タイトル未定2026/04/23 16:27
70 ○大学・図書館(昼・のちほど)
図書館は静かで、ライトの柔らかな黄色い光に包まれている。
ところどころに学生たちが座り、それぞれ黙って勉強している。
健司は机に座り、ノートを広げているが、
ペンはまったく動かない。
視線はどこか遠くをさまよっている。
ふいに、机の上に影が落ちる。
顔を上げると―本を抱えた舞が立っている。
舞「健司くん、ここ……座ってもいい?」
健司は一瞬ためらうが、うなずく。
舞は彼の向かいの席に腰を下ろす。
しばらくのあいだ、二人は黙って勉強を続ける。
ページをめくる音だけが、静かに響いている。
舞がちらりと顔を上げ、健司を見つめる。
舞「健司くんって、勉強してるときいつも、すごく真剣な顔してるよね。」
健司「え? そうかな?」
舞は、ふんわりと微笑む。
舞「うん。そういうところ……尊敬してる。ちゃんと頑張るし、簡単にはあきらめないか
ら。」
健司は思いがけない言葉に、視線を落とす。
健司「自分のこと……そんなふうに考えたことなかった。」
舞「それはね、自分のことって、自分では見えにくいからよ。」
また、静かな時間が流れる。
机をはさんで、二人の目が合う。
まだ恋というほどではないが、確かな温かさがそこにある。
舞「そうだ……こないだはありがとう。子どもたち、健司くんのこと大好きだよ。……私
も。」
健司は舞を見つめたまま、言葉を失っている。
70 ○大学・教室(昼)
教室はざわざわとした話し声で満ちている。
学生たちは笑い合い、ノートを見せ合い、ひそひそ話をしている。
けれど、そのざわめきの底には、微妙な視線がひそんでいる。
向けられているのは──健司のほうだ。
健司が教室に入ってきて、無言でバッグを置く。
周囲の視線を感じながらも、気づかないふりをする。
遼がすぐそばに来て、椅子を引き寄せて腰を下ろす。
その顔は、いつになく真剣だ。
遼(小声で)「健司…聞いたか?」
健司「何を?」
遼はさらに声を落とし、身を寄せる。
遼「噂になってるんだよ。
お前と…舞のこと。」
健司の動きが、
一瞬だけ止まる。
健司「…なんて言われてる?」
遼「舞に近づこうとしてるってさ。
彼氏がいるのに…って。」
健司の顎が、わずかにこわばる。
ノートを開きながら、言葉を飲み込む。
健司「…そんなつもりじゃない。」
遼「お前がどう思ってても関係ない。
広まったら…本当に厄介なことになる。
お前にも。舞にも。」
健司は黙ったまま、ノートの白いページを見つめている。
教室のざわめきが、いつもより大きく耳に響く。
遼は椅子にもたれ、静かにため息をつく。
遼「ただ…後悔してほしくないんだよ。」
健司はペンを強く握りしめるが、目はページから動かない。
胸の奥だけが静かで、重く沈んでいく。
71 ○ミーティングセンター前(夕方)
日が沈み、街灯が柔らかく灯り始めている。
健司と舞は、それぞれ箱を抱えながら並んで歩いている。
帰り道は静かで、人通りも少ない。
舞が横目で健司を見る。
舞「最後の掃除まで手伝ってくれてありがとう。」
健司「大したことじゃないよ。
……帰りたくなかっただけだ。」
舞はその正直さに少し驚き、やさしく微笑む。
数歩のあいだ、静かな沈黙が続く。
健司が歩みを少しゆるめ、うつむく。
健司「(小さく)舞…。」
舞は立ち止まり、健司のほうを向く。
舞「どうしたの?」
健司は言葉を探しながら、抱えた箱をぎゅっと握る。
健司「俺…
(声が少し震える)
……舞のことが好きだ。」
舞の目が、ほんの少しだけ見開く。
その表情はすぐには読めない。
彼女は箱を胸の前で抱え直し、視線を落とす。
舞「健司くん…。」
舞は言葉を探し、戸惑いが声ににじむ。
舞「(とても小さな声で)
…そんなふうに思ってくれて、嬉しい。
本当に。」
彼女は少しだけ顔を上げる。
その瞳はやさしいが、どこか揺れている。
舞「でも…今は色々あって…。
どう答えたらいいのか…わからないの。」
健司は視線を落とす。
恥ずかしさと悔しさが混ざるが、言葉を取り消そうとはしない。
二人は分かれ道にさしかかる。
舞が立ち止まる。
舞「言ってくれて…ありがとう。
本当に。」
その笑顔は、小さくて優しい──
そして、どこか切ない。
舞「私はこっち。」
健司はゆっくりとうなずく。
健司「…うん。じゃあ、また明日。」
舞「うん。また明日。」
舞は軽く会釈し、静かな道の先へと歩き出す。
健司はその姿が見えなくなるまで、しばらくその場に立ち尽くしている。
72 ○石川家・健司の部屋(夜)
部屋は薄暗く、机のスタンドライトだけが柔らかく光っている。
健司は机に向かって座っているが、教科書は開かれたままで手つかずだ。
ペンはノートの上に横たわり、動く気配はない。
健司は椅子にもたれ、天井を見つめている。
静寂が重く、部屋に漂っている。
ゆっくりとポケットに手を入れ、小さなイヤホン型デバイスを取り出す。
手のひらにのせ、まるで答えを期待するように、じっと見つめる。
健司「(小さく)
言えたんだ…やっと。
でも…俺は何を期待してたんだろう。」
健司はそのデバイスを机の上にそっと置く。
両手で顔を覆い、深く息を吐く。
健司「恋愛って…データじゃない。
試したり、測ったりするものじゃない。」
健司はノートを手に取り、開く。
そこには名前のリストが整然と並び、
そのほとんどに線が引かれている。
残ったわずかな余白を、健司は無言で見つめる。
しばらくのあいだ、無言でいる。
部屋に響くのは、小さな時計の秒針の音だけだ。
やがて健司はノートを重く閉じ、
その上に頭を伏せて目を閉じる。
スタンドライトが柔らかく光り、
疲れ切った彼の姿を静かに包んでいる。
73 ○大学・廊下(昼)
休み時間の廊下は、学生たちの笑い声や足音でにぎやかだ。
健司は本を胸に抱え、うつむき気味にゆっくり歩いている。
どこか、心ここにあらない様子だ。
突然、遼が腕をつかんで、脇へ引き寄せる。
遼「(真剣な小声で)
健司。話がある。」
健司は驚いたように瞬きをする。
健司「どうした?」
遼は周囲を一度見回し、表情を引き締める。
遼「
…総一郎が戻ってきた。」
健司の足が止まり、視線が横にそれる。
健司「(背筋をこわばらせて)
もう…?」
遼はゆっくりとうなずく。
遼「さっき、外で見た。
スーツケース持ったまま、空港からそのまま来たみたいだ。」
健司は下を向き、呼吸を整えようとする。
遼はその様子をじっと見つめる。
遼「…気をつけろよ。」
健司は答えない。頭の中は混乱している。
そのとき、廊下の空気が変わる。
ざわ…ざわ…クラスメイトたちが小声でささやき始める。
二人がそちらを見る。
廊下の奥から、総一郎が建物に入ってくる。
スーツケースを手に、いつも通り完璧に整った姿だ。
彼が歩くだけで、周囲の空気が張りつめていく。
その視線が廊下をなぞり—健司で止まる。
健司は自販機の横で固まっている。
遼が隣で、落ち着かない様子だ。
総一郎は数歩離れたところで立ち止まり、健司を鋭く見つめる。
総一郎「お前と舞のこと…色々聞いた。」
周囲の学生達がざわつき、視線が集まる。
健司は横目でそれを感じながら、小さく答える。
健司「(静かに)
ただの噂だよ。」
総一郎が一歩踏み込む。圧を感じる距離。
総一郎「噂には…火種がある。」
健司は本を握りしめるが、その沈黙が、周囲の憶測を強めてしまう。
遼が焦って間に入る。
遼「何でもないよ。クラスの皆がちょっと話過ぎてるだけだ。
…」
総一郎は鋭い目で遼を一瞥し、すぐに健司へ向き直る。
総一郎「舞に近づくな。」
健司は、初めてしっかりと彼の目を見返す。
健司「(低く、揺らぎのない声で)
…彼女がそう言うなら、そうする。」
周囲から、小さな驚きが漏れる。
言い返されることに慣れていない 総一郎の顎が強く引き締まる。
重い沈黙。
誰も動かない。
次の瞬間—
総一郎は歯を食いしばり 、
突然、健司を強く押し飛ばす。
ガンッ—
健司の体が自販機にぶつかり、廊下に大きな音が響く。
学生たちの悲鳴と驚きの声が上がる。
遼「おい! やめろよ!」
遼が飛び込み、総一郎の腕をつかむ。
しかし総一郎は乱暴に振りほどき、拳を振るう。
その拳が、健司の頬に直撃する。
健司はよろめき、自販機に手をついて、なんとか倒れずに踏ん張る。
唇の端から、じわりと血がにじむ。
手から落ちた本が床に散らばり、その中に混ざって—
耳のデバイスが、気づかれないまま転がっていく。
遼が二人の間に割って入り、総一郎を押し返す。
遼「もうやめろ! ここでやることじゃない!」
総一郎は涼越しに健司をにらみつけ、鋭く指をさす。
総一郎「これが最初で最後の警告だ。」
舞「やめて!!」
ざわめく人垣が割れる。
青ざめた顔で、舞が駆け寄ってくる。
彼女は総一郎と健司の間に飛び込む。
舞「もうやめて! お願い…!」
総一郎は硬直したまま、拳を握りしめる。
廊下は張りつめた沈黙に包まれる。
健司は手の甲で口元を拭う。
痛みよりも、屈辱のほうが強い表情だ。
視線を落とすと、床に転がるデバイスが、ノートの下に半分隠れている。
遼が心配そうにのぞき込む。
遼「健司…なんで黙ってなかったんだよ。」
健司は答えない。
ただ、舞を見て—落ちている小さな装置を見て—
胸の奥で、怒り、恥、後悔が渦巻く。
重たい空気が、廊下を満たしていく。
健司の唇は血で濡れている。
舞は慌てて彼の元へしゃがみ込み、心配そうに顔を寄せる。
舞「健司くん…ケガしてる。」
彼女はバッグからハンカチを取り出し、そっと血を拭う。
健司は痛みに目を細めるが、拒まない。
周囲の学生たちは、息をのむように見守る。
その光景を、総一郎はじっと見つめている。
舞の手が健司の頬に触れている。
二人の距離が近い。
総一郎の顎がさらにこわばる。
怒りがこみ上げるが、何も言わず、乱暴にスーツケースをつかんで踵を返す。
彼の足音が廊下に響き、遠ざかっていく。
ざわめきだけが残る。
健司は舞を見つめる。呼吸が乱れている。
健司「(小さく)
…舞…」
舞は目を合わせず、血を拭う手だけがそっと残る。
その手は必要以上に、頬から離れない。
そのとき—
床に転がる耳のデバイスを、すっと拾い上げる手がある。
心だ。
以前の控えめな彼女ではない。
姿勢はまっすぐで、唇には冷たい笑みが浮かんでいる。
心「へぇ…これが噂の“プロジェクト”なんだ。」
彼女は、わざと周りに見えるようにデバイスを掲げる。
学生たちが、ざわっとする。
舞は困惑しながら見上げる。
舞「プロジェクト…?」
健司の目が見開かれる。
健司「心、それ返してくれ。」
心は冷たく微笑む。
心「そんなに必死になっちゃって。
舞、知ってた?
あなたも所詮…
“実験台”の一人だったって。」
舞が固まる。
舞「…え?」
健司「違う! 違うんだ、舞、聞いてくれ。君だけは—」
心は彼を遮るように声を上げる。
心「嘘つかないでよ、健司。
この装置を女の子に試して、
“理想の相手”を探してたんでしょ?
ずっと、ね?」
囁き声が一気に広がる。
舞は衝撃を受けた表情で、健司を見つめる。
舞「…健司くん。
本当なの…?」
健司は必死に首を振る。
健司「違う! 舞だけは…そんなつもりじゃなかった!」
舞はそっと、彼の手を避ける。
目には深い悲しみと混乱が浮かんでいる。
舞「…どうやって、それを信じろって言うの?」
沈黙。
健司は言葉を失い、立ち尽くす。
心は薄笑いを浮かべたまま、デバイスを握りしめ—
ガンッ!
床に叩きつける。
デバイスは砕け、火花が散る。
廊下に驚きの声が響く。
心は破片をつま先で健司のほうへ蹴る。
心「ほら。
これが“完璧な相手”探しの正体。
ゴミと同じよ。」
沈黙が破れ、笑い、嘲り、ひそひそ声が飛び交い始める。
学生A「やっぱ本当だったんだな。」
学生B「信じらんねー…。」
健司は動けない。
顔に、焼けつくような屈辱が広がっていく。
舞はゆっくりと立ち上がる。
その瞳は傷つき、深く沈んでいる。
彼女は健司を見て、かすかな声で言う。
舞「…健司くん…」
やがて、首を横に振り、
何も言わずに歩き出し
学生たちの間に消えていく。
健司は手を伸ばすが—震え、降ろす。
健司「(囁くように)
…舞…」
学生たちは散っていくが、彼らの言葉は刃のように残る。
学生C「騙せるわけないだろ…。」
学生D「マジで最低…。」
廊下は次第に静まり返る。
残ったのは、健司と涼だけだ。
散らばった紙の上で、健司は膝をつき、本をかき集めながら、顔を伏せて震えている。
呼吸が浅く、苦しげだ。
遼がしゃがみ込み、そっと肩に手を置く。
遼「健司…あいつらの言葉なんて気にすんな。」
健司は顔を上げない。
健司「…舞に…嘘ついたと思われた。
利用したって思われた…。」
遼は悲しそうに、それでも強い声で言う。
遼「だったら証明しろよ。
言葉じゃなくて。
これからどうするかで、全部ひっくり返せ。」
健司はゆっくりと顔を上げる。
目は赤く、涙の跡が残っているが—
奥には、かすかに決意の灯りがともっている。
遼は散らばった本を拾い集める。
デバイスは、もう跡形もない。
74 ○大学キャンパス・中庭(夕方)
健司が勢いよく校舎から飛び出してくる。
脇腹を押さえ、唇からはまだ血がにじみ、髪は乱れている。
彼は必死に周囲を見渡す。
前方の門へ向かって、舞が早足で歩いている。
背筋は固く、振り返る気配はない。
歩みは速く、迷いがない。
健司「舞!」
つまずきながら前に出た瞬間、彼の声は裏返る。
中庭にいる学生たちが一斉に振り返り、その光景を見つめる。
ひそひそと囁く者もいれば、笑い声を漏らす者もいる。
健司「舞、お願い…待ってくれ!」
ようやく、数歩後ろまで追いつく。
舞は立ち止まり、肩を震わせる──だが、振り向かない。
健司の息は荒く、声も震えている。
健司「あれは…あんなふうに思ってやったわけじゃない。
君は違うんだ。
君だけは…実験なんて、そんなつもりじゃなかった。
信じてほしい、本当に…!」
ゆっくりと、舞が振り返る。
その目には涙が浮かんでいる──
悲しみではなく、裏切られた痛み。
舞「…違うって言うなら、
どうして本当のこと、言ってくれなかったの?」
健司は息をのみ、口を開くが……
言葉が出ない。
声が、喉につかえて動かない。
沈黙。
重い、逃げ場のない沈黙。
舞は小さく首を振る。
答えは、もう決まっているかのように。
舞「…無理だよ。今は。」
そして彼女は背を向け、歩き出す。
夕方の学生たちの流れに紛れ、
その姿はすぐに見えなくなる。
健司は一歩踏み出そうとするが、足が震える。
膝が折れそうになる。
拳だけが、行き場なく固く握り締められている。
校舎の出入口では、遼がその様子を静かに見つめている。
心配と、友への痛みが混ざった顔で。




