二人と一匹のクリスマス
「ただいま」
ドアを開けると、足音も無く走ってきたのはソルトだ。カイは? 玄関に靴は無い。駐車場も確認してこなかった。出かけると言われていたこと、それから、春久も帰る前に連絡すると言っていたことを思い出した。まだ戻っていないと思って、カイもゆっくりしているのだろう。仕方が無い。春久の昼休みは一時間だ。脱いだ靴を玄関の隅に置き、ソルトを抱き上げた。ソファーに下ろしてスーツを脱ぐ。けれどそのスーツをソファーの背に掛ければ、ソルトがじゃれつく。これは、玄関にハンガーラックが必要か……。
ひとまずはスーツを自分の部屋に放り込み、ソルトのトイレの掃除を始めた。少しずつ、トイレの外に掻き出す砂も減ってきた。良い傾向だと掃除用のスコップを片付けた途端、ソルトは綺麗になったトイレに飛び込み、早速用足しを。春久が戻ってきてトイレ掃除をするのを待っていたかのようだ。
固まった砂をゴミ箱に入れ、砂を均した後でソルトを掴まえる。ブラッシングしてやれば気持ちよさそうだ。
ガチャリとドアの開く音に、春久のあぐらの中で気持ちよさそうにしていたソルトはぴくりと顔を上げ、
「ソルト、ただいま~」
文字通り猫なで声に、先ほど春久を迎えに出たのと同じように、玄関まで走って行った。
「お帰り」
ソルトの後ろから歩いて、春久も出迎える。カイは両手に荷物を持っている。急いで荷物を受け取ろうと両手を差し出した。
「ハルさん、帰っていたの?」
「ついさっき、だ。ソルトのトイレ掃除とブラッシングをしていた」
渡すべきかと悩んでいたカイの腕から全てを預かり、代わりにソルトをその腕に入れてやった。カイは急いで大切そうに抱えた。
「ソルト~」
そのまま上がり框に座ってソルトの腹に顔を埋めるから、猫キックと猫パンチが炸裂していた。
「荷物、テーブルに置いておくからな」
笑いながら宣言すれば、変わらず顔に猫キックを受けながら、カイは急いで顔を上げた。ソルトを下ろし靴を脱いで、春久の後を追い掛けてきた。
「ハルさん、今日は夕方帰れる? やっぱり大変?」
「そうだなぁ。夜まで仕事を詰めて帰ってから食事の方が体は楽なんだけどな」
「判った。だったら夕食、冷蔵庫に入れておくから食べて。起きてるつもりだけど、寝てるかも知れないし」
「判った」
カイが帰る宣言かと思ったけれど、それは無いと知って安心した。
カイの作ってくれた肉じゃがや筑前煮は旨かった。それからクッキーも出してくれた。色んなクッキーを作るのはカイの楽しみだ。職場に持っていけばカイが来ていると告白するようなものだと思うが、まあ、課長にはバレているし良いかと、有りがたく受け取った。それもクリスマスイブだし。
ただ、その判断は帰ってきて冷蔵庫を開けて、後悔に変わった。
出迎えはソルトだけ、風呂場から音がしていたからカイは風呂中で、春久の帰宅に気づいていない。とは言っても、二十三時を越えていたから、部屋に籠もっていたとしても不思議は無かった。ソルトと寝るつもりならソファーに毛布を持ち込むだろうけれど、それも無かった。春久が帰ってきていないから、ソファーを占有してしまうのを遠慮したのだろう。
スーツの上着を部屋に入れてから、シャツの腕をまくりつつ、冷蔵庫を開けた。ラップされていたのは骨付き鶏モモの照り焼き。クリスマスだから。プチケーキもあった。
鶏モモを引っ張り出してレンジで温める。付け合わせにニンジンやジャガイモが。いつもはキャベツの千切りだから、クリスマスの雰囲気を出すためにインターネットで調べてくれたのだろう。
プチケーキは三角ケーキの中央側、一口分を切ったものだった。カイがクリスマスだからと自分用に買ってきた物から、お裾分けしてくれた。カイの食事時間に合わせて戻ってきていたら、目の前で切り分けてくれる場面も見られたはずなのだ。炊飯器を開ければ、炊き込みご飯。
いくら忙しくても「食事をしてくる」と、一声掛けて戻ろうと思えば出来たのに。カイと一緒に食べるチャンスを無くした自分を、バカだと自覚する。仕事も大切だし、実際、夕方一度帰ってくるよりも仕事を終えてから帰った方が体も楽なのも確かではあるが、カイが居てくれる日の方が圧倒的に少ないのに。
「こら、ソルト! まだ乾いていない!」
カイの声に気づいた。ぼーっとしていた。
春久を出迎えてくれた後、食事の準備をしている間に今度は風呂場に行って、カイに洗って貰っていたのだろう。生乾きのソルトが春久の前にやってきて、テーブルに乗らないまま、鶏肉を貰いたいと、春久の足を引っ掻いていた。テーブルは乗ってはダメだと覚えたようだ。
「ハルさん、お帰り」
「ああ、ただいま」
カイは珍しく上半身裸で頭にタオルを被った状態でやってきて、春久の隣で春久の足を引っ張ろうとするソルトを抱き上げた。洗った髪を乾かす暇も無く、濡れたままリビングに飛び出したソルトを追い掛けてきた。抱き上げたまま、自分の髪より先にタオルでソルトを拭いている。ソルトは遊んでくれていると思っているのか、にゃあにゃあ鳴きつつ、カイの手の中、大人しい。
「いつの間に風呂場に行ったんだ?」
「俺が風呂から上がろうとしたら、脱衣所のドアを引っ掻くから、中に入れて洗ったよ。猫用シャンプーって良い匂いするね。ソルトも大人しく洗われていたから、ハルさんがいつも優しく洗ってやっていたのかなって。フワフワ」
片手で自分の頭を拭きつつも乾いたソルトをブラッシングしてやるから、ソルトものどを鳴らして喜んでいる。おなかも、と言わんばかりに仰向けに寝転がるから、カイも笑って、手も足もと、丁寧に梳ってやる。
「悪かったな、戻れなくて」
「なんで? 仕事忙しいんでしょ? 地域の安全を守るお巡りさんだものね」
磨き上げたソルトを両手で抱き上げ、その腹に顔を埋めるから、またもやソルトからの猫キック。カイ、お前は学習しないのかと少しばかり呆れ気味に見てしまった。
「ハルさん、明日も早いの?」
「あ、いや。明日はゆっくり朝食を食べてから出られる」
もう日付も変わっているから、そんなに長くは眠れないが。
「判った。ソルト、ハルさんがお風呂に入ったら、一緒に寝ようね~」
ソルトには極甘の声を出すカイ。けれどその手から逃れたソルトは、水を飲み、それを見たカイも、キッチンで水を汲んで飲んでいた。いつもならもう少し春久の面倒を見てくれるのだけれど、ソルトには負けるようだ。これって、子どもの面倒を見るために放置される父親か? 仕方が無いと、春久は食べ終わった皿を持ってシンクに。自分で洗って片付ける。終わってソファーを見れば、カイは自分の定席に収まって、猫じゃらしを動かしてソルトを走り回らせている。
「いっぱい運動してちゃんと寝るようにね~」などと声を掛けているところを見れば、本心ソルトを寝かしつけようとしているのだが、猫は夜行性だ。果たしてそれが上手くいくのか?
「風呂に入ってくる。先に寝ていて良いぞ」
声を掛けて自分の部屋を開けようとすると、ソルトが走ってきた。
「入っちゃダメだ」
「ソルト、ダメだよ!」
二人で制止してしまった。カイが急いでソルトを抱き上げる。
「ソルトのテリトリーはこっちのリビングだけだからね」
抱き上げて頬ずりしながら言っているけれど、それは言い聞かせていることになるのか? 甘やかせているだけに見える。まあ良いかと、部屋に入ってスーツを脱ぎ、着替えを持ってリビングに出た。カイは相変わらずソルトべったりだ。まあ、それも可愛いんだが。
風呂上がりに脱衣所でドライヤーを掛けていると、ドアががりがり引っかかれている。ドライヤーを止めてドアを開けてやると、ソルトが入ってきた。
「カイはどうしたんだ?」
そうやって聞いても、春久の足に体をすりつけるだけ。本来はそこで体を洗ってやるのだが、今日はカイが洗っている。足にまとわりつくのを放置して、もう一度ドライヤーを掛けた。
部屋に戻ると、カイはソファーの正面、床に座り込んで、教科書を見ている。ソルトが居なくなったからだろう。
「早めに寝ろよ。明日また長距離走るんだろう?」
春久が仕事に行っている間に帰ってしまう。家まで二時間ばかりだから長距離と言うほどでは無いけれど、冬場だから心配だ。
「ハルさん、もう年末進行?」
「半分な」
カイが話し掛けてくれたから、春久も定席に座った。ソルトはキャットタワーに上り、そこに敷いている毛布に寝転がった。家に来てまだ一週間、相変わらず一番下の段だけだが。それでも来た当初に比べて、動作が速くなった。
ソルトが眠ったから、ソファーに二人きり。テレビも消えているし、静かだ。
「ソルトを外に慣れさせないとな。キャンプに連れて行くだろう? ああでも、ツーリングには連れて行けないから、しばらくは日帰りだな」
「そうだね。ハルさんまだ居る? 部屋に戻らない?」
「用があるなら居るが。何?」
時計を見れば時計は夜中の二時が来ようとしている。そろそろ寝ないとと思うが、もう少しなら起きていられる。
カイが立ち上がって自分の部屋に戻っていく。ソルトはぴくりと頭を上げたが、毛布を揉み揉みしつつ、またもやだるんと横たわった。ソファーに戻ってきたカイは、春久の前に箱を置いた。
「カイ?」
「少し遅くなったけど、誕生日プレゼント。クリスマスプレゼントはまた今度。それを言い出すとハルさん気にするだろうから」
少し前に三十三になった。
タイミングが悪くて渡すのが遅くなったけどと、少し申し訳なさそうに。二人の会うタイミングが有るから、前回春久がカイに渡したときも、少し遅くなった。
「気にすること無いのに。でもありがとうな」
言いつつ、リボンを解く。春久の正面、床に座ったカイは、ワクワクしつつ春久の手元を見ている。楽しそうなのは口元に現れている。新参者のソルトに夢中だと思っていたけれど、こうやって春久の事を考えてくれているのだと思うと、愛おしさが募る。
中からは保温保冷機能の付いたタンブラーが二個。片方はカイのだと見当を付け、「どちらの色が良い?」と聞けば、カイは「両方ハルさんのだよ。一つは家で、一つは職場で使っても良いし」
「キャンプに持っていけばお前も使えるだろう?」
「普段使いにしてくれた方が嬉しい」
「そうだな。だったら一つ、職場に置いておくよ。水筒でコーヒーを持って行っているが、カップに出したら冷える一方だしな。ありがとう」
にっこりと笑うカイ。
「ハルさんに誕生日プレゼント貰ったし、お返しも兼ねて。後、これはソルトにクリスマスプレゼント」
猫用おもちゃを差し出しながら。名前を呼ばれてソルトがぴくりと動いた。もう自分の名前を認識しているらしい。それを見てカイは、ソルトが春久に大事にされているんだと。カイに褒められ満更でも無い。
「続きは明日の朝だ。ソルトと寝るんだろう? お休み。明日の朝、ゆっくりしていて良いぞ。適当にお前が作ってくれた飯を食って出かける。昼、居るか?」
「居るよ。まだ食材も残っているからね。シチューでも作ろうかな。タッパーに分けて冷凍しておけば、温めて食べられるよね」
「なら、昼も早めに戻ってくるよ」
「判った。炊き込みご飯でオムライス作ったら食べる?」
「食う。楽しみだ」
それで、ソファーをベットにしてカイの毛布を持ってきてやり、春久は部屋に戻った。
四時間ほど眠った。
今日を終えれば明日は昼まで休める。今日と明日が入れ替わりであればと思ったりもするが、言っても詮無いこと。
冷蔵庫を開けて、カイが作ってくれていたむすびを引っ張り出した。ちらっと見ると、カイはソファーの上で毛布にくるまっている。腕の中はソルト。ああ、良いな。けれどソルトは猫だ。春久の立てる小さな音にすら耳を動かし、春久を見ている。眠っているカイの腕には力が無い。ソルトはするりとその中から出てきた。
「にゃあ」
春久の足にやってきて、餌をくれとその体をなすり付ける。
「まだ入っているだろう」
小声で言えば、まるでそれを理解したかのように自分の定位置に戻って、食事を食べ始めた。春久の仕事が不規則だから、一日分を皿に載せ、それをソルトが好きなだけ食べる方法にした。ただ、まだ生後三ヶ月程度だからソフトタイプの餌がメインで、カリカリタイプと違って日持ちせず、毎日取り替える。個包装を、ソルトの食べる量を見ながらいくつか、開けてカリカリと混ぜておくだけなのだが。
春久は自分の支度の手をいったん止めて、ソルトの皿を覗き込んだ。昼まで保ちそうではあるが、昼に戻ってこられるか? 普段は家で食事をするようにしているが、事件で飛び出せばそうもいかない。もう一袋ぐらい開けて置いてやるかと悩んでいると、カイが目を擦りつつ「ハルさん、おはよ」と、声を掛けてきた。
「悪い、起こしたか」
「ん~~ん。ハルさんが出かけたらもう一眠りするから」
そう言って起き上がり、毛布を畳み、ソファーを椅子に戻してカイの定席に置いた。
「お茶漬け食べる? 冷や茶漬けだから、頭すっきりすると思うよ」
「食う。お前が居てくれるなら、その間に顔を洗ってくる」
「行ってらっしゃい。ソルト、ハルさん、洗面所に行くって」
カイの言葉にソルトは顔を上げ、洗面所に行く春久を見つけて、急いで追い掛けてきた。まだ洗面台に上がれないので、足下をうろうろするだけだけれど。
歯を磨き、髭を剃り、顔を洗いとしているうちに、カイは朝食の支度をしてくれた。
先に冷たいお茶漬け、ああ、体がすっきりする。けれど冬場だから、お茶漬けだけでは体が冷えるからと、暖かいスープも。中にラーメンが、多分半人前ぐらい入っていて、しっかり満腹になる。
「昼に帰ってくる予定だけど、お前は居るのか?」
「居ると思う。昼過ぎに帰るよ」
「だったら、家の事は良いから、ソルトとしっかり遊んでやってくれ。後、年末年始、いつ来ていつまで居るのかも、決まったらメールでも入れておいてくれ。正月三が日居られるのなら、どこかのタイミングで一緒に初詣に行こう」
「判った」
ソルトを抱き上げて玄関まで出てきたカイは「行ってらっしゃい」と、ソルトの手を振りながら見送ってくれた。
「万一戻れないようなら、連絡入れるんで、餌だけ頼む。何事も無ければ戻るつもり満々なんだが」
「了解」
「一眠りしてから帰れよ。昼間、帰ってきたら起こすかもしれんが」
「あはは。了解。遅れないようにね」




