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文字喰らいの冒険者  作者: 藤崎聖子


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第七話 嘘つきの契約

「依頼は達成されていない」


 依頼主は、四人が運んできた木箱を前にして言った。


 名前はバルコ・ネムス。


 王都で魔道具店を三軒経営する商人だ。


 太い指には宝石の指輪が六つ。首にも金鎖を巻いている。


 そのわりに、依頼の報酬を払う気はないらしい。


「指定された荷物は、すべて運びました」


 レクスは卓上の契約書を指した。


「古代水路から銀板を十二枚、制御核を一個。数も合っています」


「見た目はな」


 バルコが銀板を一枚持ち上げた。


「だが、これは欠けている」


 右下の角が指の爪ほど削れていた。


「発見したときからです」


「証拠は?」


「遺跡の記録紙に状態を書いたわ」


 シグナが束ねた紙を開く。


「搬出前から同じ欠けがある。写し絵も取ってある」


 紙には銀板の形が正確に写されていた。


 欠けた部分も同じだ。


 バルコは一度だけ目を落とし、鼻で笑った。


「お前たちが書いた記録など信用できん」


「ギルドの立会印があります」


「印があっても、品物が不完全なのは変わらん」


 ロマンが腕を組んだ。


「依頼書には、破損のない遺物を運べとは書いていない」


「商品価値のある状態で届ける。それくらい常識だろう」


「依頼を受けたときは『どんな状態でも構わない』と言いましたよね」


 ティルダが尋ねた。


 バルコの右眉が少し上がる。


「言っていない」


「言ったよ」


「証人は?」


「ここに三人」


「仲間の証言に価値はない」


 ティルダは黙った。


 怒ったようには見えない。


 バルコの顔をじっと見ている。


「この人、最初から払う気がなかった」


 やがて言った。


「何を根拠に!」


「銀板の欠けを初めて見た顔じゃなかった。箱を開ける前から、右下をつかんだ」


 レクスも思い返した。


 バルコは十二枚の一番下から、迷わず欠けた銀板を抜いた。


「遺跡荒らしから状態を聞いていたんだね」


 ティルダが続ける。


「たぶん、あいつらを雇ってたのもあなた。でも捕まったから、今度はギルドへ依頼を出した。報酬は払わず、遺物だけ受け取るつもりだった」


 バルコの顔から笑みが消えた。


「言いがかりだ。帰れ」


「荷物は持ち帰ります」


 レクスが木箱を閉じようとする。


 バルコが蓋を押さえた。


「契約品を勝手に持ち出せば窃盗だぞ」


「報酬を払わないなら、引き渡しも完了していません」


「いいや。品はすでに受領した。お前たちは依頼に失敗した。それだけだ」


 バルコは契約書へ手を置いた。


 紙の縁が青く光る。


《依頼品受領済》


 木箱にも同じ表示が現れた。


 レクスが持ち上げようとしても、床から離れない。


 世界が荷物の所有者をバルコと認めている。


「ずいぶん都合のいい契約ね」


 シグナは本文を読み返した。


「依頼品を置いた時点で受領。報酬は依頼達成後に支払い。達成を認めなければ、品物だけ取れる」


「署名したのはお前たちだ」


 バルコが椅子へ深く座る。


「文字を読まなかった自分を恨むんだな」


 レクスは契約書を見た。


 確かに四人の署名がある。


 契約を受けたとき、本文は読んだ。


 銀板を運ぶ。


 受領後に報酬を払う。


 難しい内容ではないと思った。


 だが、右端に小さな追補がある。


 細い字だった。


 読み飛ばしてはいない。


 意味を軽く見ただけだ。


《本依頼は、依頼主が達成を認めた時に完了する》


「すみません」


 レクスは仲間に言った。


「俺が気づくべきでした」


「署名したのは全員よ」


 シグナが答える。


「あなた一人の失敗ではないわ」


「でも、こういう細かい文章を読むのが俺の役目だった」


 バルコが笑った。


「勉強代だと思え。銅級には高すぎたか?」


 ロマンの腕に力が入る。


 ティルダが横から押さえた。


「殴ったら、こっちが悪くなる」


「分かっている」


「本当に?」


「分かっているから我慢している」


 レクスは追補を見た。


 契約文。


 意味を持つ情報だ。


 消せるかもしれない。


 ただし、すでに署名した契約を書き換えることになる。


 ドレグたちが人を縛った採用契約と何が違う。


 自分に都合よく現実を変えるなら、やっていることは同じではないか。


「ロマン」


「何だ」


「契約を書き換えて報酬を取るのは、正しいと思いますか」


 ロマンはすぐに答えなかった。


「俺は法律家じゃない」


「そうですか」


「だが、契約には品物を運べと書いてある。俺たちは運んだ。相手が約束を守らないために仕込んだ一文なら、その一文を盾にされて黙る気はない」


 シグナも追補を見た。


「契約魔法の改変は犯罪になる場合があるわ。でも、不正な契約を正すための干渉は審理の対象になる。あとでギルドと法務院に説明する必要はあるけれど」


「捕まる?」


 ティルダが聞く。


「やり方次第ね」


「一番怖い答えだ」


 レクスは候補を探した。


《本依頼は、依頼主が達成を認めた時に完了する》


 「不」はない。


 「未」もない。


 分かりやすい否定語を消せばよい文章ではなかった。


 「時」を消せば、文が崩れる。


 「完」を消せば、《了する》。成立しない。


 「認」を消せば、《めた》。意味が壊れる。


 「依」を消せば、《頼主》。人を指す語ではない。


 「主」を消す。


《本依頼は、依頼が達成を認めた時に完了する》


 レクスは眉を寄せた。


 依頼が認める。


 物が判断するなど、普通ならおかしい。


 しかし、これは魔法契約だ。


 依頼書そのものが、品物の受領を認識した。


 誰が署名したかも知っている。


 契約違反があれば、世界へ伝える。


 この紙は、ただの紙ではない。


「シグナ。契約書は、依頼の達成を判断できますか」


「通常は条件に従って判断するわ。今回は判断権を依頼主へ渡しているだけ」


「その依頼主を、依頼に変えたら?」


 シグナが追補を指で隠した。


 「主」の一字が見えなくなる。


 残った文を読む。


「《依頼が達成を認めた時》……」


 青い目が大きく開いた。


「契約書が、本文の達成条件だけで判定する」


「意味は成立しますか」


「魔法契約としてなら、成立するわ」


「おい」


 バルコが立ち上がった。


「何を話している」


「待って」


 ティルダがレクスを見た。


「この人、まだ何か隠してる」


 バルコの左手が机の下へ入っていた。


 小さな紙片をつかんでいる。


 ティルダが机を蹴った。


 紙片が床へ落ちる。


 表には《契約破棄》と書かれていた。


「それを破れば、契約自体を消せる?」


 ティルダが尋ねる。


「証拠ごとな」


 バルコが紙片へ飛びつく。


 ロマンの靴が、その手を床へ押さえた。


「暴力ではない。証拠の保全だ」


「手が折れる!」


「まだ折れていない」


 レクスは契約書へ手を置いた。


 文章全体の意味が流れ込んでくる。


 依頼品は銀板十二枚と制御核一個。


 指定場所から、バルコの店まで運ぶ。


 品物は受領済み。


 契約は未完了。


 未完了の理由は一つ。


 依頼主が認めていないから。


 理解した。


「『主』を喰う」


 追補の一字が黒くなる。


 バルコが叫んだ。


「やめろ! 契約改変は重罪だぞ!」


 文字が崩れた。


 黒い粒がレクスの指先へ入り、喉を通る。


 これまでと違う感覚があった。


 紙の一文だけではない。


 署名した四人とバルコ。


 運んだ銀板。


 約束した金額。


 いくつものつながりが、一瞬だけ胸の内を通り抜ける。


 契約文への干渉。


 物の表示より、はるかに多くの意味を抱えていた。


 追補が変わる。


《本依頼は、依頼が達成を認めた時に完了する》


 契約書の中央に光が集まった。


 本文を上から下へ、青い線が走る。


 銀板十二枚。


 確認。


 制御核一個。


 確認。


 指定場所からの搬出。


 確認。


 依頼主の店舗への輸送。


 確認。


 紙の最下部へ、赤い印が浮かぶ。


《依頼達成》


 バルコの指輪が光った。


「待て」


 六つの宝石から金貨が一枚ずつ飛び出す。


 店の奥にあった金庫が開く。


 銀貨の詰まった袋が宙を飛び、レクスたちの前へ落ちた。


 契約魔法による強制支払いだった。


《報酬支払済》


 木箱の表示も変わる。


《正規譲渡済》


「そんな馬鹿な」


 バルコは契約書をつかんだ。


「依頼が認める? 紙が何を判断できる!」


「あなたより正確だったみたい」


 ティルダが金貨を一枚拾う。


「欠けた銀板も、最初から依頼品として登録されてる。契約はちゃんと覚えてたよ」


 店の外で扉が開いた。


 ギルドの監査員が三人入ってくる。


 先頭には、レクスの冒険者登録を担当した受付嬢がいた。


「契約改変の反応を検知しました」


 彼女はバルコとレクスを順に見る。


「双方、事情を説明していただきます」


 バルコがレクスを指した。


「こいつが契約を書き換えた! 逮捕しろ!」


「改変前の契約も記録されています。依頼達成の事実も確認します」


「私は認めていない!」


「その一言だけでは未達成にならない契約へ変わったようですね」


 受付嬢は契約書を読み、わずかに口元を緩めた。


「法務院で詳しく聞きましょう」


 バルコの顔から血の気が引いた。


 ティルダがレクスの横へ寄る。


「捕まるの、あっちだけ?」


「俺たちも事情聴取はされると思います」


「夕飯までに終わるかな」


「契約を一つ書き換えましたから、無理じゃないですか」


「じゃあ、その金貨で何か食べさせて」


「四人で分けます」


「細かい」


「俺たちの報酬です」


 ロマンが報酬袋を持ち上げた。


「分けるのは審理が終わってからだ。没収されるかもしれん」


 ティルダの肩が落ちる。


 シグナだけは、契約書を見つめていた。


「能力名の次は契約文」


 小さくつぶやく。


「レクス。あなた、どこまで消せるようになるの?」


 レクスは答えられなかった。


 喉の奥には、喰った「主」が残っている。


 主とは、中心に立つ者。


 物を所有する者。


 命令を出す者。


 一文字に結びついていた多くの意味が、まだ胸の中でほどけずにいた。


 もし次に、もっと大きなつながりを持つ文字を喰ったら。


 自分の中に収まりきるのだろうか。


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