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      その43


 すすむ叔父さんからのメモ用紙には、緊急の仕事が入って急遽そっちに向かわなくてはならなくなったから、お前との話し合いはまた今度にしよう、わりぃな、というようなことが記されていた。


「残念だけれど、そういうことなら、しかたがないな……」


 それであんずちゃんにもこのメモをみせてから、カチューシャちゃんもふくめた三人で、


「じゃあ、もう、ここにいてもしょうがないんだねぇ……」


 というようなことになっていって、電撃解散(?)というか、あんずちゃんとカチューシャちゃんはそれぞれ持場にもどっていき、ぼくも〈三途の川〉を引き上げることにしたわけだが、考えてみれば、ぼくは今朝、姉のマミーを一気に飲み干すというかたちでもって生まれ故郷の橋を焼いてしまっていたので、実家に帰るというわけにもいかなくて、で、そのことだけでもないのだけれど、昨晩ちょっと気持ちが揺らいだとはいえ、一度はそこを暫定的にではあるが住居と定めたのだから、


「玲子の実家に行ってみようかなぁ」


 ということに一応あいなった。


 そんなわけで団地の駐輪場に自転車を停めたのちに四階の玲子の実家に後頭部のあたりをさすりながらとりあえず入ってみることにしたのだけれど、自宅ではなく店というあつかいになっているほうの和室には、案の定お客さんが二人ばかりたたずんでいて、入口に向き合うようにすわっていた剣道着を身につけた中年のお客さんは、焼き魚定食とミルクコーヒーをそんきょの姿勢でご賞味し、もうひとりの職業軍人タイプの眉間のしわがきびしすぎるお客さんは、極辛キムチ鬼鬼大噴火ラーメンとミルクコーヒーを汗ひとつかかず、バッジがたくさん付いた軍服のボタン一つゆるめずに、いただいていたのだった。


 ぼくのすがたに気がついた玲子のお母さんは、


「あっ、おかえりなさい」


 とまず言うと、すぐにご自慢のミルクコーヒーを、


「ここに置いておきますからねぇ」


 と出してくれた。


「すいません、お母さん」


 お母さんが出してくれたミルクコーヒーは先のお二人がすわっている炬燵テーブルの一角にお出ししてくれることになっていたので、ぼくは八方ふさがりというような趣でけっきょくそこにすわって偉人たちと共にそれを堪能することになったのだけれど、ビジュアル的にはとってもこわそうなお二人だったが、少なくともいきなり説教されるというようなきびしい状況にはならなかったので、ぼくも平静を装うために四年四組の版画の作品集を学習デスクの棚から取ってパラパラめくったりなどしていた。


 先の二人の客がやがて帰ると、


「さあきょうはもう閉店です」


 とお母さんはぼくに言った。


「きょうはまたずいぶんと早く店を閉めてしまうんですね」


「もちろん。だって、ほら、今晩はこれから披露宴じゃないですか、たくみさん」


「ああ、そうなんですか――なにか、ご親戚の方かなんかのですか?」


「まあ、たくみさんたら。玲子が言っていたとおり、ホント、ひょうきんなところがあるんですのねぇ」


 床屋というのは一種の差別用語で現在は理髪店と呼ばなくてはならないのかもしれないが、まあそれはともかくとして――いわゆる床屋さんという感じの理髪店は、その店の旦那と、よくてその奥さんくらいしか髪を切る人がいないので、混雑する曜日などでは、あらゆる年代の人たちとかち合ってしまいがちになり、そうなるととうぜんソファーで順番がくるのを長時間待つ、というケースがどうしても多くなる。


 店の中には十四インチのカラーテレビがいちおう置いてあるが、ソファーのポジショニングによっては画面を観ることは厳しいし、それにあまり画面を観ることばかりに執着して自分のからだを移動させすぎると、フラミンゴのように一本足で立っている伝説の銀の灰皿を倒してしまうことにもなり、そうなるとローカルルールで順番待ちがすごろくのようにビリになってしまうから、やはりテレビを観ながら順番待ちを耐え忍ぶというのは、そういうリスクがあるだけに庶民にはきわめてむずかしい。で、どうするかと言うと、おおかたの良識ある市民は、三段カラーボックスに順列おかまいなしに置かれている雑誌や漫画本や文庫を手にとって、それを読みながら順番を待つ、というふうにしてやり過ごすのだが、そのときにてきとうに手に取ってみたトルストイの『アンナ・カレーニナ』を、


「おれでも読めるな」


 と思い、それがきっかけとなって、その後世界の文学作品をいろいろ読んでしまう、『アンナ・カレーニナ』などはレーニン並にくり返し読んじゃうというような現象が生じることもままある。


 ひとつのなにげない出来事が発端となってその後意外な展開をみせ、気がつくと、とろろそばを能天気に茹でていたら、ふいに鍋が泡泡泡泡になってしまうようにダイナミックな広がりをみせたりするものだが、玲子の店が通常では考えられない時間に営業を切り上げ、この店に親族一同を呼んで、ぼくと玲子の披露宴のようなことをやることに段取りを組んでいたというのもある意味ではそれに通ずるというか泡泡感が似ていると指摘することもできるような感もあって、で、当のぼくの心境というのは、やはりまずいとか困ったというようなものでいっぱいではあったのだけれど、それでもこれは画集のとくに大竹くん作品の影響だろう、


「まあ、細かいことは気にしないようにしヨ♪」


 と自分の気持ちはあんがい落ち着いていて、そんなわけでぼくは、またぞろちがう雑誌を棚から引っこ抜いて、


「若いときの上村香子、めちゃくちゃかわいいな……」


 という感じで悠然とかまえていたのである。


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