第112話 消えたアリスのヒミツ
校庭の観覧スペースで、緋羽莉と玲那がわきあいあいと会話していたころ――ダンジョンの中のアリスは――
「よし、よくがんばったね、ブルー!」『キュー!』
ツートップのパートナーたちを、たった一体で打ち倒したブルーを、モモといっしょにねぎらっていた。
息を切らしながらも胸を張るブルー。その青い体には、戦いの名残である細かな傷がいくつも走っている。だが、そのひとみは誇らしげに輝いていた。
この大金星――ほんとうなら、もっともっとたくさんほめてあげたい。思いきり抱きしめて、何度でも名前を呼んであげたい。
けれど……いまはそうも言っていられない。なにしろ、いまはまだ敗者復活戦のサバイバルゲームの真っ最中なのだ。
ゆっくりしていれば、本戦出場の証であるお宝を持つ自分に、残りの参加者たちが一斉に襲いかかってくる可能性がある。立ち止まることは、そのまま危険につながる。即座に行動する必要があった。
アリスは、頭をフル回転させて考えをめぐらせる。
自分がお宝を手に入れたことは、盛大にアナウンスされてしまった。だが、残り人数まではあかされていない。
それでも――時間の経過と、これまでに遭遇した【ブリックゴーレム】の強さから考えて――
(少なく見積もっても……まだ半分くらいは残ってるはず)
およそ20人前後は生き残っていると見ていいだろう。それら全員を相手に正面突破するのは……正直、かなりきつい。
ゴーレムたちやツートップ(元)との激闘で、ブルーのエナも大きく消耗している。肩で息をする様子が、その証拠だ。
いざとなればモモもがんばってくれるだろう。けれど――戦闘力という意味では、ブルーに及ぶべくもない。
【モモイロハネウサギ】であるモモの危機感知能力を使えば、ほかの参加者と遭遇せずに出口へ向かえる可能性はある。
だが、それも絶対ではない。出口付近で待ち伏せされる可能性だってある。というか、アリスは知らないが、実際されていた。ついでに、一定時間動かないでいるとゴーレムに襲われるということも知らない。
さて……どうしたものか。アリスが悩ましげに眉をひそめた、そのとき――
『キュ!』
モモが、元気いっぱいに声をあげた。
くりくりとしたひとみを輝かせ、ぐいっと胸を張るその姿は――まるで「わたしにまかせて!」と言っているかのようだった。
さきほどの激しいバトルで活躍したブルーの姿に、すっかり感化されたのかもしれない。
「おお、モモ……やってくれるの?」
アリスは思わず笑みを浮かべ、モモをひょいっと抱き上げる。
ブルーもまた、やさしいまなざしでモモを見つめていた。まるで、妹の成長を見守るお兄さんのように。
――そして、数秒後。
アリスたちの姿は、こつぜんと消えた。
肉眼でも、そして空中に映し出されるモニター映像――立体映像においても、その姿は完全にとらえられなくなってしまったのだった。
☆ ☆ ☆
敗者復活戦が始まってから、およそ30分。戦いは折り返し地点にさしかかっていた。
すでにダンジョンの外――校庭には、失格となった選手がざっと26名。アリスの推測どおり、参加者の半数近くが脱落していた。
選手同士のバトルで敗れた者。ゴーレムに倒された者。あるいは、協力関係を結んだはずの相手と仲間割れを起こした者――脱落の理由は、実にさまざまだった。
「アリス……どこにいったのかな……」
念を送るのをやめ、緋羽莉は胸の前でぎゅっと手をにぎりしめる。不安そうに、立体映像のライブ中継を見つめていた。
ふだんはアリスに絶対の信頼を寄せている彼女ですら、このようすだ。それだけ――アリスの“消失”が、異常な事態であることを物語っている。
緋羽莉は、じっとしていられないといったようすで、長い脚をもじもじと組み替えたりほどいたりしていた。胸元の大きく開いた服のすそをきゅっとつまんでは離し、またつまむ。
落ち着かない呼吸に合わせて、やわらかな体のラインがかすかに揺れる。視線はホロビジョンにくぎづけのまま――そのひとみだけが、不安にゆれていた。
となりにいる玲那も、腕を組んだまま、わずかに眉をひそめていた。興味がなさそうに見えていた彼女ですら、いまは状況を測りかねているらしい。
優勝候補筆頭である玲那でさえ、アリス消失の理由を理解できていないようだった。
玲那はふと横目で緋羽莉を盗み見る。揺れるポニーテール、きゅっとにぎられた手、そして緊張でわずかに上下する胸元――その無防備な姿から、つい目が離せなくなる。すぐに視線を外したものの、胸の奥がざわりと波立っていた。
「これは、まさか……」
ぽつりと、閃芽がつぶやく。
「なにか知ってるの!?」
その一言に、緋羽莉がいきおいよく詰め寄った。あと数センチでキスできてしまいそうなほどの至近距離に、閃芽はぎょっとして体をのけぞらせる。
至近距離に迫った緋羽莉の顔。ほんのり汗ばんだ肌からは、甘くやさしい香りがふわりとただよってくる。大きなひとみにまっすぐ見つめられ、閃芽の心臓がどくんと跳ねた。思わず視線のやり場に困り、顔をそらそうとするが――それでも意識は、どうしても目の前の存在に引き寄せられてしまう。
「お、落ちつきなよ……それはね――」
閃芽が息を整え、説明しようと口を開いた――その瞬間。
どわっ、と。これまでで最大の歓声が、校庭に巻き起こった。
驚いた親友三人娘と玲那は、そろってダンジョンの入口へと視線を向ける。
――そこには、お宝であるシルヴァリオのウロコを、これ見よがしに掲げながら――堂々と、ダンジョンの入口から姿を現したアリスの姿があった。
「アリス!」
緋羽莉の顔に、ぱあっと花が咲いたような笑顔がひろがる。
その笑顔は、ただあかるいだけではなかった。胸の奥からあふれ出たよろこびがそのまま形になったように、頬はほんのり赤く染まり、ひとみはきらきらと輝いている。うれしさに胸が高鳴りすぎているのか、呼吸も少しだけはずんでいて――その無邪気さが、かえって目を引く魅力になっていた。
「これは……どういうこと?」
さしもの玲那も、驚きを隠しきれないようすだった。
『キュー……』
アリスの頭の上では、モモがぐったりと寝そべっている。長く垂れたピンクの耳が、まるでかわいらしいヘアアクセサリーのように見えた。どうやら、かなりチカラを使い果たしたらしい。
「やっぱり、そういうことか……」
閃芽が意味深に、にやりと笑う。メガネのレンズが、きらりと光った。
「だからー! どういうことなのっ!?」
もったいぶらないでよ――とばかりに、緋羽莉がぷりぷりと怒る。そんな彼女のようすも、どこかめずらしい。緋色のポニーテールが、子犬のしっぽのように元気よく揺れていた。
ほっぺをふくらませた緋羽莉は、腕を軽く振りながら小さく足踏みする。そのたびにスカートのすそがひらりと揺れ、引き締まったふとももがちらりとのぞいた。怒っているはずなのに、そのしぐさはどこか幼く、そして妙に愛らしさをまとっていた。
「モモの……【ハネウサギ】の能力、だよね」
りんごが、めずらしく得意げな表情で答えた。
ハネウサギは危機感知能力が高いことで知られている。さらに、人間による乱獲で数を減らした結果、外敵から身を守るための“かくれんぼ”のスキルが大きく発達していった種族だ。
とくに希少で、“幻”とまで言われる【モモイロハネウサギ】は、その能力がさらに突出している。気配を消すどころか――本気になれば、姿そのものを完全に消し去ることすらできてしまうのだ。
このチカラを使えば、主人であるアリスとともに一瞬で姿をくらまし、選手にもゴーレムにも見つかることなく――堂々と、そしてまんまとダンジョンを脱出できる。
つまり今回の“消失”は、モモの能力によるものだった、というわけだ。
ただし――それほどまでに強力なチカラには、当然ながら大きな代償があるもの。
長時間の使用は、エナの消耗が激しいのだ。とくに、自分以外――それも主人の姿まで同時に隠すとなれば、その負担は跳ね上がる。いま、モモがアリスの頭の上でぐったりしているのが、その何よりの証拠だった。
当のアリスもまた、少しでもモモの負担を減らすため、最短ルートで一気に駆け抜けてきたのだろう。肩で息をし、汗びっしょりになりながらも、その顔にはやりきった達成感が浮かんでいる。
ちなみにアリスは、50メートル走でクラス三番目の俊足である。
「チャンピオン! お宝って、これでしょ!?」
アリスは額の汗をぬぐいながら、朝礼台の上に立つチャンピオンへ、シルヴァリオのウロコを突きつけた。
朝日に照らされてきらめくそのウロコは、まぎれもなく勝者の証だった。
チャンピオンはフッと口角を上げ、マイクをにぎる。
そして――力強く宣言した。
「……コングラッチュレーション! いまここに、勝者が決定した! 48人の頂点に立った者、その名は――アリス・ハートランド! みなさん! 彼女に雨のような拍手を!」
その言葉に呼応するように、校庭は一気に歓声と拍手に包まれる。
ギャラリーも、失格となった選手たちも――もちろん悔しさから拍手をためらう者もいたが――それでも多くの手が、アリスへと惜しみない称賛を送っていた。
アリスは、頭の上にいたモモをそっとウォッチへ戻す。人の注目を浴びるのが苦手なモモへの、ささやかな気づかいだ。
そしてそのまま、観覧席へ向かって左手を振りながら、
「どうもー! どうもー!」
と、愛嬌たっぷりに応える。
「やっ……たあーーーーーっ!!!」
緋羽莉は一度ぐっと身をかがめると――抑えきれない気持ちを爆発させるように、大きくジャンプした。
軽く2メートルを超える高さへと跳び上がり、その姿はある意味、アリス以上に注目を集めていた。
朝日を背に跳ねるその姿は、まるで小さな太陽のように輝き――まっすぐにアリスへと光を届けているかのようだった。
空中で大きく体をのばしたその瞬間、朝の光が緋羽莉の全身を包み込む。汗にぬれた肌がきらりと反射し、しなやかな四肢がいきいきと躍動する。その姿はまさに、見る者の心まであたためるような――まぶしい“元気"そのものだった。
やがて、立体映像は静かに消え、ダンジョンは無数の光の粒子となって崩れていく。
校庭には再び、朝礼台と見慣れた学校の風景が戻ってきた。
ダンジョン内に残っていた選手たちは、一斉に外へと転送される。
突然の出来事に、何が起きたのか理解できず、きょろきょろと辺りを見回すばかりだった。
「……すごいジャンプね、びっくりしちゃった」
呆気にとられていた玲那は、着地した緋羽莉にやさしくほほえみかけた。
玲那の視線は、ほんの一瞬だけ緋羽莉の頬に残る汗の粒や、無邪気にゆるんだ口元へと向けられる。その自然体の笑顔に、言葉にしきれないやわらかな感情が胸にひろがった。気づかれないよう、すぐに視線を戻すが――その余韻は、しばらく消えなかった。
そのやわらかな表情に、周囲の生徒たちは思わず目を見張る。彼女のそんな顔を見るのは、はじめてだったからだ。
「えへへ……アリスが勝ったんだと思うと、うれしくって」
緋羽莉は、ふにゃりと頬をゆるめて答える。さきほどの跳躍でかいた汗が、健康的な肌をつややかに輝かせていた。
「アリスが勝つと、そんなにうれしいの?」
「うれしいよ! 自分のことよりも、ずうーっとね!」
迷いも屈託もない、満開の笑顔。
そのまっすぐな想いに触れて――玲那の胸が、わずかにきゅんと鳴る。頬がほんのりと赤く染まる。
けれど同時に――ほんの少しだけ、胸の奥にちくりとした痛みも走っていた。
「……それは残念」
「どうして?」
「私があの子と当たったら――そのステキな笑顔、奪っちゃうから」
そう言い残し、玲那はくるりと背を向ける。指先がわずかにぎゅっとにぎられる。
あの笑顔を向けられているのが自分ではない――ただそれだけの事実が、静かに胸を刺していた。表情には出さないまま、その想いだけが、心の奥にひそやかに沈んでいく。
そのまま静かに歩き出すと、周囲の児童たちは自然と道をあけた。彼女のまとう近寄りがたい空気に、誰もが圧倒されていたのだ。
「玲那ちゃん……」
緋羽莉は、切なげな表情でその背中を見送る。
(もっと……なかよくなりたいな)
胸に手を当て、小さく願う。
玲那とも。そして――アリスとも、いっしょに。
遠ざかっていく背中を見つめながら、緋羽莉はそっと指先を胸元にあてる。さっき感じた、ほんの少しの距離。
あと一歩、近づけたら――そんな想いが胸にひろがる。自分とも、そして大好きなアリスとも、あの子が笑って並んでくれたらいいのに――そんな願いが、やさしく胸に灯っていた。
「さあ! 勝者のアリス君! 壇上にのぼってきてくれ!」
チャンピオンがマイク越しに呼びかける。
アリスはその声に応え、ごくりと息をのんだ。
そして一歩ずつ、朝礼台へとのぼっていく。その足取りはゆっくり。緊張しているのだ。
なぜなら、目の前にいるのは――天下無敵のチャンピオン、竜宮光児。
だがそれは、単に有名人だからではない。彼自身が放つ、圧倒的な強者のオーラとカリスマ性。それが、アリスの心臓を強く打たせていた。
さらに、その隣には――パートナーである銀竜シルヴァリオ。
大きく翼をひろげ、悠然とたたずむその姿は、まさに王者の象徴だった。
その威圧感に、空気そのものが重くなる。
プレッシャーは何倍にも膨れ上がり、アリスの体を包み込む。
――それでも。アリスは足を止めない。まっすぐ前を見つめ、ついに朝礼台の上へと立った。
そして――チャンピオンと、真正面から対峙するのだった。




