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21.限界


 眩い日が輝いていた空は、いつしか曇天になっていた。今の時期——特に晩夏に差し掛かった山の空は天候が移ろいやすい。

 

 ミーナは、ちゃんとシーツを取り込んでくれただろうか。そうやって別のことに意識を逸らしてみても、胸の痛みは和らぎそうにない。


 レイモン様から頂いた髪留めを外し、手のひらに乗せた。あの時彼から贈って頂けたことが、本当にうれしかった。まるで、本当の恋人になれたような気さえした。


 もし彼が姫様と結ばれていたなら、私はすっぱり諦められたのだろうか。こんなふうに、期待させられることがあるから、諦めきれなくなった。

 少なくとも今みたいに、足掻こうとはしていないはずだ。

 

 ……レイモン様と、仮初の恋人であるのが辛い。もっと心を通わせて、その温かい眼差しを向けて欲しかった。


 いくら考えても、その思いは捨てきれそうにない。今日の空模様のように、気分は曇ったままだ。

  

 しばらくすると、背後から石畳を踏む音が聞こえた。

 

「……エル、ここにいたのか」


 レイモン様だ。

 彼は息を弾ませながら、焦った様子でこちらに近づいてきた。

 

「……どうされましたか」


 声が震えないように努めた。

 以前なら共に昼食を取っていた時間は、とうに過ぎている。最近は騎士たちも忙しく、顔を合わせることさえ減っていたのに。


 それを寂しく思っていたけれど、今は酷い顔を見られたくなかった。

 


「先ほど、君の同僚から様子がおかしいと聞いた。それに、ここで佇む君の姿が気になった」

 

 それで——ここまで来てくださったのか。

 束の間浮かんだ喜びも、あの光景を思い出した途端に沈んでいった。

 

「何かあったのか」


 その声には、純粋に心配しているという思いが滲んでいた。


「別に……ただ体調が悪いだけです」


 貴方のせいですなんて、言えそうにない。


「……以前もそうだったが、君は自分を後回しにしすぎる」


「そうでしょうか。あの、……戻らなくて大丈夫なんですか」


 姫様が待っていらっしゃるだろうに。

 こんな所に、レイモン様がいていいはずがなかった。


 私のどこかへ行ってほしいという願いを無視するかのように、彼は続けた。


「……ここで呆然としていた時に、初めに声をかけてくれたのは君だった」


「それが、……どうかしたのですか」

 

「あの時、君には助けられた」


 レイモン様は、なんの迷いもない真っ直ぐな思いやりを向けてくださる。それが、ひどく辛かった。

 

「今の君が、何でもないようには見えない。私にも、なにか出来ることはないだろうか」


 憎らしいことを、仰ってくださる。だけど、そんな扱いにはもう耐えられそうになかった。


「本当に、なんでもないですから!」

 

「ならどうして、そんなに声が震えているんだ」


「……え?」


 平気なふりをしていたはずなのに、彼の目は誤魔化せないみたいだ。


「これでも二ヶ月月、君の恋人役をしてきた。分からないはずないだろう」

 

 ——私の不調を見抜いていらした。


 先程まで苦しかったのに、私の心は勝手なものだ。

 二ヶ月だけでも、私のことを気にかけて下さった。それだけで、嬉しくて涙が出そうだ。


「私と姫様が会えるように、君は取り計らってくれた。どうか、力にならせてくれ」


 レイモン様は、意外と頑固なお方なのかもしれない。

 

「本当に……なんでも、叶えてくださるのですか」

 

 私がそう告げれば、レイモン様は力強く答えた。

 

「私ができる範囲で、叶えよう」


 そんなことを仰る。

 もし、ここで本当の願いを話したらどうなるだろう?

そう思ったら、もう止まらなかった。


「この契約を、延長していただけませんか」


「……なぜだ」


「……私があなたの事が好きだからです」


 彼は呆気にとられたように、私を見つめていた。

 当たり前だ。姫様と親しげに言葉を交わした後に、偽の恋人から想いを告げられるなど、思ってもいないだろう。 


「姫様のためだなんて言いましたけど、違います。……本当は、あなたのそばにいられる口実が欲しかったんです」

 

 何か言ってくれればいいのに、彼は口を閉ざしたままだった。私は口を挟まれないように、続けて言葉を重ねた。

 

「どうか、人助けだと思って、哀れな女に慈悲をかけてくださいませんか」


 レイモン様は、固く口を閉ざしていた。

 沈黙に耐えきれず、私は彼の答えを促すように見つめた。


「君が望むなら、私は……」

 

 彼はただ静かにそう答えた。


 ……どうして怒ってくださらないの。


 言葉通りに、情けをかけるなんて。レイモン様はお優しすぎるのだ。

 

「やっぱり、嫌です」


「え」


「お別れしましょう。こんな浅ましい茶番に、これ以上付き合わせるのは申し訳ないです」 



 そう言うと、レイモン様は悲しそうに眉を下げられた。どうして。——どうして、そんな目をするの。

 

「それなら、何故そんな辛そうな顔をしているんだ」


 そこで初めて、頬を伝う涙に気がついた。

 こんな時も私の心配をするなんて、彼は甘すぎるのだ。だからこそ、縋り続けてはならないのだ。

 

「優しくしないでください……惨めになりますから」


彼は優しいから、私がこんな醜態を晒しても許してくださってしまう。

 それは、彼の優しさに甘えるようで耐えられなかった。

 

「もう……やめましょう」


 そんな視線に耐えかねて、また走り出していた。


「エル!」


 背後から声がかかった。

 でも、それ以上追ってくる気配はなかった。

 

※※※

 

 私なら耐えられると、どこか自惚れていた。

 

けれど、偽物でも恋人として過ごす中で、諦めるどころか、彼への思いはますます募っていった。

 

「……どうしたら、最後まで誤魔化せたんだろう」


 そうひとりごとを漏らせば、胸の奥が軋んだ。

 叶わないと分かっていたはずなのに。二人が並んでいる姿をみて、耐えきれなくなってしまった。

 

姫様のためにも、レイモン様のためにも、この思いは隠し通さねばならなかった。


 浮かれに浮かれて、今日全て壊してしまった。

 そもそも、隠しきれていなかったのかもしれない。

 

ずっと諦めきれなくてごめんなさい。私が辛抱すれば良かったのに。


 そう後悔しても、遅い。

 全て明かしてしまったのだから。

 

「あ、雨」


ぽつぽつと石畳に雨跡がつく。早く室内に入らなければいけないのに、足が動かなかった。このまま雨を浴びていたい気分だ。

やがて雨脚は強くなり、あっという間に全身が濡れた。あれほど晴れていたのに、もう濡れ雑巾だ。

 

 あまりにも酷い土砂降りで、城の外には人影ひとつもない。

頬を伝うものが雨なのか涙なのか、もう自分でも分からなかった。

 誰もいないことをいいことに、声を押し殺して泣き続けた。


 日が落ちて、宿舎に戻る。

 幸い、帰る時には誰も会わなかった。こんな姿を見られたら、なんて言われるかわかったものじゃない。


 これ以上、お二人の邪魔をしたくない。

 濡れた服を脱ぎ捨てると、そのままベッドに倒れ込んだ。

 


 あんなに雨を浴びたというのに、生憎この身体は頑丈そのもので、熱ひとつ出なかった。風邪でも引けば格好がついたのに、身体はどこか身軽だ。

 

 朝目覚めてカーテンを開ければ、空は私の心とは裏腹に晴れ晴れとしていて。  

 昨日の嘘みたいな雨は、どこかへ消え去っていた。


 醜態を思い出しては、頭を抱えた。どんな顔をして過ごせばいいんだろう。

 今は大切な時期だというのに、私は何をしているんだろう。最後まで誤魔化し通せないのなら、初めからこんな真似をするべきではなかった。


昨日脱ぎ捨てたままの仕事着を見る。

 替えはあるから今日の仕事は大丈夫だが、洗って乾かさないといけない。

 皮肉にも、今日は絶好の洗濯日和だった。

  

都合のいい女にも、嫌な女にもなりきれず。


「何もかも中途半端だな……」

  

 結局、私には都合のいい女という、器用な真似は向いていなかったのだ。

 

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