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レイモン編④


 王妃様との約束を果たすため——そして焦りを埋めるかのようによりいっそう訓練に励むようになった。


 どんな状況であっても、最後まで守り抜けるように。剣の技術を磨き、鍛錬を続けた。

 

 その甲斐あって、他の同期たちよりも一足早く正式な騎士として登用された。

 周囲は祝福してくれたが、俺の目標は果たされていない。

 

 早く姫様をお守りしたい——早く姫様のお傍に付けるよう、どんな過酷な任務も率先してこなした。


 そうして数年が過ぎた頃、上官に呼び出された。

 

「レイモン、ただいま参りました。なにかご入用でしょうか」

 

「……お前はよくここまで弱音を吐かずやってきたな」

 

「ありがとうございます」

 

 恭しく騎士の礼をとると、上官は誇らしげに俺を見据えた。

 

「お前に、いい話が来ている。——来月から、姫様の護衛騎士を務めよと陛下直々のご命令だ」


 思わず息を呑む。騎士を目指して数年、ようやく悲願が叶おうとしていた。

 

「謹んでお受けいたします」

 

 跪き、王令を拝命した。

 

 ※※※


 護衛騎士の就任日。

 数年ぶりに対面した姫様は、ぐんと背が伸びて、足取りも頼もしかった。

 

「レイモン・ベルク。本日より私の護衛騎士に任命します」

 

 見上げると新緑の瞳が、満足げに瞬いていた。

 

「レイモン、立派な騎士になりましたね」

 

 そう言いながら、護衛騎士の証である飾緒が手渡される。

 そのお言葉を拝領して、胸の奥から歓喜が湧き上がった。

 ようやく、胸を張って姫様の隣に立てる。


 護衛騎士として過ごした日々は、とても幸福な時間だった。

 

 幼い頃隣でただ無邪気に笑っていた幼子は、面影を残しながらも姫として立派に振る舞われていた。


 特に、彼女の所作はここ数年でぐんと美しくなった。

 あのガウンの一件以来、ナターシャ殿に淑女教育をみっちり施されたと聞いた。


 その頃の名残からか、ナターシャ殿は今でも人前に立つのなら完璧な王女であれ、と姫に繰り返し申される。

 俺から見たら完璧である動作も、改善すべきところがまだまだあるらしい。


 姫様は努力家ではあるが、不満が無いわけでは無さそうだった。

 公の場では立派な姫君であるのに、時々俺に昔に戻ったように愚痴をこぼされる。


「ナターシャったら、そんなこととっくに分かってるのに」


「昔から、姫様のために仰っているんです。……そんなことを申しては、またナターシャ殿に叱られますよ」


 そうたしなめると、姫様は不満げに眉をひそめた。

 

「そんなの……分かってるわよ。ただ、大変ってだけで」

 

 ひとつため息をつくと、次の瞬間にはいつもの愛らしい笑顔を浮かべられた。


 かつての親しさが顔を覗かせる度に、期待を募らせては内省を繰り返していた。そんな日々を過ごすうちに、また昔のように姫様の特別でありたいと願ってしまった。

 

 守りたいという想いが、年月を経ていつしか恋慕に変わってしまった。

 

 だが、立場上それを口にすることは決して許されない。

 せめて、心の中で慕い続けることは構わないだろうか。その関係に甘えていた自分の迂闊さを、のちのち痛感することになる。

 

※※※

 

 姫が十六の誕生日を迎えた数ヶ月後。

 夏の始まりに、大国バイエルンから婚約の打診がなされた。

 

「お父様のお話って、婚姻のことでしたのね」


 珍しく王の書斎に呼び出されたと、姫様は朝から気もそぞろだった。ついに、自分も重要な公務を任されるのかとやる気に満ち溢れていた。

 それだからか、その報せに彼女は拍子抜けしたようだった。

 

「ああ、ティア。これを」


国王陛下が書簡を広げようとした時、姫様が切り出した。

 

「お父様……悪いのだけれど、この話は、お受けしたくありません」


 王がはっとしたように顔を上げた。


「ティア、この話はお前の気持ちだけでは覆ることはない」

 

 姫様の顔は青ざめ、手はわなわなと震えていた。

 

「私は——」


「姫様!」


周囲の者の制止を振り切り、どこかへ走り去る。

 みな呆気にとられたように、動けないでいた。

 姫様の後を追いかけて、部屋の前へたどり着く。閉じた扉の向こう側から、か細い泣き声が漏れ出ていた。


 ※※※


 部屋の中で、姫様は部屋付きのメイドに縋り付いていた。

 

「……まだ、私は十六なのよ」

 

 姫が仰った時、彼女の小さな手を思い出した。俺を抱きしめるので精一杯な、守らなくてはならない宝物。

 震える小さな姿に、たまらず衝動が湧き上がる。

 

 ——いっそ、自分が彼女の手を引いて、ここから連れ出してしまえないだろうか。


 そんな考えが頭をよぎり、己の身の程知らずさに戦慄した。


「お願い……、エル。ここにいて」

「……ですが」

  

 俺が握り返してやりたかった手は、あの侍女がそっと包んでいた。


 この場で俺が出来ることは何も無い。


 部屋を辞する際、国王陛下から耳打ちをされた。

 

「レイモンや、少し相談がある。後で私の執務室へ来てくれ」


 満たされていた日々に翳りが見え始めた。


 王の書斎にて、重々しく告げられたのは予期せぬことだった。

 

「これまでよく姫の護衛を務めてくれた。——本日よりまた騎士団にて力を発揮してくれないか」

 

「……承知いたしました」

 

 答えを返すのが、精一杯だった。

 

「何か、不手際でもございましたでしょうか」

 

「お前の力も、姫への忠義も何も疑ってはいない。だが……向こうに疑念を抱かせる訳にはいかないのだ」

  

「……陛下のお心は理解いたしました。……ですが、」


「お前が無体を働かないなどと、どう証明すれば良いだろうか。……申し訳ないが、察してくれ」

 

苦渋に満ちたお顔をされつつも、言外には有無を言わせぬ厳しさがあった。

 

 姫の弱りきったお姿を見て、邪な考えがよぎらなかった訳ではない。——守りたいと誓ったが、本心ではどうだ。反論の余地がない。

 

「……謹んで拝命いたします」

 

ようやく手に入れたかけがえのない場所は、こうして呆気なく崩れ去った。


 ※※※


 本隊へ再び戻る準備期間として、数日間の猶予が与えられた。荷をまとめなければならぬのに、全く手をつけられそうになかった。


 茫然とするままに、かつての船着場に足を運んでいた。

 俺はいつだって、姫様のお力になることは出来ない。


 冷えきった身体に、湖の寒さはちょうど良かった。


「あっ! 」


 背後から慌てる声が聞こえた。

 振り返ると、城の方からシーツがひらりと飛んでくる。

 何気なしに、掴んでみた。飛んできた方角より、誰かがこちらへ息を切らしながら向かって来るのが見えた。

それは、先程姫様の手を握り返していた部屋付き——エルだった。

 

シーツを手渡し、別れようとしたところ声をかけられた。


「レイモン様……。どうなさったんですか?」

 

 俺を心配するような口ぶりに、心がざわめいた。

 

「なんでもない」

 

 どうかそっとして欲しい。そんな思いから、思わず刺がある返しをしてしまった。

 今は何もかも、どうでもよかった。

 

「私と、仮の恋人になってくれませんか」

 

 だが彼女は一歩も怖気付くことなく、偽装契約をもちかけてきたのだ。

 

 沈み込んだ暗闇の中で、差し込んだ光。

 普段の俺なら、不確かな契約には乗らなかっただろう。


 だが、姫様のお隣にまた立てるかもしれない。そう思うと手を伸ばさずにはいられなかった。


「よろしく頼む」


 藁にもすがる思いで、彼女に手を差し出した。

「お任せ下さい」

 そう言うと、彼女は俺の手を躊躇いなく握り返した。


 姫が溺れかけた時、助けを呼ぶように叱咤した——あの時の少女の姿が重なる。


 もしかしてあの時の少女が、彼女なのだろうか。

 

 髪は短く切り揃えられていたが、その栗毛は記憶にある少女と同じだった。

 

 姫が溺れた時俺は動けなかったのに、彼女はこの手で姫様を救いあげたのだ。


 利用してすまない、と心の中で懺悔しながら、彼女の温もりを感じていた。


 

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