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 「丹波。来週の管区の新警部補研修、手伝いに行くんだろう」

 「行きます」

 「野沢が参加するらしいぞ」

 「野沢班長、……ああ、もう係長ですね」

 「そうだな。あいつも忙しすぎて四月すぐのには手を挙げられなかったようだ。久しぶりに親交を温めてこい」

 「了解しました」

 「ついでに、現状と愚痴を聞いてやって、お前が手伝えるようなところは手伝うと確約してやれ。結構癖のあるところで頑張っているようだ。お前になら、話もするだろう」

 それは責任重大だ。

 「ああ、あいつの作ったクッキーがあるので、差し入れしておきます」

 「いつの間に(来たんだ?)」

 「前の家の時に作ってくれた奴です。水を使った真空パックの作り方を教えてくれたので、詰め込んでいます。この間引越祝いに本物の真空パックを作る機器をプレゼントして貰ったので、次回からはそちらにしますけどね」

 「ますます、通い妻好みの家になりそうだな」

 課長は笑っているが、カイが便利に使えるならそれに越したことは無い。

 

 「使う奴が使いやすいのが一番です。ベランダにネギとパセリを植えるらしいので、災害時に邪魔にならない場所に小さな棚を置いてやろうかと。いざとなったら家の中に入れておくことになりそうなので、大きなトレーマットもかな」

 「貢ぐなぁ」

 「楽しみなので」

 「あれか? 若い女に貢いで良い格好をしようとしているヒヒ爺か?」

 「若い女じゃないですが、親友に良い格好をしたいじゃないですか」

 課長と言い合っているようで、どちらも悪気は無いのだから、お互いの口元には笑みが浮かんでいる。事件の合間の息抜きだ。

 

 

 管区の新警部補研修では、途中、面接の時間を利用させて貰い、少し話をした。野沢は相変わらず剛毅で、下の者にもきちんと目を配っている。その野沢が溜息を吐くほど、新しいところではキャリアが幅を利かせているらしい。

 「聞く耳持たないですか?」

 「持ちませんね。向こうはキャリアというプライドが有るので、同じ地位のノンキャリは端から歯牙にも掛けていません」

 「叩いてよければ叩きますけど?」

 春久も野沢と同じ、ノンキャリの警部補だ。しかし副課長の役職まで持つ。そいつに叩かれれば相手もノンキャリであろうと、野沢に対して敬意を払うようになるだろう。そうすれば彼も、胃の痛い話が一つは消える。

 「出来ます?」

 「野沢さんに育てていただきましたし、それなりに経験も積みました」

 「ああ、ストーカー被害に遭われたそうですね。大丈夫ですか?」

 既に他の所轄に異動している野沢にまで、バレバレだ。

 「大丈夫ですよ。家に来る一般人が巻き込まれると困るので、最終的に引っ越ししました。前より職場に近くなったので、緊急時の代替本部だなんて言われていますけど。ちょっといろいろ腹も括りましたし」

 叩かれてへこたれるようであれば警察官は続けていけない。ましてや管理職。下を引っ張っていくには強気に出ることも学ばなくてはならない。春久としては、カイを守るために腹を括ったのだが。

 

 春久は優男だと言われる。いわゆる強面とは違う。強面の方が無言の睨みが利くので、その方が仕事が早かったりすることも多いのだが。普段スーツできっちりしているくせにどこか柔和そうに見えることから、子どもや学校関連では表に出させられることも多い。

 ぴしりとした三つ揃えで髪はオールバック。その格好で、野沢の職場を訪ねた。

 春久の、副課長と災害時緊急……の班長肩書きが利いた。三人とも同じ役職ではあるけれど、肩書きの分だけ春久の言葉の方が重い。

 二人を会議室に呼び出し、盛大な溜息を吐いた。野沢は慣れた物だが、まだまだ若手のキャリアは、びくりとしている。穏やかそうに見えるからこそ、春久のわざとらしい笑みは強面よりも怖いらしい。そんなつもりは無いのだが。

 

 「キャリアさんにお伺いしたいのですが」キャリアさんと、ひとくくりにしてみた。

 「キャリアさんは、現場を知らなくても良い、と、考える口ですかね?」

 「そんなつもりは。けれど」

 「だったら……。ああ、無欲、ってことですね。 上に行くつもりは無いと。」

 「まさか!」

 「普通、貪欲なら、もっと人からいろいろ吸収したがるんですが。それも違うなら、あれですか? 頭でっかち」

 「失礼な!」

 わざと発した嫌みな言葉に、怒るだけの気概は有るようだ。

 

 「経験を積む一番簡単な方法は、それを経験した方にお伺いすることです。それぐらいは判りますよね? 教科書しかり、体験談しかり。私も先輩たちの貴重な経験を伝授いただき、ノンキャリアながら、あなたの上に立つことも出来ている。ですので今のうちにあなたに釘を刺しておこうかと。私を育ててくださった方々に失礼を働くなら、そうですね、今なら管区の諸先輩方に話を持っていきますか」

 なにせ管区に居るのは、多くがキャリアだ。書類仕事の多いキャリアだけど、現場を束ねる位置にいる分、ノンキャリとも話を合わせられる。

 「それって虎の威を借りているだけですよね!」

 にこりと笑った。

 

 「……そうですねぇ。

 警察官として、縦横の繋がりを軽んじていては、事件の解決なんてあり得ないんですよ。年齢・役職の上下に関係無く、地元で命を張ってる人たちを軽々に扱うのは、止めていただきたい。野沢さんなんて最たる者だ。彼のお陰で私は管理職としての心構えを学ぶことが出来た。若輩者の私を上司として扱い、その上で育てていただいた。

 ……その恩人を蔑ろにされて、黙っていられない、なので、うちの職場の面々に無理を言って、ここに来ている。あなたとのこういった時間を取れたのは、うちの職場だけじゃ無い――ここの職場でも、あなたのやり方は目に余っているってことなんですよ。自覚しなさい」

 「あ、あなたは! どうせノンキャリじゃあ、これ以上の」

 「少なくとも、県民を守っているのは足で駆け回っている警察官たちなんですよ」

 それ以上言わせないように、言葉を遮った。放っておけば、すぐに立場が逆転される可能性の高さを指摘される。今現在の立場で押し通す。

 

 「相手に対する尊敬はいつだって持っていた方がいい。それはまだ経験の少ない君を助けてくれる。実際私はそうでしたよ。係長としてひよっこで、管理職がなんたることかも判らず、押しの強い班員に右往左往しているとき、この野沢さんに助けていただいた。フォローもサポートもしていただき、気づいたら副課長だの、所轄を越えたグループを取りまとめたりと、いろいろ拝命した。私生活でも、そうやって培った仲間たちのバックアップがあってこそ、守りたい奴を守れていると自負している」

 相手の目が泳いでいる。心当たりがあるのだろうか。

 

 「少なくとも、職場で上手くやりたければ、自分を殺してでも相手を立てることも、知った方が良い。立場や意識の違いで対立するのは当然で、それを止めるつもりはない。けれど、我を押し通してばかりじゃ折角のアドバイスを逃してしまう。もう学生じゃないんだ。社会人としての柔軟さを持たなければ、上など望めるはずがないって事ですよ」

 言葉と、時には前髪を崩したりネクタイを緩める振りで威圧したり。後ほど二人きりになったとき野沢に「色んな方法を覚えたのですね」と苦笑されたが。

 「君も頭が良いから、言っていること判るよね。頑なになるのは君のためにならない」

 他にもいろいろ言ったが。ようやくキャリアが野沢に頭を下げ、これからいろいろ教えてくださいと、握手を求めた。野沢は少しばかり苦笑しつつ、それに応えていた。

 「どうなりますか、しばらく報告いただけますか? ダメなら……課長に頭を下げてきます」

 「ははは。そうですね。まあ、助かりました。たまには人を変えるのも必要ですしね」

 その一言で理解した。どうやら野沢の掌の上のようだった。ま、いいか。これも一つの経験だ。

 

 

 カイの新居初宿泊は十月になってから、大学の県外講義に参加するための前泊と、当日泊だ。キャリアを威圧したりなだめすかしたりした件からまだ数日しかなかったこともあり、少しばかりストレスを感じていた春久なので、なおのこと、思いっきり歓迎する。

 今回はバイクで、春久の車を職場に預けるようなことも無い。ただ待機の無い土日だったので課長が察して

 「車を預けなくて良いのか?」と、聞いてきた。

 「今週は大丈夫です」

 カイはバイクだから。けれどその理由を知らせる必要は無い。なので来たことは知られることは無いと思っていたのだが。

 「まあ、しっかりストレスを解消しろ」

 バレバレらしい。

 

 カイは仕事が終わってからバイクを走らせるので、早くても二十一時を過ぎる。春久はその時間まで仕事をしていられるのでありがたいが、暗くなってからだから、可能なら車にして貰いたい気持もあった。無事に到着したと連絡が入ったときは、ホッとした。

 急いで机の前を片付けた。

 「それじゃあ、お先に」

 「お疲れ様です。仕事持ち帰って大丈夫なんですか?」

 春久がバッグに入れている紙袋を見て、そこに居た班長が問いかけた。今夜明日と待機の無い休みだ。けれど、申請されている書類は待ってくれない。土日の間に字面のチェックだけでもしておきたい。

 「そうですね。日曜の夜は自宅待機なので、その時の仕事です。現場に出ずっぱりだったので、書類も溜まっていますし。月曜朝に必要な書類があれば一報ください。PCでチェックします」

 「お疲れ様です」

 

 軽く挨拶をして、執務室を出た。少し遠回りになるが、きっちり正規ルートで外に出て、道路を通り、マンションに戻った。入り口に見慣れたバイクが停まっている。

 「お疲れ」

 「お帰りなさい」

 ああもう。疲れが吹っ飛んだ。

 「押すぞ?」

 「大丈夫」

 バイクを駐輪場に誘って、バッグとヘルメットを持ったカイと、二人で部屋に戻った。

 「どうぞ」

 「お邪魔します」

 

 改めて、部屋をカイに紹介していく。

 玄関から入って一番奥がリビング、その隣の部屋が春久の寝室だ。日当たりも良い部屋で、来るかどうかも判らない客のために空けておく必要は無い。カイが来たときぐらいはその部屋を使えと言ってやりたくもあるが、なにせ制服を始め、他人に触らせることの出来ない物がゴロゴロしている。なのでそれは無理。春久の隣の部屋にはキャンプ道具を入れている。一番入り口に近いところを納屋にして真ん中を客室にと思わないことも無かったのだが、真ん中の部屋に窓が無い。人が寝起きするのに北向きだろうと窓があった方が良いだろうと思っての事だ。

 もっとも、泊まるとすればカイしかいない。戸野原も大塚も垣内も、家は近い。

 

 「お前の部屋だ。お前と猫部屋だな。ペットオッケーだから、どこかで……保護猫でも貰ってくるか?」

 「ハルさん、面倒見られるの?」

 「ここなら、猫タワーでも入れておけば勝手に遊ぶだろう? 水や餌はキッチンに用意するしトイレも玄関近くだな。お前が今より頻繁に来てくれることが前提になるが。ああそうだ。この部屋に押し入れが無いんで、そこに有る塊が布団だ」

 部屋の隅にすのこを置いて、その上にマットレスを初めとした客用布団を載せ、シーツを一枚、カバー代わりにして埃を防いでいる。他には三段ボックスを一つ置いただけのガランとした部屋。エアコンは付いているので、湿気の強い時期には除湿もできる。カイが来ると判っていれば、前もって掃除機ぐらい掛ける。

 「お前ぐらいしか泊まらないので、お前の好きなようにして構わないぞ。お前のエプロンや、うちでしか使わないような奴も置いといて構わない。使ったエプロンは洗濯してそこの三段ボックスに入れておく」

 三段ボックスには、カイの為の歯ブラシとコップのセット、エプロンを置いている。それを見てカイは少しあきれ顔。それから目を細めて笑っている。自分の居場所だと認識した? 手に持っていた荷物とヘルメットを部屋の隅に置き、エプロンを取った。

 

 「ハルさんご飯は?」

 「まだだ。お前もまだだろうと思っていたんで、夕食も摂らず仕事をしていたんだ。昨日買い物に行ってきたんで材料は冷蔵庫にある。インスタント食品も有るんで、それでも良い」

 カイが作ることを前提にしてしまったけれど「判った」と快活に返事をしてカイはキッチンに立つ。だから春久はその間に風呂の支度。協力して家事をしていると思うと、一緒に暮らしているような感じで少しばかりにやける。当然、キッチンに行くまでに顔は修復しておく。

 

 「この間も話した通り、ソファーベッドはリビングに置いているので、リビングで寝るのも有りだが、折角だからお前の部屋を使ってくれ。特に、他の連中が来ているときにも、安心して眠れるだろう」

 「判った。ありがとう」

 話をしている間に、ベーコンとタマゴとニンジンキャベツで、あっという間に焼きめしを作ってくれた。インスタントのオニオンスープで立派な夕食だ。

 「眠くなるまではリビングで過ごしてくれ。と言っても時間も時間だから、早めに寝て明日に備えないとだからな」

 「判った。勉強を少しだけ教えて。明日でも良い」

 「俺で判ることならいつでも構わないぞ」

 そう言っておいたから、食事の片付けの後でカイは教科書と筆記用具を持ってリビングのテーブルの前、ソファーに座って勉強を始めた。相変わらず真面目だ。

 

 

 テーブルやテレビ台、テレビ、ソファーの並びは、できるだけ前のマンションのレイアウトに近づけた。壁や仕切りの場所が違うので全く同じとはいかないが、それでもカイの肩から力が抜けているので、あまり違和感が無いのだと思う。

 実際春久も、独身寮から前のマンションに替わったときは、馴染むのに時間が掛かった。仕事に忙殺されて家に居着けなかったというのもある。今は署の正面から出てゆっくり歩いても十分、近道と走りで一分で帰れる。なので、煮詰まれば家に戻ってシャワーを浴びて着替え、さっぱりして職場に戻ることも可能だし、カイの料理があれば、昼休みには家に戻って食事にする。

 頻繁に家に戻っていること、レイアウトを似せたこと、なによりカイの食事が有ることで、今回はすんなり自分の家だと思えた。後は猫とカイが居れば、完璧だろう?と思っていたそのカイが、目の前に居る。

 

 「何?」

 春久が見ていることに気づいたカイが、顔を上げ、そうやって聞いてきた。

 「お前に、家の合い鍵渡しておく」

 「でも」

 「良いんだよ。周りに聞かれたら、弟で、たまに兄の元に来てるんだと言っておけ。家族用だから、違和感も無いだろう」

 「でも」

 「言っただろう。猫を飼おうって。俺が長期出張の時は本当にお前に頼みたい。その猫も早めに探してくる。なのでお前は普通に出入りしてくれた方が良いんだ」

 たたみかけるように言って、カイに合い鍵を握らせた。キーホルダーに居場所を定めてくれたのを確認して大満足。押しが強くなったなぁと、自分でも思う。


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