。



黒いゴムに指をかける。


CKのロゴは、朝の光の中で白く、まっすぐだった。可愛い、というより、位置が決まる。


有羽はそれを身につけて、ブラウスに袖を通した。ボタンを上から順に留める。最後に袖口を整えると、スマホが一度だけ震えた。


すぐには見なかった。


今日はまだ、こっちでいい。



玄関で鍵を取ると、小皿が小さく鳴った。

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