レイモン編③
朝の鍛錬。まだ冬の寒さが残っていて、水溜まりには、薄く氷が張っていた。
足で踏み込むと、ぱきりと音を立てて白く亀裂が入る。
空の向こうが白み始めた時、ひとつ鐘の音がなった。
これは、急報を知らせる合図だ。
まさか——、王族の方々に何かあったのか。
愕然としながら、慌てて城へとかけ戻る。
城は水を打ったように静かだった。
詰所で待機していると、上官が暗い面持ちで訃報を告げた。
——王妃様が亡くなられた。眠るようなお姿であったらしい。
近ごろはお身体の調子も良さそうで、微笑ましい姿をお見かけする事も多かった。そんな矢先のことであったから、余計に失意の底に突き落とされた。
とりわけ、献身的に王妃様を気遣われていた国王陛下の悲しみは深かった。
王妃様の葬儀が終わると、必要最低限の公務だけをこなし、それ以外は誰も部屋に近づかないよう仰せになった。
城の者たちも、喪にふくす間は王家の居住区に必要以上に近づかないように努めていた。
そんな中、ナターシャ殿も体調を崩されてしまった。王妃様とは旧知の仲だったというから、心労も重なったのだろう。
本人はかなり渋っていたが、しばらく職務を休まれることとなった。
姫様の周りは、以前より寂しいものとなってしまった。
姫様はというと、王妃様の眠る墓所で祈りを捧げたり、気丈に振る舞われていると聞く。だが、本当に大丈夫だろうか。
家族と仲睦まじく過ごすという、望んでいた日々がやっと巡ってきたというのに、姫様は今どれ程の悲しみの中にいるだろうか。
その心中を知りたくとも今は一介の臣下の身にすぎない己には、力にすらなれない。それが何よりもどかしかった。
そばに居てやれたら、どれほど良かっただろう。
そんな折に、姫様のお姿が見えなくなったとの報せが入った。
以前目を離した隙に姫様が溺れたことと、なにより、先の王妃様の訃報。
これ以上何も悪いことが起きないで欲しい、と皆必死に探し回った。
何事もないように、と心から願っていた。目を離さないと誓ったのに、いつも俺は一歩遅い。
姫様の居場所に、心当たりがある。
母君を恋しく思って王妃様のお部屋にいらっしゃるかもしれない。
王妃様のお部屋に向かう途中で、小さな足音が響いていた。
その音の先に、姫様がいらっしゃった。
「……姫様」
驚いたことに、亡き王妃様の形見であるガウンを羽織っていた。少し呆気にとられたが、声をかけた。
「姫様、何をされているんですか」
呼び止めたところ、姫様は俺の方に手のひらをかざした。
「レイモン、どうかすこしまって」
聞いたことのない、凛としたお声だった。
姫様には、何かお考えがあるようだ。少し様子を伺うことにした。
「かしこまりました。……どうかガウンは汚されないように」
「だいじょうぶだから、ちゃんと見ていて」
まだ足元は幼子らしい覚束無さであったが、返事は自信に満ち溢れていた。
姫様は背筋を伸ばして、真っ直ぐに進まれる。
彼女の目的地は、国王陛下の書斎のようだった。
「お父様、いらっしゃいますか?」
まずはノックをされる。返事はないが、姫様はそれを構わず話を続けた。
「……お母様がいなくなってかなしいのは、私もおなじです。もうずいぶんお外にでていないでしょう?みなもわたしもしんぱいしておりますから、とびらをどうかおあけください」
その成り行きを固唾を飲んで見守っていた。
しばらくして、ドアが控えめに開けられた。
姫様が、陛下の書斎に招き入れられてから数刻が過ぎた。
夕日が小窓から差し込む頃に、書斎の扉がゆっくりと開け放たれる。
姫様と国王陛下が、そろって部屋からお出になった。
「みな、心配をかけたな」
久しぶりにそのお姿を拝見し、城の者達は安堵の息をつくのであった。
それからというものの、王様は徐々に表に出られるようになった。
季節が変わる頃には、ナターシャ殿も姫様の教育係として再び職務に就かれていた。
城の中は寂しさを残しながらも、いつも通りの日常に戻ろうとしていた。
※※※
それからしばらくして、姫様に新しい従者がついたと聞いた。
健康的な栗毛が特徴的な少女だった。
年は姫様よりも少し上で、俺と同じぐらい。姫様が寂しくないよう、同じ年頃の少女が選ばれたという。
姫が彼女に懐くまで、それほど時間はかからなかった。
「エル〜!」
彼女がやってくると、姫の顔は花が咲いたように明るくなる。かつてたどたどしい足で俺の後を追い、ようやくたどり着いた時のような安心しきった顔を、俺ではなく、彼女に向けていた。
彼女が部屋付きになってから、姫様の笑顔が増えた。
それは嬉しいことであるはずなのに、どうしてか手放しで喜べなかった。
元は自分がいた場所に、容易く収まったorあっさり入り込んでしまった彼女に対して、少しだけ複雑な思いを抱えていた。




