22.友達だもの
どんなに逃げたくとも、明日はやってくる。
今は姫様の輿入れの時期。私の個人的な理由で穴を開ける訳には行かない。
髪留めは、朝焼けに照らされ机の上で鈍い光を放っていた。今日は、到底付けられそうになかった。
ドアを開けると、はらりと白い紙が床に落ちた。手紙が差し込まれていたようだ。
差出人はレイモン様だった。昨日の晩にはなかったから、出立する前に届けられたのだろう。
昨日、ようやく止まったはずの涙が、またこぼれそうになる。
※※※
城に出仕すると、普段より人の気配が少ない気がした。とびきりの晴れだと言うのに、大雨の余波がまだ漂っているようだ。
昨日の雨の影響で、いくつか街道が通れなくなったらしい。騎士達は被害の状況とバイエルンの行程が安全か確かめる為、遠征に出ていた。
レイモン様も、きっと朝はやくから向かわれたのだろう。
彼と顔を合わせる自信がないから、かえってよかったのかもしれない。
「……失礼します」
ノックをし、いつものように姫様のお部屋に入った。
今日も姫様は朝早くからいらっしゃらない。
主がいない部屋はがらんとして、寂しい。
姫様が城を出たら、私はどうすればいいのだろう。部屋付きの任を解かれた後は、恐らく別の仕事が与えられるだろう。
だが、レイモン様とああなってしまった以上、勤め続ける勇気を持てそうになかった。
故郷に帰るとしても——、きっと邪魔になるだけだ。家業は弟が継ぐと決まっているし、しばらく家にいようものなら、見合いに出されるかもしれない。
帰りたい場所もなく、——私はどうしたらいいんだろう。
そろそろ交代の時間が近づいていた。今日の引き継ぎ当番はミーナである。
昨日のことをどう説明しようか。考えただけでもため息が出そうだった。
浮かない表情を見せないように、気合いを入れ直した。
しばらくすると彼女がやってきた。
「……エル、あのさ」
「ミーナ、昨日はシーツありがとう」
言いかけた言葉を遮るように、感謝を伝えた。
「全然、大丈夫よ」
ミーナは気遣わしげにこちらを見ていた。
「聞いた?昨日の大雨で、街道が土砂崩れで埋まっちゃったみたいよ」
「……そうなんだ。姫様のお輿入れに影響がないといいけれど」
「幸いにもけが人はいなかったようだけど、これから大変そう」
今回塞がったルートは主要な道の一つらしい。被害規模によっては、別の道も考えなければならなそうだ。
「騎士の皆様も大変ね」
そう他人事のように言えば、ミーナが何か言いたげな様子で私を眺めていた。
「ちょっと、髪留めはどうしたの」
さすがはミーナ。人一倍見た目に気を使っている彼女の目は、鋭い。
「……少し、忘れちゃって」
「あんたが?」
彼女の目がさらに疑い深くなる。
いつも大事にしていたのに、昨日の今日でつけてこないなんて、何かあったと白状しているようなものだ。
「……本当に何があったの。まさか、レイモン様と喧嘩でもした?」
ミーナはいつになく真剣だ。
「……喧嘩というか。気まずいだけ」
あんな姿を見られているのだから、隠し通せるわけもない。契約恋人のことは伏せて、レイモン様と気まずいということを話した。
「うーん。それは、話し合いが足りてないわね」
「でも、私が招いたことだから」
「相手に何も言わないで配慮することが恋人ってわけ?」
「……でも、本心なんて明かしたら嫌われるに決まってる」
レイモン様は温厚だから、情けをかけて下さっているだけだ。
「……そうかしら。」
彼女は私の言い分に懐疑的だ。
「だって、この前レイモン様のお怒りは凄まじかったもの。それはそれは……」
思い出して身震いする彼女を睨めつけた。
「あれは……ミーナが悪いから」
「本当にごめんって。なんというか、大切にされてるんじゃないかしら!」
ミーナは強引にまとめた。
「……そうかな」
「少なくとも、私にはそう見えたけど」
確かにあの時のレイモン様は、頑として譲らなかった。
「エル……あんたはさ。いつも慎ましくて、それが長所だけど。もっと甘えてもいいんじゃない?」
「私は」
「十分わがままだって言うんでしょ?私と比べればまだまだだと思うけど」
この前なんて、休みの日に髪型に似合うリボンが決まらなくて、日が暮れるまで全て試したのだという。
「それは、……確かにわがままだね」
わがままと言うよりは、完璧主義に近いものだろうけれど。
思わず笑った私に、ミーナは少し目尻を和らげた。
「あんなに幸せそうなエル、はじめてみたのに。諦めちゃ絶対だめだよ」
ミーナはきちんと向き合えと、私の背中を押してくれた。
「でも……意外とレイモン様って、ああ見えて気が利かないタイプなのかしらね」
「レイ様は悪くないから」
すかさず口を尖らせれば、ミーナは降参だという様に首を振った。
「はいはい……本当にレイモン様びいきね」
少し呆れながらも、ほっとした様子だった。
「いつもの調子が戻ってきたじゃない」
「……あ」
「じゃ、私は仕事に戻るけど。あんたはそれぐらい素直なのがいいわ。頑張ってね」
そういうと、ミーナは仕事の準備に取り掛かる。
「……ミーナ。何から何までありがとう。」
「いいのよ。友達でしょ」
頭を下げると、らしくないとシーツをその上に乗せられた。
※※※
シーツを手に、歩いていく。
普段通り外回廊を通って、はたと気づく。今日からレイモン様は遠征なのだと。
姫様の護衛騎士になる前は、よくここで訓練されていたから、また偶然が起きないかと期待していた。
お忙しくされるようになって、そこにいらっしゃらなくとも——いつもこの道を通っていた。
思い返せば、私は初めから回りくどい人間だった。
レイモン様が遠征から戻ってくるのは、早くて五日後。
逃げ出した身でなにか言えるわけではないけれど、彼は私に何か伝えようとしていた。
それがどんな思いだとしても、今度は向き合わなければならない。
勤めが終わり、部屋に戻ってきた。朝は勇気がなくて開けなかった、彼からの手紙を手に取る。
封を開けると、几帳面な彼にしてはやや崩れた筆跡が目に入る。急な遠征の前に、慌てて書かれたのかもしれない。
――――――――――――――――
エルへ
突然こんな文を出して申し訳ない。
昨日のことについて、きちんと話したい。
遠征から帰ったら、話せるだろうか。
もしあなたが良ければ、いつもの場所で待っている。
レイモン
――――――――――――――――




