レイモン編⑤
エルとの偽装恋人の日々が始まった。
周囲に恋人関係となったことを報告すると、俺たちふたりの接点が意外だったのか驚かれた。幸いなことに、あまり詮索されることもなく、胸を撫で下ろした。
そして、早速一度目の機会がやってきた。
その前に、彼女と互いの呼び名について話し合うことにした。
「そうだ、ひとつ提案があるんだが」
「なんでしょうか」
「2人きりの時はともかく、人前では私のことをレイ、と呼んでくれないか?」
その方が恋人らしいだろう。そう思って提案したのだが。
「えっ……」
彼女は目を白黒させ、たちまち顔を赤らめた。
「恋人同士なのだから、人前で様付けは不自然じゃないだろうか」
「……っ、それはそうですね」
表情を固く取り繕っていたが、動きはどこか不自然だ。
「……頑張りますね」
もしかして、照れているのか。
彼女はいつも姫様に静かに寄り添っている印象があったから、意外だった。
彼女に、身構える必要はないのかもしれない。
共に過ごすうちに、彼女の新たな一面を知っていく。
彼女は何かと気配りが細やかで、助けられることばかりだ。姫様がご多忙の中、顔を合わせる機会を作ろうと、何度も機会を与えてくれた。
姫様にお会い出来たことは、何よりも得がたいことだった。
だが、どうしてそこまで助力してくれるのだろう。彼女は恩義があると言っていたが、それほどのことをした覚えは無い。
彼女に申し訳ないと思う気持ちはあれど、救いの手を拒む程余裕はなかった。
次の計画はどうするか話し合ったり、姫様のことを話し合える相手がいることが、救いとなっていた。
俺が気を落としている時、彼女がそばにいてくれた。
それに甘えきってしまったのが、俺の過ちだ。
※
奇妙な日々の中で、彼女の存在は確実に大きいものになっていった。
そんな時ナターシャ殿を通じて、姫様から冠の出来具合を確認するよう命令が下った。
姫様の新しい冠、それはすなわち婚姻の儀の時に身にまとわれるものである。
今は当初よりも傷が癒えだした。とはいえ、未だ姫様への想いにしがみついていた俺にとっては、出来ればお目にかかりたくないものだった。
目にした途端、嫌でも姫がこの国を去るのだと突きつけられる気がしたからだ。
万が一断れば、ここまで協力してくれた彼女に向ける顔がない。ここで向き合わないのは、彼女に対して失礼だろう。
正直、覚悟はまだ持てていない。
だが、彼女が傍にいてくれるのなら——今度こそ向き合える気がしていた。
「お任せを。そのように姫様に伝えてください」
そう返答すると、ナターシャ殿は頷いた。
「承りましたわ。姫様もお喜びになるでしょう」
また、最後に付け加えて言った。
「くれぐれも、隊服で向かわないでくださいよ」
「もちろんです。あくまでも非公式で伺うのですから」
そう返答すれば、呆れたような短い嘆息をひとつ零された。
「まあ…………分かっているのならいいですわ」
そうして姫様の元へ戻られた。
それにしても、バイエルンからの無茶な要求にも姫様は応えることにしたようだ。
準備期間が突然、半年から三ヶ月に縮められるなど、前代未聞のことだ。
それでも弱音を吐いたのは初めだけで、今は負けじと食らいつこうとしていた。
※※※
約束の日、空は夏のさっぱりした青空で、訓練に持ってこいという日だった。
「レイ様!遅くなりましてすみません」
まだ到着時間前だと言うのに、小走りでこちらにやってくる。
つい、訓練時代の癖で早く来すぎてしまった。彼女に気を遣わせてしまい、申し訳ない。
「いや、私が早く来すぎただけだ」
そう言うと、彼女はほっとしたように顔を和らげた。
メイド服を着ていない彼女は、いつもより足取りが軽い。
『姫様の思いつき』に振り回されているというのに、彼女はにこやかだ。そのことを詫びると
「……私も楽しみでしたから」
とはにかんだ。
正直、迷惑ばかりかけているから、今日の外出を楽しみにしていてくれたことが、嬉しかった。
話も程々に、目的の店へ向かう。
かつて祖父と共に訪れたこともある、顔なじみの店だった。騎士を志す前は、鋼鉄の成形の様子が面白く時々足を運んでいた。
姫様にその話をすると、私もやりたいのだと目を輝かせていたのがなつかしい。
「おや、坊ちゃんか」
金属の面白さを語ってくれた親方は、昔と変わらない姿で俺たちを歓迎してくれた。彼の後をついて行くと、作業場にたどり着く。
「姫様一世一代の品だからな。普段はここで保管してるんだ」
絹の柔らかな布をめくると、精巧な冠が現れた。
まだ制作途中とはいえど、大まかな造形は既に完成しているようだった。
左右に緩やかに伸びる銀細工は、湖のほとりで見かけられる草花をかたどっている。しなやかに曲線を描き、本物そのものだ。
そして頂にはこの国の象徴である、オパールが煌めいていた。
相変わらず、丁寧な仕事ぶりだ。
背筋をすっと伸ばされた姫様が、新天地でこの冠を被るのだろう。そう思うと、憧憬の念に駆られた。
「ティア様は……」
姫様が震えていたのは初めだけだ。
いつも気付かぬうちに、どんどん先へ進まれている。
現在も大国の妃として恥ずかしくないよう、夜遅くまで、婚姻のために精進されている。
あの時羽織ったガウンは、ぶかぶかながらも良くお似合いだった。
いつだって姫様は、顔を上げて進まれるのだ。
取っておきの贈り物とともに、彼女は新たな地に向かわれる。
そして大勢見知らぬ人々の前で、この国の至宝を披露されるのか。
「……これを携えてバイエルンに旅立たれるのだな」
この美しい冠は、姫様によくお似合いだ。きっとかの国でも心強い味方となってくれるだろう。
俺の手など、とっくに必要なかったのだ。
それは酷く寂しいもので、しかしずいぶんと晴れやかな気分だった。




