第107話 敗者復活戦
チャンピオンがバッと右手を差し出した先――校庭の一角から、ゴゴゴッと地面を揺るがす音とともに、なにかがせり上がってきた。
朝礼台に集まっていた全員の視線も、当然そこへと吸い寄せられる。
せり上がってきたそれは……灰色のブロックが積み上がったような、直方体の小屋のような建物だった。小屋とはいうものの、入口はひとつだけで、窓はない。無機質で重々しい外観は、ただそこにあるだけで、周囲の空気を張りつめさせるような圧迫感を放っていた。
「まるで、ダンジョンみたい……」
一部の児童や観覧者が、思わずそうもらす。
たしかにそのいでたちは、ファンタジー作品に登場する迷宮――ダンジョンの入口そのものだった。
「そのとおり! これは僕が作ったダンジョンだ! 参加者諸君にはこの中で、本戦出場者一人を決めるサバイバルゲームを行ってもらう!」
チャンピオンのさらなる宣言に、参加者からいっせいに「え~っ!」と声があがる。
本戦に進めるのがたったひとりという点は、ある程度予想できたとしても、まさか競技がチャンピオン自作のダンジョンで行われるとは――さすがのアリスも、おどろきを隠せなかった。
ダンジョンも、いわゆる異空間の一種だ。空間変化の技が使えるワンダーが協力すれば、手間と時間と高度な技術こそ必要だが、自作することも可能である。そういったアトラクションは、迷路やおばけ屋敷の延長として、世界のあちこちに存在している。
だが、それを学校に持ち込んでしまうとは――規格外にもほどがある。さすがはチャンピオン、といったところだ。
「ルールは単純明快! このダンジョンの中にはお宝がひとつ、隠されている! それを発見し、ここまで持ち帰った者に、本戦出場の資格が与えられるぞ!」
司会者さながらにルールを説明するチャンピオンに、参加者から「おおーっ!」と歓声があがる。盛り上げ方も実に見事だ。
「もちろん、中でのバトルは自由! 相手を倒して人数を減らすもよし、無視して宝探しを続けるもよしだ! ただし!」
そこで一拍置き、チャンピオンは指を立てる。
「ダンジョン攻略中に使用できるパートナーは二体まで! さらに、そのどちらか一体が戦闘不能になった時点で失格! 自動的にダンジョンからワープアウトするしくみになっているから、くれぐれも気をつけるんだ!」
その説明に、再びどよめきが起きる。
つまり、手持ちのパートナーのうち一体でも戦闘不能になれば即失格。思っていた以上にシビアなルールに、参加者たちの表情が引き締まっていく。――アリス以外は。
「制限時間は一時間! それ以内に誰もお宝を持ち帰れなかった場合は、全員失格となる! その点も注意してくれ!」
さらにその瞬間、校庭上空にブオン、と音を立てて、ダンジョン内部の様子を映し出した巨大な立体映像が投影された。
複雑に入り組んだ通路、いくつも分かれた分岐、ところどころに見える広間――外から観戦するためのライブビューイングらしい。観覧者からは感嘆の声がもれた。
ここまでの設備を一個人で用意しているのだから、やはり規格外だ。どれだけのおカネがかかっているのか、想像するだけで気が遠くなる。
「それでは、位置について……ははっ、スターターって、一度やってみたかったんだよね」
チャンピオンの軽いジョークに、緊張していた参加者たちは思わずずっこける。
威厳もなにもあったものではないが、その親しみやすさもまた、彼の魅力のひとつだ。
「それでは、今度こそ……よーい……」
『ドーーーン!』
銀竜シルヴァリオの咆哮が、空気を震わせた。
あまりの迫力に、今度は全員が本気でずっこける。驚きも混ざって、会場は一瞬騒然となった。
「お前がやるのかよ!」というツッコミも、あちこちから聞こえてくる。無理もない。
そんな困惑と興奮が入り混じった空気の中――まっさきにダンジョンの入口へ駆けだした少女がひとり。
もちろん、我らが金髪碧眼の美少女、アリス・ハートランドだ。
迷いは一切ない。地面を蹴る足取りは軽く、まっすぐ前だけを見据えている。
「アリス! ファイトーッ!」
観覧スペースから、緋羽莉の声がひときわ大きく響く。満開の笑顔でぴょーんと跳び上がりながらの大声援だ。
大きな手を口もとに添え、声を張り上げている。指先までしっかり開いたその仕草は、見る者の目を引きつける。人ごみの中にあっても、まるでそこだけ光が集まっているかのように、彼女の存在はひときわ際立っていた。
頬はほんのりと上気し、黄色いひとみはきらきらと輝いている。声を出すたびに胸いっぱいに空気を吸い込み、そのたびに表情がころころと変わるのが、子どもらしくもあり――同時に、どこか目を奪われる愛らしさを帯びていた。
勢いよく跳ねた拍子に、しなやかに引き締まった体がふわりと宙に浮き、着地の瞬間には長い脚がばねのようにしなって、衝撃をやわらかく受け止める。
オフショルダーの襟元がわずかに揺れ、健康的な肌が朝陽に照らされてつやりと光るが、本人はそんなことにまるで無頓着だ。ただ一心に、アリスへと想いを届けようとしていた。
―—声が届いた瞬間、アリスの胸の奥がきゅんと強く跳ねた。まるで心臓がひとつ、大きく打ち鳴らされたみたいに。
思わず呼吸が浅くなりかけて――けれどアリスは、すぐにそれを整える。頬にほんのりと熱を感じながらも、その高鳴りを力に変えていく。
アリスはくるりと振り返り、一瞬だけ視線が合う。満面の笑顔で手を振る緋羽莉の姿が、やけに近く、くっきりと見えた。
その無邪気でまっすぐな想いに触れた途端、胸の奥がじんわりと熱を帯びる。
ほんのわずか、鼓動が速くなるのを自覚しながら――おかえしとばかりに、ウインクをひとつ。
その一瞬で、緋羽莉の時間が止まったかのようだった。ぱっと顔を赤らめ、胸の前で両手をぎゅっとにぎりしめる。全身にじんわりと熱がひろがっていくのを感じながらも、目だけは決してそらさない。
そしてアリスは、そのまま迷うことなく、ダンジョンの暗い入口へと飛び込んでいった。
高鳴る胸のままでも、不思議と不安はない。むしろ、その鼓動が背中を押してくれるようで――
(見ててね、緋羽莉ちゃん!)
言葉には出さず、心の中でそっとつぶやく。
その背中が闇に消えてもなお、緋羽莉はしばらくその場所を見つめ続けていた。まるで、自分の想いごと送り出したかのように。
やがて、ゆっくりと息を吐き、小さくつぶやく。
「……がんばって、アリス」
今度は声にならない声で、そっと。
「しまった!」「オレたちも続くぞ!」
あっけにとられていた他の参加者たちは、アリスがダンジョンに一番乗りしたのを見るやいなや、出遅れに気づき、あわてて後に続いた。
観覧者たちからも、いっせいに歓声が巻き起こる。いよいよ、敗者復活戦が幕を開けたのだ。
「なかなかいいスピーチだったよ、竜宮くん。カミカミだった15年前と比べて、君もずいぶん成長しましたねえ」
「はは……よしてくださいよ、昔の話は」
「それで、どうかね。君の目から見て、いまの世代の児童たちは?」
「ええ、みんなギラギラした目をしていて、いいですね。勝ちたいという気持ちが前に出ている。僕はそれが見たくて、この敗者復活戦を提案したんです」
「して、おすすめの子などはいたりするかね?」
「いますよ。一番最初に飛び込んでいった、あの金髪の子。……といいますか、先生も、わかってて聞いているでしょう?」
「ほほっ、さすがに慧眼だなあ」
「ええ、こちらもさすが……彼女が育てたというだけあります」
朝礼台の上で、チャンピオンと校長先生はそんな他愛のない会話を交わしながら、ホロビジョンを見つめていた。
☆ ☆ ☆
ダンジョンの中――
外装と同じく、床、天井、壁面にいたるまで、灰色のブロックによって形成されていた。最近作ったばかりのはずなのに、ところどころに老朽化したようなヒビや欠けがあり、妙にリアルなムードをかもし出している。演出面にも、無駄にこだわりが感じられた。
雰囲気だけでいえば古城の内部のようなおもむきだが、これはチャンピオンの芸術的センスによるものか、それともワンダーたちの技術のたまものなのか――それはさだかではない。
照明は原理不明の淡い光がともっており、屋外ほどではないにせよ、じゅうぶんに視界は確保されている。先の通路も問題なく見渡せた。
そして道は、無数に枝分かれしている。まさに迷宮という名にふさわしい構造だ。
「さーて、こういう感じなら……モモ!」
アリスは迷宮を軽やかに走りながら、スマートウォッチから【モモイロハネウサギ】のモモを呼び出し、先導を任せた。
彼女の感知能力はチームの中でも群を抜いている。迷路攻略にも宝探しにも、これ以上ない適任だ。
その瞬間――ホロビジョンで観戦していた外の観覧者たちは、いっせいに歓声をあげた。
「えっ……ハネウサギ!?」「しかもピンク! モモイロだ!」「あの幻って言われてるやつか!」
【ハネウサギ】はただでさえ珍しいうえに人気があり、その中でも【モモイロハネウサギ】は極めて希少な存在だ。
「ほう……」
朝礼台の上のチャンピオンも、興味深そうに目を細めた。
大きな騒ぎになることは承知のうえで、アリスはモモを表に出すことを選んだ。
それは、どれだけ注目を集めようと、どんな危険にさらされようと――モモの自由と安全を守り抜くという覚悟のあらわれ。
そしてそれは、アリスのめざす理想――すべてのワンダーと友だちになり、どんな悪にも決して屈しない、“いいウィザード”であるための、確固たる意志でもあった。
『キュ!』
そのとき、モモがぴたりと足を止めた。長く垂れた両耳が、ぴんと逆立つ。
――昨日の冒険でも何度も見た、危険を知らせるサイン。
アリスも瞬時に走るのをやめ、体勢を低くして周囲を警戒する。
静まり返った通路に、わずかな振動が伝わってくる。
次の瞬間――
ボコボコボコッ!
前方の床が大きく盛り上がり、うねるように変形していく。
ブロックが組み替わるようにして形を成し――やがてそれは、高さ一メートル半をゆうに超える人型へと変わった。
灰色のブロックが積み上がってできた存在。このダンジョンの内装と同じ材質で構成された、無機質な巨体の【ブリックゴーレム】。
無言のまま、重々しく一歩を踏み出し――アリスとモモの行く手を、完全にふさぐのだった。




