第121話 みんなの支え
「ちょっと、待ってよ!」
体育館の外にて。
勝利者インタビューもそこそこに、バトル終了後、会場から立ち去ろうとしていた石切大三を、アリスは呼び止めた。
「……なんだ。勝者が敗者に、これ以上用なんかねえだろ」
石切は振り返ることなく、ぶっきらぼうに答えた。
「あるわよ! あのまま続けていたら、あなたが勝っていたのに……どうして降参したのか、聞きたいの!」
アリスはきっぱりと言い切った。
「……アダマスゴーレムは、俺の親父が仕込んだワンダーだった。俺の本意で呼び出したわけじゃねえ。よって、あのまま勝つのも俺の本意じゃねえ。以上だ」
そう言うと、石切は再び歩き出そうとするが――
「……そうなんだ。それならいいの。よかった」
まるで胸をなで下ろすようなアリスのひとことに、石切はまたピタリと足を止めた。
「……よかったってのは、どういうこった?」
「そのままの意味よ。勝ちをゆずってくれたわけじゃないのなら、それでいいの」
「……当然だろ。そうでなきゃ、誰が試合放棄なんてするか。……お前とちがってな」
それは、アリスがクラス予選を辞退したことを指しているのだろう。
「いや、あれにはわけが……ううん。英国淑女は、言いわけはしません」
アリスは一瞬言い返しかけたが、すぐに苦笑してうなずいた。
「教えてくれてありがとう。それじゃ、わたしはこれで。グッドゲーム!」
軽くあいさつをすると、くるりと身をひるがえし、体育館へ戻ろうとする。
「ちょ……ちょっと待て!」
今度は、石切のほうがアリスを呼び止めた。
「なあに?」
アリスは金色の髪をふわりと揺らし、くるりと振り返る。その動きは、どこか軽やかで、さっきまでの真剣な空気をやわらげるようだった。
「そ……それだけか?」
「それだけって?」
「言いたいことだよ!」
「それだけだけど?」
「なんなんだよ……いったい……」
「それはこっちのセリフよ。わたしが何度も呼び止めても、無視してたくせに」
「チッ……めんどくせえ……」
石切はいまいましそうに舌打ちした。
――だが同時に、胸の奥にたまっていたモヤモヤや憤りが、すっと消えていくのを感じていた。
目の前の少女を見ていると、さっきまでウジウジと悩んでいた自分が、ひどくバカバカしく思えてくる。
石切はハア……と深く息を吐くと、鋭い目つきでアリスをにらみ、言い放った。
「……今回は俺の負けだ。それは認めてやる。だが、今日限りだ。お前が俺に勝つのは! アリス・ハートランド!」
そう言い残すと、くるりと背を向け、今度こそその場を立ち去っていく。
その背中を見送りながら、アリスはくすっと小さくほほえみ、負けじと言い返した。
「……のぞむところよ! 次も――ううん、次はわたしがカンペキに勝っちゃうから! タイゾーくん!」
少女の声は、どこまでもまっすぐで、あかるく響いた。
これが、アリスとタイゾー――二人の奇妙な絆が結ばれた瞬間だった……のかもしれない。
今後、彼が家族とどう向き合っていくのか――それは、また別の話である。
☆ ☆ ☆
「アリスー! ゼロ回戦突破、おめでとー!」
むぎゅう。
体育館の入口まで戻ってきたアリスは、いきなり緋羽莉の盛大なハグを受けた。
やわらかな笑顔を咲かせた緋羽莉は、その長い腕でアリスを包みこむように抱きしめてくる。弾むような胸元がぎゅっと押し当てられ、ふわりと甘い花のような香りがただよった。
息が詰まりそうになりながらも、そのあたたかさとやさしさに、アリスは思わず力を抜いてしまう。
「……ぷはっ! いつもながら、どうもありがとう」
アリスは緋羽莉の胸の中からなんとか顔を出し、息をつくと、気の抜けた笑顔を浮かべる。
やわらかくてあたたかな感触にうずめたまま、アリスはほんのりと頬を染め、ぼんやりとした表情で目を細める。胸いっぱいにひろがる香りとぬくもりに、まるで夢の中にいるような気分だった。
「あのゴーレムが出てきたときはどうなることかと思ったけど、結果はどうあれ、なんとかなってよかったよ」
閃芽は【バリネズミ】のハーリーを左肩に乗せたまま、安堵の苦笑いを浮かべていた。
「うん……わたしも、すっごくヒヤヒヤしたよ……」
【ワカバズク】のザックを真っ赤な頭にちょこんと乗せたりんごも、ほっとしたように苦笑いを見せる。
「わたしは、アリスが勝つって信じてたけどね!」
緋羽莉はそう言いながら、抱きしめていたアリスをそのまま高い高いの形に持ち上げた。
ふわりと体が浮き、視界が一段高くなる。軽々と持ち上げられた体は、まるで羽のように感じられた。緋羽莉の腕はしなやかに引き締まりつつも丸みがあり、その動きは力強いのにどこかやさしい。
高い位置から見える景色と、包みこまれる安心感に、アリスは思わず「すごい……」と心の中で感心してしまう。
「……って言いたいところだけど、今回はダメかなって、ちょっと思っちゃった……ごめんね」
やがて、アリスの目線に合わせるようにそっと腕を下ろし、もうしわけなさそうにあやまる。うるんだひとみを伏せがちにしながら、緋羽莉はくちびるをきゅっと結ぶ。
その表情は切なげでありながらも、どこか愛らしく、頬にかかる緋色の髪が揺れるたび、やわらかな気配が伝わってくる。抱きしめていた腕にも、わずかな力のこもりが感じられ、その気持ちがそのまま体温となって伝わってくるようだった。
ふだんからアリスに全幅の信頼を置いている緋羽莉にとって、ほんのわずかでも疑いの気持ちを抱いてしまったことが、よっぽど悔しかったのだろう。そのまっすぐさは、いかにも彼女らしかった。
「き、気にしないで! あれはわたしだって、まずいって思ったもの! 緋羽莉ちゃんには、いつも助けてもらってるんだから……そんな顔しないで、ねっ、ねっ!」
アリスはあたふたと手を振りながら、必死にはげます。自分がほんとうに勝者なのか、わからなくなりそうだった。
「ありがとう。それでね、そのつぐないってわけじゃないんだけど……提案があるの」
意を決したように、緋羽莉はぐっと顔を近づけてくる。大きな黄色いひとみがまっすぐにアリスを見つめ、その距離の近さに胸が高鳴る。整った輪郭や健康的な肌のつや、揺れるポニーテール――そのすべてを間近で感じて、アリスはあらためて彼女の魅力に気づかされるのだった。
「ていあん……?」
腕に抱かれたまま、顔が触れ合いそうなほどの至近距離で、いつになく真剣なまなざしを向けられ、アリスはきょとんと首をかしげた。
言葉を発する瞬間、緋羽莉はほんの少しだけ口元をそらし、息がかからないようにそっと角度を変える。その仕草はとても自然で、相手を思いやる気持ちがにじんでいた。近い距離でも不快にさせないようにする、そんなさりげないやさしさが、かえってかわいらしく見える。
「次の試合まで、アリスのパートナーたち……わたしに預けてくれないかな?」
「え?」
あまりに意外な申し出に、アリスは目をまんまるく見開いた。
その後ろでは、閃芽とりんごも同じようにあっけに取られている。
「さっき、一回戦の組み合わせが発表されたんだけど、アリスの次の試合、第8試合なんだって! まだたくさん時間、あるよね?」
アリスがタイゾーを追いかけて体育館を飛び出しているあいだに、そんな発表が行われていたらしい。
16人制トーナメントで、ゼロ回戦を終えたばかりのアリスに配慮し、最後の試合に回されたのだろう。
「だから、そのあいだ、わたしがアリスのパートナーをケアしたり、トレーニングしたりしたいんだ。……いいかな?」
緋羽莉は、黄色いひとみをかすかにうるませながら、おねだりするような表情で言った。見上げるそのひとみは、きらきらと輝いていた。
胸元が小さく上下し、期待と不安が入り混じった気持ちが、全身からにじみ出ている。大きな体をしていても、そのしぐさはどこまでも純粋で、思わず守ってあげたくなるような無邪気さがあった。
「キミ、それって……アリスのトレーナーになりたいってこと?」
敗者復活戦のときにトレーナーという職業を説明した手前、気になったのか、閃芽はいぶかしげにたずねる。
「……そうだね。そうかもしれない。わたし、アリスを支える人に……トレーナーになりたいの、かも……」
緋羽莉は少しうつむき、言葉をにごした。
体は大きくても、まだ10歳の女の子だ。自分の進む道をはっきり言い切るには、少しだけ勇気が足りないのだろう。
視線を落としながらも、緋羽莉の頬はほんのりと赤く染まっていた。ぎこちなく指先を動かしながらも、その体は正直で、胸の奥にある想いがそのまま姿勢や息づかいにあらわれている。迷いながらも前へ進もうとする、その健気さがにじみ出ていた。
そんな大親友の気持ちをくみ取り、アリスは静かに決意した。
「……わかった。お願いするよ。緋羽莉ちゃん、むかしっから、だれかにもの教えるのじょうずだもんね。わたしのためにも、パートナーのためにも、それから緋羽莉ちゃんのためにも、きっといいことだと思うから」
「ほんとう!? ありがとうっ!」
その瞬間、緋羽莉の顔にぱあっと満開の笑顔が咲いた。
ぐっと顔を近づけ、今にもくちびるが触れそうなほどの距離まで迫ってくる。顔をぐっと近づけた緋羽莉は、うれしさを隠しきれないまま、まっすぐアリスを見つめている。
その距離の近さにもためらいはなく、むしろ自然体のまま寄り添おうとしているようだった。高鳴る気持ちがそのまま体に表れ、抱きかかえる腕にも、そっと熱がこもっている。
「ど……どういたしまし、て?」
パートナーの世話をまかせるのは自分のほうなのに、お礼を言われるのはどこかちぐはぐだ――そんなことを思いながら、アリスは戸惑い気味に笑うのだった。
「いいの? キミひとりの力で戦わなくて」
閃芽は、ややけわしい表情でたずねた。
人の助けを借りて大会を勝ち抜くなんて、ふだんアリスが大切にしている英国淑女の矜持に反するのではないか――そんな心配があるのだろう。りんごも、同じ気持ちのようで、静かにアリスを見つめている。
「うん」
アリスは、あっさりとうなずいた。
その迷いのなさに、閃芽とりんごは思わず顔を見合わせる。
「え……? 本当にいいの? ズルいとかセコいとか思われるかもしれないよ?」
「それ、どっちも同じだと思うけど……」
りんごがすかさずツッコミを入れた。
アリスは、緋羽莉に体を持ち上げられたまま、少し照れくさそうに苦笑する。
「たしかに、きのうまでのわたしなら、そう思ってたかも。ほら、わたしって、運動もお勉強も、なんだってできちゃうじゃない?」
「自分で言うのか……」
今度は閃芽がツッコむ。
その横で、緋羽莉はにこにこと満面の笑みでうなずいていた。もちろん、アリスの言葉に同意しているのだ。きらきらとした目で見つめるそのようすは、まるで大好きなものを前にした子どものように無邪気で、うれしさがあふれて体ごと弾んでいるかのようだ。
「でもね、きのう――緋羽莉ちゃんと、りんごちゃんと、閃芽ちゃんといっしょに冒険して、思ったの。わたしひとりにできることなんて、たかが知れてるって」
アリスの声は、やわらかいけれど、しっかりとした芯があった。
聞いた瞬間、緋羽莉の胸がきゅんと高鳴る。思わず抱きしめたくなるような衝動が込み上げ、視線も体も自然とアリスへと引き寄せられていく。その想いは隠しきれず、ほんのりと熱を帯びた空気となって周囲にひろがっていた。
「みんなの支えがなかったら、モモとも、グリンとも、レッドとだって、パートナーになれなかった」
親友三人娘は、だまってその言葉を聞いている。ウォッチの中のブルーたちパートナーも、同じように耳を傾けているかのようだった。
「だから、わたしは決めたの。みんなのこと、ちゃんと頼ろうって。くだらない意地なんて張るの、やめようって」
アリスは小さく息を吸い、続ける。
「ブルーが、モモが、パートナーのみんなが、自由に、しあわせに生きていけるように。それがきっと、わたしがいいウィザードになるために、いちばん必要なことなんだ」
アリスのまっすぐな言葉を受けて、緋羽莉は息をのむように静かに見つめていた。大きな黄色いひとみはわずかに潤み、まばたきも忘れたかのように、その一言一言を胸に刻みこんでいる。
やがて、その頬はほんのりと赤く染まり、胸元が小さく上下する。こみ上げる想いを抑えきれないのか、抱きかかえる腕にも、じんわりと力がこもっていった。言葉にはしないけれど、「大好き」と「誇らしい」がそのまま形になったような、そんなやさしい熱が、アリスへと伝わっていく。
「それに……ドラゴピアに帰してあげるっていう、ブルーとの約束もあるしね。やっぱり、長いあいだママと離ればなれにするの、かわいそうだし。できるだけ、早く連れて行ってあげたい。そのためにも、なりふりなんてかまってられないわ」
アリスがちらりと右手のウォッチへ視線を落とすと、その中のブルーはハッと目を見開いた。
「……なるほどね。そういうことなら、私からはなにも言わないよ……いや、最後にひとことだけ言わせてもらおうかな」
閃芽は口元に笑みを浮かべ、肩をすくめる。
「私もブルーに力を貸すって言ったんだからさ。きのう気づいた、なんて言わずに、最初から頼ってほしかったね!」
そう言うと、緋羽莉に持ち上げられたままのアリスのおしりを、軽くぽんっとたたいた。
「……わたしも! ブルーと、アリスちゃんのために……がんばりたい!」
りんごも、ぎゅっと拳を握って気合いを入れると、ぺちんとやさしくアリスのおしりをたたく。
「そういうわけだから……あらためて、緋羽莉ちゃん。みんなのこと……お願いね」
アリスがにっこりとほほえむと、緋羽莉は胸がいっぱいになったように目を潤ませ――
「……まかせてっ!」
力強くうなずいた。
そして次の瞬間、むぎゅーっと、アリスをその大きな胸に抱きしめるのだった。
ぎゅうっと力を込めて抱きしめる緋羽莉の腕は、やさしさとぬくもりに満ちていた。包みこまれるような安心感の中で、アリスは少しだけ息苦しさを感じながらも、それ以上に満たされた気持ちになる。
胸に押し当てられる感触と、ほのかな香りに包まれながら、自然と笑みがこぼれ――この時間が、ずっと続けばいいのにと、心のどこかで思ってしまうのだった。




