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文字喰らいの冒険者  作者: 藤崎聖子


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第十六話 王を王と認める

 王統保管庫には、扉が三つあった。


 鉄。


 銀。


 金。


 それぞれ別の鍵と、別の承認が必要になる。


「急げ」


 王が自ら鉄の鍵を回す。


 筆頭魔術師が銀の扉へ杖を当てた。


 金の扉は、王と魔術師と記録官の三人が同時に手を置かなければ開かない。


 記録官が見当たらなかった。


「先ほどまでいたはずです」


 護衛が廊下を見る。


「探せ!」


「待って」


 ティルダが金の扉へ近づいた。


 床に紙片が落ちている。


 白い紙。


 中央に黒い線。


「白紙会」


 彼女は紙片を裏返した。


 短い命令がある。


《記録官を眠らせ、鍵を隠せ》


「城の中にも協力者がいる」


 ロマンが剣を抜いた。


 廊下の向こうで足音がする。


 護衛の一人が後ずさった。


 右手を背中へ回す。


「その人」


 ティルダが指した。


「今、逃げる場所を見た」


 護衛が走る。


 ロマンが追った。


 角を曲がる前に盾を投げる。


 護衛の足へ当たった。


 倒れた男の懐から、金の腕輪が転がる。


 記録官の承認印だ。


「記録官はどこだ」


 ロマンが男の腕をねじる。


「知らない」


「嘘。殺してはいない」


 ティルダが顔をのぞく。


「東の物置。眠らせただけ」


 王が別の護衛へ命じる。


「救出しろ。腕輪は先に使う」


 三人が金の扉へ手を置いた。


 王。


 筆頭魔術師。


 記録官の腕輪を持つシグナ。


 鍵が動く。


 重い扉が内側へ開いた。


 保管庫には、歴代の王位継承書が並んでいる。


 初代からアルダン三世まで、百を超える巻物。


「どれですか」


 レクスは三つの扉を見比べた。


 王は一番奥の棚を示した。


「余の即位は二十七年前。青い筒だ」


 シグナが取り出し、机へ広げる。


 紙は新しい。


 それでも文字の形式は千年前から変わっていない。


 古代語と現代語が併記されている。


 最初に先王の崩御。


 次に継承者の血統。


 諸侯と神殿の承認。


 末尾に世界へ向けた宣言がある。


《王位継承者アルダンを現王と定める》


 その下に、王権印。


 さらに一行。


《現王を王と認定する》


「なぜ二度、王と書くんですか」


 レクスが聞いた。


 シグナが古代語の側を読む。


「最初の一文は、人間社会の宣言。アルダンという人を現王に定める」


 次の一行を指す。


「こちらは世界記録への命令。宣言された現王を、この国の『王』として登録する」


「上の文が人を決め、下の文が役割を与える」


「そうよ」


 レクスは二つの文を見た。


 上から「現」を消せば、《王位継承者アルダンを王と定める》。


 意味は変わらない。


 アルダンが王であることは残る。


 下から「現」を消す。


《王を王と認定する》


 主語と目的語が同じになる。


 王を王と認める。


 間違った文章ではない。


 ただし、誰を王にするのか書いていない。


「これです」


 レクスは下の一文を指した。


「『現』を消します」


 筆頭魔術師が首を振った。


「待て。王の定義が消えれば、王権に支えられた術式がすべて止まる」


「どれくらいの間ですか」


「分からん。戻らない可能性もある」


「封鎖は解除されます」


「城壁の防衛、法務院の契約保証、国庫、軍の指揮権まで失われるぞ」


「王が死んでも同じでは?」


 魔術師が言葉に詰まる。


 王は継承書を見た。


「余の定義が戻る根拠はあるか」


 レクスはすぐに答えなかった。


 上の一文は残る。


《王位継承者アルダンを現王と定める》


 人間社会の宣言。


 諸侯の署名。


 王権印。


 先王からの血統。


 下の世界命令が循環しても、上にはアルダンが現王だという記録がある。


「世界記録は、矛盾した定義を修復しますか」


 シグナへ尋ねる。


「補助記録があれば、参照し直す」


「上の文が補助記録になる?」


「なるわ。時間は分からないけれど」


「どれほどだ」


 王が聞く。


「過去の記録では、短ければ数秒。長ければ一日」


 地上から大きな音がした。


 城門へ何かがぶつかっている。


 護衛が駆け込む。


「陛下! 広場へ民衆が集まっています!」


「暴動か」


「一部が、王を差し出せと!」


 白紙会の紙が城壁から降り続けているという。


《王一人か、民十万か》


《王の死で封鎖は解ける》


《文字喰らいは決断できない》


 選ばせる言葉。


 追い詰める言葉。


 レクスは拳を握った。


「今やります」


「陛下!」


 筆頭魔術師が止める。


 王は冠を外した。


 机の横へ置く。


「行え」


「王権が戻らない場合は――」


「そのときは、文字ではなく民に王を選び直してもらう」


 王はレクスを見る。


「そなたは余を殺さず、王だけを一度消す。そういうことだな」


「消すのは王ではありません」


 レクスは継承書へ手を置いた。


「王を指すための『現』です」


 文章の意味が流れ込む。


 現王。


 今、この国を治める王。


 上の一文でアルダンを指し、下の一文で世界の「王」へ結びつける言葉。


 「現」を失えば、結びつきが一度ほどける。


 消したあとも《王を王と認定する》という文は成立する。


 対象だけが循環する。


 理解できた。


 金色の文字が指へ応じる。


 称号ではない。


 人が作り、世界へ登録した継承文。


 届く。


「『現』を喰う」


 一字が黒く染まった。


 今までの文字より重い。


 国中の契約が一本の文字へつながっている。


 黒い粒が指先へ入る。


 腕を通り、喉へ落ちた。


 レクスは息ができなくなった。


 膝をつく。


 継承書の文が変わる。


《王を王と認定する》


 世界が問い返した。


《対象となる王を指定してください》


 文は答える。


《王》


 世界が再び問う。


《王とは誰ですか》


 文は同じ答えを返す。


《王》


 循環。


 王という役割から、アルダン個人への道が消えた。


 王の頭上から《生存王》が消える。


 国土記録盤に変化が走った。


《条件対象:王》


《対象検索中》


《対象を確認できません》


《継続条件不成立》


《永久封鎖・解除》


 地上から割れる音がした。


 王都を覆っていた白い壁に亀裂が走る。


 朝日が差し込む。


 壁が細かな光へ変わり、空へ消えた。


 東西南北、四つの門が同時に開く。


 広場の声が止まった。


 誰も王を殺していない。


 封鎖だけが消えた。


「やった」


 ティルダがレクスの背を支える。


「そっちを消すの?」


「俺も、最後まで分かりませんでした」


「今それ言う?」


 王はまだ称号を失ったままだった。


 護衛たちが戸惑っている。


 忠誠契約の一部が消え、誰を守るべきか判断できない者もいる。


 王は冠を手に取り、広場へ向かった。


「どこへ行かれる」


 筆頭魔術師が聞く。


「民の前だ。文字が余を王と呼ばぬなら、直接話す」


 城の正面階段へ出る。


 広場を埋めた人々が、白髪の男を見る。


 称号はない。


 王権の光もない。


 それでも、誰かが膝をついた。


 次の一人。


 また一人。


「陛下」


 声が上がる。


 世界記録より先に、人が彼を王と呼んだ。


 継承書の上段が青く光る。


《王位継承者アルダンを現王と定める》


 諸侯の署名。


 王権印。


 民の承認。


 複数の記録がつながる。


 世界が定義を修復した。


《現王:アルダン三世》


 王の頭上へ《生存王》が戻る。


 城の防衛術式が再起動した。


 止まっていた契約も息を吹き返す。


 封鎖は戻らない。


 術式は一度解除され、発動核も焼き切れていた。


 白紙会の紙が、広場の上で灰になった。


「王を殺せ」という二択は、誰にも選ばれなかった。


 王は階段の上からレクスを呼んだ。


「そなた、望む褒美はあるか」


「ありません」


「即答するな。少しは考えよ」


「では、古文書庫の閲覧許可を戻してください」


 シグナが横から口を挟んだ。


「あなたの褒美でしょう」


「俺にも必要です」


「二人分ね」


「勝手に増やすな」


 ロマンが言う。


 王は声を上げて笑った。


「許可しよう。ただし、古文書を消すな」


「触りません」


「その約束は契約書にするか?」


 レクスは少し考えた。


「口約束でお願いします」


「賢明だ」


 王都の門を、朝の荷車が通り始める。


 日常が戻っていく。


 レクスの胸には、喰った「現」が残っていた。


 現在。


 今、この瞬間。


 意味を抱えた文字は、これまでのどれより広く世界へつながっていた。


 そして遠く離れた場所で、白い紙へ文字が浮かぶ。


《王都永久封鎖・失敗》


 誰かの指が、「失」の一字をなぞった。


「失敗ではない」


 女とも男ともつかない声が言う。


「文字喰らいは、王の定義へ届いた」


 白い紙が次の一文を記す。


《観察段階終了》


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