第五話 負けない剣士
足音は二人分だった。
階段の下から、松明の光が近づいてくる。
「罠が鳴ったぞ」
「串刺しなら荷物だけ拾え。死体は水路へ流す」
男たちは笑っていた。
まだ四人の姿は見えていない。
ロマンが盾の縁を指で二度叩く。
下がれ、という合図だった。
レクスとシグナは開いた石扉まで戻る。
ティルダだけは、その場から動かなかった。
壁際にしゃがみ、短剣を逆手に持つ。
「おい」
ロマンが小声で呼ぶ。
「私なら見つからない」
ティルダは壁のくぼみへ体を寄せた。
黒い革装備が石の影に溶ける。
階段を上ってきた男には、正面のロマンしか見えていなかった。
「誰だ、てめえ」
男が剣を抜く。
もう一人は鐘の紐へ手を伸ばした。
ティルダが飛び出す。
短剣の柄で手首を打った。
鐘が鳴る前に、ロマンの盾が最初の男を壁へ押しつける。
「下に何人いる」
「知らねえよ!」
「七人」
ティルダが言った。
男の目が一瞬だけ階段へ動く。
「嘘。五人だね」
ティルダは足を払った。
倒れた男の喉元へ短剣を添える。
「捕まえた三人はどこ?」
「そんな奴は――」
「いる。今ので分かった」
ティルダの声から笑いが消えていた。
ロマンは二人の武器を取り上げ、階段の手すりへ縛った。
「殺さないのか?」
男が聞く。
「俺たちは冒険者だ。処刑人ではない」
ロマンはそれだけ言い、先へ進んだ。
階段の下には円形の広間があった。
中央に古い石台が置かれている。
壁際には木箱が積まれ、遺跡から外された銀板や魔石が無造作に詰め込まれていた。
遺跡荒らしは五人。
ティルダの言ったとおりだった。
三人が武器を持つ。
一人は管理装置の前。
最後の一人だけ、何もせず石台に腰掛けている。
大柄な剣士だった。
赤茶色の髪を後ろへ撫でつけ、片手で長剣を支えている。
階段から現れた四人を見ても立ち上がらない。
「保守札を盗んだ鼠が戻ってきたか」
「三人を返して」
ティルダが前へ出た。
「借金は返してもらった。働いた分も払う。今すぐ解放して」
「借金?」
剣士が笑った。
「あれは採用契約だ。本人たちも同意した」
「帰りたいと言ったら、地下牢へ入れたくせに」
「大事な仕事の途中で逃げれば、罰を受ける。当然だろう」
男の頭上に金色の文字が浮かんだ。
《不敗》
称号だ。
レクスの目は、最初の一字に吸い寄せられた。
不。
消せば《敗》になる。
昨日までなら、それで勝てると思っただろう。
レクスは手を伸ばさなかった。
まず考える。
《不敗》は何を意味するのか。
一度も負けたことがない者への呼び名か。
これからも負けないという世界の保証か。
称号と本人の強さはつながっているのか。
「あの称号について知っていますか」
レクスが小声で聞く。
シグナは男を見たまま答えた。
「軍の競技場で十戦以上無敗の者に与えられる称号よ。戦闘中、武器の性能を高める」
「本人を不死にするようなものではない?」
「ええ。でも、勝敗が決まるまで効果が続く」
なら、「不」を消せれば《敗》になる。
勝敗を先に決められるかもしれない。
レクスは称号へ意識を向けた。
意味を読み取ろうとする。
金色の文字は見える。
だが、遠い。
厚いガラスの向こうにあるようで、指先が届かない。
レクスは一歩進んだ。
距離の問題ではなかった。
目の前まで近づいても、意味が流れ込んでこない。
「無駄だ」
剣士が立ち上がった。
「称号に干渉できるのは、同じ位階の称号を持つ者だけだ。銅級の小僧が触れるものじゃない」
レクスの能力を知っている。
「剣を直した話は、もう裏まで届いてる」
男は長剣を抜いた。
「一文字消すんだってな。見せてみろよ」
刃に赤い文字が浮かぶ。
《命中時威力増大》
攻撃を当てるたび、武器の威力が増す。
「俺はドレグ。《不敗》のドレグだ」
剣先がレクスへ向く。
「お前が何を消すか、見てから殺す」
ロマンが割って入った。
長剣が大盾へぶつかる。
金属音が広間を揺らした。
ロマンの足が半歩下がる。
ドレグは続けて剣を振る。
二撃目。
盾が大きく揺れた。
三撃目。
ロマンの靴底が石床を滑る。
「受けるな!」
シグナが叫んだ。
「あいつが攻撃を当てるたびに強くなる!」
「この狭さで、どう避けろと!」
四撃目。
盾の表面に亀裂が入った。
ドレグが笑う。
「いい盾だ。あと三回は持つんじゃないか?」
他の三人も動いた。
ティルダが一人の懐へ入り、短剣で太腿を切る。
シグナは木箱の陰へ逃げながら、石片を投げた。
当たらない。
「私、戦闘は弱いの!」
「知ってる!」
ティルダが答えた。
レクスはドレグの剣を見た。
《命中時威力増大》
文字には触れられる。
物品に刻まれた能力説明。
称号より低い階層だ。
どれを消す。
「命」を消せば《中時威力増大》。意味が成立しない。
「中」を消せば《命時威力増大》。これも意味が通らない。
「時」を消せば《命中威力増大》。命中した攻撃の威力が増す、と読める。蓄積が止まる保証はない。
「威」を消せば《命中時力増大》。力そのものが増える。剣ではなくドレグが強くなるかもしれない。
「大」を消せば《命中時威力増》。増える、という意味は残る。
五撃目。
盾の亀裂が広がる。
ロマンの左腕から血が流れた。
「まだか、レクス!」
「考えています!」
「急いで考えろ!」
ドレグの剣には青い光が重なっている。
一撃ごとに強くなる。
増大。
増えて、大きくなる。
レクスは、その二文字を見た。
「大」を取っても増加は残る。
なら、「増」を取ったら。
《命中時威力大》
攻撃が命中したとき、その一撃の威力が大きい。
増え続ける効果ではない。
最初から威力が大きい武器になるだけだ。
すでに積み上がった力はどうなる。
固定された「大」に置き換わるのか。
それとも増えた分が残るのか。
確証はない。
だが、六撃目が来る。
考える時間は終わりだった。
「ロマン、次を受けたら右へ!」
「分かった!」
長剣が振り下ろされる。
ロマンは盾を傾けた。
真正面ではなく、斜めに受ける。
刃が盾の表面を滑った。
火花が散る。
レクスは横から踏み込んだ。
光に包まれた長剣へ手を伸ばす。
「武器を捨てろ!」
ドレグが剣を引く。
遅い。
レクスの指が赤い文字へ触れた。
「『増』を喰う!」
一文字が崩れる。
黒い粒が指先へ流れ込んだ。
喉が焼けた。
熱い。
今まで喰った文字より、はるかに重い。
レクスは咳き込みながら後ろへ転がった。
剣の表示が変わる。
《命中時威力大》
刃を覆っていた幾重もの青い光が消えた。
一層だけが残る。
「何をした!」
ドレグが長剣を振った。
ロマンは盾で受ける。
大きな音。
だが、足は下がらない。
「威力を大きくした」
レクスは喉を押さえた。
「最初の一撃くらいにはな」
ドレグがもう一度打ち込む。
同じ強さ。
三度目も。
もう増えない。
ロマンの顔つきが変わった。
攻撃を受けるだけだった男が、初めて前へ出る。
盾で長剣を外へ押し、肩からドレグへぶつかった。
体勢が崩れる。
ロマンの拳が腹へ入った。
ドレグが折れる。
次の一撃が顎を打ち抜いた。
大柄な体が石床へ倒れた。
金色の称号が明滅する。
《不敗》
文字に亀裂が走った。
ドレグは起き上がろうとした。
腕に力が入らない。
ロマンの剣先が喉元へ向けられる。
「終わりだ」
「まだ……俺は、負けてない」
「そうか」
ロマンは振り返った。
「なら、そのまま寝ていろ」
残りの三人は武器を捨てていた。
ティルダが管理室の鍵を奪い、奥の牢へ走る。
ほどなくして、三人の若者を連れて戻ってきた。
全員やせていたが、自分で歩ける。
ティルダはそのうち一人の少女に抱きついた。
「遅いよ」
少女が泣きながら言う。
「ごめん」
ティルダも笑いながら泣いていた。
レクスは二人から目をそらし、倒れたドレグを見る。
頭上の文字が変わっていた。
《一敗》
「不」が「一」に変わったわけではない。
称号そのものが、世界によって更新されたのだ。
「『不』を消せなくても、勝てるんですね」
レクスが言う。
ロマンは割れた盾を見下ろした。
「当たり前だ。文字がなければ誰も戦えないのか?」
「銀貨一枚より高そうですね、その盾」
「よく気づいたな」
ロマンの手がレクスの肩をつかむ。
「帰ったら弁償の相談だ」
「俺が壊したわけでは」
「お前を守って壊れた」
「ドレグに請求してください」
「細かい男だな」
ロマンは笑った。
レクスも少しだけ笑う。
喉の奥では、喰った「増」が熱を持っていた。
消したはずの文字が、そこにある。
今度は、気のせいとは思えなかった。




