レイモン編①
彼女を守りたいと思ったのはいつからだったか。
叔母が王家に入ったからか、たまたま歳が近いのもあったからなのか。きっと色々理由はあったけれど、物心ついた時から、王女は俺の隣にいて、かけがえのない宝物だった。
「レイー!レイにぃ!」
「ティア様」
彼女の声が聞こえる。ぽてぽてとおぼつかない足取りで俺の後をついてまわる。その姿が雛鳥みたいで面白く、面白がっては庭中を歩き回った。
「つかまえた」
短い手足で、めいっぱい足に絡みつかれる。
彼女はいつも、全力で俺に向かってくれる。それが嬉しくて、いつも遊んでやった。
体が弱い王妃様と、その王妃様に献身的な王様。城の者は王妃様にかかりきりで、ティア様は寂しい思いをされていた。
だから、たまたま同年代の俺がその遊び相手を兼ねていたんだろうが、それでも彼女が大切な存在であることに変わりない。
ティア様は精一杯掴んでいるが、俺が少し力を込めれば今にも振り解けそうだ。
——その手は俺が見知っている誰よりも小さい。
それが何よりも愛しくて、頭を撫でてやった。
「つかまっちゃったな」
そう笑顔で返すと、彼女は待ってましたと言わんばかりに宣言した。
「こんどは、レイにぃがおにのばんね。ぜったいにめをあけちゃだめよ」
「わかった」
俺が目をつぶると、さっそく軽やかな足音が離れていく。
周りを散策する足音が聞こえる。
そろそろいいかと思って目を開けようとした時、姫の悲鳴が聞こえた。
「きゃ!」
肝が冷える心地で目を開ける。声は湖の方面から聞こえた。
太陽の光に照らされ、糸のような細い髪が風に揺られていた。姫の体が傾いて、湖に落ちて行く。妙にその姿が目に焼き付いた。
「ティア!」
叫んだが、遅かった。
大きな飛沫を上げて、彼女の体はあっという間に水辺へ吸い込まれた。
視線の先には、小舟があった。
乗り込もうとして、躓いたのか。
水面から、か細い手が伸びる。
「たすっ、た……」
手が見えたのもつかの間、水面に静かに沈んでいく。
はやく、——はやく動かなきゃ。
だけど、脚がすくんで一歩も踏み出せない。
俺が、助けないと。
その時。背後から地面を蹴る音が聞こえた。
「そこの人!誰か呼んできて!」
目の横を、茶色の髪が横切った。
「えっ、あの」
「私が姫を助けるから、早く!」
そういって、その人影は湖に向かって飛び込んだ。
「分かった!」
強く言われて、固まりきった身体がようやく動いた。
裏庭の方面に、あまり人はいない。
助けを呼びに向かうなら、もっと城の中に向かわなくてはならない。
必死に頭と足を動かす。
息が上がって、肺が痛い。でも、ティア様はもっと苦しいはずだ。弱音を吐いても、何の解決にもならない。
いちばん近い場所は、確か騎士舎だったはずだ。どうか——誰かいますように。
扉を豪快に開けると、部屋の視線が一気に集まる。
騎士たちは、急に駆け込んできた俺にびっくりしたようだった。
「ティア様が、湖に——」
そう言うと、さっと彼らの顔色が変わる。
今から思うと、もっと具体的な状況を訴えなければならなかった。しかし、その時は助けを求めて必死に泣きじゃくることしか出来なかった。
「姫様はどこにいらっしゃるんだい?」
騎士の一人が、落ち着かせるように尋ねてきた。
「湖の方に……」
「わかった。大至急、泳げる者は姫様の元へ向かえ!」
そう言うと、騎士たちは湖の方へと走り去っていく。
「君以外に、他に誰かいたか?」
「えっと、女の子が、湖に飛び込んでいって助けを呼んでこいと」
部屋に残った騎士が、慰めるように頭を撫でた。
「姫の危機を知らせてくれてありがとう。姫様を置いて、助けを呼ぶのは怖かっただろう。よくやった」
そう言われて、少し体が楽になった気がした。
「もうひとつ、君にひと仕事頼みたいんだが、他の人も呼んできてくれないか?」
もし助け出せたとしても、意識を取り戻すまでは油断ならないのだという。
「……必ず呼んできます」
だから姫を、助けてください。
そう伝えると、騎士は大丈夫だとでも言う風に頭をまた撫でた。
※※※
城の中にいる大人たちに姫の危機を伝えると、すぐに侍医が手配され、現場へ駆け戻ることになった。
姫は無事に救出されていた。
だが、彼女の頬はいつもの林檎のような朱色ではなく、魚の腹のように白い。
懸命に、騎士たちがどうにか息を吹き返させようと試みていた。
「だれかタオルを持ってきてくれ」
医師が告げると、騎士たちは早急にものをかき集めに散っていく。
どうか——神様。ティア様を助けてください。
祈ることしかできない、長く辛い時間が続いた。
「……がほっ、げほっ、げぼ」
「姫様の呼吸が戻ったぞ!」
騎士が安堵したように喜びの声をあげた。足の力が抜けて、情けなく地面に崩れ落ちた。
懸命な応急処置もあって、彼女は無事に息を吹き返した。
ティアを連れていかないでくれて、ありがとうございます。
心から神に感謝した。
力なく彼女に駆け寄る。薄く目を開いたティア様は、必死に宙へ何かを求めるよう手を伸ばしていた。
居た堪れずその手を握り返そうとした時、姫がぽつりと呟いた。
「……あなたは、だれ?」
誰かを探すように、そんなうわ言を繰り返していた。
出した手を、思わず引っ込めてしまった。
今彼女が探しているのは、あの時助けてくれた誰かなのだろうか。直感で、そんなことを悟った。
周りを見渡せば、あの時湖に飛び込んだ人物は、もうどこにもいなかった。
「どこにも……いかないで」
「……ティア」
不安に揺れる小さな手を、どうにも握り返すことが出来なかった。
その後、大人たちに担がれて、彼女は医務室へ運ばれて行った。
あれだけ騒がしかった裏庭には、俺ひとりだけが取り残された。
守らなきゃいけなかったのに、沈んでいく姿をただ見ていることしか出来なかった。
次こそは——自分が彼女を護るのだと、この時誓ったのだった。




