マカロン
ソファーは重いので、テーブルを横に避け、そこに一組、窓側に一組分、二人の頭がほぼ直角になる配置だが、布団を敷いた。
「こうやって布団を使うのは、旅行の時以来か?」
車中泊にしろキャンプにしろ、基本寝袋、芋虫だ。
「ハルさん、部屋で寝れば良いのに」
「お前が嫌だと言わなかったからな。たまには」
キャンプの時はドームテントの端と端。むしろホテルや今の方が距離は近い。二人ともうつぶせになって肘を突き、掌に顎を乗せ、顔を突き合わせている。両腕の下には枕がセットされているから、話をしながら寝落ちすれば、二人の頭の近くに置いているリモコンで、もう一人が明かりを消す約束だ。
「ごめんね」手間を掛けさせてと小さく謝るから、それは笑い飛ばす。
「なあカイ。猫を飼ったら、俺が長期出張の時、時々様子を見に来てくれるか?」
「え? 飼うの? ここペットオッケー?」
「いや、知らん。飼ったら、だ。犬はさすがに毎日の散歩があるから無理だしな。マンションがどうこうの前に、世話ができるかどうかも大きいだろう? なーんかあれだ。キャンプの前日、お前のお陰で自分が結構一杯一杯だってことに気づけたからな。猫に癒やされるのも有りかなと思ったんだよ」
「飼えると良いね」
「飼えないようなら引っ越しも有りだな。その時は部屋をもう一つだな」
「そうなの?」
「お前と猫の部屋にしてやる。そうしたらお前も気兼ねなく来られるだろう? 俺も指輪をしている手前、家に出入りする奴が居てくれる方がありがたい」
「それは無理が有るよ」
「お前も猫で癒やされるだろう? でもって、ついでに料理頼む。副業にしてくれて良いぞ? 部屋代でどうだ? 当然食費は渡すし、必要なものは買っておく」
「何それ」
「俺は美味い料理が食えて、癒やしも得られる。お前は隠れ家が出来て、同じく癒やされる。俺の寝室には今まで通り鍵を掛けるが、それ以外はお前が好きに使って構わない」
「ハルさんは嫌じゃないの? 同じ家に他人が居るの」
「お前ならな。どのみちテントも共有しているし、部屋がきっちり分かれていれば安心だろう? お前の親のことも判っているから家を出ろとは言わないが、キャンプの延長だな。最初からシェアハウスだと言っておけば、気兼ねも無いだろう」
週末だけの別荘か。カイが何を思うかは判らないが、断られることだけは避けたくて、少しばかり言葉を重ねた。
カイが寝落ちした。掌からゆっくりと頭が滑り落ちていき、枕を抱きかかえたかと思うと、呼びかけても返事が無い。しばらく待って本当に動かなくなったのを確認して、そっと頭に手をやった。カイの温もりだ。猫よりもカイを飼いたい。起きて触れているのがバレると逃げられるだろうからそれ以上出来ず、諦めて明かりを消した。
最近は朝起きても疲れが取れていないことが多い。仕事が詰まっているのが一番の理由ではある。時間になれば自然に覚醒するが、少しばかり怠いと思いつつ目を覚ました。
目を開けて、いつもと感じが違うと気づき、それから、リビングで寝ていたことを思い出した。それと同時に人の気配。コトコト、カチャカチャと、生活雑音も聞こえてきた。
「おはよ」
カイの声だ。先に起きていたらしい。
「ハルさん仕事だよね?」
「そうだよ。起きるよ。おはよう」
「先にお布団横に避けてテーブルだけ戻しておいて」
二人分の布団を部屋に入れた。一つは自分のだから部屋に放り込めば良いのだが、もう一つはソファーベッド用だから押し入れに片付ける。土日関係無い仕事だから、折角来てくれたカイを、放置しておかなくてはならないのが忍びない。
テーブルを元通りにして洗面場に。カイの旅行用歯ブラシが残されている。コップとセットにして置きっ放しにしてやるのも良いなと思う。歯を磨いて髭を剃って顔を洗い、整髪料で髪を整える。今日は世間一般的に休日で、会議も無い。半分崩しても良いが、朝から崩れた髪型だと、忙しかったのか?と、たまにチェックが入る。
身支度をしている間に、戻していたテーブルの上には朝食が湯気を発てていた。朝からキャベツたっぷりの唐揚げ。もちろん食べる。しっかり食べておかないと動けなくなるのでありがたい。ダシのしっかり効いた卵焼きも好物で。
「適当に帰るけど、夕食の支度しておくから」
「助かる」
本心思う。
「明るいうちに帰れよ。でもって、いつでも訪ねてこい。昨日のようにきちんと連絡さえ入れておいてくれれば、部屋も自由に使え」
もっとも、自由に使えと言う限りは、常に自分の部屋に施錠しなければならないのだが。
「もう少し早めに判っていたら、ケーキも買ってきてやったのに。それは次回のお楽しみだな」
「楽しみにしておく」
おまけに、弁当まで持たせてくれた。もう、課長や係長たちに通い妻だとからかわれても全然苦にならない。むしろ本当の意味で通い妻になって欲しい。なんだか、溜まっていた疲れがすっかり取れた気がする。
十五時過ぎに、今から家に帰ると、メールが入っていた。春久の家からは居なくなるということ。
「気をつけて帰れよ。俺は出ていたので、今、昼飯を食べているところだ。弁当ありがとうな。土日は食堂も閉まっているから助かる」
返事が無いのはもう車に乗っているからだろう。そのうち到着したと返事もあるだろうから、それは気にしない。むしろ今は目の前の弁当だ。
「パン買ってきます!」
春久と一緒に出ていたメンバーが、そう言って足早に執務室を後にする中、机の前で一足先に仕事に戻れることもありがたい。
ラップに包まれたむすびが三つ。解した魚と大葉の混ぜご飯のむすび。天ぷらに、コロッケに、ウインナー。もちろん卵焼きもしっかり入っている。ラップだから手を汚さずそのまま食べられるため、食べながら目の前のパソコンにデータを入れられる。本当は書類を優先すべきなのだが、空腹には勝てない。その空腹を満たしつつ書類も作れる。むすび様々、一石二鳥。今パンを買いに出たメンバーもパンを咥えつつの書類仕事になるだろう。
「失礼します。ああ、居た。丹波さん」
制服姿の大塚だ。彼も休日出勤組のようだ。
「今から昼ですか?」
手元の弁当を見て、そうやって聞いてきた。
「今まで刑事課の面々と一緒に出ていたもので」
「それは大変です。で、そのお忙しいところに事務連絡で申し訳無いんですが、来週、うちの課長が丹波さんと話があると。災害時出動班に一人加えられないかとの事らしいんですけどね。
俺には詳しく話してくれないので、断ってくれても良いんですが、一応、丹波さんに話を持って来ないわけにはいかなくて。断る場合は、こちらの課長を通した方が良いと思います」
課長が春久チームの世話係になってくれているからだろう。春久たちは現場に出ていることも多い。なので課長が席に居てくれるのがありがたいし、さすが課長クラスともなれば、全員押しが強い。
「ああ、判った。ただ、しばらくはこちらの手も離せそうに無いんで、一段落付いてからになると思う。いつまで掛かるか判らないので来週すぐの話は多分無理だ」
「了解です。それぐらいなら課長に伝えておきます。もちろん、通常業務優先ですしね」
その大塚が弁当を見ている。
「指輪の相手ですか?」
「今朝、詰めてくれていたので」
「次(に会うの)は秋とか言っていませんでした?」
「まあ、ストレス解消はお互い様なので」
「大切にされてますね」
咳払い。カイの事を知られている戸野原や大塚にそんな風に言われると、何とも言えない気恥ずかしさが先に立つ。大塚のそれは軽口だと判っているのに。
「大塚さん、出勤ですか?」
災害時班の件で大塚が春久にくっついてくる事も多いので――元々生活安全課と交通課で関連が強いのもあるが、大塚も生活安全課ですっかり顔なじみになっている。
「そうです。今日はうちの班が担当なので」
「大変ですね」
「こちらの方が大変そうですよ。今頃、昼食ですよね」
「です。丹波長が班長も連れて外に出なくてはならなくなって、待機の係長も呼び出しです。先ほど帰られましたけど」
「お陰で、丹波さんの弁当拝見できました。美味そうですね」
「おお?」
その言葉に、春久の弁当が覗き込まれた。
「色とりどりで。ご自分で詰めてこられたんですよね?」
「いえ……」
目が泳ぐ。春久が詰めれば、そんな彩りなど考えたりしない。
「通い妻さんですか。今朝までお楽しみだったんですか?」
それには咳払い。相手が聞いているのが下世話な話だと判るので
「久しぶりに山ほど料理を作ってストレス解消して帰ったようです」
と、それ以外は何も無いのだと弁明。確かにツーリングだのキャンプだの大学だのと、お互いの仕事について詳しくは触れないまでも、いろいろ雑談も出来て楽しかったのだ。
「本当に料理がストレス解消なんですね。いつも美味い料理を食べさせてくれるの、日頃の研鑽の成果ですね」
大塚が一緒になって、料理のすばらしさを保証してくれた。
「で、これだけの弁当作るのにいつ起きですか?」
「起きたら出来てたんで、詳しくは……。キャンプの時は一緒に起こされて手伝うので、料理ができるまで全く目が覚めなかったのは本当に久しぶりですよ。旅館に泊まったとき以来ですかね」
「はは。丹波さんもお忙しいですからね。二人とも息抜きですね。あ、それじゃあ俺はこれで。二時間ほどで退勤になりますので、何か有りましたらそれまでにお願いします」
大塚は帰りの時間を宣言して、部屋から出て行った。
家に戻ると、フライパンに焼きそばが。ソースの匂いはどうしてこうも食欲をそそるのか。二人分は余裕でありそうなそれを、しっかり食べ尽くした。冷蔵庫にはそれ以外にもいろいろ詰まっていて、家を出る間際まで料理をしてくれていたのだろうなあと思う。やはり猫よりカイを飼いたい。
カイの料理のお陰でかなり英気を養えた。
「丹波。今年度に入って署長表彰二回目だな。貰ってこい」
「他の係長たちに……」
「もちろん係長たちの支えがあってこそだ。なので、金一封は全員で分けろ。表彰はお前が代表で受け取ってこいってことだ。何度も言うが、来年度からはお前が引っ張っていくつもりでいろ」
「判りました」
「ついでにお前の通い妻にもその報酬で何か買ってやれよ。お前の支えだろう」
「了解です。ケーキでも買ってやります」
もう、逆らわない。
金一封の十万は、係長五人で分けた。春久のところは二班だが、課長とカイの分もと、他の係長たちに気遣われた。全員で示し合わせて、各班に三千円程度の菓子を配り、残りは係長たちへの現金支給だ。
小さく首を傾げながら春久の手から箱を受け取ったカイは、「開けて良いぞ」と聞いて、包装紙を外し始める。
「マカロン!」
「お前が好きそうだなと思ったんだ」
「高いから自分じゃ手を出せない」
菓子の宝石と言われるだけあって、一口でなくなってしまいそうなあの小さな菓子が、たった三つ入って千円。確かに高い。
「うちの課長が、お前にも支えて貰ったんだろうってことで、金一封の中から購入しろと言われたんだ。ケーキの方が良いかとも思ったが、たまには毛色の変わったものも良いかと。ちなみに、マカロン? そいつの存在を教えてくれたのは戸野原さんの奥さんだ」
「戸野原さんにも御礼を言っておく」
カイはしばらく見ていたが、一つを取り上げ、口に運んだ。
「甘い。美味しい。嬉しい」
感動したようだ。カイが喜んでくれて春久も嬉しい。
「先に言っておくが、全部お前のものだ。俺は食わないから、遠慮無く食べてしまってくれ」
「判った」
それでもカイは、残り二つ入った箱を、丁寧に閉じた。そんなに喜んでくれるなら、春久の自腹も出してもう一つ大きめの方にしても良かった。カイの好みが判らなかったことも有り、今回はその三個入りにしてしまったのだが。
「ケーキとどっちが良い?」
「ケーキ」
即答されて思わず吹き出していた。うん。可愛い。
「だってこれ一個でショートケーキ一個食べられるんだよ?」
「そうだな。じゃあ、お前の誕生日にはケーキだな。でもって、たまのマカロンか?」
「やった」
にひっと笑う姿も癒やされる。来年のバレンタインはチョコ味のマカロンにすべきか? まあ、その前にも大学にキャンプ、ツーリングやドライブと、餌付けできるチャンスはいくらでもある。




