29.姫の旅立ち
次回で最終回となります。
部屋の荷造りや、その整理をしているうちに、姫様の旅立ちの日はあっという間にやってきた。
まだ夜の気配が残る空に、うっすらと星がさやめいている。
そんな穏やかな時間にも関わらず、朝日が昇る前から城内は慌ただしい。
ナターシャ様を中心に姫様の身支度が進められており、さながら戦場のようであった。
姫様は何週間もかけてこの国と、それからバイエルンの街を回られるが、荷物だけは先に先遣隊が運ぶことになっていた。
部屋付きたちはというと、姫様が出立する前の荷造りを行うことになった。
それが、私たちの最後の大仕事となる。
姫様のご出立に滞りがないように、城のものが一丸となって動いていた。
姫様のお荷物は婚姻するにしては少ないものの、大国に嫁ぐために必要なものは少なくない。
次の荷車がやってくるまでの時間、私は昨晩のことを思い出していた。
当日は時間がないからと、姫様は部屋付きの侍女を集めてご挨拶された。
部屋のものは3ヶ月前と比べ少なくなり、今は最低限のものしか残されていない。
誰がどんなことが得意だったか、あの時の気配りが嬉しかった、——と一人一人に話された。
「ミーナ、いつもお花を飾ってくれてありがとう。毎日、どんなお花があるかって楽しみだったわ」
「……そんな、姫様。そのような勿体ないお言葉……」
普段泣くことがないミーナも、この時ばかりは目に涙を浮かべていた。
「エル」
私の番が回ってきた。
「いつもお茶を淹れてくれてありがとう。……レイモンのことをよろしくね」
「お任せ下さい」
初めに言われた時は返事もままならなかったけれど、今は胸を張って応えられた。
そして全員に話しかけた後、姫様はこう締めくくられる。
「皆、大好きよ。今まで本当にありがとう」
心からの敬意と感謝を込めて、私たちはカーテシーをした。
姫様と言葉を交わせたのはその時まで。
またお姿を拝見できる時が、別れの時となる。
秋晴れの気持ちいい日になりそうで良かったと、白み始めた空を見て思った。
※※※
この日を持って、部屋付きとしての役目が終わる。しばらくお部屋の手入れなどは続くが、次第に別の仕事が与えられるだろう。
以前、皆のこれからの進路を尋ねたことがある。
私と同じように配置換えで働き続ける人が多かったが、そのまま家に戻る人もそれなりにいた。
ミーナもその中のひとりだ。
「私は帰るけど、エルはどうするの」
「これからも城に残るかな。ここで働いていたいし」
「そっか……。エルさえよければ一緒に手伝って欲しかったんだけどな」
残る人、去る人と様々だ。姫様の旅立ちで、城も大きく変わっていく。
「お誘い自体は嬉しいけれど、城の仕事が気に入ってるから」
「それなら仕方ないね」
ミーナは寂しそうに声を落とした。
「そういえば、……まだご飯を奢ってもらってないよね」
しんみりした空気を誤魔化すように、以前の約束を持ち出す。
「え〜あれ、覚えてたの?この前の当番交代で、済んだことにならない?」
「ごめん、冗談だよ。……ミーナにお礼を返せていないし。お礼とか関係なく遊びに行きたい」
そう笑えば、彼女はおどける様に私の肩を軽くはたいた。
「……そうね、会えなくなる訳じゃないもの」
今日は、みんななんだか湿っぽい雰囲気だ。
そんな時、城の鐘が鳴った。
ひとつ、ふたつと音を立て、姫様の旅立ちが近いことを知らせていた。
これは、特別な時にしか鳴らさない鐘。
この音が鳴ったら、城のものは城門へつどわねばならない。
そして、この城を去っていく王家の方々へご挨拶をするのだ。
※※※
列を揃えて待っていると、鐘がまた鳴った。
ラッパの音がなり、城門が開かれる。
見えたのはこの国の御旗だ。旗の後に続いて、初めに白の騎士服が道を進んでいく。
我が国の騎士は足並みを揃え、行列の先頭を飾っていた。
続いて、見慣れない異国の礼服をきた隊列が歩いていく。バイエルンから姫様を迎えに来た方たちだ。
やがて石畳に整然とした蹄の音が響き始めた。
次に騎馬隊が城門を抜けていく。
そして、最後に姫様を乗せた重厚な馬車が姿を現した。
事前に用意していたカゴいっぱいの花弁を、使用人たちは振りまいた。あっという間に辺り一面は花吹雪となる。
祝福の花の波を縫うように馬車は進んでいく。
「姫様〜!向こうでもお元気で!」
「ティア様!どうかお幸せに」
姫様がお見えになると、使用人たちは口々に歓声を上げた。そのどれもが、姫様の幸運を願うものばかりだ。
姫様は馬車の窓辺から、使用人に向けてにこやかに手を振っていた。頭には先日届いた冠が輝き、純白のベールを身にまとっている。
祝福の花の中で微笑まれる姫様は、今まで見たどんなお姿よりお綺麗だ。
歓声と共に、すすり泣く声もちらほら聞こえてくる。
馬車がだんだん近づいてくる。
姫様はふと、私のいる列に目を向けると、口をゆっくり開けた。
——大好きよ。
そう言われたような気がした。
私も姫様に向かって、大きく手を振った。姫様が、こちらに気付かれたように、嬉しそうに手を振り返して下さった。
姫様を連れて、馬車は坂下の城下街へ向かっていく。
距離が遠くなるにつれて、声を張り上げるものも増えた。
空に舞った花弁は勢いを無くして、地面の辺りで風に吹かれていた。
「さようなら、姫様」
車輪の音がだんだん遠ざかっていく。
馬車が見えなくなる瞬間に、そう呟いた。
私の声は、歓声の中に消えていった。
※※※
姫様が城を旅立たれた後、国王様によるねぎらいの席が用意された。
私たちの働きに感謝して、この場を設けられたそうである。
「皆の者。よくこの日まで勤め上げてくれた」
城の広間で、陛下が私たちに労いの言葉をかけられる。
姫様の配下の者にも目を配られるのは、きっとこんな国王様のお姿を見ていたからなのだろう。
国王陛下が杯を掲げると、みなも揃って宙に捧げる。いよいよ会の始まりだ。
温厚だが風格のあるお姿が、今は少しお疲れのように見えた。
杯が下げられると、たくさんの人の和やかな声があちらこちらに溢れる。
「うちの国と違って、バイエルンの服装は黒いんだね」
「姫様、本当にお綺麗でしたね」
「三ヶ月前はどうなる事かと思ったが、あっという間だったな」
皆は思い思いに杯を交わしている。
あまりにも賑やかすぎる場だが、反対にひとりきりなような気がした。賑やかな会場を離れ、外回廊へ向かった。
外は、中の賑やかさと比べて静かだった。揺れる葉の擦れる音がざわめいている。
日が落ちて、湖は夕闇色に染まっている。かつて同じ時間に、レイ様と姫様と、共に夕焼けを見ていたのに。
夏がすぎ、日が落ちるのも早くなっていた。
姫様ご一行の明かりぐらいは見えるかと期待したけれど、既に見えないぐらいに遠くに行かれてしまったようだ。
これ以上姫様ほどの素晴らしい主には、もう出会えそうにない。
「……姫様」
暖かくて、ずっと憧れていた姫様。もう、そんな彼女はこの国にはいらっしゃらないのだ。
そう思うと涙が滲んできて、視界がぼやける。
うら悲しい気持ちで、闇に沈む世界を眺めていた。
足の力が抜けて、その場にしゃがみこんだ。そうして縮こまっていると、足元がほのかに明るくなる。
「……姫様はもう旅立たれてしまったな」
背後から、気遣わしけな声がかけられる。彼も私と同じ方角を眺めていた。
「もう、お姿が見えなくなるぐらいに遠くに行かれてしまいました」
泣いていたからか、声ががさがさだ。
ランプが地面に置かれて、足元が照らされる。レイ様が隣で身をかがめて、私と目線を合わせた。
「すみません……私」
彼と目を見合わせていると、また目頭が熱くなる。一度涙を見せたからか、どうにも彼の前では打たれ弱くなってしまう。
「……俺も同じ気持ちだ」
そう言うと、レイ様は私を抱きしめた。
その温かさに、とめどなく涙が溢れてきた。
夜の帳が降りる中、二人きりで、姫様との別れを分かちあっていた。




