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おくびょう猫

 春久は元の位置、カイを見られる正面の床に座った。

 カイは赤くなったり青くなったり、口をぱくぱくさせている。そこで後押しをしたのが、ソルト。カイの足に前足を載せ、肉球でムニムニと押し始めたのだ。

 カイはその頭を撫でた。

 ゆっくりと息を吐き出して、春久を見た。春久の心臓が大きく跳ねる。仕事の時より緊張する。

 

 「誰かと付き合う気は無いよ。付き合えない。そんなのハルさんが知ってるでしょ」

 「お前が人との距離が遠いのは知っている。でもな、戸野原さんや大塚さんたちとは、普通に付き合えるだろう。仕事だって」

 「仕事は仕事だよ。余計な話はしないし、最近は在宅も多くなったから。それに戸野原さんたちは、ハルさんが紹介してくれたんだよ。気を遣ってくれること判っているから、俺だって、そんな人無碍にしないよ」

 春久は立ち上がり、二人の食器を重ねた。

 「あ……」

 春久はカイを手で止め、「洗い物ぐらいさせてくれ」と立ち上がり、二人分の食器を持ってキッチンに立った。ソルトが春久の足下にやってきたからかカイはクッションを抱きしめて、それでも逃げようとはしない。少し安堵した。とはいえ、来週本当に来てくれるのか、そっちはまだ気になっている。

 「来週、チョコケーキで良いか?」

 返事は無い。顔を上げると、カイは抱きしめたクッションに顔を埋めていた。

 二人分の食器だ。カイは料理をするときに可能なものは洗ってしまっている。だから残っていた鍋一つも一緒に洗って食洗機に入れ、乾燥のボタンを押した。

 

 カイの座っているソファーの反対側に座る。ソルトが付いてきて、ひょいとソファーに上がり、春久とカイの間を行ったり来たりする。春久が撫でてやれば、その下に寝転がって、もっとと催促まで。

 

 「異動前、課長に言われたんだ。お前もいい歳だから、誰かと付き合ったり結婚したりする事もあり得る。俺はお前とのこの関係を失いたくない。お前が居てくれての今の俺だ。そんなこと、課長や戸野原さん達に言われるまでもない。お前が他の奴と付き合う気が無ければ」

 それで一息吸い込んだ。

 「お前も指輪付けないか?」

 それにも返事は無かった。

 「今まで通り、通ってくれればソルトも喜ぶ。お前の家の事情も知っているから、通う以上を求める気も無い。いつか、リタイアした後、ゆっくりと二人で暮らせるようになれば良いなとは思っているが。キャンプもツーリングも一緒に行きたいし、大学も、またお前と一緒に面接授業に通いたい」

 

 無言のカイをちらっと見て、春久の手で遊んでいるソルトを見る。

 「俺が指輪でガードしたように、お前も指輪でガードできるかもしれないだろう? お前をコンパになんて言われても、指輪の相手が居るからと、断れる。その指輪の対になっているのが俺の指輪だと俺は嬉しい」

 ソルトから手を離し、ソファーの上に膝を突いてカイに体を寄せた。カイは身動きしない。だから春久はカイに覆い被さるように体を動かし、その頭にキスをした。カイがびくりと動く。もう一度頭にキスを。

 クッションから見えるカイの耳元が赤くなっている。

 「たまに、こうやって髪にキスさせてくれるともっと嬉しいんだが。そうだろう、ソルト」

 自分も遊んでと近づいてきたソルトをすくい上げ、その頭にキスをする。カイもソルトも同じ猫科小動物だとばかりに。

 

 しばらくカイの頭にキスを続けた。カイは観念したのか、それとも固まっていたのか。春久の好きにさせていた。

 

 「うにゃ」

 ソルトがソファーの背に登って、自分も構ってくれと、カイの頭に両足を載せた。

 「ソルト痛い」

 とうとうカイが声を出した。カイの頭を肉球で揉み揉みしていたソルトの、爪が引っかかったのだろう。

 「ソルト。カイに怪我をさせるなよ。爪切りしてもらってたんだろう? ほら、見せてみろ」

 カイから離れ、ソルトの前足を掴まえる。それを、まだクッションを離そうとしないカイの前に差しだし「見てやってくれ」と言えば、カイはようやく顔を上げた。

 「来週、チョコケーキで良いんだな? お前が来ないと俺もソルトも食べないぞ」

 カイはクッションを持ちあげようとするモーションをしたが、春久の腕の中にソルトが居るのを見て、止めた。本当はクッションで春久を叩きたかったのだろうが、クッションを放し、春久の両肩を押さえて離れろと仕草で示す。そんなことで動じるような鍛え方はしていないのだが、少し体を離して、座った。

 「指輪、見に行かないか? 俺のと同じ奴なので、サイズだけだな」

 「い、い、行かない!」

 「カイ」

 「だ、第一、ハルさん待機でしょ!」

 「あ……と言うことは新しい課長が来てからか? そうすれば、一日は待機の外れた連休を取る事はできる」

 嫌だと言われなかったことににやける。可愛い。かと言って、これ以上迫ることは止めておく方が良いだろう。

 「チョコケーキとチーズケーキとショートケーキ、どれが良いんだ? バレンタインだからチョコかと思ったんだが」

 ここはなんとしても、カイの口からケーキのリクエストをさせたい。自分がリクエストすれば、来ないと言うことは無いだろうから。

 

 

 夜は予告通り水炊きを作ってくれた。大根おろしと紅葉おろしを作るのは、春久の役目だった。

 ソルトはできたての鶏肉を茹でたものを貰って、バグバグ食べていた。それに合わせて、水炊きの肉は鶏肉だった。一つの鍋を直箸で突くのは、男同士だからと思っていたが、カイを特別な目で見るようになると、家族だから、なんて思ってしまう。

 「にゃあにゃあにゃあ」

 「ハルさん、猫にエビ食べさせて良いかどうか、調べて」

 言われて急いでスマホを使って調べた。

 「生でなければ良いようだけど、ネギがダメだからな。水炊きで茹でたエビはダメだろう」

 水炊きの具材には、太ネギも入っている。

 「そっか。ソルト、ダメだって」

 カイがくれないからと、今度は春久にすり寄ってきた。

 「うちの娘、食い意地張りすぎだろう」

 再びカイに。カイと春久の間を行ったり来たり、良い匂いがするものを食べさせてくれと。

 

 カイは立ち上がって、まだ生のエビを一匹掴んだ。キッチンに立ってゴソゴソ。コンロに火を付ける音がする。ソルトはそそくさと付いていく。

 「ソルト、まだ熱いからダメだって」

 皿の上に、一匹だけ茹で上がっているエビ。

 「ソルトを甘やかせすぎじゃないのか?」

 カイは返事をせず、小さく切りながら口で吹き冷ましている。ソルトはテーブルの上に手を伸ばしても、テーブルには上がらない。ダメだと、しっかり覚えた。その代わり見えない場所にある皿をカツカツと爪先で引き寄せようとしている。

 「ソルトこっち」

 カイが立ち上がってエビを餌に載せたから、ソルトは急いで飛んでいき、一口食べて熱かったのかすぐに離し、また噛みつきとして、あっという間に茹でたむきえびを食べてしまった。

 「俺たちと同じものを食べている気になったのか?」

 「そうかも知れない。エビいただき」

 カイは水炊きに沈み込んでいる殻付きエビをつまみ上げ、自分の皿に。皮を剥いて美味しそうに食べている。春久もそれに釣られて、同じように食事の続きを始めた。

 「で、ソルトにチョコはダメなんだが、お前はチョコケーキで良いのか? ソルトが爪を立てて食べないとも限らないが」

 「抹茶ケーキ」

 しつこいほど繰り返して、観念したのか、ようやく、カイが自分の希望を口にした。

 

 「ソルトが食べないよう、小箱に入ったチョコはどうだ? 時期的に結構高級な奴が入手できるぞ」

 「……キスしないなら」

 しばらくの沈黙の後、小声で返ってきたので、即答した。

 「は? するが?」

 「ハルさん!」

 「お前みたいな臆病な猫、たくさんキスをして安心させてやるよ。俺の隣が一番安心だと知らしめてやる。お前とソルト、両方共に、だな。ソルトの方が既に慣れたようだけど」

 満面の笑みを見せれば、カイが小さく膨れている。それもまた春久にとっては可愛いと言うことを、判っていないのか。

 

 カイが雑炊を食べている間に、春久はビールを持ってきた。とはいえ、待機なので、ノンアルコールの奴だ。ノンアルだけど久しぶりのビール。

 「指輪のサイズ教えてくれ」

 「やだ」

 「判った。だったら調べる」カイが急いで指を隠すから「今じゃない。そのうち、だ。少なくとも数ヶ月は家と職場の往復しか出来ないからな」

 言いながら、カイのくれたタンブラーにビールを入れる。泡立ちが懐かしいとすら思う。それほどまでにご無沙汰だった。春久のくつろぐ姿を見てカイも安心したのか、雑炊の続きを食べ始めた。

 

 具体的にいつ、とは言わなかったから油断したようだ。数ヶ月後には、揃いの指輪を買いに行くと言うことなのだけれど。かといって、それでカイの指を見つめてニヤニヤしていれば、絶対に警戒される。それはさせない。ポーカーフェイスを気取るのはお手の物だ。黙ってビールを空けた。

 「ハルさんはもう食べない?」

 「あ……どうするかな。食いたいけど、久々のビールだから、良い気分になってる。明日の朝、食うよ」

 「判った。じゃあ、このままコンロの上に置いておく。明日の朝温め直して溶き卵を入れるよ」

 「旨そうだな。そんな話をされると、今から食いたくなる。けどまあ、明日の楽しみにしておく」

 「オッケー」

 エビまで貰って満腹になったのか、ソルトは再びテーブルの下を通って二人の間を行ったり来たり。カイに遊んで貰ってころころ転がったり。

 「俺は飲んでいるんで、風呂に入ってくれ。洗い物はしておく。で、ついでにソルトが洗ってくれと言ってきたら、磨き上げてやってくれ。それから、今日からお前の部屋で寝てくれ。ソルトを連れて行って構わない」

 「判った」

 

 カイがテーブルの上を片付けてくれ、春久の前に新しいノンアルコールビールを置き直してくれ、風呂に行った。ソルトはまだ自分の番ではないと判っているのか、ソファーの上でごろりと寝転がっている。春久もビールを持ってソファーに座った。ニュースを見るためにテレビを付けた。

 新聞は職場で見ているが、テレビの方が判りやすいニュースもある。報道番組だと解説まで付いている。

 

 「ハルさん、ハルさん。明日お休みならお風呂明日で良いんだから、部屋で寝て」

 ノンアルコールでもビールというものは気持を緩ませるらしい。カイと久しぶりに会えたことの安堵感も大きい。指輪の話、来週も会える約束、これからもキスをする宣言をきっぱりと断れなかったこと、それらが重なって、ソファーで寝ていた。目を開けるとソルトを抱き上げているカイが目の前に。

 「ああ、悪い。アルコール入っていないから、風呂に入る」

 折角湯船に湯を張っているのだから勿体ないと、体を起こした。ソルトの頭を撫でる。

 「綺麗にして貰ったか? 気持ちよかっただろう?」

 ソルトは大人しい。目一杯愛情を掛けられていることを知っている。特にカイは、この家に来るたびソルトと遊んでなで回しているのだから。

 春久はカイに確認してから、テレビを消した。いつの間にか報道番組は終わっていた。


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