第二十四話 不完全な神
階段を上るたび、世界の音が近づいた。
泣き声。
怒鳴り声。
剣がぶつかる音。
記録神殿の中ではない。
外の世界だ。
アーカの規則が広がり始めている。
《戦争禁止》
戦場の兵士から武器が消える。
同時に、魔物から町を守る兵まで剣を失う。
《虚偽禁止》
人々の口が、隠していた秘密を勝手に話す。
告白された言葉で家族が争う。
《病死禁止》
死ねない病人が苦しみ続ける。
《反抗禁止》
命令された者が、自分の意思で立ち止まれなくなる。
「正しい結果だけを選んだ世界」
シグナが光の帯を見る。
「条件も例外も読んでいない」
「アーカは全部読んでるよ」
ティルダが答える。
「読んだうえで、無視してる。自分が正しいから」
階段の最上段。
広い円形の部屋へ出る。
中央にアーカが立っていた。
顔を覆う文字の流れが速くなっている。
《全文字管理》
能力名は金色。
その周囲を七つの防壁が回る。
《神への攻撃無効》
《神への接触禁止》
《能力改変無効》
《文字追加無効》
《侵入者移動禁止》
《武器使用禁止》
《反抗意思消去》
「来ることは記録していた」
アーカが言う。
「ここで止まることも」
最後の防壁が光った。
レクスの頭から、戦う意思が薄れていく。
なぜ神へ逆らう。
苦しみのない世界なら、それでいいのではないか。
剣を置けば楽になる。
「レクス!」
ロマンの拳が肩へ当たった。
「自分で考えろ!」
痛みで意識が戻る。
「殴る必要はありましたか」
「戻ったなら必要だった」
ロマンが盾を構える。
盾には《使用禁止》が浮かんでいる。
持ち上がらない。
彼は盾を捨てた。
素手で階段を上る。
《侵入者移動禁止》
足が床へ固定される。
「予定どおりだ」
アーカの声は静かだった。
「お前たちが何を選ぶか、すべて書いてある」
「嘘」
ティルダが言う。
彼女も足を止められている。
それでもアーカの顔を見ていた。
「全部分かってるなら、防壁を七つも出さない」
「必要な処置だ」
「違う。どれを壊されるか分からないから、全部出した」
アーカの顔に《否定》が浮かぶ。
「今の反応。本当だね」
ティルダは七つの防壁を順に見る。
「この中に、一つだけ守ろうとしてるものがある。ほかは見せるための壁」
「どれだ」
ロマンが聞く。
アーカは動かない。
顔の文字も消した。
ティルダは床を見る。
七つの防壁から細い光が伸びている。
六本はアーカへ。
一つだけ、部屋の天井へつながる。
《神への接触禁止》
「あれ」
ティルダが指す。
「アーカを守ってるんじゃない。世界中の文字との接続点を守ってる」
シグナが光を追う。
天井には巨大な一文がある。
古代文字。
《記録神は、世界に記されたすべての文字へ接続中》
「あの文が《全文字管理》の土台」
シグナが訳す。
「アーカが世界中の文字を管理できるのは、神殿の中からすべてに触れられるから」
「なら接触禁止を壊せば、こいつにも近づける」
ロマンが床を殴った。
拳から血が出る。
足の固定は解けない。
「武器は使えない。能力も止められている」
レクスは防壁を見る。
削除は禁止。
返却は使える。
だが、体内の文字を防壁へ返しても、意味が合わない。
「不」を《神への接触禁止》へ加えれば、《神への接触不禁止》。二重否定として成立する可能性はある。
しかし日本語として不自然だ。能力が受けつけない。
「無」を足せば、《神への接触無禁止》。意味が崩れる。
「三」「家」「正」「現」。どれも合わない。
「俺がやる」
カーニンが一歩前へ出た。
《侵入者移動禁止》に止められる。
指先だけを動かした。
「追加も無効だぞ」
アーカが言う。
「知っている。だから、俺の能力をお前には使わない」
カーニンは天井の文章を見た。
《記録神は、世界に記されたすべての文字へ接続中》
「接続」の前へ、一字を作る。
再。
「『再』を加える」
《記録神は、世界に記されたすべての文字へ再接続中》
接続済みという状態が、再接続の途中へ変わった。
「何をした」
「対象はお前ではない。世界法則の説明文だ。《文字追加無効》の保護対象から外れている」
世界中の文字への接続がいったん切れ、すぐに接続処理が始まる。
一瞬。
ほんの一瞬だけ、《神への接触禁止》へ流れる力が止まる。
「ロマン!」
ティルダが叫ぶ。
足の固定が弱まった。
ロマンが床を蹴る。
盾は使えない。
自分の肩を、光の防壁へぶつけた。
《神への接触禁止》に亀裂が走る。
もう一度。
骨が鳴る。
三度目。
防壁が割れた。
レクスの足が自由になる。
アーカまでの道が開く。
残る六つの防壁が動いた。
シグナが古代語を叫ぶ。
「接触禁止は、アーカを『神』として防壁へ伝える接続点です! あれが切れた今、《神への攻撃無効》は守る対象を見失っている!」
「三秒」
カーニンが言う。
「再接続が終わるまで、それだけだ」
レクスは走った。
一秒。
アーカの《全文字管理》が目の前にある。
二秒。
胸の「不」を選ぶ。
管理階段の《関係者以外使用不可》から喰った文字。
使用を許さないという、完全な可否を反転させた「不」。
全であることを否定する意味にも使える。
三秒。
レクスは文字を喉へ押し上げた。
黒い粒を吐き出す。
「返す!」
不の一字が飛ぶ。
《全文字管理》
先頭へ入った。
《不全文字管理》
すべてではない文字の管理。
全文字を管理できない。
不完全な管理。
意味が世界へ反映される。
神殿を埋める文字が乱れた。
《戦争禁止》の一部が消える。
《虚偽禁止》が剥がれる。
《反抗禁止》に穴が開く。
世界中へ伸びていた白い線が、半分以上切れた。
アーカの顔から文字がこぼれる。
「あり得ない」
初めて、声に恐怖があった。
「私は全文字を管理する」
「今は違います」
「一文字を戻しただけで、私の定義を変えた?」
「文字が現実の設計図だと教えたのは、あなたです」
ロマンがアーカへ殴りかかる。
拳が頬へ当たった。
白い顔に亀裂が入る。
シグナの防御文が仲間を包む。
ティルダの短剣がアーカの衣を切る。
カーニンも剣を構えた。
攻撃が届く。
それでもアーカは倒れない。
称号が光る。
《唯一神》
「管理が不完全でも、私は神だ」
白い力が爆発する。
四人とカーニンが吹き飛ばされた。
アーカの体が巨大になる。
神殿そのものが、その背後へ集まっていく。
「唯一の神である限り、世界は私を基準に修復する」
カーニンが起き上がる。
「なら、神を人へ近づける」
指先に一字を作った。
人。
「『人』を加える!」
文字が《唯一神》の後ろへ飛ぶ。
《唯一神人》
一瞬だけ並ぶ。
赤い光が弾いた。
《定義不成立》
「人」はカーニンの指先へ戻る。
「駄目か」
「神人という言葉はあります」
シグナが言う。
「でも《唯一神人》では、『唯一の神である人』なのか、『ただ一人の神人』なのか定まらない。称号として一つに定義できない」
アーカの白い手が上がる。
世界修復が始まる。
《不全文字管理》の「不」が薄れていく。
アーカは自分の定義を元へ戻そうとしている。
「時間がない」
ロマンが立つ。
「次は何を返す」
レクスは《唯一神》を見た。
神。
アーカを支えている言葉。
体内に、その文字はない。
喰ったことがない。
なら、返せない。
削除は禁止されたまま。
アーカの言うとおりだった。
管理を崩しても、神である限り世界は修復する。
最後に消すべき文字は分かっている。
だが今のレクスには、それを消す方法がなかった。




