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挨拶

 「戸野原さんところでの年越しどうだった? ソルトは良い子にしていたか?」

 「うん。戸野原さんのところで自分の姉妹に会って、まだ二十日も経ってないからね。最初は警戒していたけど、すぐに一緒に追いかけっこしはじめた。俺は奥さんの手伝いをさせてもらって、年越しそばとか作ったりしていた。大塚さんところの奥さんと子どもたちも来て、賑やかだったよ」

 

 「ああそうだ」

 カイと会話をしつつ少し思い出した春久は、立ち上がって、テレビラックの上に置いていた年賀状の束を持ってきた。当然ながらカイは、ポストは触らない。春久も戻ってきて見る時間も無くて、ゴムでまとめたまま、そこに置いていただけだ。

 戸野原や大塚にも出しておいた。毎年来ていたから、今年も来ていると思う。もちろんカイからも。

 ソルトは、再び座った春久の、組んだ足の上に乗って丸くなった。

 

 ソルトを撫でながらたまにおせちを抓む。ここでビールがあればとも思うが、この後仕事だ。かといってカイにビールを勧めるわけにもいかない。カイがアルコールを好まないのもあるが、春久が仕事と判っていてその目の前で飲むようなこと、絶対にしない奴だから。

 お茶を飲みつつ燻製品やら刺身やら。抓みつつ、年賀状をめくる。

 「ほら」

 戸野原からの年賀状を見つけ、カイの前に置いてやる。春久が年賀状を見始めたから少し手持ちぶさただったカイは、それを受け取ってひっくり返した。

 宛名には丹波春久様、秋津海様と書かれていた。カイの住所は戸野原にも伝えていない。何か有れば春久を経由すれば良いからと、それが暗黙の了解。それを思い出し、カイが居る間にと思って、年賀状をチェックすることにしたのだ。

 「大塚さんからもだ」

 カイと春久連名。

 「来年の年賀状、ソルトの写真も良いね。あ、もちろんハルさんのお友達関連だけね。俺もソルトの写真使おうかな」

 ソルトは絶対にテーブルに上げない。衛生面もあるけれど、そこにある人の食事を食べて中毒などを起こすことも心配している。なので名前を呼ばれたソルトは、ソファーの上からカイの膝に前足を乗せ、おやつをくれとにゃあにゃあ鳴いて催促している。

 

 茹で鶏胸肉の解した物を与えられて、ソルトは嬉しそうにバグバグ食べる。餌は必ず餌皿の上と、ソルトの食べるところは決めている。そんなところはカイがきっちり躾けている。カリカリの上に鶏肉を置かれたから、おやつと餌、両方食べて大満足のようだ。

 「ソルト、食べ過ぎは気をつけてね」

 「うちの娘は食べるのが好きだな」

 「好きだよね。そのうちハルさんの南蛮漬けの上前をハネるようになるかも」

 ピリ辛唐辛子を利かせた物は無理でも、焼いた魚は狙われるかもしれないと。

 「それは反対だ」

 「ははっ」

 満腹になったソルトは、いつもの通りキャットタワーに登ってそこに敷いている毛布やタオルをムニムニと押しつつ、あくび。

 「ソルト~」

 ここは運動してからだろうと、カイが小さなおもちゃの鈴を鳴らして注意を引き、それをぽいっと投げた。

 ソルトの動きは速かった。降りるのはソファーからと決めているらしいソルトは、キャットタワーからソファー、床と二段飛びであっという間におもちゃを掴まえている。抱きかかえてガシガシと噛みつきながら猫キックの応酬で。春久が先ほどもやられた奴だ。

 「ソルト釣れた~」

 カイがおもちゃに付いていた紐を引っ張る。子猫のソルトは、そのままするするとカイの方へと引き寄せられる。

 それを見つつも春久は年賀状の続きを見る。内容を見るのは後にして、ひとまず友人と仕事関係を取り分けるためだ。後は自分が出していない相手。

 

 「ソルちゃん~。爪切ろうね。おもちゃが壊れるよ」

 カイの猫なで声にはっと気づいた。カイは小物入れからソルトの爪切りを出してきていた。ぎゅっと掴まえられたソルトは、逃れようとしているけれど、それでカイの拘束を解こうなんて無理な話で。肉球をきゅっと押されて爪が出た途端、パチパチと切られていく。両手両足。終わって自由になったソルトは、急いで段ボールで爪を研ぎ始めた。切られてすぐの爪がむずがゆいのか。

 

 年賀状をいったん横に避け、折角のおせちを抓む。カイもテーブルに戻ってきて、おせちを食べ始めた。

 「あ、そうだ。折角だからぜんざい、お餅入れて温めるけど、ハルさんもお餅食べる? 醤油が良いかな。砂糖醤油はお薦めだけど」

 「いや。今出してくれているので十分だ。お前は是非とも食ってくれ。課長がわざわざ、お前の分だって持ってきてくれたからな」

 休みだというのに課長が毎年、生活安全課にぜんざいを届けてくれることを教えれば、カイはありがたくと言って、ぜんざいを旨そうに頬張っていた。

 その間にソルトが、春久のあぐらの上に戻ってきて、丸くなる。

 「ハルさんばっかりずるい」

 「毎日一緒に居る強みだな」

 カイは唇を尖らせていたが、床に転がってソルトを掴まえた。

 「ずるいよね~。俺も負けないぐらい一緒に居るよ。ん~~ソルト~」

 ソルトと一緒だと、カイの距離感は相変わらずバグる。今までは部屋でもキャンプでも、ここまでリラックスしている姿など見せたことが無い。どこか一線を引いているというかきっちりしていたのに。ソルトにメロメロなカイも、素を見せてくれているようで、なかなかに良い。

 

 「大学も、完全に日帰りだな。うちに泊まるだろう?」

 「もちろん。ソルトと一緒だものね~」

 そうやって掴まえてキスをするから、ソルトが逃げるんだが。それは言わない方が良いか。

 「ソルトを怒らせる前に止めておけよ。構い過ぎると嫌われるぞ」

 「ええ~。それはやだ」

 「それから、寝るときはお前の部屋で寝ろ。ソルトを連れ込んで良いから。普段はきっちり(ドアを)閉めておけば、ソルトもお前と寝るときだけだと判断するだろう?」

 「良いの?」

 「トイレと餌の場所をきちんと覚えたようだからな」

 「やった」

 

 少しの間ソルトに留守番をさせて、二人で初詣に出た。これも初めてだ。それから正月二日から開いている店の初売りを見に行き、ホームセンターでペット用品の福袋を買った。猫用、犬用と分かれていたので、使えない物は入っていないと信じよう。

 夜から仕事だからそんなに遊んでいられなくて、適当に家に戻った。残っていたつまみを食べていると、早めの夕食も作ってくれる。おまけに、夜勤で明日の朝まで寝ずの仕事だと言ったから、夜食用の弁当まで。明日朝食べに帰って、昼間は? 早めに戻ればカイが帰るのに間に合う?

 

 なーんか、人恋しくなっている気がする。

 「ああそうだ。来週一週間管区に行くんだが、土日も入っているし、以前言った通り、戸野原さんが預かってくれることになっているんで、来なくて大丈夫だ。お前の料理は全部冷凍しておく」

 カイの食事は貴重だから、しっかり確保しておかなくては。

 

 翌日の昼食まで用意してくれて、カイは帰っていった。どうやらソルトと離れがたかったようで、今度もまた外が暗くなるまで居たようだ。到着した連絡があったのが、春久が帰宅してからだから。

 

 

 新年四日の署長による所轄全体の挨拶、その後は各部署での新年挨拶。そこでの課長の言葉。

 課長が十五日で異動するとの話は衝撃だったようで、係長たちは少しばかり心配そうな顔で春久を見た。

 そりゃそうだ。春久はここに居るほかの係長たちよりもかなり若くて、係長の経歴も短いうちに課長補佐から副課長に指名されて、ただでさえ経験不足のところにもってきて、今度は副課長兼課長職務代行。代行という名の課長権限を、二ヶ月半とは言え握ってしまうのだから。

 「もちろん丹波だけじゃ首が回らないのも判っている。丹波も来週一週間、管区が入っている」

 「それ、行かなくちゃいけないんですか? この時期に?」

 そんな非難の声も聞こえてきたがそれは仕方が無い。春久も思った事だ。実際は非難ではなく、心配から零れた言葉だったことも、すぐに判ったのだが。

 「何を言う。丹波が管区に行くのはこれが最後だし、居ない間に、係長全員に副課長の仕事を仕込むつもりだ俺は。むしろ丹波が居ない方がやきもきせずに済むかもな。管区には、丹波に課長の仕事を仕込んでやってくれ、と言っている。管区の課長研修じゃ、所轄の課長よりもキツいけどな」

 そんな思惑があったとは……。

 

 「新年の挨拶と、今まで世話になった礼もさせておかないと。俺がここを居なくなった後、管区からは手を引かせるが向こうには手伝って貰うのに、不義理をしては、少々、無茶な頼みも通せなくなるだろう?」

 それでにやりと笑う。え?え?と、真冬だと言うのに春久の背中に汗が流れそうになる。少々? なんでそこで区切る? そこまで強気に出られるのか? 日頃の穏やかな課長の様子からは全く思い至らなかった。孫の話や、猫やカイの写真を見て、にこにこしている人が。一癖も二癖もあった。春久もそれぐらい腹を括らなくてはならないのか。

 「まあ、丹波が課長になるには警部にはならないとだからまだ先だが、それなりの経験は積ませておきたい」

 平巡査は多い、そこから何割が巡査部長として班長になるか、その上係長から課長……。その課長の立場の人だ、侮るわけでは無いけれど、こんなに剛毅な人だったとは、短くない時間一緒に仕事をさせて貰ったが、知らなかった。絶対に敵に回してはならない人だ。

 

 課長にそこまで言われて反対する者はいなかった。むしろ肩を叩かれて

 「あの人はああいう人だから。一筋縄ではいかないんで、ま、頑張ってください」などと、激励までされた。

 「腹括りました? 課長、ああいう人だから、見込まれたら、徹底的に尻を叩かれますよ」

 「腹は……括ってます。世話になった方に恥をかかせるわけにはいかないじゃないですか。見込んでくれているならそれに応えたい。まあ、二ヶ月半、皆さんの負担も半端じゃないと思いますが」

 「二ヶ月半で楽になれると思っています? 来たばっかりの課長が役に立つと?」

 それを言われると弱い。

 「少なくとも半年、使えない奴が来たら、もっと長期になりますよ。さっさと警部になってくださいね。キツいですけど」

 キツいのは、春久にとって、ということではなく、警部になるための試験が、だ。

 

 溜息を吐いた。……少なくとも数年は大学も中止だ。キャンプに行っている暇、有るのか? 絶対にストレスが溜まる。カイは……カイは、ソルトで釣れるか? 忙しいと泣きつけばなんとか。

 「丹波さん、こう言っちゃなんですが、通い妻なんて言ってないで、結婚しないとやっていけませんよ。課長なんて、本当に激務なんですから」

 「おいおい。丹波は娘と通い妻に癒やされているんだから、あまり急かしてやるなよ」

 課長にそんなことを言われて、係長たちは春久を見る。

 「娘って、いつの間に?」

 「猫です。猫。まだ生後四ヶ月ほどですが、年末に貰ってきて、日々癒やされていますよ」

 「生き物飼って、一週間の留守にどうするんですか?」

 「次の管区に出る時には人に預かって貰います。一泊なら一匹で留守番出来ますし」

 「いつもって訳にはいかないですよね?」

 「大丈夫です」

 言い切った。これ以上突っ込まれる前に、その話は終わらせる。

 

 四日は、課長の異動を知った人たちが次々と出入りして、春久はその隣、まずは新しい課長が来るまで、フォローをお願いしたいと頭を下げまくっていた。人が切れれば今度は課長に連れられて、署長を初めとした先ほど部屋に来なかった人たちへの挨拶回り。

 五日からは外に出られると思うなと言われ、課長の机を示された。そこに座れという意味では無い。そこに有る書類の数々を確認させられていたのだ。

 日曜の朝、家に戻ってすぐ、ソルトを戸野原に預けた。荷物を詰めてその日の内に管区へ。月曜日から土曜日まで、管区でみっちり仕事が入っている。

 管区の手伝いの合間に、課長に頼まれているんだと、春久は特別に、新課長研修の要点(さわり)とも言える部分を叩き込まれた。新米係長になるための新人警部補を取りまとめることも、ある意味、係長を取りまとめる課長の役割を担っているとも言えた。

 

 土曜日が最終日。夜は管区のメンバーと酒を酌み交わした。もう今までのように頻繁に呼び出せないなぁと、名残を惜しんでくれた。それから、新警部補研修の合間だったから到底終わらなかった課長研修、時間が出来たら続きをやりに来いと、肩を叩いて貰った。その課長研修が警部補たちを取りまとめる事でもあるから、つまり今までのように研修の手伝いに来いと言うことだ。

 時間が出来たら、と互いに何度も繰り返し、当分そんな時間は無いことは皆判っている。

 ついでに、四月以降の春久の代わりとして課長に推薦された、野沢係長についても聞かれたから、それは、春久より迫力も侠気も有ると説明しておいた。

 一年前に野沢と一緒にキャリアと対峙したことも、彼らは笑って聞いていた。

 「そんなときはこっちにも話を振れ。特にキャリアなんて、管区は避けて通れないからな」

 などと。それは野沢に言ってやってくれと笑って終わった。

 

 日曜の朝、研修施設を出発した。戻り着いたのは昼過ぎで、遅めの昼食、帰着報告を済ませた後、戸野原に預けていたソルトを引き取る。戸野原の家で再会した途端、ソルトがシャーと威嚇してきたのには少し寂しかった。名前を繰り返せばすぐに、春久を認めて足に体をすり寄せてきたけれど。まだ子猫だからな、と、仕方が無いとばかりに、戸野原も苦笑していた。

 「折角だし、飯でも食っていけ」

 「ありがとうございます。甘えさせていただきます」

 

 戸野原とその妻、次男と一緒に食事をさせて貰っているところへ、長男が帰ってきた。

 「ただいま」

 「お帰り」

 「お邪魔しています」

 「あ、丹波さん、こんばんは! あの、もう少しいらっしゃいます?」

 「居るよ。食事を頂いている」

 「冬山行ってきたんです。と言っても丘レベルなんですけど、冬キャンプで。高校の写真部仲間と。少し聞いてください!」

 「ははもちろん」

 長男はバックパックを部屋に置き、ジャケットを脱いでダイニングに戻ってきた。

 「焚き火台の事教えて貰って良いですか? 俺は焚き火シートが必要だって言ったんですけど、他の連中、焚き火台使っているのになんでそんなモノが必要なんだって」

 と、それは一例で、それ以外にも細かな質問をされ、それらを答えていく。この場にカイが居れば、もっときちんと答えてくれただろうが。それでも、春久も持てる限りの知識を動員した。


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