19.帰り道
沢から離れ、再び草原の方へ戻ると、いくつかの灯りが薄闇のあちらこちらで揺れていた。
遠くから、姫様を探し回る声が聞こえる。
その中でもひときわ大きく、ナターシャ様のお声が響いた。
「ティア様〜!」
必死に呼びかける声だ。いつもの張り詰めた調子とは違い、声には焦りが滲んでいた。
「……早く戻らないとね」
「先程、皆が心配していると伝えたばかりでしょう」
レイモン様がたしなめるように言った。
「……わかってるわ」
そうして、大きく息を吸い込むと、
「みんな〜ごめんなさい!私はここよ!」
草原に向かって大きく手を振った。
ドレスの裾が、ふわりと風に揺れた。
※※※
離れに戻るなり、ナターシャ様は見たこともない程お怒りだった。
「……ごめんなさい」
いつもの溌剌とした姫様の肩は、一段とすぼまっていた。
「……全くもう。姫様のお転婆はおしまいかと思っていましたのに。ただでさえ、寿命が縮まる思いをしましたわ」
ナターシャ様は信じられない、というふうに顔を覆った。
「あの、私が……」
思わず口を挟むと、さっと厳しい目線が向けられる。
「エル。貴女はそもそも、姫様に甘すぎるのです。何とかなるだろうと、お思いになったのでしょう?」
「返す言葉もございません……」
「ナターシャ。エルは私が勝手に連れて行ったのよ。だから叱らないであげてちょうだい」
姫様が庇うように割って入ったが、ナターシャ様は止まらない。
「だとしても、お止めするのが貴女の役目でしょう?」
容赦のない指摘に、耳が痛くなる。
「ナターシャ。……悪いのは私よ」
姫様がそうおっしゃると、ナターシャ様はようやく矛を収めた。
「まあ、……いいでしょう。姫様がご無事なのがなによりですから。レイモン、姫様を見つけてくださったことには感謝申し上げます」
「痛み入ります」
「とはいえ……そもそもこのような事態にならないようにするのが、一番なのです」
ナターシャ様の雷はまだまだ静まりそうにない。久々の説教に、さすがの姫様も項垂れている。
心配してそろりと覗きみれば、その横顔はどこか満足げであった。
「そういえば、姫様には普段からお伝えしたいことが山ほどありまして……」
「あなたの言うことは良くわかったわ。……本当にごめんなさい。でも、空が暗くなってきたわ。足元が危ないのだし、一旦中へ戻らない?」
姫様の提案に、ナターシャ様は一旦立ち止まる。
「……いいでしょう。ですがまだまだ淑女としてのご自覚が……」
だが、直ぐに熱気が戻った。ナターシャ様のご立腹は収まりそうに無い。
姫様はそんなナターシャ様をなだめながら、離れへ戻っていく。室内に戻る前、ちらりとこちらを気にかけるように見た。申し訳なさそうに、けれどどこか悪戯めいた目だ。
あれほど騒がしかった場に、静けさが満ちた。
「……嵐のようだったな」
レイモン様は苦笑いを浮かべていた。
「あんなお姿を久々に見ました。あれは、確か王妃様のガウンを持ち出された時ぶりでしたよね」
「あれは大騒動だったな。……長い裾に転びそうになりながら優雅に歩くものだから、たいそう肝が冷えた」
「ええ、こちらの心配など気にもされない様子で……」
あの頃、王妃様を失ったばかりの城は、悲しみに包まれていた。姫様だけは王妃様のガウンを纏い、背筋を伸ばして歩いていた。
そんな姫様に、どれだけの人が救われたのだろう。
「しかし、今日もそれと同じぐらい肝が冷えたな」
レイモン様は、険しい顔付きになった。
……当たり前だ。姫様を一度、失いかけたことがあるのだから。
「……ご心配をおかけ致しました。計画も変わってしまいましたね」
「それはもう、構わない。……それよりも、ふたりが無事で良かった」
そう言うと、表情を和らげた。
ふたり。姫様だけではなく、私もその中に入れてくださった。それだけで、とても嬉しい。
「あんな風に姫様が叱られる光景を見るのも……あと少しなのですね」
私たちの契約は、姫様がこの国を発たれる時まで。——この関係ももうすぐ終わる。
「そうだな」
もし。——もし私がもう少しおそばに居たいといったら、レイモン様は、どう思われるのだろう。
重くなりかけた空気を埋めるように、彼は口を開いた。
「今日は付き合わせてしまったな」
「姫様の思い付きはいつもの事ですから」
「……いつもすまない」
彼は申し訳なさそうに、また私に詫びた。
姫様のことで謝られる度に、お二人の近さを思い知らされる。それでも、気にかけていただけるのは嬉しかった。
「外に出た姫様が現れた時は驚きましたけれど……美しい景色が見られましたから。それに、姫様の明るさに、私は何度も救われてきましたから」
これだけは、嘘偽りない本心だから。
笑顔で答えると、レイモン様は一瞬だけ言葉を失ったように瞬いた。
「……どうかされましたか?」
「いや、先程まで少し、無理をしているように見えたから。君の笑っている顔を見られて、良かった」
そう言うと、穏やかな微笑みを向けられた。
「……あ、ありがとうございます」
落ち込んでいたことを見透かされていたようで、少し恥ずかしい。
レイモン様はお優しいから、きっと深い意味なんてない。だけど、それだけの言葉で、どうしようもなく舞い上がってしまう自分がいた。




