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今の距離

 翌朝、出勤の支度を終えると、

 「はい。ハルさん、お弁当」と、包みが差し出された。

 は? はあ? いや、良いのか? 新婚家庭か、これは? 焦りも加わって少しばかり挙動不審になってしまったけれど、咳払いして受け取った。

 「中身は?」

 「後のお楽しみ。俺も出るよ。送ろうか?」

 と言ってくれたので、言葉に甘えることにした。少しでも長く一緒に居られる。カイが自分の着替えの入った荷物を持って一足先に外へ。春久も急いで鍵を掛け、その後を追った。カイは自分の荷物を後部座席に入れるから、その間に春久も助手席に乗ってシートベルトをした。

 

 職場までの距離の近さが、少しばかり恨めしい。

 

 「気をつけて帰れよ」

 「うん。お世話になりました。またね」

 「弁当ありがとう」

 「仕事頑張って」

 シートベルトを外して外に出る。少し離れて立ち止まり、カイが駐車場から出て行くのを見送った。

 

 弁当は、春久が食べ損ねた惣菜パン。中身はきんぴらゴボウだったり、鶏の唐揚げだったり。心残りだったのに気づかれていたのか。サンドイッチとは違う。中に何が入っているのか不明なので、少しばかりワクワクする。子どもたちがじゃんけんして取り合っていた理由。

 「お、弁当、いつもの詰めてきただけ、とは少し違いますね」

 係長の一人が、そこでニヤッと笑って、

 「今朝副課長を送ってきたのが、噂の通い妻ですね」と口にした。

 見られていた。いや、やましいことは無いので見られていても問題は無いのだが。

 「熱々ですね」

 「これから家に帰るついでに、送ってくれただけです。そしてこれは、昨日のキャンプで、一緒にいた子どもたち優先で口に出来なかったからと」

 「判ってますよ、大事な嫁、周りには見せたくないですよね」

 だから嫁じゃないと……。もう、反論するのも疲れた。

 

 「明日からは今まで通り、適当にある物を詰めてきます。ああそうだ。クッキーも持ってきます」

 昨日買い物に行ったとき、小麦粉を二袋も買っていた。そんなに使うのかと聞いたら、使うと言う。そのうちの半分は目の前にあるパンになっていた。同じ小麦粉のはずなのに、袋の色が違うと思ったのだ。強力粉と薄力粉だと言われたが、料理をしない春久には違いは判らなかった。

 「丹波長の通い妻、見たんですか? どんな人ですか?」

 耳を欹てていたのか、班員が意気込んで聞いてきた。

 「そこまでは見てないな。降りた後、車が出て行くのをいつまでも見ていたから、名残を惜しんでいるんだろうなと思っただけだよ」

 「見たかったです」

 珍獣扱い? 勘弁しろ。

 

 「お疲れ」

 「お疲れ様です!」

 執務室に課長が入ってきた。彼は午前中休みで、今日は午後から。

 「どうした、集まって。打ち合わせか?」

 春久の机に数人来ていたのを指摘して。

 「違います」

 「丹波長の弁当の話ですよ。いつもと違うなと。クッキーは明日、だそうです」

 「連休だったからな。一緒に遊びに行ったついでに、料理もしていったのか?」

 「そうです。いろいろ満喫させていただきました。次は秋まで時間が合わないので、冷蔵庫も満タンにしてくれましたよ。次に引っ越すときは、もう一つ大きな冷蔵庫が必要かと考えています」

 「愛されてるなぁ」

 愛されてますとも実感してますとも言えない。男女の恋愛とは違うのだが、大事にされているし、したいと思う相手だ。近くに居れば楽しいだろうけれど、近くなら泊まり込みなんてしてくれない。そこがジレンマだ。

 

 「それより丹波、明日、こっちに来たらその足で本庁に頼む。会議もあるんだが、本庁の生活安全部に顔を出してくれ。秋以降のイベント関連の周知と、部長がこの夏で替わるらしくて、後釜が挨拶に来るようだ。来年異動する俺より、お前の顔を売っておけ」

 「判りました」

 「朝、クッキーは置いていけよ」

 「はは。了解です」

 課長の声掛けで、机の周りに集まっていたメンバーは自席に散った。春久はパンをくわえたまま、公用車の予約チェックだ。

 「誰かもう一人連れて行け。班員で構わない」

 「行きます。運転します。ついでに、副課長が本庁に居る間、前所属に寄って大丈夫です? 業務の件で不明点があるというので、一度行こうと思っていたんです」

 「判った。そっちも、行き先の書類だけは出しておけよ」

 「判りました」

 春久も自分の班長たちと話をして、後を任せなくてはならない。

 

 課長には、次に会うのは秋だと答えた。

 けれど、キャンプから二週間目には春久の家に居てくれる。少しばかり頬を膨らませているから、手放しでは喜べないが。

 春久は仕事帰り。カイから家を使っても良いか、料理をしたいと申し出があり、許可を出してのことだ。帰ってきたときには家の中に料理の匂いが充満して、人の気配。

 「ただいま」と言えば「お帰り」と出迎えてくれる。理由がなんであれ、カイがそこに居てくれることが幸せだと思う。前回期待したシチュエーションが、今度こそ再現された。

 焼き魚に山盛りサラダ、炊き込みご飯。仕事で疲れていた春久は、がっついて食べてしまった。

 食事の後、お茶を飲んでカイの顔を見れば、先ほどまでにこやかに笑って食事をしていたカイが、少しふくれっ面。何かしでかしたか? 食事は美味いと平らげた。後片付けは春久が後でやると口にした。いつもならそれで納得のはずなのだが。

 「カイ?」

 カイはソファーの上からクッションを取って、膝の上でギュッと抱きしめた。

 「何があったんだ?」

 「何もない」

 「判った。何もなかったんだな。で、突然の料理はプレゼントとして受け止めて良いのか?」

 「いいよ」

 「カイ」

 もう一度名前を呼べば、唇をへの字に曲げて、クッションに顔を埋めた。ああ、言いたくないのだなと見当を付けて、春久は立ち上がった。テーブルの上を片付け、食器をシンクに運ぶ。今のカイには何を言っても頑なだ。だから片付けをしながら見守る。

 

 片付けを終えて、いつの間にかソファーの下からソファーに移動していたカイの、隣に座る。ベッドにもなる大きさだから、男三人が余裕で座れる長さの、左右に分かれ、間には人一人分の空間。この空間が、カイが安心していられる距離だ。

 「大学の申し込みはしたのか?」

 「終わってる」

 それはそうだろう。もう八月だ。締め切りは過ぎてる。けれど、終わっているというのであれば、カイが拗ねている原因はつい最近の事だということ。

 「親と喧嘩したわけじゃないんだろう?」

 「してない」

 「だったら良い。家にお前の居場所がないのは困るからな」

 「……コンパに行った」

 はあ? コンパだ? 彼女が欲しかったのか? 驚いたけれど、もちろん顔には出さない。黙ってカイが言葉を紡ぐのを待つだけだ。

 

 「会社の先輩の強制。嫌だって言ったけど命令だって」

 「お前の? 以前、理不尽な上司を撃退してくれたんだろう?」

 首を振った。

 「新しく来た人。打ち上げ込みだって、でも俺、酒は飲めないから断ったら、先輩の言うことがって……」

 「パワハラか?」

 「ちょっと威圧的だったけど、他の人も行くのなら雰囲気悪く出来ないしと思って。そうしたら、打ち上げじゃなくてコンパで、数あわせに呼ばれたっぽい」

 は? なんでカイを数あわせ? 春久なら本命……思わず咳払いしてごまかしそうになったが、口にしたわけでもないのに咳払いはむしろ訝られる。

 「で? 女の居た席で、酒の無理強いされたわけじゃないんだろう?」

 「俺はバイクだからジュースって。飲み会に車で来るなって言われたけど、バイクがないと足がないんだから仕方がない」

 タクシーがなんて野暮なことは言わない。カイにとって仕事終わりのバイク移動は、ストレス解消の一端だ。

 「烏龍茶だけで済ませた。でもって、女の人たちの相手は先輩たちに任せた」

 「それで良いんじゃないのか?」

 カイの先輩たち。カイは高卒で就職だから、大卒で先輩なら、春久と同じかそれより年上になるだろう。だったら女の扱いぐらいちゃんとやるだろう。

 カイは大きく息を吸い込んだ。

 ああこれは、付きまとわれた。その場限りか、その後もかは不明だが、構われて、恐怖が勝った。カイの先輩ならカイの性格も判っているだろうに、もっと上手くやってやれなかったのか。

 

 春久は黙って立ち上がりカイの後ろ、ソファーの背側に立ってカイの頭に手をやった。くしゃくしゃと撫でてやり、ぽんぽんと叩く。

 「大丈夫だ。お前には俺が付いてる。俺にお前が付いていてくれるのと同じだ。吐き出せば聞いてやる。言いたくなければそれでも良い。お前が納得するまで付き合ってやる。平日に休みが取れるなら俺の休みに合わせてくれ。一緒に走るでも車で何か旨い物を食べに行くでも、だ」

 以前はそんなことをしていれば逃げられた。けれど弱っているカイは逃げない。それが今の二人の距離だ。掌にカイの温もりを感じながら、同じ暖かさをカイにも与えられると良いなと思う。暖かさという名の安堵を。それは以前、カイが膝枕をしてくれたのと同じ、『安らぎ』だ。

 

 「腕取られて、胸押し付けられるの、気持ち悪い」

 ぽつりと、聞き取れるかどうかぐらいの小さな声で吐きだした。

 遠慮ない女がぐいぐいと迫って、カイが逃げようとするからそれを許さないとばかりに、腕を引き寄せ「女」をアピールする。男も女も関係無く、カイにその距離感は絶望的、その場の雰囲気を壊さないように取り繕いはしたけれど、必死で時間が終わるのを待っていたのだろう。その場面が目に浮かぶようだ。だからカイの頭を抱き寄せ、自分の腹に押し当てる。

 「もう大丈夫だ。忘れれば良い。終わったことだろう? 付きまとわれたら言ってこい。権限駆使してやる。今度同じ事があればすぐに呼べ。たとえ遠くにいたとしても、近くの奴を向かわせてやるぞ? それぐらい、警部補まで頑張ったんだから権利で良いだろう?」

 「……ハルさんは……」

 少しだけ泣き笑い。それからしばらく、くぐもった声が聞こえてきたけれど、それは聞かないふりで頭を撫で続けた。


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