第二十話 歴史は誰が書いた
屋敷を出たとき、王都の鐘が鳴った。
警報ではない。
正午を知らせる鐘。
いつもと同じ音だった。
通りを歩く人々だけが違う。
レクスを見ると、足を止める。
顔に恐れが浮かぶ。
母親が子供を抱き寄せた。
「文字喰らいだ」
誰かが言う。
「王都を封鎖した男」
レクスは立ち止まった。
「違います」
声をかけた男が後ずさる。
「近づくな。次は何を消す気だ」
「封鎖を解除したのは俺です」
「嘘をつけ」
周囲から同じ声が上がる。
窓の掲示紙に文字が浮かんだ。
《文字喰らいレクス・リテラは、王位を奪うため王都を永久封鎖した》
別の紙。
《アルダン三世を脅し、王の定義を一時消去した》
さらに次。
《白紙会は封鎖解除に尽力した》
「逆だ」
ロマンが紙を破る。
破れた紙の下から、同じ文章が現れた。
壁にも。
看板にも。
店の帳簿にも。
王都中の記録が書き換わっている。
「歴史改変」
シグナは首の契約印があった場所を押さえた。
「アーカは、今起きたことを過去の事実として登録している」
「人の記憶まで変わるの?」
ティルダが聞く。
自分で言ったあと、彼女の目が揺れた。
「レクス。あんた、本当に封鎖を――」
口を閉じる。
「ごめん。違う。私も一緒にいた」
「記憶が書き換わり始めています」
レクスは自分の手を見る。
王位継承書から「現」を喰った。
王都の封鎖は解けた。
それは覚えている。
だが、その前。
白紙会支部で計画書を見つけたのは誰だったか。
一瞬だけ、思い出せない。
頭の中へ別の映像が入る。
国土記録盤へ、自分が《永久封鎖》を書き込む姿。
起きていない記憶。
「俺まで変わる」
「走れ」
ロマンが三人を押した。
通りの向こうから衛兵が来る。
「レクス・リテラ! 王都反逆の罪で拘束する!」
「王に会わせてください!」
「陛下を害する気か!」
衛兵は槍を構えた。
ロマンが盾で受ける。
「傷つけるな!」
「向こうは本気だよ!」
ティルダが煙玉を投げる。
四人は路地へ逃げた。
王城へ向かう道には検問がある。
ギルドも安全ではない。
冒険者名簿が改変されれば、レクスは犯罪者として登録されている。
「どこへ行く」
ロマンが先頭を走る。
「記録院」
シグナが答える。
「正史の原本は、あそこに保管されている」
「歴史を書き換えるなら、最初に守られているだろ」
「だから行くの。複写を一枚ずつ直しても終わらない。原本を止める」
ティルダが隣を走るロマンを見た。
「ねえ。どうしてロマンは平気なの?」
「何がだ」
「私もシグナも、偽物の記憶が入ってくる。レクス本人まで。でも、ロマンは迷ってない」
ロマンは足を止めなかった。
「俺には文字の能力がない」
「それだけ?」
「称号も、魔法契約も、ろくな適性もない。世界記録と俺をつなぐ文字が少ないんだろう」
「平気なの?」
「頭の中に、知らん戦場が見えている。平気ではない」
ロマンは一度だけ眉間を押さえた。
「ただ、お前たちより書き換えが遅い。忘れる前に、覚えていることを言える」
シグナがうなずく。
「あり得るわ。記録改変は、文字による結びつきが強い者から影響する」
「役に立たないことが役に立ったな」
ロマンが笑う。
「俺が覚えている。レクスは封鎖を起こしていない。お前たちが忘れても、何度でも言う」
記録院の前には衛兵がいた。
正面から入れない。
ティルダが以前の潜入で使った裏口へ回る。
三重の鍵は増えていた。
五重になっている。
「増やせばいいと思ってる」
ティルダが道具を差し込む。
「時間は?」
「五つなら五分」
「一つ一分なのか」
「鍵による」
二分で開いた。
「五分と言っただろう」
「早く開いて怒られることある?」
「確認しただけだ」
中へ入る。
名簿の棚が白く光っている。
すべての記録が同じ歴史を受信していた。
管理室では、本物の管理人が机に縛られている。
口元に封印。
ロマンが縄を切る。
「正史の原本はどこですか」
レクスが聞く。
管理人はレクスを見て、おびえた。
「王都を封鎖した……」
「違います」
「違う」
ロマンが強く言う。
「俺はその場にいた。この男が解除した」
管理人は混乱した顔で二人を見比べる。
「原本は地下四階。だが、正史守護が起動している。登録された事実に反する者は近づけない」
床が揺れた。
棚から紙の兵士が立ち上がる。
十体。
胸に同じ文章。
《反逆者レクスを排除》
ロマンが盾を構える。
「先へ行け。ここは俺が止める」
「十体です」
「文字で決められた敵なら、文字の薄い俺が相手にちょうどいい」
紙の槍が飛ぶ。
盾が弾く。
「行け!」
レクスたちは地下へ走った。
階段を下りるたび、偽の記憶が濃くなる。
王城へ忍び込む自分。
国土記録盤へ手を置く自分。
王を笑う自分。
「俺は、封鎖を起こした?」
レクスの足が止まる。
ティルダが頬を叩いた。
「起こしてない」
「でも、記憶がある」
「私にもある。でも、その記憶のレクスは右手で文字を消してる」
「俺は右利きです」
「能力を使うときは、いつも左手」
レクスは自分の左手を見た。
ティルダは細部を覚えていた。
「作った記憶は、あんたの癖まで知らない」
「細かいですね」
「うつった」
三人は地下四階へ着いた。
巨大な書庫。
中央に一冊の本が浮かんでいる。
王国正史。
歴代の出来事を、世界が事実として保証する原本。
開かれた最新ページに文章がある。
《レクス・リテラは王位簒奪を企て、王都永久封鎖を発動した》
その下に、白紙会を英雄とする記述。
レクスは偽の一文へ近づいた。
「消せる?」
ティルダが聞く。
意味は読める。
しかし、どの一字を消しても別の偽りが残る。
「王」を消せば《位簒奪》。地位を奪う企てになる。
「都」を消せば《王永久封鎖》。王を永久に封じた歴史へ変わる。
「発」を消せば《動した》。封鎖を動かした、関与したという意味が残る。
「文章を直すのは無理です」
しかも一文だけではない。
王都中へ同じ歴史が複写されている。
この一文から一字を消しても、別の記録が補う。
上を見る。
本の表紙に金色の分類がある。
《正史》
「正史とは何ですか」
シグナが答える。
「王国が唯一の事実として認定した歴史。ほかの記録と矛盾した場合、正史が優先される」
「『正』を消したら?」
《史》。
歴史の記録。
意味は残る。
ただし、正しいと保証された唯一の歴史ではない。
「一冊の資料になる」
シグナが言う。
「ほかの記録と同じ。契約書、国土記録盤、衛兵の日誌、私たちの記憶と比較される」
「偽の文章は消えません」
「でも、世界が無条件に信じるのをやめる」
レクスは表紙へ手を伸ばした。
今まで触れたどの文章より遠い。
称号より深い。
王位継承書より重い。
一国の過去すべてとつながっている。
指が弾かれる。
まだ届かない。
「レクス」
ロマンの声が階段から響いた。
紙の兵士に追われ、傷だらけで立っている。
「お前が何をしたか、俺が覚えている」
盾で槍を受ける。
「王も覚えている。助けた民も、証拠もある。一冊の本に負けるほど薄い過去じゃない!」
レクスの左手が熱くなる。
王都封鎖を解いたときに喰った「現」。
記録を正しくするためではない。
今という時間を守るために使った文字。
記憶契約から喰った「家」。
歴史より目の前のシグナを選んだ文字。
体内の文字が、表紙の意味へ道を作る。
正しい歴史。
誰が正しいと決めるのか。
世界か。
王国か。
一冊の本か。
レクスは、正史の意味を理解した。
「届く」
金色の「正」へ触れる。
「『正』を喰う!」
一字が黒く崩れた。
激しい痛みが腕を走る。
喉へ落ちる途中で、何千もの声が聞こえた。
戦争。
即位。
誕生。
死。
王国の歴史が持つ重さ。
レクスは吐きそうになりながら、文字を飲み込んだ。
《史》
表紙の金色が消え、普通の黒い文字になる。
《唯一事実保証・解除》
《複数記録の照合を開始》
王位継承書。
国土記録盤。
白紙会支部の押収書類。
法務院の記録。
衛兵の日誌。
市場の人々の証言。
何百もの記録が、偽史と並ぶ。
一対何百。
矛盾の判定が反転する。
《偽造史料の疑い》
紙の兵士が止まった。
胸の《反逆者レクス》が薄くなる。
人々の記憶から、偽の映像が消えていく。
レクス自身も思い出した。
東区支部で計画書を見つけた。
王へ警告した。
王位継承書から「現」を喰った。
封鎖を解いた。
正史の偽文は残っている。
ただ、その横に赤い注記がついた。
《信頼性なし》
「消さなかった」
シグナが表紙を見る。
「偽の歴史を、嘘だと分かる形で残した」
「消せば、誰かがまた同じ嘘を書くかもしれません」
レクスは床へ座り込んだ。
「これは、アーカが嘘を書いた証拠です」
書庫の白い壁へ人影が浮かぶ。
顔のない光。
「嘘ではない」
アーカの声。
「可能性の一つを、事実として固定しただけだ」
「それを嘘と言うんです」
「不安定な記録を並べ、人に選ばせる。だから争いが起きる」
「一冊だけに決めさせれば、間違っても直せない」
白い人影が初めて、レクスへ顔を向けたように見えた。
「ならば来なさい」
書庫の奥に扉が現れる。
《記録神殿》
「すべての文字を管理する私が、正しい世界を見せよう」
扉の向こうから、白い光が流れ込む。
最終段階への道が開いた。




