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生活音のする部屋

 インターフォンが鳴った。春久は顔を上げ、時計を見た。二十一時前。

 カイは鍵を預けてあるにも関わらず、黙って入ってくるようなことはしない。春久は急いで立ち上がって玄関に向かった。

 「こんばんは。来ることは伝えているので、大丈夫です」

 誰かと話をしている? カイの声なのは確認して、ドアを開けた。

 「入れよ。どうした?」

 「ん? ご近所の人。ほら、ハルさんストーカー被害があったから、心配してくれてるんだと思うよ」

 「お前の顔なんて、何度も見てるだろう?」

 「マンションじゃ、付き合いもまばらだろうからね」

 春久は、急いで部屋に入ろうとしているその相手に、頭を下げてから、カイを招き入れた。

 「鍵を渡しているんだから、それで入れば良かったのに」

 「ハルさんが居なければそうしたけど、部屋の住人じゃないのにそんなことしてたら、不審者に間違われるよ」

 そうなるのか。ひとまずカイの気遣いに礼を言って、部屋に上がるように示し、春久は鍵とチェーンをしっかり掛けた。

 

 玄関でライディングシューズを脱いでいるカイを見つつ、先に部屋に戻った。

 「何も食ってないんだろう?」

 「食ってない」

 「冷食で良いな? スパゲティを温めるぐらいだ。他には、前回お前が作ってくれたポテトサラダを解凍している。冷凍室から冷蔵室に入れただけだが」

 「ありがと。ご飯は炊かなかったの?」

 「むすびを作るかと思って、用意はしている」

 「じゃあ、スパゲティは良いよ。キッチン借りる」

 冷凍室から冷食を出そうとした手を止め、代わりに、カイのエプロンを引っ張り出してきた。カイは荷物を隅に置き、エプロンを受け取ってキッチンに。

 カチャカチャ、ジュウ、コトコト。生活音に思わず深呼吸をしたくなる。気づいて、机の上を片付けた。月曜からの管区の出張に持っていく書類を、仕上げていたものだ。

 「二十分待てる?」

 「もちろんだ」

 

 湯気を立てている白いご飯。それだけで準備をしておいて良かったと思える。厚焼きタマゴ、解凍していたポテトサラダ、鶏もも肉の香草焼きに、インスタントスープは各自選んだ。そう言えば、買ってきて冷蔵室に片付けておいた食材に、鶏もも肉も入れていた。買った後で冷凍室にも入っていたのを確認し、ミスしたかと思ったが、こうやってすぐに料理に使われるのだから、万事オッケーだ。

 「仕事片付いたのか?」

 「ちょっと残業が入ったけど、頑張った」

 そうか、頑張って終わらせてくれたのか。帰ってきたときに食事の匂いと「お帰り」の声が無かったのは残念だったけど、この言葉と笑みで帳消しだ。卵焼きが、だしのしっかり効いた春久好みなのも、幸せの後押しをしてくれる。

 前回のデイキャンプで戸野原は、カイに対しては、ルームシェアの話をしなかった。同居。カイが困惑するのが判っているからだろう。したければ春久に頑張れと言うこと。外堀を埋めるにしても、春久にしか働きかけることは無い。

 けれど……。カイの家庭状況を知っているのも春久だけというのもあるが、無理強いだと判っていて口にするつもりは無いのだ。なので、こうやってたまに顔を合わせて食事ができることだけで、十分だと思っている。戸野原にはヘタレだと思われそうだけれど。

 「後で天ぷらするので油の匂いが残ると思うけど、大丈夫? クッキー焼けば小麦粉が匂いを吸収してくれるはずだし、マシになると思うけど」

 「料理の匂いだろう? 大丈夫だ」

 「オッケー」

 カイのクッキーには消臭の意味もあったらしい。それは初めて知った。

 

 大学の授業は楽しかったし為にもなる。なによりカイと一緒に行動することに意味がある。

 カイが準備してくれた弁当は天むすに、鶏胸肉の大葉と梅干し挟み揚げ。チーズも入ってとろとろだった。思わず次回もとリクエストして、カイに笑われた。作った料理を美味い、もう一度食べたいと言われて、幸せそうだったし、そんな顔をさせられたことが春久も嬉しい。

 けれどたった二日間。また長期休暇を使って、ロングツーリングに出たいものだ。

 

 管区に行けば、今度は、そろそろ足を抜く準備をしたいと口にして

 「だったら骨のある下を育てろ。下と言ってもお前より年上が殆どだが」

 と、あっさりいなされてしまった。課長にも言われている。管理職として成長するためにも、下を育てろと。当然班長の中から。

 「頑張ります」

 「居残りするような奴が現れたら、お前は放免してやる。ただし、不正は無しだぞ」

 警部補初期研修の居残りシステムなどについては、一切口外してはならない。もちろんだ。それをすれば公平な判断は出来ないし、どうせぼろが出る。春久の信用問題にも関わる。

 管区で三日過ごして家に戻り、事務所に顔を出せたのは木曜日の夜。出勤は金曜日からで良いと言われていたのだが、課長に取り急ぎ渡す物もあったのだ。

 

 「調味料の礼だそうです。さっき家に戻ったその足で取って来ました。家に置きっぱなしでしたけど、律儀に乾燥剤入れてたようなので湿気てはいないと思うんですけどね」

 そう言って、袋に入ったクッキーを、課長に渡した。

 「先週の土日は一日中大学だったんだろう? ゆっくりしているかと思えば」

 「貰いっぱなしにできるような奴ではないので。それにクッキーは最初から作るつもりだったようで、金曜の夜に仕込んで土曜日の夜、焼いていたんですよ。管区への出張が入ったのでお渡しするのが遅くなりました。今回はジャムを使ったらしくて、俺のは無いと言い切られました。前回のがまだ残っていたのがバレて」

 

 課長は春久の顔を見ている。それからしかめっ面を装ったが、口元は緩んでいる。どうやら笑いを堪えているようだ。

 「仲良くしているなら良い。お前の精神安定剤になっているのなら」

 「そうですね。泣き顔は見たくないので安全第一で。無理をしなくちゃいけないときは、そうも言っていられないんですが」

 「出世すれば机の前だぞ」

 「上を目指すことは止めませんけど、現場を知らないと指示も出せません。俺はそんなに器用じゃないですから」

 「本音は?」

 「格好付けたい? いざというときに動ける男でありたいと」

 「ははは。確かにそれは格好付けだ。そうだなぁ。お前はキャンプ場で窃盗犯捕まえた実績もあるしな。なにより、災害時には先頭で走らなくちゃいけないんだ。今よりもう少し現場に出て良いぞ」

 「そうさせていただきます。それでは俺はこれで。帰って家の片付けをしないと。他のメンバー分は明日持ってきます。課長が明日からお休みだったので、取り急ぎ返礼分だけ持ってきたので。では、お先に」

 「お疲れ様でした!」

 部屋に残っているメンバーの声が送り出してくれる。課長の言う通り、もう少し現場に出て、現場の勘と体力を取り戻さなくては。

 

 

 「四連休!」

 電話の向こうで、カイはにこやかに笑ってそう宣言した。

 「早めの盆休み兼ねて。お盆って祝祭日じゃないからね。あくまでも休みにする企業が多いってだけであって官公庁も開いてるし。だから誰かがそこに出勤しなくちゃいけないんだけど、それに手を挙げたんで、こっちで多めの休み取れる。もう一日余ってるんで、どこかに走りに行くつもり」

 こっちでとは、山頂キャンプの日程に絡めてということらしい。それは何よりだ。

 

 「前日泊させてくれるなら、荷物置いた後で買い出しに行って、下準備と、荷物の積み込み。ダメならこっちで買い出しだけしておく」

 「いや、来てくれて全然問題ないんだが。最終日もこっちに泊まれるのか?」

 「家に戻って翌日片付けしようかと思ってるけど。ハルさん仕事でしょう?」

 「お前が問題無ければ、その日も泊まりで良い。そうすればキャンプ場も少しゆっくりできるだろう? しっかり寝てから帰れ。俺も居るとは思うが、出ていたら、鍵を渡しておくんで、掛けて帰れ」

 「ん~。考えておく」

 一考の余地はあるらしい。ならば良いか。

 「お前の作るクッキーを楽しみにしているメンバーも多いからな」

 もっとも、クッキーを出すとカイが泊まりに来ていたのがバレるので、最近は温かい目で見られてしまうのだが。ただ、少なくともストーカー関連は無くなった。

 災害時特別班の関係でちょくちょく執務室に顔を出すようになった大塚も

 「丹波さんの指輪が制御になって、表立って紹介してくれというのはいなくなりましたね。後、クッキーの話が有名で。彼女が泊まりに来ると丹波さんがいそいそとクッキーを運んでくると。それぐらいべた惚れの相手がいるのではと、諦めたようです」

 と説明してくれ、春久は急いで咳払いをする羽目に。

 もちろんカイにはそんなことは言えない。大塚にも、間違えてもそんなことをカイの耳に入れないでくれと、念押しをしている。

 

 カイが家に居る。以前は下から提出された書類の確認などの仕事をするため、寝室に籠もっていることの多かった春久だが、最近はその仕事を居間でやっている。部外者に見せるわけにはいかない書類ではあるが、カイはパソコンの画面を覗き込んでこないし、なにより楽しそうに料理をしているその姿に、癒やされるのだから。

 「ハルさん、二人前ぐらい食べるよね?」

 「食べるが」

 「オッケー」

 それでまた料理に熱中する。一緒に暮らせば毎日好きなだけ料理して良いんだと言うべきか? いや、カイは家を出ないと言っていた。それに変更は無いだろう。

 「冷蔵室に明日のキャンプ用の肉入れているから、朝忘れないでね」

 「保冷バッグを見れば気づくとは思うが。忘れないようにしておく」

 夕食と一緒に翌日の料理の支度。戸野原の息子たちも自分でできる料理を考えると言っていたから、今頃母親と一緒にあれこれ支度をしている頃か。

 

 「ハルさん、テーブルの上片付けて」

 カイのお呼びが掛かったので、急いでデータを保存して、ノートパソコンの画面を閉じた。そのまま寝室に放り込み、テーブルの上を、渡された布巾で拭き上げる。カイが次々と皿とカトラリーを運んでくれた。

 冷やし中華。キュウリや薄焼きタマゴ、ハム、ミニトマトが彩りよく載っている。春久の方が多いのはいつものこと。それ以外にサラダと今日は酢豚。酸味が多い。夏は食欲をなくしやすいからと、そんなところも気遣ってくれるのがカイの居る食卓だ。

 冷たい麺に絡むタレは酢の物ほど酸味がキツいわけではなく、辛子がアクセントになっている。甘くもないが、カイの味だなと思う。酸味があると野菜の水分を取って薄まるかと思ったのだが、最後まで味がぼやけることがなかった。コツを聞けば、キュウリやトマトなどはあらかじめ薄い酢水に浸けておいたらしい。そんな気遣いも嬉しい。

 「美味い」

 口にすれば幸せそうに笑ってくれる。だから春久も頬が緩む。

 

 「来月になればまた、面接授業の申請だな」

 「だね。早い」

 一度大学卒業の肩書きを得たからか、なんとなくではあるけれど余裕が出来た気がする。授業も単位よりも自分の興味趣味を優先するようになった。

 「キャンプから帰ってきたら、どれを取るかしっかり決められるな」

 それは、カイが後泊をすることにした利点の一つ。春久は待機込みなので緊急時には出てしまうのだけれど、それは、呼び出されるような事件がなければ家でゆっくりできるということ。カイが酒を飲まないから春久も飲むつもりはないので、それも丁度良い。



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