27.届いた冠
調査隊が戻って数日、姫の出立は予定通り進められることになった。
主要な道は塞がっているが、バイエルンと行き来する道は旧道含めいくつか残っている。
相手国側の日程が先延ばしとなるが、姫様は問題ないと仰るのだった。
「元々、婚姻期間を変えたのはあちらなのだから、少し待たせるくらいどうってことないわ」
その言い分が通ったのか、幸いにも旅立ちの日が早まることはなかった。
姫様が旅立たれるまで、あと一週間となった。
その頃にはようやく輿入れの準備も落ち着いて、あとは姫様の旅立ちを残すのみだ。
そんな折に、冠が城に届けられた。
姫様と同席したのはナターシャ様、私、レイモン様を含めた護衛数名だ。
国王陛下はご予定があるとの事で、本日はご不在だった。
城の応接間に、いつかの店主が大仰な箱を抱えてやってきた。
「姫様……ご立派になられましたね」
快活な声が応接間に響く。
「久しいわね」
「……本当に大きくなられて」
「まだしんみりするのはよしてよ。それにしても、最初はどうなるかと思ったけれど……よく間に合わせてくれたわね」
「これくらい姫様のためなら、どうってことないですよ」
むしろ誉れであるというように、職人は口角をあげた。
「皆には本当に迷惑をかけたわ……。さ、実物を見せてちょうだい?」
「是非、ご覧ください」
箱が開かれる。
部屋の誰もが、その見事さに言葉を失っていた。
以前確認した際も素晴らしい出来だったが、頂の宝石の輝きはそのままに、細部に新たな装飾が施されている。
左右対称にかたどられた銀細工には、湖の草花があしらわれていた。それらは主張しすぎることなく、冠全体を引き立たせている。
「……とても綺麗ね」
姫様がぽつりと呟かれた。
「さあ、早くお手に取ってください」
職人が、その晴れ姿を見たいと言わんばかりに勧めた。
「ナターシャ、お願いできるかしら」
姫様がちらりと目線を向けると、ナターシャ様は軽く頭を下げた。
「……もちろんでございますわ」
ナターシャ様が冠をそっと持ち上げると、銀細工がしゃらりと揺れた。
柔らかな髪の上に、冠が乗せられる。その出で立ちは、いつもよりも大人びて見えた。
自然と、目から涙がこぼれていた。
「……ちょっと、エル。早すぎるわよ」
姫様が困ったように微笑まれる。
「エルは……いいとして、みんなどうかしら? 」
気恥ずかしそうに問われる。
「とてもお綺麗ですわ! 」
前のめりになりそうなほど素早くお答えになったのは、ナターシャ様だ。そして少々間を置いて、レイモン様が口を開く。
「……似合っています」
そのお顔を盗み見ると、以前冠を見た時よりも穏やかな表情だった。胸を撫で下ろすと、視線がぶつかった。彼は私を安心させるように、一瞬表情を和らげた。
一通り冠の確認が終わった後、城の宝物庫にて保管されることになった。厳重に騎士たちが箱を取り囲み、部屋を去っていった。
※※※
その日の夜。ナターシャ様が珍しく席を外されるというので、代わりに付き従っていた。
「本当にエルの言う通りに綺麗だったわ」
部屋にお戻りになった姫様は、ゆったり身を伸ばされた。
ナターシャ様も身一つでバイエルンに向かわれるご予定だった——のだが、姫様に説得され、今宵荷造りをされることとなった。
「……それにしても。貴方たちは本当に恋人らしくなったわね」
含み笑いを浮かべながら、私を見つめていた。思わず、むせてしまった。
「見られてたんですか」
むせた私を見て、形のいい眉尻が下がった。
「からかってごめんなさいね」
姫様にせがまれて、いつものように紅茶を淹れた。部屋に茶葉の深みのある香りが広がる。
姫様の部屋付きとなって続けてきたこの習慣も、じきに終わる。
昔は椅子からぶら下がっていた足を、今はしっかり地につけて、出来上がりを待ち遠しそうにしていた。
真実を伝えるなら、今しかない。
姫様に紅茶を差し出したあと、恐る恐る私は申し出た。
「ひとつ、姫様に申し上げたいことがございます」
「改まって、何かしら」
紅茶を冷ましながらも、私が切り出すのを待っていてくださった。
「ずっと嘘をついていました」
「嘘って?」
「レイモン様とは、……偽物の恋人同士だったのです」
「……まあ、うすうすそんな気はしていたわ」
姫様は冷まし終えた紅茶を口に含まれた。
幾度となく、私たちの仲を深めようとしていた姫様には、やはりお見通しであったらしい。
「嘘に付き合わせてしまって、大変申し訳ございませんでした」
私が頭を下げると、柔らかい声が謝罪を受け止めた。
「迷惑だなんて……ちっともそんなことないわ。レイモンとは、いきなり離されたのだし」
それでも、と言いかけた時、姫様の声が遮った。
「……ねえ、エル。私の話を聞いて欲しいの」
顔を見上げると、慈愛に満ちた目が私を見ていた。
「私とレイモンは、確かに幼なじみだったわ」
「ずっと兄妹みたいに過ごしてきたの。私にとって、レイモンは兄みたいなもので……でも、ある時私が溺れかけた時に全て変わってしまったわ。その時だったかしら、レイモンが私を守ると言い出したのは」
その時のことを思い出したのか、憂鬱そうにため息をつかれた。
「それまで仲良く遊んでいたのに、急に臣下の態度を取られてみなさい?それはそれは面白くなかったわ。だからエルが来た時、本当に嬉しかったの。私の意見を聞いてくれるあなたが、何よりの救いだったの」
そして、私に笑みを向けられる。
「だから恋人になると聞いた時に、茶々を入れてごめんなさいね。もちろんレイモンと離れたことは寂しかったけど、あなたまでとられて……。またひとりになるんだって面白くなかったの」
「そんなことはありません! 」
邪魔どころか——むしろ、何度も姫様に助けられたことか。
「でも、私の手助けもいらないわよね」
姫様はそう言うと、紅茶に視線を落とした。
「だってもう、レイモンと本当の恋人同士なのでしょ?」
「姫様……」
「そんな悲しそうな顔をしないで。私、貴女にはずっと笑っていて欲しいもの」
再び私に目線を向けた姫様は、目元を下げた。
「私たちのために、提案してくれたのでしょう?だから、どうか罪悪感なんて抱かないでちょうだい。」
そして、私の手元を包み込むようにそっと手を重ねた。
「本当のことを言うのは、勇気が必要だったでしょう?それでも恐れず話してくれて、ありがとう」
「そんな……恐れ多いです」
「ねえ、エル」
姫様は、若草色の眼をじっと私に向けて尋ねた。
「はい、なんでしょう」
「ひとつだけ、お願いがあるの。どうか私のことを忘れないで。さみしいもの」
いつも天真爛漫なように見える姫様は、本当の願いをあまり口になさることがなかった。
やっと、その願いを耳にすることができた。
「幼い頃からずっとお側に仕えてきて、大切な方なのに。忘れられるわけないじゃないですか」
泣くまいと必死に目尻に力を入れる。
姫様はとびきり嬉しそうに、しかし泣きそうな顔で微笑んだ。
「ありがとう。それだけでもう、十分よ」
「十分だなんて……他に何かございませんか?」
姫様はしばし考え込んだあと、付け加えた。
「もう一つだけいいかしら」
「……はい、何でも」
「どうか、幸せになってね。欲しい言葉を一番くれる貴女が好き。ちゃんと、私の思いを受け取ってくれる貴女が大好き」
「……私も姫様が大切です」
姫様がいたから——今日まで部屋付きを続けられた。
「あーあ。……急に嫁ぎたくなくなってきたわ」
その声は少し震えていた。しかし、姫様は、しんみりした空気を吹き飛ばすように声を明るくした。
「でも、だからこそ、貴女に恥じないような立派な主君でありたいの」
悲しい時ほど、姫様は前を向こうと気丈に背筋を伸ばされる。それは昔からずっと変わらない。
「ふふっ。泣いても良いのに」
呆気にとられていると、ほっぺを摘まれた。
「姫様こそ……」
そんな彼女こそ、今にも泣きそうだ。
「でも…」
「泣き顔は……私とナターシャがなんとかしますから。だから、今ばかりはいいんじゃないでしょうか。」
一週間もあれば、泣き顔なんて綺麗さっぱりごまかせてしまう。
「……エル」
そういったきり、姫様は私に抱きついてきた。
私も姫様を優しく抱きしめ返した。最後に抱き上げた時よりもずっと大きい。
かつての姫様との思い出が、蘇った。
「ね、える!ごほん読んで」
まさに絵本から出てきたような、小さくて可愛い王女様。
そんな姫様が、絵本を読んで欲しいと、拙い足取りで私の後をついてまわる。
「わかりました。少しだけですよ」
しゃがんで、姫様と目線を合わせた。
「ほんとに!いいの?」
「はい。姫様はいつも頑張り屋さんですから」
「やった〜。エル、だいすきよ」
姫様はひしっと、全身で足に絡みついた。
私はそんな姫様が愛らしくて、つい頭を撫でてしまった。
従者の立場としては、かなり馴れ馴れしい態度だったかもしれない。だが、返さずには居られなかった。
姫様はあの頃よりもうんと大きくなられたけれど、寂しがり屋な所はちっともお変わりない。
「姫様にお仕えできて——本当に幸せでした」
姫様につられて、私の瞳からも涙が溢れ出した。
「……私も貴女に出会えて良かったわ」
二人とも、涙でぐしゃぐしゃになっているだろう。でも、不思議と心は晴れやかになっていた。




