第十三話 正解を急ぐな
ロマンは三日間、起き上がれなかった。
死神の鎌が残した《生命残量・半減》は、治癒魔法でも消えない。
傷ではなく、命の量そのものが減っている。
薬師は安静を命じた。
本人は二日目の朝に抜け出そうとし、治療院の扉へ《患者退出禁止》を貼られた。
「『不』を消してくれ」
寝台の上から頼まれた。
「嫌です」
「なぜだ」
「治療師に怒られます」
「俺が頼んだと言え」
「二人で怒られます」
「細かい奴だ」
口では不満を言いながら、ロマンは起き上がらなかった。
本当は分かっているのだ。
無理に動けば死ぬ。
レクスの背中にも、死神の鎌が残した黒い線がある。
生命は半分。
体を動かすだけで、ひどく疲れた。
二人そろって寝台の上だ。
シグナは資料の山に埋もれ、ティルダは窓際で短剣を磨いている。
誰も古墓地の話をしなかった。
レクスは天井を見た。
何度考えても、同じ場面へ戻る。
《不死》
そこから「不」を消した。
正解だった。
だから《死》が生まれた。
カーニンは「神」を足した。
《死神》
「俺が、あれを作った」
声に出ていた。
ティルダの短剣を磨く音が止まる。
「作ったのはカーニンでしょ」
「元になる《死》を作ったのは俺です」
「あんたが消さなかったら、私たちも墓の名前も消えてた」
「別の答えがあったかもしれない」
「なかったよ。あのときは」
ティルダは布を置いた。
「でも、カーニンにはその前があった」
「その前?」
「あいつは、私たちが墓地へ来る前から考えてた。《不死》を置けば、レクスは『不』を消すって」
「分かりやすい答えでした」
「違う」
ティルダが寝台の横へ来る。
「分かりやすく見せた答え。あいつが見せたかった答えだよ」
レクスは黙った。
「目の前に答えを置かれたら、あんたは考える。でも、時間を奪えば最後にはそれを選ぶ。カーニンはそこまで読んでた」
「では、どうすればよかったんですか」
「それを今から考えるんでしょ」
ティルダはシグナを見た。
「三日も紙を広げてる人が、何か用意してるみたいだし」
シグナが資料の陰から顔を出す。
「聞こえていたの?」
「紙をめくる音がうるさい」
「ちょうどいいわ。始めましょう」
シグナは小さな木箱を机へ置いた。
蓋に銀色の文字がある。
《開封者に罰を与える》
「学院の訓練箱よ。間違って開けても、頭から水を浴びるだけ」
「病室でやるものではない」
ロマンが言う。
「だから床に布を敷いたわ」
「そういう問題ではない」
シグナは聞かなかったことにした。
「レクス。この箱を安全に開けて」
レクスは起き上がる。
表示を読む。
《開封者に罰を与える》
「罰」を消せば、《開封者にを与える》。意味不成立。
「与」を消しても文が崩れる。
「者」を消すと、《開封に罰を与える》。開封という行為が罰を受ける。人にはかからないかもしれない。
「『者』を消します」
「不正解」
シグナが即答した。
「まだ使っていません」
「だから止めたの。箱の裏を見て」
ティルダが箱を持ち上げる。
底に小さな追記があった。
《開封行為への罰は、開封者が受ける》
「者」を消しても、追記によって罰は人へ戻る。
「本文だけでは足りない」
シグナが言う。
「文章には本文、注記、署名、対象、書き手、読み手がある。あなたは本文の中だけで答えを探しすぎる」
「バルコの契約では追補を使いました」
「見つけた追補を変えただけ。今回は、最初から全部を探して」
レクスは箱を調べた。
蓋。
底。
側面。
蝶番。
表の二文以外に文字はない。
「署名は?」
箱を作った学院の印がある。
《王立学院・基礎呪法科》
そこから一字を消しても、罰とは関係がない。
対象は開封者。
開ける者がいなければ、罰は生じない。
「箱に開けさせる」
レクスは言った。
「どうやって?」
「『開封者』という言葉は、人だけを指しますか」
「いいえ。開封した主体を指す」
レクスは窓を見た。
風でカーテンが揺れている。
箱を窓際へ置く。
蓋の留め具に細い紐を結び、反対側をカーテンへ結んだ。
窓を少し開ける。
風が入る。
カーテンが膨らみ、紐を引いた。
箱の蓋が開く。
天井から水が落ちた。
窓枠とカーテンだけが濡れる。
四人にはかからない。
《開封者:風》
箱に表示が出た。
《罰執行不能》
「風は水を浴びても困らない」
レクスが言う。
シグナは目を丸くした。
「能力を使わなかった」
「使えとは言われていません」
ティルダが笑う。
「細かい」
「褒め言葉として受け取ります」
ロマンも口元を緩めた。
「少しは戻ったな」
シグナは二つ目の箱を出した。
「では、次」
「いくつあるんですか」
「十二個」
「治療院を何だと思っている」
「静かな研究室」
「出ていけ」
それから二日、レクスは箱と札と契約書を調べ続けた。
文字を消す訓練ではない。
消す前に、何を見るかを増やす訓練だ。
扉に《入室禁止》とあれば、扉だけでなく部屋の出口を見る。
契約に《違反者を拘束》とあれば、違反の判定者を探す。
能力に《攻撃無効》とあれば、攻撃以外の作用を考える。
十二個目の箱を前にしたとき、レクスは文字を見なかった。
まずシグナを見た。
「何?」
「この問題を作った人です」
「そうね」
「俺に何を消させたいですか」
シグナが笑った。
「ようやく聞いたわね」
箱には《絶対に開けるな》と書かれている。
命令でも呪いでもない。
ただの注意だった。
中には何も入っていない。
レクスが文字ばかり見て、作った者の意図を聞くか試したのだ。
「カーニンは、答えを用意して待っていた」
レクスは言った。
「次は、答える前に聞きます。なぜ、この文字を俺に見せたのか」
その日の夕方、五日かけた生命回復の儀式が終わった。
ロマンの《生命残量・半減》が消える。
レクスの表示も、ようやく元へ戻った。
二人は治療院を出た。
入口では、記録院の管理人が待っていた。
「白紙会について、分かったことがあります」
彼は封印された紙袋を差し出した。
中には、白い男が落とした指輪の記録がある。
所有者名は偽名。
所属欄に《白紙会執行部》と刻まれていた。
拠点として登録された住所も残っている。
王都東区の印刷工房。
「あからさますぎる」
ティルダが言う。
「罠ですね」
レクスも答えた。
「でも行くんでしょ?」
「行きます」
「何を消す?」
レクスは首を横へ振った。
「まだ決めません」
まず、誰がその住所を残したのか。
なぜ見つけさせたのか。
相手が何を消してほしいのか。
そこから考える。
古墓地での正解は、もう出さない。
答えを急げば、次に生まれるのは死神では済まないかもしれない。




