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文字喰らいの冒険者  作者: 藤崎聖子


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第二十二話 文字削除禁止

 暗闇には、音もなかった。


 レクスは床へ落ちたはずだ。


 痛みはない。


 立っているのか、横たわっているのかも分からない。


「シグナ」


 自分の声が聞こえない。


 口を動かした感覚だけがある。


「ティルダ」


 返事はない。


 手を伸ばす。


 何にも触れない。


 文字がない。


 光もない。


 この場所には、存在を示す情報そのものがなかった。


 レクスは自分の能力を呼ぶ。


《文字喰らい》


 頭の中に表示が浮かぶ。


 赤い文字が重なっている。


《文字削除禁止》


《使用不可》


 「不」を消せば、《文字削除可》。


 分かっている。


 指を伸ばす。


 意味には届く。


 削除を禁止する世界法則。


 この法則自体も、意味を持つ文字だ。


 それでも能力は動かない。


 文字を消すためには、文字を消さなければならない。


 鍵のかかった箱に、箱を開ける鍵が入っている。


 完全に詰んでいた。


 どれほど時間が過ぎたのか分からない。


 暗闇では、時間を測る変化もない。


 レクスの中に、別の記憶が流れ始めた。


 村の家。


 冒険者にならなかった自分。


 父と母は年を取らない。


 同じ朝。


 同じ食事。


 同じ会話。


「今日は何をする?」


「昨日と同じだよ」


 笑顔まで同じ。


 アーカが見せた固定世界だ。


 事故はない。


 病気もない。


 誰も死なない。


 明日も同じ。


 一年後も。


 百年後も。


 レクスは食卓の傷を見た。


 七本。


 冒険者ギルドの受付台と同じ数。


 作られた景色だ。


「これは俺の記憶じゃない」


 声に出す。


 今度は、わずかに音がした。


 固定された幻へ、矛盾が入る。


 食卓が揺れた。


 父と母の姿が紙へ戻る。


 白い空間が破れ、暗闇へ落ちた。


「細かいところばかり見る」


 かすかな声。


 ティルダだった。


「そういうところ、今は助かる」


「どこにいますか」


「分からない。声だけ聞こえる」


 別の方向からロマンの声。


「全員いるか」


「います」


 シグナも答えた。


「カーニンは?」


「いる」


 少し離れた声。


「神に処分され、宿敵に生存確認をされる。ひどい一日だ」


「軽口を言えるなら平気だな」


 ロマンが言う。


「平気ではない。右足の感覚がない」


 皆の声は聞こえる。


 姿は見えない。


 レクスは床を探った。


 何もないと思っていた場所に、硬い面がある。


 手のひらを滑らせる。


 継ぎ目も角もない。


「これは牢です」


「何も見えないのに?」


 シグナが尋ねる。


「床があります。声も戻った。アーカの幻を拒んだことで、俺たちの存在情報が少し戻っている」


 言葉にすると、周囲が変わった。


 五人の輪郭がぼんやり見える。


 白い壁。


 天井。


 四角い部屋。


 壁に表示が浮かぶ。


《完全閉鎖》


「文字が出た」


 ティルダがレクスを見る。


「消せる?」


 レクスは手を伸ばす。


《文字削除禁止》


 赤い表示。


「無理です」


 「完」を消せば《全閉鎖》。全体を閉じる意味が残る。


 「全」を消せば《完閉鎖》。完全閉鎖の略として読まれるかもしれない。


 「閉」を消せば《完全鎖》。完全な鎖。別の拘束へ変わる可能性がある。


 「鎖」を消せば《完全閉》。完全に閉じる。意味は変わらない。


 能力が使えても、安全な一字はない。


「消す必要はない」


 カーニンが壁へ近づいた。


「俺は追加を禁じられていない」


 頭上に《一文字追加》。


 表示は白いまま。


「何を足す」


 ロマンが聞く。


「完全の前に一字」


 カーニンの指先へ黒い文字が生まれる。


 不。


「『不』を加える」


 文字が壁へ入った。


《不完全閉鎖》


 完全ではない閉鎖。


 壁に細い亀裂が走る。


 光が差した。


「私たちを閉じ込めるなら、《完全閉鎖》なんて分かりやすい表示を出さないと思ったけど」


 ティルダが隙間を見る。


「アーカは、レクス以外の能力を軽く見てる」


「俺は観察対象ではなかったからな」


 カーニンが亀裂へ剣を差し込む。


 ロマンも手をかける。


 二人で広げた。


 壁が紙のように裂ける。


 外は記録神殿の下層だった。


 無数の白い棚が並ぶ。


 棚には、レクスが喰った文字と同じ形の光が保管されている。


「消された文字の記録?」


 シグナが近づく。


「アーカが世界から除いた文字ね。失敗した契約、消された名前、廃止された法。全部ここへ残している」


「アーカ自身も、消していない」


 レクスは棚を見た。


「記録から外して、ここに置いている」


「お前と同じだ」


 カーニンが言う。


「俺は同じじゃないと思っていました」


「アーカは誤りを保管する。君は文字を喰う。呼び方が違うだけで、消滅させてはいない」


 レクスは胸の中へ意識を向けた。


 今までは、重さと熱だけだった。


 一つずつの形までは見えなかった。


 ここには消された文字の記録が満ちている。


 共鳴するように、体内の反応が光った。


 最初の「不」。


 壊れた剣を直した文字。


 「猛」。


 毒を弱めた文字。


 古代レム語の未完了字。


 管理階段の「不」。


 「増」。


 「無」。


 「主」。


 バルコの契約から喰った文字。


 依頼品、依頼主、署名した四人。そのつながりを抱えた一字だった。


 ティルダの名が消された夜、この「主」だけはアーカの管理から外れたレクスの内側にいた。契約に四人いたという痕跡を残し、偽の空白に抵抗していた。


 だからレクスだけは、ティルダを完全には忘れなかった。


 カーニンが毒へ加えた二度目の「猛」。


 「厳」。


 「副」。


 記録兵の「不」。


 「会」。


 王位継承書の「現」。


 暗号の「無」。


 「三」。


 「家」。


 「正」。


 十七の文字。


 どれも形を失っていない。


 喰ったときの意味まで残っている。


「見える」


 レクスは胸を押さえた。


「今まで喰った文字が、全部」


 シグナが息をのむ。


「十七文字。能力を使った回数と一致する?」


「はい」


「なら古文書の続きは――」


「喰らいし字は、その身を何かにする」


 下半分は焼けていた。


 保管する。


 満たす。


 作る。


 候補はいくつもある。


「削除は禁止されている」


 ティルダが言う。


「でも、中にある文字を見ることは禁止されてない」


「見るだけでは、アーカに勝てません」


「今までだって、最初は見るだけだった」


 レクスは十七文字を追った。


 消えていない。


 体の中に保管されている。


 なら、なぜ保管する必要がある。


 世界から外すだけなら、アーカの棚と同じでいい。


 わざわざ《文字喰らい》という生きた器へ入れる理由。


「カーニン」


「何だ」


「追加した文字は、どこから出していますか」


 カーニンは指先を見る。


「自分の魔力で形を作る。意味を理解し、対象へ渡す」


「渡したあと、戻せますか」


「できない。一度渡せば対象の一部になる」


 渡す。


 対象の一部にする。


 レクスの中にある文字も、誰かへ渡せるのか。


 まだ分からない。


 試そうとしても、喉で止まる。


 吐き出し方を知らない。


 神殿全体に鐘が鳴った。


《収容違反を確認》


《削除文字保管庫を封鎖》


 棚の間から白い兵士が現れる。


 百体。


 ロマンが盾を構えた。


「考える時間は稼ぐ」


 シグナが古代語の防壁を張る。


 ティルダは保管庫の出口を探す。


 カーニンが剣を抜き、レクスの横へ立った。


「借りを返せ。君の中の一字を、世界へ戻せ」


 レクスは十七の文字を見る。


 削除ではない。


 喰ったものを外へ出す。


 その行為に、禁止はかかっていない。


 問題は一つ。


 どうすれば、喉の奥で止まった文字を吐き出せるのか。


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