第101話 裏山むかしばなし
一本杉の山の神・【マウントレント】とのラストバトルは、ブルーの最後の一撃によって、ついに決着した。
闘技場のように外周をおおっていた無数の根は、すうっと霧のように消え去り、張り詰めていた空気も、ゆっくりと元の静けさを取り戻していく。
「やっ……たあーーーーーっ!」
アリスとりんご、それに閃芽は、そろって大きくジャンプし、全身でよろこびを表現した。
ふだんはそんなはしゃぎ方をしない三人でさえ、思わず飛び上がってしまうほど、今回のバトルは過酷だったのだ。胸の奥にたまっていた緊張が一気にほどけ、達成感がじんわりとひろがっていく。
ただひとり――地面に横たわり、いまだ気を失ったままの緋羽莉をのぞいて。
土の上に倒れた彼女は、呼吸こそ安定しているものの、ぴくりとも動かない。その大きな体が、どれほどの無理を重ねたのかを物語っていた。
『やれやれ……ずいぶん効いたわい。実にみごとじゃったぞ、おぬしたち』
そんな歓喜の中に、水を差すでもなく、山の神マウントレントは、まるで何事もなかったかのように声をかけてきた。
レッドとブルーの攻撃によって、幹に刻まれた顔は深くえぐれている。それでも、その声色はおだやかで――しかし見た目とのギャップが、かえって不気味さを引き立てていた。
「あ、あれだけ叩きのめしたのに……ずいぶん平気そうね……」
アリスは思わず身がまえながら、おずおずとたずねる。
生命力のオーラ――いや、戦意はすでに感じられない。それでも、相手が相手だけに、完全に気を抜くことはできなかった。
『ほっほっほ。ダテに山の神とは呼ばれとらんわい。これぐらいのキズ、ほっときゃすぐに治るでのう』
「は、はあ……」
枝で顔をポリポリとかく巨老木に、アリスたちは、あきれたように顔を見合わせ、ため息をもらすしかなかった。
遊びだと豪語していた通り、どうやら最初から本気ではなかったらしい。
こちらは逆に、持てる力のすべてを出しきっていた。なのでくやしいと思う気力すら残っておらず、ただ、神と呼ばれる存在の大きさに圧倒されるばかりだった。
『それにしてもおぬし、ちっこいのにずいぶんなチカラを持っておるのう。まっこと、将来が楽しみじゃ!』
山の神は、ブルーをじっと見下ろしながら言った。
そのようすは、まるで孫をほめるおじいちゃんのようで、どこかあたたかみがある。
『えへへ……ありがとう。でもぼくは、最後においしいところを持っていっただけだよ。勝てたのは、みんなのおかげ!』
ブルーはそう言って、アリスたちやザックのいるほうへと振り向いた。
自分のチカラ以上に、仲間たちの存在が誇らしくてたまらなかったのだ。
『ほっほ。ずいぶんよき友に恵まれたようじゃな。王の資質を持つ竜の子よ』
その言葉を聞いた瞬間、アリスはハッとしたように声を上げた。
「そうだ、山の神さま! ドラゴピアっていうワールドについて、なにか知らない? 空にあるっていう、ドラゴンの楽園らしいんだけど!」
ブルーも同じく、はっと息をのむ。
神さまと呼ばれる存在ならば――前人未到の領域とされる天空の楽園、故郷ドラゴピアへの手がかりを知っているかもしれない。
そんな、かすかな希望を抱いたのだ。
老木は、枝で顔をポリポリとかきながら、しばらく考えこんだ。
『ドラゴピア……ドラゴピア……ううむ、聞いたことがないのう……』
しかし、返ってきたのは、期待していたものとはほど遠い答えだった。
アリスとブルーは、そろってがっくりとうなだれる。
『力になれず、すまんな。じゃが、その代わりにいいものをやろう。みごと、ワシに勝ったほうびじゃ』
そう言うと、老木はぴっと枝を突きつけた。
すると――アリスたち四人のスマートウォッチが、同時に淡く光を放ちはじめる。もちろん、倒れている緋羽莉のものも含めてだ。
画面には、山にそびえる大木をかたどったエンブレムが浮かび上がった。まるでスタンプのように、しっかりと刻みこまれていく。
『その紋章は、ウィザードのチカラの証明。おぬしらの目標をかなえる助けとなるはずじゃ』
「ああ、ボススタンプってやつだね」
閃芽は納得したようにうなずいた。
『ボススタンプ?』
「俗称だけどね。その名のとおり、ワールドのヌシに認められた証だよ。そうなるように、ウォッチ自体にプログラムされてるんだよ。多ければ多いほど、それだけ優秀なウィザードの証明になる」
『それってつまり……これを集めれば、いつかドラゴピアに帰れるってこと?』
ブルーの声には、わずかな震えが混じっていた。
危険度の高いワールドに入るためには、ウィザードとしての昇級が必要――はじめて出会ったときに、閃芽が言っていた言葉がよみがえる。
「場所がわからないことにはどうしようもないけど……その資格には、確実に近づけるはずだよ」
その言葉によって、ブルーの大きなひとみに、再び希望の光がともった。今日の冒険で一番の成果を得たとすら思った。
それにしても――ワンダーの収納や飼育だけでなく、こんな機能までそなわっているなんて。
よくよく考えてみると、スマートウォッチはワンダー以上に、ふしぎがいっぱいだ。
(帰ったら、アリスにいろいろ聞いてみようかな……)
ブルーはそんなことを思いながら、静かにアリスといっしょに画面のスタンプを見つめていた。
『おお、そうじゃ。金髪のおじょうちゃん……アリスと言ったか? ちょっとあやつ……火炎グマを呼んでくれんか?』
山の神にうながされるまま、アリスはスマートウォッチを操作し、【バーニングリズリー】のレッドを呼び出した。
現れたレッドは、ついさっきまでの激戦の名残をそのまま残した、ズタボロの状態だった。毛並みは乱れ、あちこちに焦げや傷があり、いかにも機嫌が悪そうに鼻を鳴らしている。
『どうじゃった? 人の子とチカラを合わせた感想は?』
『チッ……ムチャな作戦のおかげで痛い目にあったが……その分、アンタに一泡吹かせられたしな。まあ……及第点ってところだ』
頭をかきながら、どこか照れくさそうに言うレッド。
そんなようすを見て、アリスは思わず、にま~っとした笑みを浮かべた。
口ではぶっきらぼうに言いながらも、ちゃんと認めてくれてはいる――そんな気がして、胸の奥がほんのりあたたかくなる。
『ほっほ。よきことじゃ。人間の子どもというものは、いいものじゃろう?』
山の神は、からからと楽しそうに笑った。
その言葉には、どこか意味深な響きがあるように感じられ、アリスは、ここへ来る前から気になっていたことを口にする。
「山の神さまは、人間のこと、どう思ってるんですか?」
老木はしばし沈黙し、風に枝葉を揺らしながら、ゆっくりと答えた。
『……好きじゃよ。何百年経とうと、その気持ちは変わらぬ。とくに、おぬしらのような子どものエナは純粋でな。見ているだけで、元気がわいてくるわい』
幹に浮かぶ表情は、木のように固いはずなのに、どこかやわらかく見えた。
その言葉が、偽りのない本心からのものだということが、はっきりと伝わってくる。
「じゃあ、どうして裏山に結界を張ったの?」
アリスの問いは、さらに踏みこんだものだった。
山の神は一度、レッドと視線を交わす。
――コイツは事情を知ってる。そんな無言のやり取りが交わされる。
『もちろん、伐採から山のワンダーたちを守るためじゃ。おぬしらも知っての通り、樹木や草花の姿をしておるものも多いからのう』
その言葉に、ブルーとりんごは、この山で出会ったワンダーたちの姿を思い浮かべた。
【キリカブロッカー】に【トオレント】。頭に草花を生やした【モリモール】や【ハナモグラ】も、その中に入るだろう。
もし人間が無差別に木を切り倒せば、彼らの命もまた、知らぬ間に奪われてしまうのだ。
『ワシや山のワンダーたちも、再三にわたって人間たちに警告を発したが……聞き入れてはもらえんかったからのう』
「それって昔の民話でよくある、“この山を汚したら、たたりがあるぞー”みたいな感じだよね」
閃芽が言うと、となりでりんごが、うんうんと何度もうなずいた。
「それで、ブチギレたあなたが結界を張って、人間たちをまとめて排除した――って、レッドは言ってたよ」
『ブチギレ? 排除? そやつがそう言ったのか?』
「うん、言った」『ぼくも聞いたよ』「わたしも聞きました」「言ったね」
『ほう……』
山の神が、じろりとレッドをにらみつける。
するとレッドは、あさっての方を向き、ぴゅーぴゅーと下手くそな口笛を吹きはじめた。
どうやらこのクマ、話を少し――いや、かなり盛っていたらしい。
『ワシは断じて冷静じゃったよ。人間たちも、結界の外に追い出すだけにとどめた。騒ぎが大きくならなかったのは、当時の陰陽師協会のおかげじゃ』
『おんみょーじ?』
「不思議生物つかいのはしりみたいな連中の集まりだよ。ワンダーと人間の関係を取り持つのがお仕事」
『なるほどー』
閃芽の説明を聞いても、ブルーの頭の中には、まだ疑問が残っていた。なにしろ、気になるワードだかけだったのだから。
けれど、ここで深く聞き返せば、また話が長くなりそうだ。
そう思い、その疑問はいったん心の中にしまいこんだ。
「……それで、ふしぎ小の児童しか入れない、裏山ワールドのできあがり、ってわけ」
アリスがまとめるように言う。
『うむ。この山は、古くから子どもたちの遊び場として親しまれてきた場所じゃ。時代とともに訪れる子どもは減っても……ワシらの想いは、ずっと変わらんよ』
山の神の声は、どこか懐かしさを帯びていた。
長い年月の中で、どれほど多くの子どもたちを見守ってきたのか――その重みが、静かににじみ出ている。
『……なにしろ、ワシらはそんな子どもたちの想いから生まれたでな』
『……え?』
その一言に、ブルーは思わず目を丸くした。
しかし、山の神はそれをさえぎるように、すぐに言葉を続けた。
『……まあ、ともかくじゃ。ワシはここから山のようすべてを知ることはできるが、人間の子どもと直接遊んだのは、実に15年ぶりじゃ。楽しかったぞい』
「15年! ずいぶんごぶさただったんだねえ」
アリスは思わず、ぽかんと口を開けた。
「もうちょっと、難易度落としたほうがいいんじゃないの?」
閃芽のツッコミに、となりのりんごも、うんうんと何度もうなずく。
老木は、それを軽くいなすように、あるいは話題を変えるように、再び語りはじめた。
『最後におとずれたのは、背の高い女の子じゃったなあ。ちょうど、そこで倒れておる子と同じくらいの背丈じゃったかのう』
老木は枝を伸ばし、気を失っている緋羽莉を指さす。
静かに横たわる彼女の姿は、身長165センチほど――当時の少女も、それくらいだったのだろう。
「その子の名前……稲葉沙織っていうんじゃない?」
レッドから聞いた話で、すでに確信に近いものを得ていたアリスは、自信をもってその名を口にした。
『おお、そうじゃそうじゃ! そんな名前じゃった! そういえば、おぬしと似たような服も着ておったのう!』
『そいつ、コイツの育ての親らしいぜ』
レッドがくいっと親指でアリスを指し示す。
『おお! そうか! あの子が人の親に! ほんに、長生きはするもんじゃて!』
山の神は、巨老木の体をわずかにそらすようにして、大きく笑った。
つい先ほどまで激しい戦いを繰りひろげていたとは思えないほどの元気さだ。
『あの子は、これまで遊んだ相手の中でもとくに強かったのう! まさか、サシの勝負で負けるとは思わなんだわ!』
「……え?」
アリスたち――親友とパートナーたちは、そろって息をのんだ。
レッドに勝ったことで、アリスは、かつての沙織を超えられたのではないかと、どこかで思っていた。
けれど――
(わたしたちが四人がかりでやっと勝てた相手を……ひとりで?)
胸の奥が、じわりと冷える。
もしそれが事実なら、自分の考えは、とんだ思い上がりだったことになる。
沙織を超えたどころか――当時の彼女の足もとにすら、およばない。
そう思った瞬間、さっきまでの勝利のよろこびが、少しだけ色あせてしまった。
そんなアリスの心の揺れを見抜いたかのように、老木はやさしく語りかける。
『そう落胆することもなかろう。おぬしには、沙織にはない力がある』
「沙織さんに……ない力?」
『ともに並び立つ友と、それらをつなぐ絆じゃ』
その言葉に、アリスははっとして、みんなの顔を見回した。
りんご、閃芽、そしてブルー。
それぞれが、少し照れくさそうに、それでもしっかりとうなずいてくれる。
『あの子は、一人きりでこの山を攻略した。じゃが、パートナーのワンダー以外に、友だちはおらんと言っておった。そこが、おぬしとの決定的なちがいじゃ』
アリスは、しばらく何も言えず、考えこんでいた。ブルーもまた、同じように感じている。
たしかに、胸の中にモヤモヤが残らないわけではない。
けれど――今回の勝利は、みんなで勝ち取ったものだ。
それはきっと、ひとりで手にする勝利よりも、ずっと大切で、かけがえのないもの。
そう思ったとき、心の中にあった曇りが、少しずつ晴れていくのを感じた。
(……うん、それでいい)
沙織を超えられなかったことよりも、いまここにあるもののほうが、ずっと大事だ。
アリスはそう結論づけると、ふっと顔を上げた。
そして振り向き、りんごと閃芽とブルーと、やわらかくほほえみ合う。
そのようすを見て、山の神もまた、静かに目を細めた。
――あたたかな時間が、そこに流れていた。
……ただひとり。
気を失ったままの緋羽莉だけが、その輪の中に入れなかったのは、少しだけかわいそうだけれど。




