23.もう一度だけ(レイモン視点)
レイモン視点です。
馬と共に、街道の状況を確認する。
山の側面に沿うように走る街道が、すっかり土砂で埋まっていた。辛うじて隙間から向こう側が見えるが、復旧作業は一筋縄ではいかなそうだ。
今回、俺が確認することになったのは、主要道路の方だった。
ここは比較的新しい道で、迂回路があることにはあるのだが、そちらは山を大回りする旧道で移動にかなりの日数を要する。
長く、そして馬が一頭しか通れない狭い道は、天然の要塞として機能してきた。
我が国が長らく侵攻を受けなかった要因でもあるが、その道に変更となると、更なる協議が必要だろう。
それが、何よりもどかしい。
今はただ、城にいる彼女のことを考えていた。
※※※
出立する前の日のことだ。
解任されて以来、初めて姫様より召集があった。
書簡には簡潔に『あなたに言っておきたいことがある』と書かれていた。
こんな時は大体あまり深い意味はなく、ただ俺に物申したいのだろう。
かつてはそれを辛く思う時もあった。
今は——。どんな話があるのだろうと、気は重かったが、かつてのような苦しさはもう消え失せていた。
明日から、湖周りの安全を確認するため、暫し城を離れる予定だった。今日はその準備のため、比較的手が空いていた。
少し休憩に出ると部下に伝え、庭園に向かった。
指定された場所へ向かうと、姫様がナターシャ殿を伴い仁王立ちで待っていた。
これは何か、俺に不満がある時の仕草だった。
「忙しいのに呼び出してごめんなさいね」
その態度は堂々たるもの。自然と背筋が伸びた。
「……王家の命に従うのは、騎士として当然の務めですから」
俺が粛々と応えれば、姫様は少し寂しそうに眉を下げた。しかしすぐに表情を戻したと思うと、要件を語り始めた。
「レイモン、今日あなたを呼び出したのはね——きちんとお別れをしたかったからなの」
姫の婚姻が決まった後、別れを告げられぬまま、護衛騎士を解任された。
「なかなか暇がなくて……遅くなってしまってごめんなさい」
「姫様がお忙しいのは、いつもの事ですから」
なんてことは無い、と見せてみれば、姫様は安堵したようだった。
「流石は、私の元護衛騎士ね。……ところで話は変わるけど、エルとは上手くやれているの?」
先程までの威厳ある態度は砕け、いつもの姫様らしいものとなる。
「……上手くやっていると思います」
少なくとも、俺はそう思っていた。
「ふーん、そうなの」
尋ねたというのに、姫様は少し不貞腐れた様子だった。
「ねぇ、レイ兄。もし、私がエルをバイエルンに連れて
いきたいと言ったら、あなたはどう思うかしら?」
幼なじみであった頃の呼び方で、なんて事のないように、姫様が仰った。
思わぬ問いに、一瞬息が詰まった。
姫様は使用人に優しいが——特にエルはかなりのお気に入りである。姫様が輿入れに同伴させたい、そう願うのもおかしなことでは無い。
その可能性があったというのに、頭から抜け落ちていた。
押し黙っていると、姫様が満足そうにぱっと顔を綻ばせた。
「もう、レイモンたら。——なんて顔してるの」
いつの間にか、眉間に皺が寄っていた。
「……大丈夫。あの子は連れていかないわ」
「ご冗談は、おやめ下さい」
そう苦言を申せば、姫様はしてやったりと言う風に微笑んだ。
「ねぇ、レイモン」
護衛騎士の時、何度もそう呼びかけられた。
「あなたは、いつも騎士として素晴らしかったわ」
騎士として最大級の褒め言葉に、胸が熱くなった。そのお言葉に、自然とかしずいていた。
「……ティア様、貴女に仕えられて幸せでした」
そう告げると、かつて仕えていた時に向けられた手が差し出された。
「レイモン、本当にありがとう。——さようなら」
その手を恭しく受け取り、額に寄せた。
「あの子のことを、よろしくね」
※※※
これから長丁場の仕事になるからと、自然と彼女の元へ足が向いていた。今の時間なら、交代の頃合だろうか。少しだけ、顔が見たかった。
エルの仕事場へ向かうと、そこにはいなかった。少し焦った様子の彼女の同僚に、様子を見てきて欲しいと頼まれた。
最近は、多忙で会える暇すらなかった。なにかあったのだろうか。不安だけが増していった。
時折、何か悩んでいる様子には気がついていた。
だが俺の視線に気づくと、彼女はなんでもないように振る舞う。
気を遣われたくないのだろうか。そう思い、いつも核心には触れられなかった。
自分の浅慮さが今は腹立たしい。
そう、早く本心を聞くべきだったのだ。
あの日の光景が、脳裏に焼き付いている。
自然と早足になっていた。早く彼女の様子を見なければ、と何故か焦っていた。
どうか、いつもの場所にいてほしい。祈るよう船着場へ向かう。そこには、湖に向かってしゃがみこむ彼女がいた。
護衛騎士を解任された時、自分もここに佇んでいた。
いつになく、その背中が痛々しげだ。思わず、声をかけた。
「エル、ここにいたのか」
そう声をかけると、彼女は驚いたようにびくりとした。いつもはにこやかに振り返ってくれるはずが、今は顔を見たくないようだった。それは、かつての自分のようだった。
彼女は自分のことを後回しにしがちだ。
「あの時、君に助けられた」
だから、何か力になりたいと、純粋に思ったのだ。
「本当に、なんでもないですから!」
知られたくないと言うように、声が震えていた。それでも、力になりたかったのだ。
「この契約を、延長していただけませんか」
ようやく振り返ってくれた彼女。震える声で願ったのは——俺たちの契約の延長だった。
その顔は今にも泣き出してしまいそうな、弱々しいものだった。いつも芯の強かった彼女のそんな姿を見て、呆気に取られた。
どうしてそんな顔をしているんだ。
「……なぜだ」
その問いに、返ってきた答えは。
「あなたのことが好きだからです」
だから、共犯者になってくれたのか。
想いを明かされて、驚きとともに、どこか納得している自分がいた。
姫様への積年の想いは、エルと共に過ごすうちに——いつしか雪のように溶けていった。
そうして、隣にいるうちに俺も離れがたくなってしまった。
彼女に望まれるなら、いいと思った。
「君が望むなら、私は……」
「やっぱり、嫌です」
きっぱりと力強く、だがその眼には涙が浮かんでいた。
「なっ……」
「お別れしましょう。こんな浅ましい茶番に、これ以上付き合わせるのは申し訳ないです」
優しく勇気づけてくれていたエルの顔が、今にも崩れそうだった。その時初めて——己の間違いに気付いた。
彼女に、こんな顔をさせてしまったのは自分なのだと。
いつも寄り添ってくれた彼女に、甘えていたのだ。
「エル!」
情けをかけないで欲しいと、彼女は走り去って行く。
その背中に、思わず縋りそうになった。
追いかけようと、足を踏み出して——ふと思った。
彼女をあそこまで追い詰めた自分に、その資格はあるだろうか。
ここで追いかけてしまえば、彼女はさらに傷つく。
伸ばしかけた手を、握りしめた。
※※※
あれから大雨が降り、行路の確認は取りやめとなった。詰所に戻れば、部下より明日から被害状況の確認になるとの知らせが入った。
早く戻れても、5日以上はかかる。それまでに——俺が言えたことではないが、もう一度彼女と話したいと思った。
急な予定変更で、騎士団は目が回るような忙しさだった。人員を揃え、雨が収まり次第急いで各地の状況を確認するべく、配置が決められる。
何を確認し、何が必要なのか指示をするうちに、すっかり夜が更けてしまった。
彼女と話したかったが、今の時間では到底無理そうだ。
顔向けできる立場ではなかったが、出立前に急ぎ文をしたためた。そして、彼女の部屋のドアに差し込んだ。
これが、初めての訪問となる。二ヶ月間共に居たというのに、これまで彼女の部屋を訪ねたことすらなかった。
彼女のことを、何も理解してやれなかった。
悔やむ気持ちを抱えたまま、遠征へと向かった。
※※※
遠征に出て数日後。
部下の報告を受け取る為、旧道の方へ向かう。
道を縫うように進めば、次第に人々の数が多くなる。
旧道は、行商人や移動する人々で溢れかえっていた。彼らもまた、通行路を求めて集ったのだろう。
「この分だと、姫様の輿入れに影響が出そうですね」
部下が気怠そうに申した。
「……そうだな」
空は晴れて、泥濘の酷かった土はもう乾ききっていた。晩夏の雨が、昨日が最後であればいいと願った。




