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初顔合わせ

 課長は正月休みだが、春久は仕事中だ。打ち合わせ兼用で時間が延びるかもとは伝えていたが、いつまでも机の前を空けておくことも出来ない。洗い物をする時間がなく、急ぎメモで「帰ってから洗う」と書いて、シンクの隣、調理台に置いた。玄関を出ようとしたところで人にぶつかりそうになった。ソルトのキャリーと着替えの入ったバッグを持ったカイだ。

 

 「おっと」

 「あ、お帰り。お昼終わった?」

 「ああ、今丁度。そっちもお帰り。ソルト、楽しかったか」

 カイを撫でる代わりに、キャリーケースを撫でた。その中にソルトが居るから。

 「あ、お客さん?」

 カイが、春久の後ろに居る課長に気づいて、挨拶をしてくれる。

 「うちの課長だよ。俺の昼飯に付き合って貰った。キッチンに、課長の差し入れのぜんざいを置いているからな」

 「判った。ありがとうございます」

 カイは春久にキャリーを持たせ、中からソルトを引っ張り出した。ハーネスとリードを付けられたままのソルトは、両脇を抱えられ、大人しく春久に頭を撫でさせた。

 

 春久はまだ鍵を掛ける前だったドアを開けた。

 「仕事に戻る。洗い物は後でやるんで放っておいてくれ。まあ、料理の邪魔になるときは、悪いが洗ってくれ」

 「判った。行ってらっしゃい」

 カイがソルトを両脇から抱え、その体をふりふりしてから、春久の顔に近づける。顔か頭にキスでもと思った途端、ソルトのキックが顔に炸裂した。

 「カイ!」

 「やったのはソルトだよ~」

 甘えた声でソルトの腹をぐりぐりと顔に押し付けられた。頻繁に洗っているから猫用シャンプーの匂いと、子猫の少し高い体温。まあ、可愛いから良いんだが。

 

 カイに先に玄関に入るように促し、キャリーケースとバッグを玄関に入れてゆっくりとドアを閉めた。崩された髪を持ち上げる。

 「お前、思いっきり鼻の下が伸びていたな」

 「そうですね。可愛いので」

 「まあ、お前のそんな顔が見られて、来た甲斐があったというものだな」

 課長は安堵してくれている。偶然ではあるが、カイと引き合わせることが出来て良かった。

 

 執務室に戻った課長は、空になったぜんざいの鍋を持って帰っていった。

 その後も仕事をして、夕方、ようやく一区切りついた。正月三が日の人出は多い。それでも大晦日から元旦に掛けてほどではない。なので巡回の人数も一気に半分に減る。春久も二日目、正しくは正月一日の夜にしてようやく、家で眠れる。当然待機込みではあるけれど。

 「丹波さん、お帰りですか?」

 春久を見かけて交通課のメンバーに声を掛けられた。

 「お時間あれば、うちの課長が少し話がしたいと言っていたんですけど。明日でも大丈夫ですけど」

 どうしようかと瞬間、思考を巡らせた。が、本当に一瞬だけだ。今できる仕事を明日に延ばす法はない。いつ緊急事案が飛び込んでくるか、判らない仕事なのだから。

 

 交通課、生活安全課とは言っても、春久が所属するのは所轄、課長が実質各部署のトップで、その上は署長や副署長だ。

 交通課の課長は春久が顔を出すのを見て、わざわざ会議室を押さえてくれた。他に聞かせられない話となれば、今のところ、思い至るのは生活安全課課長の異動について。

 二人きりになって交通課の課長は春久に「で、覚悟はあるのか?」と、いきなり聞いてきた。

 「は? 覚悟?」

 「聞いていないのか?」

 「多分、聞いた話だと思いますが。いきなりで」

 主語や述語どころか何の前置きもなかったから、不意を突かれただけだ。会議室を押さえられた時点で見当はついていたのだが、それでもいきなりの問いかけだった。せめて何の覚悟なのか、付け足して欲しかった。

 「多方面に覚悟が必要な事は理解していますが」

 「まあ、な。手伝えることは手伝ってやってくれと言われているが、それでもお前の覚悟次第だ」

 それで、年末からこっち、交通課が積極的に動いて、助けてくれたのだと理解した。

 

 息を吸い込み、ゆっくり太く吐きだした。

 「係長になる前提で来て以来、うちの課長には本当にお世話になったので、その顔に泥を塗るようなことは出来ないことは判っています」

 言葉を続けようとした途端

 「はい。丹波!」

 胸元で鳴った業電に、ワンコールで飛びついた。

 「どこにいらっしゃいます? 出られますか? 人混みで刃物持ち出した奴が居て」

 「行きます!」

 返事をして、交通課長を見る。

 「緊急出動ですので、申し訳ありません」

 頭を下げる前で、課長が手の甲をピラピラと振る。

 「何人か巡回も出ているが、それ以上の手伝いが必要なら、言ってくれ。こっちも待機させておく」

 「ありがとうございます」

 そのまま急ぎ足で廊下を出て、部屋に戻った。残っていた係長が段取りしてくれていたのを受けて、第二陣として飛び出した。パトカーの中、事務所とは電話で、現場とは無線で話を詰める。刃物沙汰だ。刑事課にも連絡は必須だ。

 

 「こちらです!」

 近くの交番からやってきた巡査が、次々と到着するメンバーを、現場に案内してくれる。現場は中央エリア。なので春久の担当エリアだ。

 「丹波係長」

 先に来ていたメンバーが春久の顔を見て頭を下げてくれる。

 「幸い重傷者や死者は居ません」

 救急車も複数来たが、どちらかといえば応急手当の方が多い。少しだけ胸をなで下ろした。

 「犯人は?」

 「取り押さえています。こちらへ」

 あちらこちらで座り込む人々。それらを手当てする救急隊員。その間を縫って、春久は案内されて、後ろ手に手錠を付けられてもなお暴れ続けるので、地面に押さえつけられたままになっている男の元へと向かった。

 「身元は?」

 「先ほど免許証を見つけて、照会掛けています」

 「判った。誰か、テレビ帰らせてくれ。特に被害者の顔、絶対に映さないように注意させて」

 「はい!」

 近くにはテレビや新聞社の腕章を付けた男女が、野次馬を押しのけるように、カメラやらスマホやらを持ってあちらこちらを写したり誰彼構わず掴まえて質問を投げかけたり。

 「署まで護送するので、留置場を開けといてくれ」

 そう連絡を入れ、腕っ節の強いメンバー四人ほどで固めて犯人をその場から移送した。入れ替わりのように鑑識がやってきて、凶器やら血痕やらと、あちらこちらを調べている。


 

 折角カイが来ていると言うのに、家に戻ったのは二日の明け方だった。仕方が無い。誰に文句を言えるわけでも無い。

 玄関を開けると、ソルトが飛び出してきた。さすが夜行性。それを抱き上げてリビングに入れば、蛍電球の下、カイがソファーで眠っているのを見つけた。静かにソルトを毛布に下ろしてやれば、ソルトはその腕の中に潜り込んでいく。

 春久のためにわざわざ出迎えてくれたのが可愛い。課長の言い種では無いけれど、鼻の下も伸びるというものだ。

 カイと、再び眠ったであろうソルトを起こさないよう静かに部屋を開け、スーツを脱いでそのまま眠った。

 

 ガチャリとドアを開けると、キッチンに居たカイが、驚いたように春久を見た。ソルトが走ってきた。

 「あれ? ハルさんお帰り。時間良いの?」

 リビングの時計に目をやると、昼が近い。

 「今日は夜からになった。さすがに連日徹夜はキツい年になった」

 「ハルさんは……。あ、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

 頭を下げてくれるから春久も

 「こちらこそ、今年もよろしくお願いします」と、丁寧に頭を下げた。二人で顔を見合わせて笑う。

 「風呂に入ってくる」

 「ハルさん居るのなら、お昼の支度するね」

 「楽しみにしている」

 ゆっくりと湯船に浸かって、息を吐き出す。ああ、ホッとする。

 

 「誰でも」などと言い出した男の取り調べは、刑事課が行ってくれた。けが人が出た段階で刑事課に主軸が移動、春久たち生活安全課のメンバーはサポート側に回る。けれどそれは、あくまでも取り調べに対してであって、巡回は厳重さを増した。

 結局、生活安全課と交通課、地域課から人が出され、正月休みの人手が足りない時期でもあり、春久もそのメンバーとしてパトカーの一員になった。夜明け前、「年末から出ずっぱりなのだから、一度休め」と厳戒態勢の中、一人解放され、申し訳なく思いつつも、ようやく家に戻ったのだ。それらの疲れが肩にのし掛かっていた。

 

 ざばりと風呂から上がると、いつもの通りソルトが脱衣所のドアを爪先でカリカリ。開けてやり、これもいつもの通り洗ってやる。洗いながら、カイが洗ったかもと思い至ったのだが、ソルトが気持ちよさそうにしているので良いか、と思う。洗われるのが好きだなんて、本当に変わった猫だ。

 「上がった。悪い、ソルトを拭いてやってくれ。身支度してから行く」

 「判った。ソルト、おいで」

 タオルに包まれたソルトをカイに手渡しする。目の前にある頭にキスをしたくなったけれど、それも我慢。洗面所に戻って歯を磨いたり髭を剃ったり。

 「さっぱりした」

 下はジーンズ、上はランニング一枚でテーブルの前に座った。トレーニングマシンが目の前にあるから体を動かしたかったけれど、風呂に入ったばかり。これから昼だ。今日は諦めようと、手元に来たソルトを掴まえた。

 「ふかふかだな。お前本当に風呂が好きだな」

 両前足でがっちり春久の手首を掴まえ、寝転がったまま両足で何度もキック。これは獲物を仕留めているつもりか?

 「ソルト」

 掌でソルトの顔をギュッと包み込む。と、手首を放して指を抱えてぺろぺろ。可愛いよなぁと、鼻の下が伸びているのは自覚している。

 

 「夜からってことは、帰ってくるのはまた明日の朝?」

 「そうだな。二十四時間仕事になるから、朝食と昼食に戻ってくるぐらいだな。お前も明日には帰るんだろう?」

 「うん。明後日から仕事だしね。また週末には来るよ」

 「そうか」

 「あ、ぜんざいの入っていたタッパー、洗っておいたから、返してね」

 「判った。どうせ四日まで会わないんで、良かったらお前のクッキーを入れておいてくれ。課長、お前のクッキーが気に入りなんだ。後半月で異動だから、クッキーを味わって貰えるの、最後かも知れないしな」

 「この時期に異動?」

 「あ、いや。悪い、部外秘だ。職場でも告知は四日なんで、忘れてくれ」

 「オッケー」

 カイの返事は軽い。いや、軽かったのは春久の口だ。気をつけないと、カイの側ではつい、気が緩んでしまった。

 

 「ハルさん、持っていって」

 急いでソルトを離した。洗面所に戻って手を洗ってから、キッチンへ。カイが調理台に並べている物を順番にテーブルに運ぶ。カイが購入してくれていたおせちも、ようやく摘まめる。

 「南蛮漬け、旨かった。もちろん他のもだけど、大晦日の夜から弁当にして持っていったよ」

 「ハルさん好きだものね」

 「好きだよ」

 

 おせちは気を利かせてくれ、酒のつまみメインの奴だ。逆に夜から仕事の春久には少し辛い。けれど、夜からの仕事になったのは、事件の発生と、春久の体調を心配してくれての上だとも判っている。明日の夜に仕事が終わり、四日は朝から出勤だ。なので明日、カイが帰る時間帯によっては、食事の時にすら会えない可能性も高い。せっかくカイが来てくれているというのに、ゆっくりできるのが今から出勤までの間だけぐらいとは……。


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