12 決行の時
第1部「マントラ・ウォーズ ~超常のレジスタンス~ 能力覚醒編」
第2部「マントラ・ウォーズ 伝説の剣を手に入れろ編」
も是非お読みください。
ニキルが孤児院を訪問した1か月後
アンシュは、アデリー子供園に続く大通りを見通せる脇道の物陰に身を潜めた。
孤児院か……
いい思い出は微塵も無いな。
僕が育った孤児院はまるで監獄のようだった。早く出たくてしょうがなかった。
粗末な食事に不衛生な生活環境……
僕以外の子らも空腹でイラついて喧嘩や争いが絶えなかった。先生たちは見ても見ぬふり。
最悪の場所だった。
記憶の底に押し込んでいた孤児院での嫌な思い出がふと頭をよぎった。
アンシュは深呼吸すると任務に集中した。
既定の行動とおりなら、今日のこの時間に現れるはずだ。
アンシュは、いつでも飛び出せる態勢を保ったまま、時が来るのを待った。
『羅刹黒鯨』を握る手のひらは緊張で汗ばんでいて、無意識のうちに上着の裾で何度もぬぐった。
気が付くと、太陽はアンシュの真上で輝いていた。
もう、昼近いな。
アンシュは空を見上げた。
予定の行動では、10時ころには孤児院に着いているはずなのに……
遅すぎる……空振ったかな?
今日じゃないのか?
汗が頬からアゴを伝って地面にしたたり落ちた。
緊張の糸が切れかかった時、遠くの方から馬のひづめの音が響いてきた。
来た?
アンシュは、慎重に大通りが見えるところまで顔を出して、大通りの様子を窺がった。
すると、先の方から馬に乗った人影がこちらに近づいて来ていた。
「わっ……」
アンシュは慌てて顔を引っ込めた。
……あれがニキルか?
予想していたよりも小柄だな。
その馬と人影はアンシュが隠れている脇道と大通りの交差点を横切って行った。
アンシュは急いで馬にまたがると、その人影の後を追った。
女性じゃないか?……
アンシュの目に映るその後ろ姿は、馬の揺れに合わせてしなやかに上下していた。
しかし、足元のブーツはラーマの麒麟のものだな。間違いない。
今は目の前の奴を殺る……それだけだ……
アンシュは、馬の背をまたいでいる両脚に力を込めて中腰になると、背負っていた『羅刹黒鯨』を両手で握った。
馬上でバランスを取りながら、『羅刹黒鯨』を目一杯後方に振りかぶると、前を行く人影に向けて振り込んだ。
穂先から発した斬撃波は、直線的に宙を伝わり、その人影の背後めがけて突き進んだ。
『羅刹黒鯨』を振り込んだアンシュは、その反動でバランスを崩して落馬してしまった。
◇
一方、その人影は、アデリー子供園に向かっていた。
そろそろ正午?遅くなった……
子供たちの食事の時間になる。
……
……ん?後ろから馬が来ている。
突然背後に馬が付いて、その人影は嫌な予感がした。
気付かれないように、一瞬後ろを振り向くと、馬上の細身の男が背中に背負っている武器を取ろうとしているように見えた。
近衛兵……こんな時に、こんな所で……
後ろの近衛兵の気配に集中していると、予想だにしなかった斬撃波が飛んできた。
何っ?斬撃波?
一体、誰?
考える間もなく、斬撃波の波動が目前に迫っていた。
くっ!
斬撃波を避けるために上体を倒すようにして馬から転がり降りた。
ズザザザァーーッ!!
地面に落ちた衝撃と痛さに耐えて立ち上がると、10メートル後方の路上で近衛兵もほぼ同時に立ち上がった。
マントラ能力があるようだけど、知らない顔……
アンシュは立ち上がると先の方にいる人影を正面から見ることが出来た。
……やっぱり女性だ。ニキルじゃないのは確かだ。
でも、レジスタンスには違いが無い。
悪いがここで……
「あなた、マントラ能力があるみたいだけど、名を何というの?」
「あなたはここで僕に倒される運命だ。聞いても仕方ないだろう。」
「あら、言ってくれるわね。私を倒すのはそう簡単じゃなくてよ。」
「人の名前を聞く前に、あなたこそ、なんていう名前だ?」
「?
私が誰だか知らないのに襲ってきたの?」
「僕にも色々と事情があってね。」
「そう?
私はシーラ。ラーマの麒麟のシーラ。」
シーラはそう言うと、腰に差していた『伐折羅白虎』という短剣を抜いて構えた。
シーラが構えた『伐折羅白虎』の刀身からは、白い半透明の膜のようなシールドが放射状に拡がった。
「僕は近衛兵団のアンシュだ。
オンキリキリバサラバサリ」
アンシュは、右手の人差し指と中指を立てて印を結び、マントラを唱えた。
対ニキルを想定していたから、作戦の練り直しだ。
……そんな時間は無いか。
シーラと言ったな。確か、シーラも副官のはずだ。同じ格の相手だ。
「結界を作れるのね。」
シーラはアンシュの赤銅色の光を放つ結界を見てつぶやいた。
でも、マナサとは光の色がまるで違う……
それに、その鉾……第2師団の師団長だったバラジの鉾……『羅刹黒鯨』。
チャンドラたちに倒されたバラジの『羅刹黒鯨』……
「あなたは何者?」
「さっきも言ったけど、僕はアンシュ。
忘れてもいいよ、シーラさん。これで最後だから。」
言い終わった瞬間、右手で印を結んでいるアンシュは、右足で『羅刹黒鯨』の柄の先を固定するように抑えながら、左手だけで振り抜き、斬撃波は放った。
斬撃波は再びシーラに襲いかかった。
シーラは『伐折羅白虎』を斬撃波が向ってくる方向に向けた。
すると、宙を伝わって来た斬撃波は『伐折羅白虎』のシールドに当たった瞬間、音も無く消失した。
「えっ?」
アンシュは目を丸くして二の句が付けなかった。
「私を倒すのは、そう簡単じゃないと言ったでしょ?」
「そうなんだ。斬撃波は効かないんだね。
でも、こう見えても、鉾自体もそこそこ使えるよ。」
アンシュは、結界の印を解いて両手で鉾を構えると、シーラに向かって突き進んだ。
「オンバサラユタ」
シーラは、人差し指、中指、薬指の3本の指を立てて、曲げた小指を親指で抑えるとマントラを唱えた。
そして、立てた3本の指先の照準を、鉾を上段に振り上げて向ってくるアンシュに合わせた。
シーラの指先から発した衝撃波は一直線にアンシュに突き進んだ。
アンシュはシーラが何をしたのか一瞬分からなかった。
その一瞬の遅れのために、シーラの衝撃波を避け切れなかった。
「ぐはっ!」
衝撃波は、アンシュの左腕と左肩の防具を砕き、なおもその下の肉体にハンマーで打撃を加えたような衝撃を与えた。
その衝撃でアンシュは後方に飛ばされた。
「相手の能力も分からないのに、むやみに突っ込んでくるもんじゃないわよ。」
「くっ!そ、そうだね。気を付けるよ。」
アンシュは、左肩を抑えながら立ち上がり、『羅刹黒鯨』を拾い上げた。
衝撃波のマントラか……それに、マントラを打ち消す短剣……白いシールドを見た時に気付くべきだった。確か『伐折羅白虎』と言ったかな……
奇遇にも、僕と同じような攻撃防御のマントラだ。
どう組み立てればいいんだ……
通常の戦闘力での勝負かな。
シーラは、『伐折羅白虎』を構えたまま、アンシュの出方を待った。
まだ経験が浅くて、戦闘に慣れていないようね。
ここで待ち伏せていたの?
でも、なぜ孤児院に行くことを知っていたのかしら?
ガザンに情報が筒抜けになっているせい?
私の名前も知らなかったんだから、狙いはニキルのはず。
たまたま今日はニキルが孤児院に行けないから、私が変わったに過ぎない。
それにしても、ニキルを狙っているのに、単身で襲ってくるなんて無謀過ぎるわ……
アンシュ、あなたは一体……
アンシュは無意識のうちに呼吸が速くなっていた。
斬撃波は封印して、『羅刹黒鯨』自体で勝負だ。短剣の『伐折羅白虎』なら渡り合えるだろう。
でも、結界は必要だ。あの衝撃波を避けるには……
アンシュは衝撃波を受けた左肩をさすった。
そして、深呼吸すると、マントラを唱えた。
「オンキリキリバサラバサリ」
負傷した左肩の痛みに耐えて、左手で印を結んだまま、右手で『羅刹黒鯨』の柄の部分を短く握った。
「僕は負けないっ!」
アンシュはシーラに向かって走り出した。
ひるむことなく突き進むと、『羅刹黒鯨』を上段に振り上げてシーラに斬りかかった。
シーラは『伐折羅白虎』を両手で固く握りしめた。
結界を張ったまま……マントラの攻撃は無意味……
「このっ!」
アンシュは、シーラめがけて、渾身の力を込めて『羅刹黒鯨』を振り下ろした。
「くっ!」
シーラは振り下ろされた『羅刹黒鯨』の切っ先を『伐折羅白虎』で横に払って右側に受け流した。
攻撃を払われたアンシュは、バランスを崩して2、3歩よろめいた。
「クソッ!」
アンシュは、態勢を立て直して再び振りかぶると、シーラに斬りかかった。
シーラは再び左側に受け流した。
力任せの攻撃ほど、簡単にかわすことが出来る。
アンシュは一度シーラから離れた。
簡単にかわされる……何度やっても同じだ。
印を結んでいるのもそろそろ限界だ。体力の消耗が激しい。
「はぁ、はぁ……」
アンシュは息が激しくなっていた。
……
……そうか。バラジと同じことをするのは不本意だけど、しようがない。
印を解いて結界を消したアンシュは、両手で『羅刹黒鯨』を構えた。
「うおーーっ!」
叫び声と共に『羅刹黒鯨』を水平に振り抜くと、切っ先から発した斬撃波がシーラに向かって突き進んだ。
「また、斬撃波?」
シーラは『伐折羅白虎』のシールドで斬撃波を消し去った。
結界を解く勇気があるのね……
「オンバサラユタ」
シーラはマントラを唱えて衝撃波を飛ばした。
シーラが飛ばした衝撃波は正確にアンシュに向かって宙を伝わった。
来たっ!
アンシュは、衝撃波が飛んで来る方向に狙いを定めると、『羅刹黒鯨』を振り抜いた。
『羅刹黒鯨』から生じた斬撃波とシーラのマントラから生じた衝撃波が2人の間の空中で静かに衝突した。
衝突した瞬間、陽炎のように空気が揺らいで、空砲が鳴ったような「バァァァァン」という乾いた爆音が鳴り響いた。
シーラは一瞬目を見張った。
衝撃波に斬撃波を当てられるの?
あなたを見くびっていたかもしれないわね。
アンシュは、また『羅刹黒鯨』を水平に振り抜いて、斬撃波を放った。
それに対してシーラは、『伐折羅白虎』のシールドで斬撃波を消し去ると、マントラを唱えて衝撃波を飛ばした。
「よしっ、もう一度。」
アンシュは、衝撃波が飛んで来る方向に狙いを定めると、『羅刹黒鯨』を振り抜いた。
『羅刹黒鯨』から生じた斬撃波とシーラのマントラから生じた衝撃波が、再び2人の間の空中で静かに衝突した。
その瞬間、空気が揺らいだかと思うと、「バァァンバァァン」と乾いた爆音が立て続けに鳴り響いた。
アンシュは、無表情のまま、さらに『羅刹黒鯨』を水平に振り抜いて、斬撃波を放った。
シーラは、また同じように『伐折羅白虎』のシールドで斬撃波を消滅させると、マントラを唱えて衝撃波を放った。
映像がループしているかのように、『羅刹黒鯨』から生じた斬撃波とシーラのマントラから生じた衝撃波が空中で衝突すると、その瞬間、陽炎のように空気が揺らいで、乾いた爆音が鳴り響いた。
「ふぅーーっ!」
シーラはマントラを連続して使用したために呼吸が激しくなっていた。
組立てを変える必要があるわね……
でも、あなたの左肩も損傷が激しいでしょ?
アドレナリンのせいで痛みを感じていないだろうけど。
シーラは両肩を回すと『伐折羅白虎』を構え直した。
アンシュは、抜け目なく、シーラの一挙手一投足を観察していた。
大分体力を削られているみたいだ。
体力的には僕の方が有利だな。
このまま攻めるべきだ。体力を回復させる時間を与えない……
僕の左肩もいつまでもつか分からない。
アンシュは『羅刹黒鯨』を振り抜いて斬撃波を放った。
同じ攻撃?
シーラは『伐折羅白虎』のシールドで斬撃波を消滅させた。
そして、『伐折羅白虎』を構え直した。
ん?
衝撃波を出さない。
体力が回復していない証拠だ。
よしっ!勝機っ!
アンシュは、シーラに向かって駆け出しながら、『羅刹黒鯨』を素早く2回振り抜いて、斬撃波を立て続けに放った。
距離を詰める?
シーラは、連なって迫ってくる斬撃波を『伐折羅白虎』のシールドで消滅させると、アンシュとの距離を取るために後ろに下がった。
後ろ向きのまま後退するシーラよりも素早く距離を詰めたアンシュは、無防備になっているシーラの足元を狙って、『羅刹黒鯨』を振り下ろした。
「痛っ!」
防具を付けていないシーラは、アンシュの攻撃をかわそうとしたが、左脚のふくらはぎの辺りに傷を負った。
負った傷は深くはなかったが、出血してブーツを赤く染めた。
鉾の扱いは雑だけど、防具を着けていない分、致命傷になりかねない……
アンシュが『羅刹黒鯨』を振り下ろした後、一瞬動作を止めた隙をついて、シーラはアンシュから離れて距離を取った
よしっ!いける。行けるぞっ!
副官の首を取る。首を取って、晴れて師団長だ。
鉾と短剣では、攻撃力は大人と子供だ。
水平に斬り込めば、受け流しづらいはずだ。
アンシュは、『羅刹黒鯨』を水平に構えると、シーラに向かって走り出した。
「うおぉぉぉっ!!」
シーラとの間合いを詰めると、『羅刹黒鯨』を水平に振り抜いた。
水平に構えている……
『羅刹黒鯨』を真横に斬り込まれると、私の『伐折羅白虎』で防げそうもない……
左脚、耐えられる?
シーラは、アンシュが『羅刹黒鯨』を水平に斬り抜こうとするタイミングで、一瞬しゃがみ込むと、地面を蹴って真上に飛び上がった。
飛び上がった瞬間、傷を受けた左脚の傷口を中心に電流のような激痛が走った。
「うっ!」
『羅刹黒鯨』は飛び上がったシーラの足の下の空を切った。
「オンバサラユタ!」
シーラは空中に飛び上がったまま、渾身の力を込めて衝撃波を打った。
不意を突かれたアンシュは、衝撃波をかわすことが出来ず、胸元に被弾すると、その反動で後方に数メートル弾き飛ばされた。
「ぐおっ!」
防具の胸当てを砕かれたアンシュは、無残にも路上に転がり、全身砂まみれになっていた。
「かっ!」
い、息が上手く出来ない……
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
肺が潰れたんじゃないだろうな。
マントラを使えるまでに回復していたのか。
く、くっそっーー……迂闊だった。
で、でも、これでまた体力を消耗したはずだ。
反撃するなら今だ。間を開けてはだめだ。
アンシュは、気力で立ち上がると、足元に落ちている『羅刹黒鯨』を拾い上げた。
おぼつかない足どりで間合いを取ると、『羅刹黒鯨』を中段に構えた。
中段?
斬撃波じゃないわね。
冷静に……平常心……
鉾の特性を活かして戦うべきだ。
アンシュは『羅刹黒鯨』の柄の持ち手の端の方を握った。
攻撃範囲を最大限に広げる。
その代わり、鉾の重さは倍以上に感じるな。
「倒れろっっっ!!」
『羅刹黒鯨』の柄を両手で強く握り締めたアンシュは、リーチをいかして真っ直ぐにシーラを突いた。
シーラは上体を右に逸らしてアンシュの突きをかわした。
「まだまだまだっ!」
アンシュは続けざまに突きまくった。
「くっ!」
シーラは、上体を左右に傾けて、次々に続いてくるアンシュの攻撃をギリギリかわしていた。
このままじゃ、突かれるのも時間の問題……
シーラは、左脚の負傷をおして、アンシュが『羅刹黒鯨』を引いたタイミングで宙に飛び上がった。
「衝撃波かっ!」
アンシュは飛び上がったシーラを見上げて身構えた。
シーラは空中から『羅刹黒鯨』の穂先の上に着地した。
「う、嘘だろっ?」
アンシュは、シーラの突飛な行動にどう対処していいのか分からず、シーラが立っている『羅刹黒鯨』を地面に落とさないように反射的に両腕に力を込めたが、その重みに耐えかねて、穂先を地面に着けてしまった。
シーラは、意図しないアンシュの協力もあって、『羅刹黒鯨』の上からゆっくりと地面に降り立った。
そして、上体を低くしてしゃがみ込むと、右足でアンシュの左足の足首辺りを払うように蹴った。
アンシュはシーラの足払いでいとも簡単に地面に倒された。
「クソッ!」
シーラが『伐折羅白虎』でアンシュの右腕を斬り付けると、『伐折羅白虎』の切っ先は正確に防具の間の僅かな隙間に切れ込んだ。
攻撃を封じる。
「うごっ!」
アンシュは、右腕の激痛にもんどり打つと、転がりながらシーラと距離を取った。
ダメだ……このままじゃやられる……
こんなはずじゃなかったのに……
くそっ、何とかしないと。
持久戦になれば僕の方が有利。
何とか持ちこたえれば、向こうは疲れてくるはずだ。
接近戦は不利だ。
アンシュは立ち上がると弱々しい足どりでシーラの間合いから離れた。
時間を稼ぐ気ね。
シーラは『伐折羅白虎』を右手で握ると下段に構えた。
そうはさせないわ。
かわいそうだけど、ここで倒させてもらう。
1歩、2歩と前に出ると、徐々に駆け出してスピードを上げた。
間合いに入ったところで、地面を蹴って宙に飛び上がった。
こっちに向かって走り出した。
何をする気だ?
「オンキリキリバサラバサリッ!」
アンシュは慌てて自分の周りに結界を張った。
宙に飛び上がったシーラは、弧を描きながら一回転して、アンシュの頭上を越えて背後に着地した。
「もらったっ!」
シーラは『伐折羅白虎』でアンシュの背を斜め上から袈裟切りにした。
「ぎゃっ!」
アンシュは反射的にのけ反った。
宙に飛び上がったシーラの行方を見失ったアンシュは、瞬間、シーラに斬り付けられたことが分からなかった。
防具のない背中に焼け付くような激痛を感じた。
「う、ううっ……」
アンシュは、今までに受けた傷の痛みが何重にも重なりながら全身の神経を駆け回って、気を失いかけていた。
もうだめか……
頭の中に死がよぎった。
待ち伏せして、見事に返り討ちに会うなんて……
ラーマの麒麟の副官て、やっぱ凄いな……殺れると高をくくっていた。
崩れるように両膝を地面に着いたアンシュは、手にしていた『羅刹黒鯨』を落とした。
戦うことを諦めた訳ではなかったが、身体が言うことを聞かなかった。
戦闘服は自らの流血で真っ赤に染まっていた。
戦意喪失?
勝負はついたみたいね……
シーラはアンシュの様子を観察していた。
その時、シーラの背後から、アンシュとは別の男の声が響いた。
「もう、諦めるんだっ!」
その声の主の方向にシーラと満身創痍のアンシュが振り向いた。
「ガ、ガザン……」
気を失いかけていたアンシュは、ガザンの姿を見つけると僅かに生気を取り戻した。
あの男がガザン……
シーラはガザンの姿を初めて目の当たりにした。
ガザンはシーラの想像以上に細身だった。
加勢に来た訳ではないの?
ガザンは、馬にまたがったまま、動くことは無かった。
「て、手出しは無用ですよ……」
アンシュはガザンに向かって弱々しく叫んだ。
「これまでだ。命を粗末にするな。」
「……フッ。僕が命を張るには十分な相手だ。」
アンシュは、残っている気力を振り絞って、震える両脚でゆっくりと立ち上がった。
僕の今の状態で何が出来る?
両腕には力が入らない。胸も背中も……
敵ながら、副官の攻撃は凄いな……
僕に出来ることは立っていることくらい……
…………立っていることくらい?
脚力は腕力の何倍も強いからな……
「これが最後だっ!」
アンシュは、そう叫んだかと思うと、足元に落ちている『羅刹黒鯨』の柄の先を右足で渾身の力を込めて蹴り込んだ。
アンシュに蹴られた『羅刹黒鯨』は、アンシュの念が込められ、まるで生き物のように「シューーッ!」と音を立てて宙を飛び、シーラに向かって一直線に襲いかかった。
「うごっ!」
シーラは、ガザンに気を取られていたこともあって、飛んできた『羅刹黒鯨』に気付くことが遅れ、かわすことが出来なかった。
『羅刹黒鯨』の切っ先は、シーラの身体をいとも簡単に貫いた。
シーラは、鮮血を吐血すると、両目を見開いたまま、ゆっくりと仰向けに倒れていった。
シーラの視界には澄み渡る青空がスローモーションのように広がっていった。
あぁ、お腹の辺りが焼けるように熱い……
何が起きたのかしら……
…………
私、ここで何をしているの?何をするんだっけ……
大切なことを忘れている気がする。
あ、……そうだ。早く食事の支度をしなくちゃ。
インジゴがお腹を空かして家に帰ってくる時間だわ。急がないと……
育ち盛りだから、いくら食べてもすぐにお腹がすくみたい。
ニキルは大丈夫かしら?
偵察に出てもう2日……いまだに何の連絡もない。
……捕まっていないわよね?
まさか、それとも……
ダメダメ、そんなこと考えちゃ、縁起でもない。
信じている……無事に帰って来てね……
あなた、待っているわ。
シーラの頭の中は混沌が渦巻いていた。
天と地の区別がつかない。
現在と過去が混じり合っている。
意識がもうろうとしている。
暫くすると、立ち込めていた霧が晴れていくように、徐々に意識がクリアになってきた。
頭が正常に動き出した。
初めて見たガザンの顔……インジゴともアシュウィンとも似ていないわね。
……インジゴ、今、何をしているのかしら?
……あなた、孤児院に行けそうもないわ……
ごめんね……
なんか、だめみたい……私。
ごめん……
シーラの右手には『伐折羅白虎』が握られたままだった。
励みになりますので、応援コメントなどをお待ちしています。
よろしくお願いします。




