24.通じる想い
相変わらず姫様はお忙しくて、私の当番の時間が来る頃には、いつも部屋を後にされる。
がらりと静まり返った部屋で、掃除をしていると気持ちが煮詰まってくる。そんな時は、頂いた髪留めに触れて、時をやり過ごした。
そうして、レイモン様達が出立してから五日が過ぎた。
午後を少しばかり過ぎた時間。洗い物を取り込みに、洗濯場へ向かう。
城を移動する時は、何かと外階段を使うようにしていた。
レイモン様がお帰りにならないか待ちわびて、何度も眺めていた。
今日もお帰りにならないのだろうか。いつものように湖の向こう側を覗く。今日も進展なしかと、視線を落とした時。
ふと遠くに、何かが列を成しているのが見えた。目を凝らせば、馬の隊列がこちらに向かっているのが分かった。
あれはきっと、レイモン様達だ。ようやく安全確認を終え、城へと帰還されるのだ。
大急ぎで部屋に戻る途中、行き交う侍女たちがざわめいていた。
「ねえ、聞いた!?騎士様たちが戻ってくるみたい」
彼女たちも、また誰かを待ち焦がれていたのだろうか。
「あの日以来雨が酷くなくって本当に良かったわねぇ」
その声はどこか弾んでいた。その会話を小耳に挟みながら、私の足もいつしか軽やかになっていた。
「……どうしたの、エル。そんなに慌てて」
すれ違ったミーナが、驚いたように声をかけてきた。ちょうど交代に向かう途中だったらしい。
私の顔を見て、彼女は得心がいったように頷いた。
「もしかして、お戻りになられるの?」
「……うん、湖の向こう側に、隊列がいらしたの」
私がそう言うと、彼女はやっぱり!と声を弾ませながら、手に持っていた洗濯物を取り去ろうとする。
「これは大丈夫だから」
「……いや、すぐにでも身だしなみを整えて。もうすぐ交代の時間だし、あとはやっておくから」
はっとして、髪を触る。足早に歩いたからか、少し乱れていた。
「……ごめん、よろしく。明日の当番は私が代わるから」
洗濯物を手渡すと、彼女は快く受け取ってくれた。
「ちゃんと話し合うのよ。応援してるからね」
彼女は残りの仕事は任せて、と私を鼓舞した。
「本当に、ありがとう」
「いい報告を期待してるね」
※※※
さっと乱れた服を整え、髪留めでまとめ直した。
そろりと城門を覗けば、騎士たちが並んでいた。
馬たちに水をやったり、皮袋の手入れをしたり思い思いに過ごしていた。
しかし、その中にレイモン様の姿はない。
もしかして、いつもの場所にいらっしゃるのかもしれない。
再び外階段に繋がる道に向かう。一段一段上がる度、足音がやけに大きく聞こえる。
登りきったところで、レイモン様のお姿が見えた。
その姿を認めるやいなや、視界がぼやけた。
「レイモン様……」
このまま、私にお会いする資格はあるのだろうか。怖気付いて立ち止まっていると、彼が先にこちらに気付いたようだった。
彼はただ、静かにこちらを見据えていた。
その眼差しに、いつの間にか彼の方へ足が引き寄せられる。私が歩み寄るのを見て、彼は安堵したようだった。
「……エル、来てくれたのか」
「はい。あの時は……」
謝ろうとして、口ごもってしまった。
「あの時はすまなかった」
そして、頭を深々と下げられる。
頭を下げるべきはこちらだと言うのに、居た堪れない。
「顔を上げてください。私が、招いてしまったことですから」
私が——貴方とまた話したいと思ったから。
そう続きを言いかけて、口ごもってしまう。
今まで黙ってきた本心を曝け出すのが、怖いのか、また目に涙が溜まってしまう。
涙脆いはずではないのに、弱さを晒しているようで息苦しい。
「私は、いや——俺は君のことを責めたいわけではないんだ。むしろ謝るべきなのはこちらだ」
泣きそうな私を気遣うように、彼の声が柔らかなものに変わった。
「君の好意に甘えて、先延ばしにした」
彼は申し訳なさそうに、私の顔を見つめた。その視線に耐えられなくて、思わず俯く。
「元々、姫への気持ちは婚約が決まった時点で終わらせるべきだったんだ。私情を挟むべきではなかった」
彼は自分を嘲笑うかのような笑みを浮かべ、悔いるように仰った。
「だが、君の知っての通り決心がつかず……君の思いがけない提案に縋るほど——思い悩んでいた」
あんなに憔悴しきった彼は、見たことがなかった。
だから咄嗟に、偽装恋人の提案をして——彼を悲しませてしまった。
硬かった声色が、柔らかくなった。
「だから、俺個人としてはあの時の契約は本当に天からの救いだったんだ」
俯く私に、彼が一歩近づく気配がした。
「エル」
名前を呼ばれ、驚いて顔を上げる。やっと目線が揃ったというように、彼の表情が綻んだ。
「……本当にありがとう」
そう言われて、許されたような気持ちになった。許されてはいけないのに。レイモン様のお言葉が、自罰的になることを許してくれない。
彼は感謝を伝えるよう、言葉を重ねる。
「——君が俺の気持ちに寄り添ってくれる度に、いつも救われていた。そのおかげで、ようやく受け入れることができたんだ」
静かな声が、さざなみのように染み入った。
偽装恋人になって、少しずつレイモン様の笑顔が増えるのが嬉しかった。
「君と過ごすうちに、いつしかその時間がかけがえのないものになっていった。——終わらせたくないとも、思っていた」
レイモン様も、離れ難いと思ってくださったんだ。
「曖昧なままでも許してくれるだろうと甘えていたんだ。……でも、そのせいで君を酷く傷つけてしまった」
負い目を感じるように、彼の頭がまた下がる。
「君を泣かせてしまってから、ようやく事の重大さに気がついた。本当にすまなかった」
彼はこんな私に、どこまでも優しい。その優しい声色に、言葉が止まらなくなった。
「……もういいんです。レイモン様がそこまで思って下さったら、もう何もいりません」
そういえば、彼は困ったように眉を下げた。
「その事なんだが……。自分勝手だが、君がいなくなってようやく、俺も君の隣にいたいと自覚した」
夢のような、嘘みたいな言葉だった。
「あの時正直に伝えるべきだったのに、君の好意に甘える形で誤魔化してしまった。……こんな俺でも、君の隣にいても良いだろうか」
こんな私の隣に、居たいと仰ってくださった。
自分勝手だというのに、そんな私に想いを寄せてくださった。それが何より嬉しかった。
泣き止まない私に、レイモン様はしどろもどろだった。
「……どうすれば、君が笑ってくれるだろうか」
そう聞いてくるものだから。
「じゃあ……抱きしめていただいてもいいですか」
私がそういうと、彼は私の傍におずおずと寄った。
「……わかった。失礼する」
躊躇いがちに、背中に手が回る。壊れ物に触るような、たどたどしい動き。そんなレイモン様は初めてで、胸がくすぐられる。
この前、たまたま抱き留めていただいた時とは違って、妙な緊張感がある。
レイモン様は見た目は細身であるが、抱きしめられるとしっかりとした安定感があった。
その安心感でまた胸がいっぱいになる。
抱きしめたのに、更に涙があふれる私に彼は狼狽えたようだった。
「……いやだったか」
「違うんです……。幸せで」
私が涙ながらに笑うと、彼もまた優しく笑うのであった。




