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文字喰らいの冒険者  作者: 藤崎聖子


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第九話 一文字を足す男

 白い外套の男は見つからなかった。


 代わりに、封筒が落ちていた。


 古文書庫の裏手。


 男の足音が消えた路地の中央だ。


 汚れ一つない白い封筒。


 宛名はない。


 封をする印もない。


「どう見ても罠だね」


 ティルダが言った。


「触るな」


 ロマンが盾を前へ出す。


「踏んだだけで爆発する術式かもしれん」


「魔力は感じないわ」


 シグナが少し離れた場所から観察する。


「ただの紙よ」


「古文書庫の禁架を読んだ直後に、ただの紙が待っていたと?」


「だから調べるの」


「お前は調べるためなら罠にも顔を入れるな」


「入れないわ。手までよ」


「同じだ」


 レクスは封筒の周囲を見た。


 石畳に細い線が引かれている。


 封筒を中心にした円。


 自然についた傷ではない。


「動かさないほうがいい」


 レクスは路地の入口へ目を向けた。


 左右の屋根。


 二階の窓。


 積まれた空箱。


 誰かが見ている気配はない。


「ここで開けさせたいなら、相手は近くにいるはずです」


「正解」


 頭上から声がした。


 四人が見上げる。


 左の屋根に男が座っていた。


 白い外套ではない。


 灰色の長衣。細身の剣。年は二十歳ほど。


 長い銀髪を首の後ろで束ね、楽しそうにこちらを見下ろしている。


「あんた、さっきの男の仲間?」


 ティルダが短剣へ手をかけた。


「仲間という言葉は好きじゃない。利害が重なることはある」


 男は屋根から飛び下りた。


 高い場所から落ちたはずなのに、足音は小さい。


「カーニン・グロッサ」


 自分から名乗る。


「君がレクス・リテラだな」


「違います」


 レクスは答えた。


 カーニンが一度まばたきする。


 ティルダもレクスを見る。


「嘘だね」


「試しました」


「何を?」


「この人が本当に俺を知っているか」


 カーニンは声を上げて笑った。


「面白い」


 その一言に、ティルダの顔が険しくなる。


「本当に面白がってる。気味が悪い」


「ひどいな。褒めたんだ」


「何の用ですか」


 レクスは封筒から目を上げた。


 カーニンは足元の封筒を指した。


「招待状を届けに来た」


「誰から?」


「白紙会」


 シグナが手帳を開く。


 先ほど写した四角い印を見せた。


「この印を使う組織?」


「そうだ。世界にある誤りを消し、正しい形へ戻そうとしている」


「誤りって何」


 ティルダが聞く。


「戦争。犯罪。飢え。病。人が選択を誤るから生まれるものだ」


「選べなくすれば、誤りもなくなると?」


 シグナの声が冷えた。


 カーニンは笑ったまま答えない。


 ティルダが小さく言う。


「今、答えなかった。否定できないんだ」


「優秀だな、君も」


「褒められても嬉しくない」


 ロマンが一歩前へ出た。


「古文書のページを盗んだのは、お前たちか」


「八百年前のことは知らない」


「今のは本当」


 ティルダが言う。


「でも、誰が持っているかは知ってる」


 カーニンの口元が少し動いた。


 今度は答えだった。


「招待を受ければ、続きが読めるのか」


 レクスは封筒を裏返した。続きらしい文章はない。


「可能性はある」


「断言しないんですね」


「俺は嘘をつかない。約束できないことは約束しない」


「白紙会へ行く気はありません」


「封筒を読んでもいないのに?」


「俺たちを監視し、古文書の閲覧を止めた相手です」


「慎重だ。だが、少し決めるのが早い」


 カーニンが右手を上げた。


 指の間に細い針があった。


 ロマンが盾を構える。


 針は正面へ飛ばなかった。


 カーニンは地面へ投げた。


 円の内側へ落ちる。


 石畳に引かれた線が赤く光った。


 レクスの足元から針が飛び出す。


 罠は封筒ではない。


 その周囲の円だった。


 レクスは体をひねった。


 避けきれない。


 針が左腕をかすめた。


 小さな傷。


 痛みもほとんどない。


 紫の文字が浮かぶ。


《毒》


「レクス!」


 ロマンがカーニンへ突っ込む。


 細身の剣が抜かれた。


 盾と刃がぶつかる。


 カーニンの体は軽々と後ろへ飛んだ。


 自分から距離を取ったのだ。


「安心しろ。普通の毒だ」


「毒を使っておいて安心しろ?」


 ティルダが投げた短剣を、カーニンは剣の腹で落とす。


「試したいだけだ」


「何をですか」


 レクスは腕の《毒》を見た。


 足のしびれはない。


 毒蜘蛛のときより弱い。


「俺の能力と、君の能力。どちらが上か」


 カーニンの頭上に文字が浮かんだ。


《一文字追加》


 レクスとは正反対の名だった。


 カーニンが《毒》へ人差し指を向ける。


 空中に赤い一字が生まれた。


「『猛』を加える」


 文字が飛ぶ。


 レクスの状態表示へ入り込んだ。


《猛毒》


 心臓が跳ねた。


 腕の傷が紫に染まる。


 視界が揺れた。


 膝から力が抜ける。


 ロマンが支えた。


「解毒薬を!」


 シグナが鞄を開く。


「待ってください」


 レクスは《猛毒》へ手を伸ばした。


 同じ状態は、毒蜘蛛に刺されたとき経験している。


 意味も分かる。


 何を消せばよいか、考えるまでもない。


「『猛』を喰う」


 追加された文字が黒く崩れる。


 喉へ入った。


《毒》


 症状が弱まる。


 シグナはすぐに解毒薬を飲ませた。


 苦い。


 レクスは咳き込んだ。


「また銀貨一枚か」


 ロマンがカーニンをにらむ。


「お前に請求する」


「送ってくれ。払うよ」


 カーニンは本当に楽しそうだった。


「同じ文字を足し、同じ文字を消す。結果は元どおり。綺麗な打ち消しだ」


「人を実験台にするな」


 ティルダが二本目の短剣を構える。


「次は外さない」


「一つ訂正する。俺は同じ対象に一度しか足せない。今の《毒》には、もう使えない」


「聞いてない」


「こちらの条件を教えたんだ。感謝してほしい」


 レクスは息を整えた。


「なぜ教えるんですか」


「君に早く強くなってもらうためだ」


「白紙会の命令?」


「違う」


 ティルダがカーニンの顔を見る。


「本当みたい」


「会は君を勧誘したい。拒むなら管理したい。危険なら消したい」


 カーニンは三本の指を順に折った。


「俺は違う。君が何を消し、俺が何を足せば、世界がどこまで変わるのか見たい」


「そのためなら人が死んでも?」


「死という一字に、何かを足せばいい」


 カーニンは即答した。


「たとえば『神』を足す。《死》は《死神》になる」


 冗談のような言葉だった。


 カーニンは笑っていない。


 本当に可能だと知っている顔だ。


 レクスは体内の七つ――今は八つになった反応を感じた。


 死を死神へ。


 毒を猛毒へ。


 文字を足す能力も、削除と同じく現実を変える。


 使い方によっては、レクスより危険だ。


「あなたとは組みません」


「まだ誘っていない」


「戦うつもりもありません」


「それは君だけで決められない」


 カーニンは足元の封筒を拾った。


 自分で封を切る。


 中の紙をレクスへ見せた。


《三日後、南鐘楼にて待つ》


 その下に白紙会の印。


「来なければ?」


「会は、別の方法で君を呼ぶ」


「脅し?」


 ティルダが聞く。


「忠告だ」


「今のは半分だけ本当」


 カーニンは目を細めた。


「君はいいな。言葉へ一文字足すより、表情から意味を拾う」


「褒めても嫌い」


「覚えておく」


 カーニンが紙を手放す。


 招待状は地面へ落ちる前に白い炎を上げ、灰になった。


 ロマンが道を塞ぐ。


「帰すと思うか」


「帰る必要はない」


 カーニンの長衣に文字が浮かんだ。


《短距離転移》


 指先に一字が生まれる。


「『長』を足す」


《長距離転移》


 灰色の姿が光に包まれる。


 ロマンの手が届く直前、カーニンは消えた。


 残ったのは白い封筒と、焼けた紙の匂いだけだった。


「追えないわ」


 シグナが転移の残光を調べる。


「行き先を示す術式がない」


「一文字で短距離を長距離にした」


 レクスは自分の能力との違いを考えた。


 削除は、ある意味を失わせる。


 追加は、なかった意味を生み出す。


 似ているようで、正反対だ。


「あいつ、強いね」


 ティルダが短剣を拾う。


「戦い方を見せただけで、こっちの能力を一つ確認した。自分の条件も教えたけど、たぶん困らない情報だけ」


「そして、俺たちを南鐘楼へ向かわせた」


 ロマンが言う。


「行くの?」


 三人がレクスを見た。


 レクスは灰になった招待状へ目を落とす。


 罠だ。


 分かっている。


 だが、白紙会は破られたページの行方を知っている。


 レクスの能力も知っている。


 逃げても、相手は来る。


「行きます」


 レクスは答えた。


「ただし、相手の決めた三日後には行きません」


 シグナが笑う。


「いつ行くの?」


「今からです」


 カーニンが用意した時間より早く動く。


 罠が完成する前に、罠そのものを調べる。


 レクスは南鐘楼の方角を見た。


 その夜初めて、消すべき文字ではなく、まだ書かれていない文字を警戒した。


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