20.自覚した思い
あと姫様が旅立たれるまで、一ヶ月を切った。
城では着々と準備が進み、日に日に忙しさが増してゆく。
姫様は、婚礼のための準備や挨拶回りに追われていて、私があれからまともにお会いすることは叶わなかった。
婚姻を広く民に知らせるため、姫様の出立を前に国内のいくつかの街を巡られることになった。
あまり乗り気でなかった姫様も、湖を経て気を取り直したのだろうか。今では訪れる街を自ら発案し、熱心に取り組んでいるのであった。
「大々的に知らせることで、あとに引けなくなるでしょう?」
茶目っ気のある、どこか凄みのある笑顔をされた。どことなくそれは、ナターシャ様に似ていた。
それに伴って、レイモン様を含む騎士たちは、道程の確認や、各地の警備を見直すべく、城を空けることが多くなった。
私たち部屋付きも主の不在が増える分、いつも以上にお部屋を整えたり、旅立ちの準備を手伝った。
姫様は城から持ち出す嫁入り道具を最低限に留められた。曰く、あちらの国の人間になるのだから、故郷を懐かしく思う隙など無くしてしまいたい、との事だった。
そんな姫様の覚悟を知った時、目頭が熱くなった。
姫様を最後まで笑顔で送り出せるよう、気を引き締めないと。
湖で過ごした一日が、遠い日々のように感じられた。思えば、あの逢瀬が最後の機会だったのかもしれない。
思いがけない出来事はあったけれど、あの美しい場所でお二人とご一緒できて、本当に良かった。
部屋付きの私がすることは、最後まで変わらない。姫様が心穏やかに過ごせるよう、心を配るだけだ。
——あの素敵な場所に、私も居ることを許してくださったお二人に報いたい。そんな一心で、目の前の仕事に励んでいた。
そんな折だった。
いつものように姫様の部屋を整え、ふうと一息ついた時、窓辺の向こうに人影が見えた。
レイモン様と——姫様だ。
窓の外、木立の裏側で、穏やかに話し合うお二人の姿があった。
——どうして?
あまりの衝撃に、息を飲む。
どうして、お二人が会っているの。
まるで悪い知らせを受けたように、心臓が早鐘を打つ。
信じられないような思いで、胸が引き裂かれそうだった。
一度深呼吸をし、はやる呼吸を整えた。
恐る恐るおふたりの様子を覗き見ると、姫様の後ろにはナターシャ様が控えていらっしゃった。
別に隠れてお会いしているわけではないのだ。何もおかしなことはない。
それなのに、どうしてという思いが消えてくれない。
目をそらせばいいのに、出来なかった。
……ずっとこの窓から焦がれ続けていた光景なのだから。
静かに木陰がおちる。葉陰の隙間から明るい日差しが差し込み、光のさざなみを作り出していた。
きらきらとそよぐ葉陰の中で、元護衛騎士はひざまずいて、臣下の礼をとる。
姫が透き通るような手を差し出した。彼はその手を受け取ると、恭しく額に寄せた。
――小さな国の、美しいお姫様と騎士。窓枠から見える景色は、まさに絵画をそのまま切り出したようだった。
お二人は——私がいなくてもきちんとお会いできたんだ。
わざわざ衆目をはばかることなく、正当な理由でお会いすることができたのだ。
それ以上お二人を見ていられなくて、掃除用具をしまい、早々に部屋を出てしまった。
部屋を出ると、まだ交代の時間には早いミーナと出くわしてしまった。
「ちょっと、……その顔どうしたの!」
「……ミーナこそ、どうしたの。早いじゃない」
「どうしたのって——聞きたいのはこっちよ!」
まだ、窓辺の向こうにお二人のお姿はあるだろうか。
「……ごめん、ちょっと気分が悪くて。あとはお願いしてもいいかな?」
シーツを取りに行っていない、と言えば。
「私が取りに行くわよ、そんなもの」
怒ったように答えたのだった。
「ごめん……じゃあ」
「ちょ、ちょっと……エル!」
私は逃げるように、その場から去った。
なにかから逃れるように、目的もないまま歩いていく。
気がつけば、いつもの船着場へ来てしまっていた。
レイモン様と初めて出会った場所。そして、私達が偽装恋人になった場所。
縋るように、ゆっくりと湖に近づいた。
初めはただ繋ぎ止めるだけの関係だったのに。
落ち込んでいた姿が見ていられなくて、声をかけた。
一ヶ月、二ヶ月。後ろから覗き見していたのが、隣を歩けるようになって。
デートをして。髪留めをいただいて。レイモン様の想いに触れて。いつしか、離れがたくなってしまった。
気を落としていた彼の笑った顔が増えて。こんな私でも、信頼して貰えたのだと自惚れていた。
親しくなればなるほど、思いはどんどん膨らんでいった。
いつしか、引き返せない程に、大きくなっていた。
だけれども、どんなに想いを募らせても、レイモン様はいつも姫様だけを見つめていた。
何を勘違いしていたのだろう。胸の痛みはいつまでも消えてくれそうにない。
湖を覗けば、そこには笑っているのか、泣いているのか分からない顔が映っていた。
「ひどい顔」
湖面に指を浸せば、その顔は広がる波に消されて見えなくなった。
——私は本当に、レイモン様の恋人になりたかったんだ。




