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      その39


 深皿を下げにいったん奥に引っ込んだあんずちゃんは、今度は棒のついた飴玉を二本もって出てきた。


「あの、これ、わたしから」


「いいんですか?」


「ええ」


 あんずちゃんももう一本の飴玉をペロペロやりだしていたので、ぼくたちはちょっと世間話をすることになった。


 こんなふうに膝を突き合わせてお話ししてみると、あんずちゃんという子は案外おしゃべり好きだった。


「何色が好き?」


 というような質問にたいしても十五分以上時間をかけて返答してくれる。


 ぼくは、それにたいし、


「わたし、ティラミスとかナタデココよりも、昔からあるあんみつとか大福のほうが好きなんです」


「うんうん、わかるわかる。おれも今流行りのあれより、ビートルズとか野口五郎とかのほうが好きだもんね」


 という感じで応対していた。


 そんなわけで、あんずちゃんのお話は、いよいよ激しくなっていった。


「わたしは学業を終えるとすぐにこちらに上京し、この〈三途の川〉で働くことになりました。最初についた仕事は宴会ホールの清掃係でしたが、やがて出世し、ジャージの洗濯係になりました。それから人事異動があって、わたしは社員食堂のウエイトレスに大抜擢されることになったのですが、そのときに、暫定的にあなたのフィアンセになっている玲子と知り合うことになったのです」


「ちょっと待ってください。玲子のことを知っているのですか?」


「はい」


「でも、それはどうして……」


「玲子のお父さんがやっている店は〈三途の川〉で働いている、とくに上役の方たちに、ご贔屓にされているのです。上役たちは、社員食堂も……月に一度か隔週に一度くらいは利用することもありますが、たいていは店屋物を経費あつかいにして、たのみまくっているのです」


「それじゃあ、玲子は出前を届けにこちらに来ることがあるわけですね」


「そうです。先ほども、課長が注文したものをもってきて、そのときに顔見知りの社員に、あなたとのことを、おのろけ気味に話していました。わたしは、それをきいて、ほんとうにあなたが気の毒になりました。


 沢倉さん。いったいどうして、玲子のようなあんなみすぼらしく、痩せぎすな女に、そそのかされてしまったのですか?」


「そそのかされたわけじゃないよ。ぼくはなんか、ああいう感じが好きなんですよ。あんずちゃんは、どうもぼくのことを知っているようだね」


「もちろんです。沢倉さんはAクラスのお客様ですし、浴衣とまちがえてムームーをお出ししてしまっても、おこったりなさらないで『たまにはこれでもいいですよ』と言ってくれますから、わたしの同僚のカチューシャちゃんも、あなたにとても感謝しているのです。と言いますのは、ほんとうは、それは……つまり、浴衣とまちがえてムームーをお出ししてしまうというのは、たいへんなミスで、沢倉さんがそんなふうにおだやかに対処してくれなかったら、カチューシャは上役から罰を受けるところだったのです」


「なるほど。たしかにぼくは、ここにときどき来ているからね。顔をおぼえられているということもあるだろうな」


「玲子はいつでもそのときの上役を考えて服を選んできます。たとえば部長はワンピースに弱いですから、部長から注文を受けたときは玲子はかならずワンピースを着てくるのです。若手ナンバーワン、次期係長候補の西本さんは、若いくせにどうも和服が好きなようなのですけれども、玲子はそれも目ざとく知っていて、西本さんが注文したものをもってくるときは、冬であるにもかかわらず浴衣を着てきました。しかも西本さんにたいしてそれでは押しが弱いと察知すると、器を取りにくるときは今度は晴れ着を着てアジャストしてくるのです。とうぜん西本さんは玲子に好感をより持つようになります。


 玲子という痩せぎす女はそういう計算高い嫌な女なのですよ、沢倉さん。ですから、いまからでもおそくはありません。玲子と暮らすのは、おやめになって。あんずのお願い」


「しかし、それはもうできないんだよ」


「どうして?」


「それはね、まあつまり……け、今朝ね……ぼくは姉のマミーをぜんぶ飲み干してしまってね――」


「うん」


「ですから、その……事実上、実家のほうには、もうもどることはできないんだよ」


「わたしもあなたのお姉さんのことならよく存じています。何年かまえまでは、明るくてとてもやさしい方でしたのに、このごろは、なんだかキィキィ気味でいらっしゃいますね」


「キィキィ気味どころじゃないよ。近ごろは、キィキキィキィ、キキィキ、キィキィだよ」


「うん……」


「だから、どっちみち、玲子と暮らさなければならないんだ」


 あんずちゃんはぼくがそのように言うと、ため息のようなものをひとつつき、それから、もっていた棒付きの飴玉をふたたびペロペロやりながら遠くを見るような目をして、しばらくなにかを考えているようにしていた。


「うーむ……」


 が、やがてまたしゃべりだした。


「ねぇ、沢倉さん」


「はい」


「だったら、わたしたちといっしょに暮らしましょうよ」


「どういうことですか?」


「わたしはいま〈三途の川〉の社員寮に住んでいます。社員寮は、この建物の地下にあって、一部の方々からは地底とも呼ばれているのですが……そこには先ほども言いましたカチューシャだとか、ERIKOなども、住んでいるのです」


「どんな部屋なんですか?」


「部屋というか、三段に仕切られた大きな戸棚のような趣もあるのですが……ですけれども沢倉さん、安心してください。わたしの部屋は三段ベッドの一番上ですから、誰かが降りぎわにのぞいてくる、ということがないのです。


 わたしの部屋のすぐ下の二段目にはカチューシャ。その下の一段目のベッドにはERIKOが暮らしています。みんな気心が知れた同僚ですから、だいじょうぶです。きっとカチューシャもERIKOも、沢倉さんにやさしくすると思います。ねえ、ここで、わたしたちといっしょに暮らしましょうよ!」


「でも、それだと、あまりにもみなさんにわるくないですか?」


「そんなことはありません。わたしたちはとってもたいくつしているのです。とくにこれから冬が本格的にやってきますから、なおさらです。だからせめて冬のあいだだけ。あんずのお願い」


「でも、玲子が……」


「そんなに玲子のオーバーオールが忘れられないの?」


「え! どうして、それを……」


「だいたい見当はつきます。先ほどそれらしいことを玲子が自慢気味に話していましたし、それにさっきからわたしのエプロンの帯の部分を、ちらちら見てるもん。どう?」


「はい。あんずちゃんが遠くをみているときは『うーむ……』とか言いつつじつはガン見してました」


「気に入った?」


「かなりキテます」


「ねえ、沢倉さん。わたしがオーバーオールを着ているのを見たら、玲子のあんな貧相なオーバーオールすがたなんて、なんとも思わなくなりますよ。あの女は、ほんとうにみすぼらしく、痩せぎすで、定期的に骨盤のことを豪語していますけれども、あんなあおっちろい顔色をしているのですから、安産なんて到底信じられるものではありません。


 わたしはかつて、あの女のために苦汁をなめつづけていたのです。先ほども言いましたけれども、わたしは以前、社員食堂のウエイトレスを任されていました。その当時はまだ、上役たちの社員食堂を利用する回数も多かったのです。そうなると、とうぜんわたしは上役たちと接する機会が増えますから、かなりの地位を獲得するチャンスも、同時に増えます。わたしはウエイトレスに大抜擢されることが決まったとき、それはもう大喜びで『がんばるもん』という感じではりきっていましたし、同僚のカチューシャやERIKOや、それからいまはもうここをやめて家業を継いでいる真紀も、とてもよろこんでくれていました。と言いますのは、わたしがウエイトレスになりますと、先ほども申しましたように上役たちと接する機会が増えて、高い地位を獲得する可能性も高まりますから、良い地位についたあかつきには、彼女たちになにかしらの便宜をはかってやることもできるからです」


「ふむふむ、なるほどね」


「わたしの評判は日に日に上がっていき、社内ではちょっとしたブームのようになっていきました。上役たちはこぞってわたしのそばにかじりつき、かけそばやA定食をたのんだのです。わたしの出世はもう確実なものだと誰もが思いました。ですから当のわたしは、カチューシャやERIKOや真紀に、そうなったあかつきには、側近や右腕や秘蔵っ子になってくれるよう、根回しまでしておいたのです。そんなときです!」


「玲子があらわれたのですか?」


「そうです。さすが、沢倉さん。よくおわかりになりましたね。玲子はわたしの人気をしたたかに横取りしていったのです。しかしそれは玲子が世間でいわれているように美女だからとか、そういうことでは決してありません。あの女は先ほどからくりかえし申し上げていますように、みすぼらしく、痩せぎすで、若作りしていますが、それなりに実は歳もいっちゃってるという、つまらない女です。しかも身長も一五三センチもあるデカ女なのです。一五三センチって、大きいですよね?」


「まあ一四六センチのほうが、個人的にはより良いですよね」


「ありがとう――それからね、ね、玲子は内心、わたしのこのもち肌をうらやんでいるんですよ」


「たしかに、きれいな肌だ」


「ありがとうございます。わたしの家系は代々もち肌です。いま彼女はそれなりの肌に見えますが、それは極秘でコンシーラを二度塗りしているからなのです。でも二度塗りしてもただあおっちろいだけ。わたしは生粋のもち肌。そんなわけですから玲子はわたしに劣等感を持っているのです。そして再三申し上げていますが、玲子は痩せぎすで、ずるがしこく、勝ち気で、痩せぎすで、戦略的で、痩せぎすな女です」


「そしてデカ女子」


「うん。一五三センチもあるもん――だからあの悪どい痩せぎすデカ女子痩せぎす大女は、こんなに肌がきめ細かくてちっちゃくて可愛いあんずちゃんをやっつけるために、上役たちを誘惑し、わたしの出世の邪魔をして、わたしに復讐したの」


「あんずちゃんのきれいな肌に嫉妬したということなんだね」


「モン・シェール」


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