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第25話.帰宅と再会

 遅れました、ごめんなさい。

 今回、一応、ほのぼの回です。

 では、どうぞ。

 

 姫路の町から帰宅、ナウ!


 人を殺した後の罪悪感? 実はそんなになかった。

 だってあいつら山賊で、悪い奴らで大人だもんっ。


 僕、子供だけは殺さないようにしてるから、そこが譲れない境界線。


 大人たちには前世までの恨みつらみがいっぱい、たくさんあるんだっ! 

 子供にもあることはあるけど、何故か怨めないから許しちゃうっ♪ 


 それにあいつら僕を殺そうとしたんだよ? 


 武器持ってたから戦士でもあったね! 戦士には正々堂々、全力を以て当たらなきゃ失礼じゃん。


 だから、自然界の狩るか狩られるかの掟に置き換えたら、そんなに罪悪感なかった。


 『殺すなら殺される覚悟のある者だけが殺していい』


 『殺すなら殺される覚悟も持って死事に当たりましょ~う』――だからね♪


 あっ、視界の端に懐かしい禿げ頭の背の低い柔和な人影を発見!


 とっつげき~っ♪


「たっごさっくさーん!!」

 

 昼間の日差しの中。僕は畑に出ていた田吾作さんの足元に勢いよく抱き付いた。


「どわァ!? あ、あんさん誰やっ? わしはこんな子供の知り合いおら………もしかして彼岸花とハナミズキの化け物屋敷の主か!?」


 驚いた様子で、べりっと足から引き剥がされて掲げ上げられる。僕は無難にえへへ~っと無邪気に笑っておいた。

 田吾作は驚愕の表情で子供をまじまじと観察する。

 

 少し外跳ねした藍色の頭。頭の後ろの尻尾髪を結う紅い髪結い紐には見覚えがある。前髪が綺麗に整えられて、前は見えなかった色白の可愛い顔が覗いていた。

目がくりくりっとしている。造作だけなら、どう見ても可愛い女の子にしか見えない見知った少年だ。幻想的な紫眼。深い知性と悪戯っぽいヤンチャ小僧の雰囲気を宿す瞳が見えただけで随分と印象が違う。何がとはわからないけれど違うのだ。なぜか妙な色気すら感じる気がするように“少年”はなっていた。

ボウズは桜色の唇を尖らせて、不満げに腕の中で田吾作を睨み付ける。


「もうっ、化け物屋敷の主じゃなくて、別の名前………名前、名前、そういえば僕、まだ本名ないんだった」


 かなり重要なことに気づいて、僕はがっくりと項垂れてしまった。

 その僕に憐憫の眼差しを向ける田吾作さんの生暖かい視線が突き刺さる。

 やめてッ!? けっこう心に突き刺さるからヤメテッ!?

 ずっと昔から受けなれた暖かい眼差しだけど惨めな気持ちになるからヤメテくれ!


「ボウズ、兄貴と一緒にうちの子になるか?」

「いいえ、結構です。つか、僕、兄貴の話、しましたっけ? 田吾作さんに」


 きっぱりと断る。こつんと頭を叩かれて、僕は自由な両手で額を押さえた。


「なにいうとるん? いうとったやんけ。一か月も姿見えへんから餓死してへんかと心配して様子見に行ったんやで?」

「それは……ご心配おかけしまs………え? 田吾作さん、うち来たの!?」

「おお、行った行った。囲炉裏端に腐った釜の雑炊もどきの飯と、なんでか座布団の上に大和人形が鎮座しとったわ」


 青梅さん! なにしとんねんんっ! つか、瀬戸大将もお館様の翁も台所の付喪神たちも、銀の世話と料理頼んだのに全っ然ッッ、機能してくれてへんやんけ!

 腐った雑炊もどきってなに? 僕、ちゃんとワン公あたりに処理を任せたよ? 青梅さんにも……あ、いや、あの子は芙蓉ちゃんに似て、自由奔放の突拍子もない子だったから、ただ銀の傍に居てって頼んだけど、頼んだんだけど……皆、ちょっとくらいは家事してくれてもいいじゃない!! なに、この疲労感……。


「あと、銀色の長い髪したメッチャ綺麗な幼児が玄関先で、口にトウモロコシを詰めて倒れてたんで保護したで」

「しろがねェッ!? おまっ、ほんま、なにしとるん!? トウモロコシは茹でて実にかぶりついて食べるもんやろがっ。なんで保存庫から引っ張り出してった!? なんで生のまま食っとるんや!? おまっ、ちょっ、ほんま……田吾作さん? 詳しく」


 僕は地面に降ろしてもらい、その時のことを詳しく聞いた。

 20日ほど前だったか、田吾作さんは僕らの家である武家屋敷に潜入した。

 用水路から引いた小川を渡って、立派な家の門を潜った先にある我が家には、曰くつきのものがたくさん。

 田吾作さんが来た時間帯は、館の者と田吾作さんの双方にとって運悪く、彼の仕事が終わった夜中のことだったらしい。

 入るとすぐにバタバタという物音が聞こえて、複数の誰かに見られている視線を感じたそうな。


 ――――……うん、見られるだろうな。うちの付喪神たち、元々忍者の風魔家由来の道具や小物や玩具たちだけあって、警戒心が人一倍強いから。


あの子たちに敵とみなされたら、彼らは大挙して田吾作さんを襲ってただろうな。人間相手なら、下手な忍びや戦国武将たちだって力で撃退してみせた超優秀な防犯機能みたいな子たちだもの。すべての敵、妖魔だって下級までならなんとか退治してみせるくらい強い子たちだし。


ま、ここで無事にぴんぴんしてこんな怪談話を話す余裕があるってことは、住人にとって無害だと判断されたんだろうけれど。

 そんで、台所を見て、怖くなって帰ろうとしたら何かに躓いた。それが人形みたいに造作が整った幼児で、抱き上げてみたら、トウモロコシをぺっと吐き出して「まずい」と一言喋ったそうな。


うん、銀の言葉の成長を感じるねえ。


そんで銀兄貴は現在、安全な家ではなく衣食住が整った田吾作さん家こと、村の村長の家に居るらしい。


「なあ、なんであんなことなるん? あれがあんさんの兄貴なんやろ? つか、あんさんはどこにいっとたん? その様子やとどっかから帰って来たみたいやけど」


 顎に手を添えて考え込んでたら、田吾作さんからの視線を感じた。

 僕はおどけて云う。


「ちょっくら姫路の町に出稼ぎにいってたんだ! 田吾作さん、兄貴に合わせてよ!」

「へえ~。出稼ぎに。ほんまかいな~?」


 にやにや笑いを浮かべる田吾作さんにむっとする。


「嘘やないもんっ、ほんとだもんっ。兄さんに頼まれた飴だって買って来たんだいっ! うちの兄貴がどこにおるか教えてもらわへんと、僕の行動が無駄になって困る」


 腰に手を当てて、せいいっぱい子供らしく、あざとく、要求を告げる。

 

「ほ~う? お使いにいっとったんか。えらいの~う。そんな大荷物抱えて姫路くんだりからここまで往復して? ま、ええわ。信じたろ」

「絶対信じてないね。嘘じゃないのに」

「ほな、行こか。野良猫ぼうずを我が家に案内したるわ」



◇◆◇



 木で組まれた大きな門。見張り番が立ち、立派な黒の羽織を着た人たちが番所と書かれた場所の傍で涼んでる。睨む視線が恐ろしい。

 田吾作さんに手を引かれて、初めての入村だ。

 え? うちの武家屋敷は村内にあるんじゃないかって?

 ところがどっこい、村八分なのです。

 あの屋敷は村はずれに在り、村民との交わりは、畑で偶然かち合う田吾作さんだけだったことからお察しください。ていうか、本当に今まで他の村民、見てねぇなおい。


 きょろきょろと辺りを見回す。

物陰から見据える不躾な視線。大人たちのこそこそ話声。衣服から見て取れる貧しい経済状況。排他的な……―――雰囲気。


「なんやみんな、そんなこわい顔してからに。見せもんちゃうで? 銀の弟や」


 僕の手を引いていた田吾作さんが周りの村人の様子を訝しんで云う。

 僕は不安そうな目をたぶん、していたんだろう。田吾作さんが背中にかばってくれた。驚いてはっと見上げると田吾作さんは笑っている。村人たちの様子に苦笑するように笑って、しっしっと手で追い払う仕草をしていた。

 なんだろう? ちょっと嬉しい。

 僕は俯いて、思わずにやつきそうになる口元を隠す。

 村民の一人が納得した声を上げた。


「ああ、なるほど。あの化け物屋敷のもう一人の住人けぇ」

「それにしては妙に小奇麗やな。もっと薄汚れて髪もぼさぼさちゃうかったんけえ? 話が違うで田吾作はん」

「……けったいやなぁ。こんな綺麗な子がホンマに二人もおるんやなぁ……」

「男の子や聞いたけど、女の子やったんけ?」

「んだ、んだ。こりゃ将来有望やぞ? なんならウチの五郎佐を婿にどうや? 先ずは遊び相手からで……」

「ダ阿呆! どつき回すぞおんどれはっ。あんさんとこの五郎佐は今年、奉公から帰ってくるうつけのバカ息子やんけ! あわへんあわへん。この嬢ちゃんも五郎佐も可愛そうや。それよりウチの治郎吉なんて……いった!? なにすんねん自分!?」

「そりゃこっちの台詞や! あんさんとこの治郎吉坊は、今年生まれたばかりの乳飲み子やないけえっ。もっと現実みぃ」

「なんやとぉ……!?」


 なんか知らんが、村人二人によるいがみ合いが始まってしまった。

 おばさんたちが出てきて、こらこら、よさないかい。とか、止めに入っている。

 僕はもう、初対面で男と云われることを諦めた。もう、女装してもいいかもしれない。ふと魔が差して、脳裏にダメな思考が漂う。


 田吾作さんは頭を抱えて、大喝した。

「あんさんら、そこまでにしぃッ!! 道を開け! あと、この子は何べんもいうけど男の子やから! ほら、自分も性別はしっかり主張せんかい! 舐められんで」

 

 最後の方は僕に向けての言葉。メンドクサイって、飴玉包みを弄りながら答えると、頭に拳骨が降って来た。メッチャ痛い。

 恨みがましく田吾作さんを見上げる。


「ええから、いうこと聞いとき」

「やだ」

「もう一発………はぁ、もうええわ。ついたで。うちや」


そこは、村一番の大きな家。手前に広場が広がり、隅の井戸の脇に恰幅のいいおばさまたちがたむろしている。目が合った。にこりと笑って手を振るおばさん。

 な、なんだ……? なんなんだ?

 がらりと音がしたと思ってそちらを見る。


「おお~い、帰ったで~」


 田吾作さんが家の木戸を開けて、中に入っていくところだった。

 手が引っ張られ、前につんのめる。ぎりぎり踏ん張ったのでこけなかったが、慌てて僕も後を追って屋内に入った。

 見上げるとすぐ上に柔和な顔。田吾作さんが家の扉を閉める。


「おかえりなさ―――い!!」


 甲高い元気な声とともに子供たちが田吾作さんに抱き付いた。


「おう! ただいま」


 田吾作さんはしっかりと受け止め、心底愛しそうに抱きしめる。

 僕はそれがちょっと羨まし……っ、なんて、ないんだからなっ!

田吾作さんと家族のふれ合いから目をそらす。


この家の子供は、上は五歳の男の子、下は3歳と2歳の女の子の三人だ。本当はもっと居るらしいけれど、奉公に出ていて今は居ないらしい。


 囲炉裏傍で女の人が柔らかな微笑みを湛えて縫物をしていた。

 目が合ったのでお互いにぺこりと頭を下げる。

 ああ、たぶん、この人が田吾作さんの奥さんだ。

胸が大きくて、薄汚れた地味な着物からはみ出しそうだ。ほっかむりを被り、造作は優しそうである。


くそっ。田吾作さんのくせにリア充堪能しやがってェ……。


ふとお約束の言葉を脳内で呟いていたら、田吾作さんの奥さんが手招きして、家の奥を指さした。


「うん?」


 僕は首を傾げてそちらを見た。

 なんか、嫌な予感がする。直観のようなものだけど、この後、跳び蹴りとか殴る蹴るの攻撃が来て、僕はそれを避けちゃいけない……? なんだこの思考。ふはははは、嫌に具体的だな。


 奥の暗がりから何かがゆらりと立ち上がり、出て来た。

 銀色に光る短くなった髪。小さな幼子特有の体躯。獲物を発見した肉食動物のようにゆらめく金色の眼光。いつもは常に眠たげな相貌が、今日はやけに獰猛に見える。


 ―――銀だ。銀様だ。


「し、銀さん……?」

「やっと、帰って、来た……な」


 声がヤバい!! 烈火のごとく怒っていらっしゃる。ヒヤリと冷たいのに痛いドライアイスみたい。


――よし、逃げよう。


 僕はくるりと踵を返して、家の扉まで脱兎しようとした。だけど、振り返ったら田吾作さんが子供たちに懐かれて、家族サービスの真っ最中! きょとんと不思議そうに見返す眼差しに、にこりとお愛想笑いを返すしかなかった。


――ヤヴァイ……。退路が絶たれている。


「どこ……行く……? おれ、おいて、どこ、行く……?」


 ぞくりと背筋が泡立つ。


 やばい、やばい、やばい。どれくらいヤバいかってーと、十数年に一度だけ我慢がプッツンして怒らした温厚な小太郎並にコワイッ!! 


いや、これじゃあ伝わらない。


富士山の噴火とか、狼に丸腰で睨まれた子供並とか、車に牽かれる寸前のひやっとした緊張感並にヤヴァいッ!! コワイッ!!


 怒ったら即首切れの織田信長さんや、爆発魔の松永久秀オジサン、精神的に淡々と潰される竹中半兵衛さんとはまた違った怖さがアルヨッ!?


 今までいろんな人を怒らしてきた“僕”だけど、今はウチの銀が一番怖いです。


 ゆらりと揺らめく銀の躰。

僕は性懲りもなく逃げようと家内を走り回る。

 田吾作さん、見てないで助けてよ! 子供たち、遊びで追いかけっこしてんじゃないから混ざるなっ、混ざるなっ。


 うわっ!? アレ!? 銀、意外と速いッ!?


「カンネン、しや……がれ!」


 本気で逃げようと足に力を入れかけたら、ひらひらとたなびき残っていた帯の端を捕まえられて、僕は前のめりに転ぶ。銀が僕の背中に馬乗りになった。僕の着物が乱れる。奥さんが「まっ」と云って、手で顔を隠した。けれど、手の平の隙間からしっかりこちらを窺っているのが見える。


せめてもの盾を探して、奥さんの背中に隠れようとしたら、前に押し出され、針を持った手で「落とし前はきっちりつけてきなさい」と脅された。いや、本人脅してるのは自覚なしなんだろうけど。誰でも目ん玉の前に針をつきつけられたら怖いって。


 銀が僕を引きずり戻して、改めて上に乗り、拳を振り上げた。

 目を瞑って甘んじて受ける。ぽかっと小さな音が連続して鳴った。

 あんまり痛くない。だけど何故か、心が痛い。

銀がしゃくりあげて泣く声が聞こえる。


あれ? おかしいな……。

『道具』に傷む心なんてないはずなのに、あれ……? あれれ~?


僕は自分にも銀にも戸惑って、紫の瞳を見開く。

ぽたぽたと頬に銀の涙が落ちて来た。

 子供たちが心配そうに僕らを覗き込み、田吾作さんと奥さんが止めようか、止めまいか迷っている光景が手に取るように気配でわかった。

銀が僕の胸座を掴み上げる。


「おれをっ、ひとりにっ、するなっ!!」


 トドメの一発にすごくイイ一撃をいただいた。

 衝撃で頭を床に思いっきり打ち付け、右頬が腫れる気配を感じ取る。

 ちなみに訝しまれたら嫌なので、この傷はすぐには治らない。直せない。


 僕は心の底から困った顔で、銀の頬に包帯替わりの()(ぎれ)を巻いた左手を添える。

 銀の躰がピクリと震えた。

 僕は彼の頬に当てた左手を首に回して、彼の腰を右手で取り、思いっきり抱きしめる。

ふわりと何か香しいいい匂いがした。僕が大好きなニオイ。僕をこの世に繋ぎとめる愛しい香り。

子供の体温は暖かく、平熱が少し冷たすぎる僕には心地いい。

抱いた背中をぽんぽんとあやすように叩いてやると、銀の涙腺は決壊した。

うりゅっと滲んで、体がぷるぷる震え、大声で泣き喚き始める。

耳元すぐ近くで響いたあまりの大声に、鼓膜が痛くて僕は顔を顰めたが、背中を優しく叩く手を止めずにじっと耐えた。


何が起こったのか、わからない様子で、田吾作さんたち夫婦が視線を交わす。おろおろと落ち着きなく、二人してこちらを窺うので、僕は耳をつんざく痛みに片目を瞑りながら、苦いお愛想笑いを浮かべた。

田吾作さんの足元に纏わりついていた子供たちが、無邪気な顔で僕らの方へ走ってくる。


「へっへ~ん、いっちばーん!」

「ずる~い、うめもだきつく~!」

「ちぃだって~!」


三人の子供が僕と銀を挟んで抱き付いてきた。

せっかく座り込んでいたのに、銀を抱擁した僕の躰は子供たちの衝撃に耐えきれず、床に転がり、一番下になる。


「………やれやれ、元気だねぇ。」

「ボウズは泣かへんのんか?」

「冗談。やめてくれよ田吾作さん。そんなのカッコ悪いじゃないか」

「いっちょ前にモノいうてからに、可愛げないのう」

「お父さんたら、他所の子にそんなもの求めてどうするの?」

「おう、すまんすまん。おっかさん」


 じっとしていたら、潰れている僕を見かねて、田吾作さんが自分の子供たちをひとりひとり、引っぺがしてくれた。

 助かる。正直、かなり重かった。具体的には、米俵一俵60キロ分くらい……。

 涼しい顔で乗り切ろうとしたけれど、本当マジで重かったです、ハイ。


「ま、僕は別に構わないけどね。およ? 銀、銀、………? 寝ちゃった?」


 すぅ…すぅ……という健やかな寝息が腕の中から聞こえる。

 泣きつかれたのか、安心したのかどうかは知らんが、銀は眠ってしまったようだ。

 僕は銀を抱えたまま、慣れた感じで床に座りなおした。

 その際、振動はなく、流れるように滑らかな行動が出来たと思う。

 銀のけぶるような銀色の長いまつげが閉じたまま、ぴくりとも動かず、彫像や日本人形のような相貌は、まったく起きる気配を見せなかったから。ぐずることもなかった。

田吾作さん夫婦が秘かに息をのむ音が聞こえる。


―――ああ、これはきっと、三日から一週間はこのまま起きないだろうな、と銀の生活習慣に慣れた僕は思った。


「寝てもうたんか?」

 

 田吾作さんが小声で尋ねる。


「うん。多分、最低でも明日まではこのまま、宥めても透かしても、叩いても、何があっても起きないだろうから、普通にしゃべっていいよ?」


 ほっと田吾作一家が胸を撫で下ろす。

 奥さんがまじまじと銀をみて、感慨深そうに口を開いた。


「せやけど、ほんまによう寝る子やわ~。うちに来てから半月なりますのに、ずっと寝てばかりいましたんやで? ここ三日か四日ぐらいはろくに眠れてないみたいやったけれど」


 銀が眠れていない? 奥さん、それって天変地異が起こったりしませんよね?


「なにか憑いとるんちゃうか?」

「何かってなんですか? 田吾作さん」

「何かはなにかだよ!」

「なにかなんだよ!」

「なになになにかーっ。きゃきゃきゃ♪」


 問いかけたら、子供たちが一斉にわけのわからない返答をくれた。

 田吾作さんは真剣な顔をして、「そや! なにかや!」っていってるし、ほんとはわかっていないみたい。その証拠に奥さんが困った顔をしているではないか。


「ま、いいや。田吾作さん。奥さん、今日、泊まってっていいですか~? 明日か明後日かにはこの兄貴連れて帰りますので~」

「なにいうとんねん。ずっとうちに居たらええやん」


 まさかの永住発言。空耳かな? 空耳だヨネ。


「え? いやいやいや、それやったら奥さんも困るでしょ?」

「……? うちは別に構わないわよ。子供が増えるのは嬉しいことやから」


 まさかの受け入れ万全態勢。

いや、そんなオープンカモン! な雰囲気発してくださらなくてもいいんですよ? 

銀を家までえっちらおっちら運ぶのがめんどくさかったから、泊まろうと思っただけで、やろうと思えば今すぐにでも彼を連れて家に帰宅する事、できるよ? ええ、彼の意識がないままで。


「え? ……え? いやいやいやいや、帰りますって。帰りますって。帰らせてください」


 とりあえず、銀を床に降ろして、土下座の態勢でも取ろうと思ったらそれは無理だった。

 銀のヤツ、僕の着物をしっかり指で握りしめて離してくれない。

僕の躰になにがなんでも離すものかとへばりついている。―――……一か月も放置したのは悪かったけどさァ? そこまでがむしゃらにしがみつかれたら、僕、困るんだけど。

―――ま、このままでも家事をしようと思ったら出来るから、―――ほら、僕様器用だし、―――いいんだけどね?


「兄ちゃん、帰るの~?」

「に、兄ちゃん? う、うん、帰るよ。銀連れて」

「やだやだやだー! しろっぽい綺麗なのと一緒居る~!」

「こら、我が儘いうな。あっちにもじじょうがあるんだ」


 兄の言葉に妹たちは首を傾げた。


「じじょ~?」

「じじょうってなあに? おとうさん」

「ええと、事情なぁ、事情……おっかさん、任した」

「ええっ、うちに任さんといてよ。事情、事情、事情……ええと」


 困り果てた夫婦を見て、僕は軽いため息を吐く。


「事情とは、物事がある状態に至るまでの理由や状態。また、その結果。事の次第。つまり、ワケだね。理由。状態。」

「すっご~い、あなた、モノシリね!」

「これくらい、普通だよ」

「いや、普通ちゃうで? わしら夫婦だって咄嗟には出てこなかったんやから」

「それは学歴の差です。田吾作さん、本を読むくらいなら、畑を耕すというでしょう? そのせいですよ」

「う、うぐぅ……」

「―――というわけで、僕たち兄弟、この家に数日お世話になります」


 僕は銀に抱き付かれたまま、ぺこりと頭を下げた。



 

 ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


 12月10日、深夜。話数の付け足しによりタイトル変更。

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