よやく
りんりんりんりんと鳴り響いた電話を取ったのはどうやらマーサさんだ。
あぁ、この家、電話あったのか....ドア越し、いや、イシュ越しに聞こえる小さな話し声にちょっとだけ耳を澄ませながらそんな事を考えた。だけど今はそれよりも、イシュの機嫌を直さなくちゃ。座る私の肩から上に覆い被さるイシュをぺしぺしと叩いて意識を向けさせようと試みてみる。
「イシュー機嫌直してよー」
私がそういうと、むっとした顔でイシュが眉根を寄せた。
「なんで。別に怒ってはいない」
大丈夫、慣れてる。こんなこと何度も繰り返して来たでしょ。そういって自分を慰めるけど、どうやら私の思惑はイシュには伝わらないようだ。だれだ、こんなところにバリアを置いたのは。
イシュの不機嫌の原因はもちろん、私がイシュの誘いを断ってルーチェと一緒に買い物に行ったからでしょう。
もちろん私だってイシュの誘いを断りたかった訳ではないし、いや誘われるならばイシュといたかった。だけどルーチェとは前々から約束していたし、それだって私の楽しみの一つだったのだ。さらに言うなら、マリアさんのことがあってからイシュはさらに過保護になりつつあるから。要するに息抜きも必要ってこと。
「イシュ、また今度、一緒に出かけよ?」
そう言ってイシュの手をぎゅっと握ると、やっと機嫌を直してくれたのか手を引かれて、次の瞬間にはイシュの腕の中にいた。ああ、安心する。前はこういう事に慣れずに恥ずかしさから怒ったりもしたけれど、マリアさんの一件があって、自分がどんなにイシュが好きなのか思い知ってしまった。あれから大分長い時間がたったけれど、イシュの甘さは増すばかりだし、私もそれについ、安心してしまう。
「次は、俺と出かけよう。かおる」
私の肩におでこを載せて呟いたイシュがかわいくて、やっぱり拗ねてたんじゃないかと思う。いつの間にかドアの隙間から覗き見てイシュを睨みつけるカイをいなしつつ、頷く。するすると上がってくる手には気がつかないフリをする。って思ったのに!本当にキスしようとするからイシュはたちが悪いと思います!
「あっイシュ、ちょっと待ってそれは!カイも見てるし」
「....クソ犬」
ぼそっと呟かれた暴言にカイがすばやく反応して、隙間から飛び出してくる。
「クソはお前だ旦那気取り!かおるさまから離れろよ!」
「邪魔ばっかりしやがって、デカいだけで邪魔なのにな?」
ああ、もうこうなると収集がつかない。この二人の仲の悪さには困った物だ。ええ、本当に大変なんです、どちらかと居ると張り合うように飛んで来て邪魔をし、三人でいても喧嘩し、私が仲裁に入ろう物なら喧嘩はさらにヒートアップするから怖い。前にペナルティを出して止めた事はあったけど、それはそれで反動がひどかったのでやめた。
ぎゃーぎゃーと言い争いをやめない二人の間で遠い目をしてたら、コンコン、と控えめなノックとその後に大きめの咳払いがドアのほうから聞こえて、そこに立つ人物に私は畏怖の念すら覚えた。ああマーサさん!良い所に!というかもう、マーサさんが一番好きっていうので良いかな?もうそれが良い!
「お二人とも、お戯れが過ぎますよ。かおるさまも困っておいでです。」
鬼のような形相とはまさにこの事を言うのだろう、慣れてるイシュすら身を固くし、カイは小さくきゃんっと鳴いた。でもマーサさんは普段こんな事で怒る人じゃない、なにか余程のことがないと....あっ!電話!さっき電話鳴ってたからもしかして、
「電話中だったんですよ!少し静かにして下さい!....それで、イシュ様にはお電話です。」
あああ!やっぱりいい!電話だよお、うるさかったんだよ!!めんぼくない、いや、申し訳ない。マーサさんにはいつもお世話になってばかりだ。
「あ、ああ、今行く」
そう言ってイシュが出て行った後、マーサさんが深くため息を吐いたのを見て私は思わず口を開く。
「マーサさん申し訳ないです!私も止められるスキルを身につけます!」
「ぼ、僕もいつもうるさくて!」
立て続けにカイも口を開いて謝ってくれて、少しほっとしているとマーサさんが申し訳なさそうに口を開いた。
「違うんですよ、うるさかったのは確かですが、さっきのため息は電話のお相手の事ですから、かおる様はお気になさらず!」
「...電話ですか?」
そんなに失礼な相手なのかな、よくわからない。カイを見ると私と同じように首を傾けていた。それを見たマーサさんがくすっと笑って口を開きかけた時に勢いをつけて扉が開いた。
扉の向こうにいるのはイシュだ。電話は終わったみたいだけど、どうやら少し機嫌が悪い?って、さっき機嫌直したばっかりなのに!なんでこう、また....こう。二度ある事は三度ある、と有名なフレーズが頭を巡り始めた時にイシュが重々しく口を開いた。
「かおる、舞踏会だ。」