第120話 金剛石より硬い意思
「アリス……ミルフィーヌ……」
二階席から観戦している緋羽莉は、パートナーのアカネをぎゅっと抱きしめながら、不安と悲しみが入り混じった表情で、アリスのバトルを見つめていた。
アダマスゴーレムが現れてから三分あまり。ミルフィーヌは、容赦なくメッタ打ちにされていた。
ゴーレムは、シャープでスマートなフォルム通り、いやそれ以上に素早く動く。アリスの先読みと連動したミルフィーヌの反応速度をもってしても、致命傷を避けるのが精一杯だった。ときおり反撃をこころみても、肉球の弾力で押し退けるのがせいぜいで、いっさいダメージを与えることができない。
必殺の《ワンダフルストライク》なら、あるいは――そう思っても、チカラをためるスキなどみじんもない。もはやミルフィーヌに、打つ手はなかった。
そして――
『うあっ……!』
ミルフィーヌはついに限界を迎え、コート上にどっと倒れ込んだ。床を打つ鈍い音が、体育館に重く響く。
「ダ、ダウーン! ミルフィーヌ、よくねばりましたが……とうとう力尽きてしまったァーッ! 恐るべき強さだ! アダマスゴーレム! 石切選手、とんでもない隠し玉を持っていたーッ!」
驚きどおしのニーナの実況に呼応して、ギャラリーが大歓声を――上げるかと思われたが。
観客席からは、どよめきしか湧いてこなかった。
アダマスゴーレムの不気味ともいえる威容と、そのあまりに圧倒的な強さのためだ。小学生が持つワンダーとしては異質すぎるそのチカラを、児童たちも敏感に感じ取っていた。
いっぽうで、保護者席や校舎内の教室でライブビューイングをしている大人たちの中には、アダマスゴーレムが石切の父、大山のパートナーではないかと気づく者も何人かいた。それは、体育館内の児童たちの中にもひろがっていく。
――プロだった父親のパートナーを使うなんて、ズルいんじゃないか?
そんな一部の声が、さざ波のようにひろがり、やがて大きくなっていく。疑念といぶかしむような視線が、コート上の石切へと集中した。
「ぐ……!」
石切はその視線を感じ取り、思わず二階席を見回す。まるで、後ろめたいことを隠している子どものような顔で。とても優勢な選手のそれとは思えない。
それもそのはずだった。ミルフィーヌとのバトル中、石切は一度もアダマスゴーレムに指示も声援も送っていない。ただ呆然と立ち尽くし、父親のパートナーに任せきりにしていただけなのだ。
結局、自分は家族からまったく信用されていなかった――そういうことなのだろう。こうしてこっそり、自分のウォッチに父親のパートナーが忍ばされていたことが、その何よりの証拠だ。
父や兄たちにとって必要なのは、結局"石切家"という立場だけ。自分の名誉やプライドなど、どうでもいいと思われている。
そう思うと、石切の胸に深い絶望がひろがっていく。すべてがどうでもよくなってしまうほどに。
――そう、どうでもいい。
このまま自分がなにもしなくても、アダマスゴーレムの強さなら優勝はたやすいだろう。石切家の名にキズをつけずにすむ。どんな戦いでも勝者であり続けるという、その名誉を守れるのだから。
――それでいい。どうでもいい。
そう思っていた、はずなのに。
「レッド! おねがい!」
アリスはミルフィーヌをねぎらい、ウォッチへと戻すと、最後の一体のパートナーを呼び出した。
現れたのは、体高3メートル半はあろうかというクマ型ワンダー――【バーニングリズリー】。灼けるような赤い毛並みをゆらし、その巨体がコートを踏みしめるたびに、空気がびりりと震える。
「さあー! いよいよ互いに最後の一体! アリス選手は、今度こそアダマスゴーレムの硬いカベを打ち破ることができるのかー!?」
なんだよ。
なんなんだよ、お前は。
どう考えても勝ち目なんかねえだろ。なのに――なんだよ、その、まだあきらめていないとでも言いたげな目は。
石切は、12年近く生きてきて、これまでにないほどの驚きを味わっていた。
目の前に現れた、燃えさかる炎のような毛皮を持つクマにではない。その後ろで指揮をとる、金髪碧眼の小さな少女――アリスに対してだ。
誰が見てもわかるほどの、アダマスゴーレムの圧倒的な強さ。それを目の前で見て、感じて、しかも一番つきあいの長い相棒が手も足も出ずに倒されたというのに。
それでも、その青いひとみは――勝負を捨てていないと言わんばかりに、爛々と燃え、輝いていた。
そしてその輝きは、その後の戦いの最中も、決して弱まることも、かげることもなかった。
バーニングリズリーのレッドは、口からの火炎放射を主軸とした戦法で、アダマスゴーレムに挑む。
ゴーレムが無効化できるのは物理攻撃のみ。ならば、炎ならダメージが通る――アリスはそう考えたのだ。
だが、ゴーレムの機動力の前では、火炎はかすめることすらできない。レッドもまた、ミルフィーヌと同じようにメッタ打ちにされていく。鋭く尖った腕や脚の一撃が、その分厚い毛皮をやすやすと貫き、衝撃を叩き込む。
それでもアリスは、次の手を打つ。
「レッド! 《バーニンガーデン》!」
コート上に、ぼん、と火柱が立ち上がる。ひとつ、ふたつ、みっつ――やがてそれらは間欠泉のように噴き荒れ、戦場は一瞬にして灼熱の焼け野原へと変わった。裏山でのバトルでも見せた、自分に有利なステージを作り出す技だ。
だが、それも決定打にはならない。
ステージの効果で強化された炎でさえ、ゴーレムには当たらない。かろうじて火柱の熱がかすめ、わずかなダメージを与えるだけだった。
「こりゃ、もうダメだね……」
二階席、緋羽莉の左隣に座る閃芽が、悔しさをにじませた声でつぶやく。右隣のりんごも、もう見ていられないと顔を伏せていた。
真後ろの席では、玲那がコハクをひざの上に乗せたまま腕を組み、目を閉じている。その表情には、わずかながらアリスへの失望がにじんでいた。
そして――アリスのいちばんの親友である緋羽莉は。
大きな黄色いひとみを見開いたまま、決してバトルから目をそらさなかった。
いくらアリスに全幅の信頼を置いている彼女でも、けっして盲目的ではない。アリスに勝ち目が、もはや0.1パーセントも残っていないことくらい、わかっている。
けれど、それでも――
「がんばって! アリス! レッド!」
ありったけの声で、声援を送り続ける。
たとえどんな結果が待ち受けていようとも、最後までアリスを信じ、想いを送り続ける。それが、花菱緋羽莉の愛情表現であり、心に誓ったことだった。
その想いを受け取り、アリスの目は、いっそう強く燃え上がる。
それは、ロウソクの火が消える直前に見せる、最後の輝きなのかもしれない。
けれど、そこには確かに宿っていた。
どんな結果になろうとも、最後まであきらめないという、揺るぎない強い意志が。
そんなアリスの姿を見て、ただ呆然としていた石切の胸に、理由もわからないいらだちがこみ上げる。
ぎりっと拳を握りしめ、歯を食いしばった。
そして、気がついたときには――叫んでいた。
「なんで……なんで、あきらめねえ!」
思っていたままの言葉を、ぶちまけるように。
その問いを意外に思ったのか、アリスは一瞬目を見開く。だがすぐに、不敵な笑みを浮かべ、答えるように叫び返した。
「そんなの……負けたくないからに決まってるでしょ!」
シンプルで、まっすぐな言葉。たとえるなら、時速165キロの豪速球のように、一直線に胸へ突き刺さる。
だが、そのひとことには、いくつもの想いが渦を巻くように込められていることが、石切にもはっきりと伝わってきた。
ブルーを故郷に返したい。緋羽莉やみんなの想いに応えたい。玲那に勝ちたい。どんなチカラにも負けない、りっぱな"いいウィザード"になりたい――
石切には知りようのない、アリスの数々の想い。それらすべてが、たったひとつの言葉に凝縮されていた。
ただ「負けたくない」という気持ちだけで立ち続けているわけではない。その裏には、支えとなる大切な想いがある――それが、なんとなくだが理解できた。
そして何より。アリスが負けたくない相手――その正体は、弱気になり、くじけそうになる自分自身なのだということも。
――俺には、その想いが足りなかった。
ただ家族に認められたかった。それだけだ。
それだけでは、自分の心を支えるには足りなかったんだ。俺は――
……気がつくと、石切はもうひとつ、叫んでいた。
「やめろッ!」
それは、緋羽莉の声にも負けないほどの大音声だった。
その一声で、コート上のアリスとワンダーたち、実況のニーナ、そして観客たちまでもが、一瞬で静まり返る。
いままさにレッドへとどめを刺そうとしていたアダマスゴーレムも動きを止め、ゆっくりと後方へ頭部を向けた。顔はなくとも、その意識が石切へ向けられていることは、誰の目にもあきらかだった。
『勝利は目前だ。どういうつもりだ?』
「テメーは黙ってろ」
石切の低く響く声。
アダマスゴーレムは、その迫力に気圧されたわけではない。だが、その言葉の奥にある、ただならぬ決意を感じ取ったのか、振り上げていた腕を静かに下ろし、沈黙した。
「実況ォ!」
「は、はいィッ!」
突然名を呼ばれ、ニーナはびくりと肩を震わせ、思わず背筋を伸ばす。
「ルールは、どっちかのパートナーが全滅するか、どっちかが降参するまで続ける……だったな?」
「は、はい……そのとおり、ですけど……」
おそるおそる答えるニーナ。
それを聞き、石切は小さくうなずくと、自分の左手のスマートウォッチを操作した。
すると――アダマスゴーレムの体が、じょじょに光の粒子へと変わりはじめる。
体育館に、どよめきがひろがった。
これは、ワンダーをウォッチへ帰還させる動作――すなわち、戦闘の中断を意味している。
『……どういうつもりだ、これは……』
「黙ってろっつったろ」
疑問の声を、石切がぴしゃりとさえぎる。
やがてアダマスゴーレムは完全に光の粒子となり、ウォッチの中へと吸い込まれていった。
「……え?」
突然の事態に、アリスと、ボロボロのレッドはそろって言葉を失う。
「……降参だ。このバトル……お前の勝ちだ」
石切の静かな宣言。
その瞬間、体育館じゅうが、痛いほどの沈黙に包まれた。
数秒後――止まっていた時間が、ようやく動き出す。
「け……決着ぅーーーッ! なんと、まさかの石切選手の試合放棄! 校内大会オープニングゲーム・第ゼロ回戦の勝者は――金色の超新星! アリス・ハートランド選手だぁーーーッ!」
ニーナの絶叫のような実況を合図に、特大の歓声が体育館を揺らした。驚きと戸惑いのどよめきも混じりながら、それでも拍手と歓声は止まらない。
いちばん応援していた緋羽莉も、りんごも、閃芽も、どこか信じられないといったようすで顔を見合わせている。
そして何より、この勝利にいちばん納得がいっていないのは――
「ちょっと……待ってよ!」
アリスだった。
すぐさま、コートを去ろうとする石切の背を追いかけようとする。
だが――
ズズーン!
気が抜けたようにコートへ崩れ落ちたレッドの巨体に視線を奪われ、思わずその場に駆け寄る。彼の介抱を優先せざるを得ず、結局、石切の背中を見送ることしかできなかった。
なにはともあれ、アリスはゼロ回戦を突破した。
けれどその勝利は――どこか、ほろ苦い味がしたのだった。




