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その8
この日は夕方まで待ってもひとみちゃんは公園にあらわれなかったので、けっきょく通常よりやや早めに帰宅することにした。
家にもどると、ちょうど運良く姉は早々に入浴していたので、ぼくは、
「しめた!」
と思って夕食のカレーライスを、
「これから座禅と乾布摩擦やらなくちゃならないんだよ」
とお袋にことわったのちに、ふーふーもせずに猛烈な勢いで食べた。
で、そのあとは風呂が安全に入れるようになるまで、自室で本を読んだり舌を治療したりして待っていたのだけれど、時間が来ていよいよ入浴してしまうと、
「『うーん、マンダム』も二回言っちゃったしな……」
もうそのあとは、とくべつやらなくてはいけないこともなかった。
というわけで、ぼくは折り畳んであった布団を、掛け布団と敷布団のあいだに空気をたくさん取り入れつつていねいにセットし、就寝することにする。
「あれ? ふわふわしているぅ♪」
布団を干しておいてくれたのはおそらく京子だと思われるので、翌日ブルーシート上でそのことを確認して京子だと明らかになったら、礼を言おうと思った。しかし次の日の昼、また京子は卵焼きを甘くつくってきたから、
「卵焼きはもうちょっと、しょっぱくしてくれよ」
とやや怒り気味で言ってしまい、京子も、
「それ、プレーンオムレツだけど……」
とちょっぴりしょぼくれてしまって、けっきょく布団干しについてのお礼は言えなかったのだった。
「うーむ、でも、甘いやつもけっこうおいしいな……」
京子とは昔からほとんど口論にならないのだが、一度だけ襖の補修にからんだことで揉めたことはある。しかし、ホームセンターで買い物をしている家族の半数は買い物中に一度は口論しているのではないだろうか? 夫婦だったら八割方はどちらかが激昂しているはずだ。もちろん仲よくしている夫婦もいるにはいる。
公園に住みついている野良猫たちによくエサをあげている夫婦は、野村さん夫妻とはまたちがった意味で仲がよく、エサを配りながら、地球の環境問題だとか空気だとかについて、ものすごくやさしい口調で話し合っている。
妹にきつく言ってしまった先の日から数えて四日後の雨の日にその夫婦は××市立図書館の本館に来ていて、なにやらふたりでひそひそ話し合いながら本を物色していた。
おだやかな夫婦はやがて一冊の本を手に取ると、その本を共同で持ち、立ったままそれをおだやかに読みだした。
ぼくは、
「あいつら何読んでるんだろ? そしてあのジャージはどこで売っているのだろう」
となんとなく気になったので、ご一緒に熟読させていただくことにする。
それでしばらくすると、肩越しのぼくの存在に旦那さんのほうが気づいて、
「うわぁ!」
というふうに案の定おどろいていたのだけれど、突き詰めて考えれば、わるいのはぼくのほうだったし、夫婦によけいな心配をかけるのも嫌だったので、
「なかよしおともだち公園、第二グラウンド所属の沢倉たくみです」
とまず自己紹介して、それから右手を差し出した。
「ああ! あのブルーシートご専門の……」
旦那さんはぼくのことをすぐにわかったらしく、差し出したこちらの手を握り返してきてくれた。
「ああ、あの方! はじめまして。高林の家内です」
「はじめまして。今日はなにか本をおさがしですか?」
「そうなんです」
このあとぼくたちは、図書館内であまりしゃべっていると、まわりの利用者に迷惑がかかるので、館外に出ることにする。
高林夫妻は来年の二月におこなわれる市民サークルみたいなやつの歌の発表会にデュエット(旦那さんがピアノを弾き、奥さんが歌う)で出場するらしく、だからそのさいの資料のようなものを探していたみたいだ。
「今年の『ミュージック・フェスティバル』では、おもに地球をたいせつにしよう、というのをモチーフにした曲を中心に歌ったのですけれども、来年のミュージック・フェスティバルでは、空気が汚れていますよ、というのがみんなによく伝わる、そんな曲を歌いたいと、いま現在わたしと妻は考えているのです。汚れているの、ご存知ですか?」
「もちろんもちろん」
「生き物をたいせつにしようという曲もうたう予定です。野良猫がいるの、ご存知ですよね?」
「もちろんもちろん」
「わたしと家内はこれから〈大和田屋〉という名のコンビニエンスストアに行って食事を取るのですけれども、よかったら沢倉さんもいっしょにどうですか?」
「もちろんもちろん――ん?」
そんなわけでぼくは――あまり気が進まなかったが――なんとなく義理で、高林夫妻と〈大和田屋〉に行くことになった。




