第105話 校内大会本戦の朝
ピピピピピ……。
スマートウォッチのアラーム音で、アリスは目を覚ました。
内容はよく覚えていないけれど……とてもステキな夢を見ていた気がする。
胸の奥に、まだほんのりとあたたかい余韻が残っていて、それが誰のものなのか、理由もなくわかる気がした。
昨日の冒険の疲れも、すっかり取れている。寝起きも、おどろくほどスッキリだ。
人生10年ちょっと生きてきて、史上最高の目覚めといっても過言ではない。
アリスはベッドから上半身を起こし、部屋を見回した。
昨日は、おめかしした緋羽莉がいきなり訪ねてきてびっくりしたが、さすがに今日は来ていないようだ。……それはそれで、ちょっぴりさみしい。
あの近い距離で感じたぬくもりや香りが、ふいに思い出されて、胸の奥がきゅっとくすぐられる。
「おはよう、ブルー」
『ん……おはよう、アリス』
いっしょに寝ていたブルーとモモ、それにミルフィーヌを起こす。
どうやらパートナーたちも、最高の眠りと目覚めを体験したようだ。
アリスはてきぱきと身支度をすませていく。
今日は校内大会の本戦――の前に、敗者復活戦もある。無意識のうちに、いつもより念入りになってしまう。
気合を入れる、という意味だけではない。
校内大会には児童の保護者たちをはじめ、未来のスーパーウィザードのたまごを見つけようとする、各メディアの記者やスカウトマンも観戦にやってくる。身だしなみは整えておくにこしたことはないのだ。
もっとも、淑女を自負するアリスは、普段からきちんと心がけてはいるけれど――やっぱり、今日は少しだけ特別だ。
準備完了。
リビングへと降りると――妙な音が聞こえてきた。
ジュー……という、まるで油でなにかを揚げるような音。
朝ごはんに揚げ物なんてヘビーなもの、健康志向な我が家の食卓ではまずありえない。
お弁当を作っているわけでもない。こういうイベントのときは、緋羽莉がいつも率先して作ってきてくれるからだいじょうぶだと、前から話してある。
――じゃあ、この音はなに?
少しだけ身構えながら、アリスはドアを開けた。
「あ、アリス! おはよう!」
そこには、いつものオフショルダーの上にエプロンをつけた緋羽莉が、にこにこと笑顔で立っていた。
朝の光を浴びたその姿は、健康的に輝く肌とやわらかな曲線がいっそう引き立ち、思わず見とれてしまうほどだった。
もしここが古典的なギャグマンガの世界なら、アリスはまちがいなく「ズコー!」とすっころんでいただろう。
「おはようございます、アリスちゃん」『キュー!』
一拍遅れて、食卓に座る沙織もにっこりとあいさつする。パートナーのブラウンも、元気よく声を上げた。
よその子がキッチンで料理をしているというのに、まったく動じていないあたり、すべて承知のうえで許可しているのだろう。
緋羽莉との付き合いは長い。それだけの信頼関係が築かれているということだ。
「あの……これはいったい、どういうことなんでしょうか……?」
アリスは思わず、ぎこちない丁寧語でたずねてしまう。
……まあ、理由はだいたい察しているのだけれど。
「さあさあ、座って! もうすぐトンカツできるから!」
緋羽莉はにこにこと笑いながら、アリスの背中を軽く押し、イスに座らせた。触れられた手のひらはあたたかく、しっかりとしていて、そのやさしさがそのまま伝わってくる。
パートナーたちも、それにならって食卓につく。
ミルフィーヌは人の姿に進化したため、昨夜からアリスのとなりの席が定位置になっている。念願だったのか、その表情はどこか誇らしげだ。
――やっぱり。緋羽莉は大会に向かうアリスを応援するため、"勝つ"にかけたゲン担ぎで、トンカツを用意してくれているのだろう。それだけではなく、少しでも元気になってほしい、力になりたい――そんな想いが、ひしひしと伝わってくる。
正直、朝から揚げ物は少し重い。けれど――大好きな親友が、自分のためにここまでしてくれている。その気持ちのほうが、ずっとずっとうれしかった。
だからアリスは、なにも言わず、素直にその好意を受け取ることにした。胸の奥がじんわりとあたたかく満たされていく。
それに――なんだかんだ言って、料理上手な緋羽莉の手料理は、とても楽しみでもあるのだ。
実はそれだけではない。昨夜のぐっすりとした安眠の理由が、緋羽莉がひと晩じゅう祈りと舞を捧げてくれていたからだということを――アリスはもちろん知らないし、緋羽莉もまた、それでいいと思っているのだった。
そうして、食卓に並べられた朝ごはんのメニューは――緋羽莉のまごころがこもった大きなおむすびとお味噌汁、そして千切りキャベツが添えられたトンカツだった。
「『いただきまーす!』」
アリスたちは声をそろえてあいさつし、朝ごはんをいただく。
緋羽莉はエプロン姿のまま、後ろ手を組んでにこにこと見守っている。例によって、自分のぶんは家ですませてきたらしい。少し身を乗り出すようなその立ち方は、どこか落ち着かず、食事中でも目を離せないほど愛らしい。
ちなみにレッドとグリンは、ウォッチの中で固形フードをもりもり食べはじめている。体が大きすぎてスペースがないという理由もあるが、とくにレッドは、やはりいっしょに食卓を囲むタイプではない。
おむすびとお味噌汁はもちろん、トンカツも絶品だった。
正直、沙織の料理よりも……と思いかけたが、目の前に座る本人の顔を見て、その考えはそっと胸の内にしまいこんだ。
それにしても、さすがは緋羽莉だ。重くなりがちなトンカツも、衣の軽さや味つけの工夫で、驚くほど食べやすく仕上がっている。いくらでも食べられそうなほどだ。
まるで衣のひとつひとつに、彼女のやさしさと気づかいが包みこまれているかのようだった。
「う~ん、おいしいですねえ」
沙織も思わずうなる。こんなふうに頬をゆるめて、しあわせそうに食事をする彼女の姿は、アリスもあまり見たことがない。
――できれば毎日でも作ってもらいたいです。きっとそう思っているだろうが、口には出さない。
緋羽莉との付き合いが長い沙織は、それを言えば本気で毎日通ってきてしまうことを、よく知っているのだ。
『おいし~!』『キュー!』『ああ……おはしでごはんを食べるって、ワンダフルです!』
ブルー、モモ&ブラウン、ミルフィーヌも、それぞれに感動の声をあげる。
「アリスも、おいしい?」
緋羽莉がずいっと顔を近づけ、満面の笑顔でたずねる。近づいた拍子に、ふわりと甘い香りがただよい、思わずどきりと胸が鳴る。
「うん! おいしい!」
アリスもまた、満面の笑顔で応えた。そのひとことに、緋羽莉の表情がぱっと花のようにほどけた。
☆ ☆ ☆
朝食を終え、アリスはブルーたちをウォッチに収納し、緋羽莉と手をつないで通学路を歩いていた。指を絡めたその手は自然と密着し、離れる気配がまるでない。
ウォッチの中では、ブルーがモモと楽しそうにじゃれあっている。ミルフィーヌ、グリン、レッドも、ときおり外のようすをのぞきながら、それぞれ思い思いに過ごしていた。
ふと横を見ると、緋羽莉の空いた左手には、昨日と同じお弁当のバスケットがしっかりとにぎられている。その持ち方ひとつにも、こぼれそうなほどの想いが込められているようだった。
今日も、アリスのためにたくさんお昼ごはんを作ってきたのだと、さっきうれしそうに話していた。
「やっぱり、毎朝むかえに行ってあげようか?」
背の高い緋羽莉が、少しかがむようにして、アリスの顔をのぞきこむ。距離がぐっと近づき、やわらかなひとみがまっすぐに向けられる。
「だから、緋羽莉ちゃんの家、遠いんだから迷惑だって」
「だから、わたしはそんなの平気だって!」
迷いのないその言い方には、アリスのためなら本当になんでもするという覚悟がにじんでいた。
「……むう」
このやりとりも、もう何度目だろう。
アリスも、本当は毎日いっしょに登校したいと思っている。
けれどそれ以上に、自分のために彼女の時間を使わせてしまうことが、もうしわけなくて仕方なかった。
……昨日までは。
(きょうの大会で優勝できたら、おねがいしてみようかな)
このぬくもりを、当たり前にしてしまいたい――そんな気持ちが、そっと胸に芽生える。だから心の中で、そっとそう決める。
口に出してしまえば、緋羽莉は優勝しなくても「いいよ」と言ってしまうだろうから。
もしそうなれば――きっとブルーもよろこぶ。あの子も、緋羽莉のことが特別好きみたいだから。
……パートナーのアリスとしては、ちょっとだけ複雑だけれど。
やがてふたりは、校門の前へとたどり着いた。
日曜日にもかかわらず、学校の敷地内は大にぎわいだった。
児童だけでなく、その家族らしき大人たちの姿もあちこちに見える。
ドンドン、と花火の音が響き、立派な入場門や、あちこちに立てられたのぼりが風にはためいている。
まるで運動会や文化祭のような雰囲気――いや、盛り上がりはそれ以上かもしれない。
ワンダーバトル校内大会というイベントの人気ぶりが、ひしひしと伝わってくる。
「敗者復活戦に参加の児童は、こちらに集まってくださーい!」
校庭の一角から、先生の声が響いた。
そこにはすでに、何人かの児童たちが集まりはじめている。
「それじゃ、わたしは行くね」
アリスは名残惜しそうに、そっと緋羽莉の手を離した。離れた指先に、さっきまでの体温がしばらく残り続ける。
緋羽莉も一瞬さみしそうな顔をするが――ほんのわずかにくちびるがゆるみ、その気持ちを押しとどめるように、
「うん、いってらっしゃい! めいっぱい応援するからね!」
すぐにあかるい笑顔に切り替え、ぐっと両手をにぎりしめる。その仕草には、抑えきれないほどの想いがぎゅっと詰めこまれている。それだけで、元気が伝わってくる。
アリスは、胸いっぱいにその力をもらいながら、意気揚々と集合場所へと向かっていった。背中に、やさしくも力強い視線が注がれているのを、はっきりと感じながら。
――決戦のときは、すぐそこまで来ている。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
前話にあとがきを入れ忘れましたが、今回から新章突入です。
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