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突撃回避

 「生活安全課の中央エリア係長ってことは我々や、所長にも命令を落とすこともありますよね?」

 「えっ!」

 隣で聞いていた若い男が、急いで口を押さえた。そこまで深い関わりがある相手だと気づいていなかったのだろう。考慮することすらしていないと言うか。春久は気づかない振り。

 「今回のようなことが起きれば、現場組には頭が上がりませんよ。陣頭指揮を執る時には下に付いていただくこともありますが、やはり現場で足を棒にしていただいてこそ、ですから」

 「出世組だと、うちの所長も言ってました。それから辻褄が合わないところも多々有りましたが、この女にとっては全く知らない相手って事も無さそうなんですよ。本庁在籍期間中、部署は別ですが一年ほど重なっていますので、その時に見かけるか何かしたんじゃないかと、これはうちの判断です。かと言ってそれは丹波さんに責任は無いですし」

 

 「結婚して退職しているんですよね? 今回は出産なんかが落ち着いての臨時職員としての復帰じゃ無いんですか?」

 春久の方が聞いてしまった。今では結婚や出産に伴う退職も少なくなった。特に女性は一年近い産休が取れる。なので産休を取った後、警察職員として復帰できる。けれど、結婚や出産で退職して、子育てが落ち着いた後で臨時職員として復帰する人も、当然ながらいる。

 「あ……。離婚してますね。本人曰く、バツイチどうし解り合える事も有ると、それも押しかけの理由にしています。丹波さんが離婚経験者だってことを知っている人が少なくて、そんなプライベートを知っているのだから、それなりに親しいんだろうと、一回目の時にすんなり帰らせてしまった理由ですね」

 「私の離婚は、十年も前ですよ」

 それに関しては言葉短く答えた。

 「そちらの課長から伺いました。丹波警部補の経歴を頂くときに。おしゃべりスズメの首根っこは捕らえると仰ってましたが」

 「今は友人たちと楽しくやっていて、不自由も感じていない。当然女に慰めてもらう必要も無く」

 「ああ、まあ、そうですよね。おまけに今年から災害特別初動班の班長ですし。節操ある相手、選べますよねぇ」

 「そんなことは」

 節操ある「女」ということだろう。春久の立場なら、無理にバツイチを選ばなくても、選り好みできると言いたいようだ。選り好みどころか、今は結婚に煩わされていたくない。そんな時間があれば仕事にのめり込んで遊びも満喫したい。

 

 「うちの嫁、交通課なんですけど、なんでも、新しく来た班長が丹波さんの災害特別班に加わりたくてわざわざ異動してきたんだ、うちの所轄では丹波さんが一番の人気株だ、と騒いでましたね。下に付く娘たちが暴走しないように押さえておけとは言っておきましたけど。丹波さんが今回の被害者だって知ったら本人が暴走しそうなので、家の中じゃ一言も漏らせません」

 それには春久も苦笑せざるを得ない。

 「後ですね、男の一人暮らしじゃ栄養が偏るから、料理してくれる相手が必要でしょう、下心なんて無い、とか言ってましたけど、信じられませんよねさすがに」

 男は調書をボールペンの尻で叩きながら言う。押しかけてきた女の言い分なのだろう。なので余計なお世話だときっぱり否定しておく。

 

 「料理してくれる相手、いますよ」

 「え? そうなんですか?」

 相手は驚いたように春久の顔を見た。

 「仕事持ちなので、こっちにずっと居られるわけではないのですが、土日で冷蔵庫を満タンにしてくれましたよ」少し考えて「課長も知ってます」と、付け加えた。

 そばで聞いていた若い男が、先ほど避けたクッキーの袋を引っ張り、

 「丹波警部補に頂きました。手作りクッキーの差し入れです」と。

 

 「そのクッキー、うちの課長も気に入ってます。なので課長は私の食生活は心配無いなと、安心してくれています」

 「そうなんですね。ああ、だったら尚更、この女の言い分はおかしい。立件しますか?」

 「先ほども話をさせていただいていましたが、生活安全課に回してください。そこで対応を考えます。今すぐ被害届を出すと、課長に頭を下げさせることになるので、それは避けたい」

 相手が庶務課所属とはいえ、生活安全課の執務室で仕事をしている。となれば、庶務課課長と生活安全課課長、二人が頭を下ることになる。

 「でしたら、この調書も一緒に上げておきます。女の詳細な経歴と調書のコピーは、ひとまずそちらの課長が持ち帰られました。一部黒塗りになっている箇所があるのは申し訳ないのですが。必要ならもう一部コピーします」

 「いえ。課長が持っているのであれば。多分個人情報の悪用ということで、少なくとも懲戒案件になるでしょう。まずは警察の紐付きを外さないことには」

 「業務上知り得た情報の……ってことですね。確かにそうですね。三度目があるようならその時は」

 「立件していただきます。その時は皆さんのお世話になります。なにせ、こちらの担当エリアなので」

 「判りました。ご自宅は重点巡回エリアに組み込んでおきます。何かの時にはすぐに飛んでいけるように」

 「ありがとうございます」

 春久は立ち上がって、目の前の男と握手を交わした。

 

 「丹波さんは今日はお休みでは?」

 「先ほど戻ってきて、待機中です。こちらで事案の処理をしてから事務所に顔を出そうかと」

 「ああ、これもお仕事の一環ですね」

 「いえいえ。皆さんのお仕事の邪魔をさせていただくついでに、状況確認ということで」

 

 にこやかに話をしているときに電話が鳴った。断ってスーツのポケットから業務用電話を引っ張り出し、通話ボタンを押した。

 「はい。丹波」

 「丹波長、今どこにいらっしゃいます? 地元に戻られていますよね? 先ほど電話を受けてうちの係長が帰ったし」

 「帰ってるよ。交番に来て、話を聞いているところなので」

 他エリアの班員からの直電話だ。緊急時にしかあり得ないルートなので、春久の中で少しばかり緊張が走った。

 「ああ、家にいらっしゃらないんですね」

 「どうかした?」

 「丹波長の家を訪ねたら、居なかったって。なので事務所に差し入れ持ってきたって」

 電話を受けたときとは別の意味で、眉を顰めていた。それから交番の面々を見回す。電話をスピーカーモードにした。

 

 「誰が? そもそも俺の自宅なんて、公表されていないはずなんだが」

 危機管理の一貫として。警察官なんて、逆恨みが無いわけじゃない。他の公務員と違って異動詳細がオープンにならないのも、同じ理由が強い。

 「庶務の女子ですよ。丹波長が今日戻ってきてるはずなのに、留守だからって」

 溜息が出る。

 「今日はこのまま交番で話をしているよ。緊急時にはすぐに出られるようにしているから。それから悪いけれど、俺の行動先は課長以外には極秘で」

 「目の前で聞いてますけど」

 思わず咳払い。

 

 「それを拙いと思わないのかい? 危機管理がなってない! 庶務は管理職以外は基本一般人と同じ扱い、勤務時間外は受付以外の庁舎内、立ち入り禁止だ」

 声を荒げて見せた。相手は急いで「うちの庶務が、気を遣ってわざわざ差し入れを持ってきたって」と言い訳をしているが、

 「極秘で動くこともあるんだ。特にこんな夜分は!」

 怒ってみせ、即電話を切って、目の前にいる三人の男に首を竦めて見せた。スピーカーから流れる音に、逐一状況を聞いていた三人も一様に、顔を顰めている。補導されて交番でもさんざん注意されただろうに、舌の根も乾かない、二日も経たないうちに、待機の相手にまで押しかける無神経さ。

 

 「話を、係長以上にしか知らせていない弊害ですね。もっとも、電話をしてきたうちのメンバーに関しては同情の余地は無さそうですが。明日は別室に呼んで厳重注意です」

 「緊急で業務いれますんで、裏口で待っていてください」副所長は春久に対してそう提案した後、交番の二人に向かって「パトカーを出す。相方は丹波警部補で、理由は巡回」と、伝える。

 「まさか自分が連行された交番にまで、とも思いますが、面の皮厚そうなので、裏口から避難してください。制服に着替えてきます。その間に、急いで丹波さんを裏口に案内して」

 「は!」

 

 言われた通り裏口で待っていれば、制服をぴっしり着込んだ男が、指にキーホルダーを引っ掛け、くるりと回して見せた。一緒にパトカーに向かい、それに乗り込む。春久が助手席だ。

 「お待たせして済みません。一応所長に連絡して許可を貰う必要があったので」

 「こちらこそ、申し訳無い」

 「間一髪でしたよ。自分が最低限の書類のみ済ませてパトカーの鍵を掴んだところに、女が入ってきました。で、一通り中を見回して、丹波さんの姿が無いことを確認したのか、すぐに出て行きましたけど。金曜日に対応したばかりなので、顔は判ります。先ほど居た若い方も、調書作成には参加したので顔を知っていて、今度は何を言われるんだと及び腰でしたよ。口だけは達者でしたから、あの女」

 「クッキーの差し入れじゃ足りなかったですね」

 「はは。ものすごいのに見込まれましたね」

 「厄払いでも行かないとダメですかね」

 「男の厄年には、まだ早いでしょう?」

 「十年ほど」

 「ははぁ。若く見えるんじゃなくて本当に若いんでしたね。若くて警部補で係長。例え結婚してないとしても、既に特定の相手、いるでしょう、普通。それに押しかけるなんて怖い物知らずだ」

 特定の相手と言って良いのか? カイを……。けれど、ちゃんと考えれば確かに特定の遊び相手ではある。友人より親友。少しばかり父性込みで。

 

 途中課長に一報を入れた。課長も頭を抱えつつ、運転手を買って出てくれた相手に対して、春久の上司としての礼も言ってくれる。

 「待機中だからな。持ち場から出るなよ。それさえ守ればどこに行っても良い。明日は昼から出てこい。事件が金曜の夜だったこともあって、週が明けてからにしようと思っていたんだが、今から本庁の人事に掛け合っておく」

 春久は腕時計を確認した。針は深夜を指していた。

 「明日で大丈夫ですよ。このまま事務所に入って、会議室借りて仮眠取ります。内側から鍵を掛けて」

 本庁の人事担当も、早い人なら寝入りっぱなだろう。そんなときに起こされて、まともな判断ができるかと言うと……。春久がその立場だとしたら、まずは起こした人間に「そっちで対処しろ」と、恨み節が出そうだ。

 「そうしろ。今日は家に戻るな。お前を見つけられなくて家の前で張り込みでもされたら事だからな」

 「判りました」

 今日の執務室での泊まり込みについては、課長の許可を得た。

 

 仕事を忘れて楽しんだ、カイとの大学授業兼用のツーリング。それから、カイが大量に作ってくれたクッキー。

 「俺の幸せ、壊されてます?」

 「は?」

 「金曜からこっち、あの女の件がなければ、月曜からの仕事のための英気、養いまくりだったんですが」

 職場にクッキーを持っていき、課長には通い妻に料理をたっぷり作ってもらったのかと問われ、通い妻じゃないと否定しながらも料理が溢れているのは事実で……。少しばかりにやけて、それを係長たちに指摘され……。そんな小さな幸せが遠ざかっていく。

 「はは。そりゃ、うちの所轄全体の士気に関わってきますねぇ。特に女子たち。いつもぴっしりしているところが良いと、若くてやり手だって評判なのに、その警部補がヨレてちゃ。それじゃあ、パトカー置いてきますか。着替えたら、所轄本部までお送りしますよ。足で。そのまま家に戻ります」

 送ってもらうほどの事はないのだが、一人でいるより二人並んでいる方が、相手を袖にしやすい。その気遣いが判るので、礼を伝えた。


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