第十二話 死神を作る
カーニンが指定した三日後。
南鐘楼には誰も来なかった。
衛兵が爆薬を撤去し、塔の周囲を封鎖している。
白紙会も、カーニンも、姿を見せない。
「最初から待ち合わせじゃなかったんだね」
ティルダが遠くから鐘楼を見た。
「俺たちをあそこへ閉じ込めて、別の計画から遠ざけるための場所だった」
ロマンが答える。
「でも、その別の計画も記録院で止めました」
レクスは言った。
「まだよ」
シグナが焼却名簿の写しを開く。
「白紙会が百二十七人の名を選んだ目的は分かった。でも、原簿の余白に出た黒い線は説明できていない」
「俺にしか見えなかった線」
「あなたの体内にある文字が反応した可能性が高いわ」
レクスは胸へ触れた。
十の反応。
記録院で喰った「副」も加わっている。
どれも普段は静かだ。
記録院の原簿を前にしたときだけ、一斉に震えた。
「地下に、まだ何かある」
ティルダが言った。
「原簿の部屋は見たよ」
「床の下を見ていない」
「何か見つけたのか」
ロマンが尋ねる。
「白い男を追ったとき、管理人の指輪を落とした場所へ戻った。路地に土がついてた。記録院の地下は石床なのに、黒い土」
ティルダは靴底から包み紙を出した。
中に黒い粒がある。
「王都の下にある古い墓地の土。子供のころ、あそこでよく隠れたから知ってる」
「子供が墓地へ隠れるな」
「追いかけられてたの」
「何をした」
「昔の話」
ティルダは答えなかった。
古墓地は、今の王都ができる前から存在した。
地上の入口はすべて封鎖されている。
記録院の地下を通れば、原簿を運ぶための古い道へつながっているという。
四人は正式な再調査許可を取り、地下へ入った。
原簿の台座を動かす。
下から冷たい風が吹いた。
石の蓋がある。
表面に白紙会の印。
「やっぱり」
ティルダが耳を当てる。
「奥で何か動いてる。気配は二つ」
「カーニンも?」
「声までは聞こえない」
蓋には鍵がなかった。
ロマンが持ち上げる。
地下へ続く穴が開いた。
石段の先に、白い光がある。
四人は順に下りた。
古墓地の壁には、無数の名が刻まれていた。
王都ができる前に死んだ者たち。
文字は古いが、シグナには読めた。
「名前だけね。生年も家名もない」
「白紙会は、死者の名を消すつもりだった?」
レクスは並んだ墓碑を見回した。
「消しても気づく者が少ない。記名抹消の試験には向いているわ」
通路の奥から、拍手が聞こえた。
「半分正解だ」
カーニンが立っている。
灰色の長衣。
細身の剣。
その後ろには白い祭壇があった。
祭壇の上に、焼けた紙片が置かれている。
「古文書の続き」
シグナが息をのむ。
切断された縁。
古文書庫の本から失われたページと同じ大きさだ。
「本物か?」
ロマンが聞く。
「八百年前の紙だ。シグナなら見分けられる」
カーニンは紙片へ触れない。
「白紙会は、ここで何をする」
レクスは通路の奥に立つカーニンをにらんだ。
「君の限界を測る」
「名簿の百二十七人は?」
「会の実験だ。俺は興味がない」
「仲間ではないと言っていましたね」
「利害が重なるだけだ。会は君の力を管理したい。俺は育てたい」
カーニンが指を鳴らす。
祭壇の奥で鎖が落ちた。
白い布に包まれた人影が立ち上がる。
背丈はロマンほど。
顔はない。
布の内側には肉も骨もなく、黒い文字だけが渦巻いている。
「人間ではないわ」
シグナは人影の中で渦巻く文字を観察した。
「文字で形を保つ人形。記録兵ね」
「白紙会が作った試作品だ」
人形の頭上に表示が出る。
《不死》
「倒してみろ」
カーニンが笑う。
「あまりにも分かりやすいだろう?」
レクスは《不死》を見た。
二文字。
誰でも思いつく。
「不」を消せば《死》。
だが、カーニンはそれを待っている。
分かりやすい答えを、わざわざ目の前へ出した。
「消すな」
ロマンがレクスの前へ腕を出した。
「罠だ」
「分かっています」
記録兵が動いた。
腕から黒い刃が伸びる。
ロマンの盾へ打ち込む。
重い音。
ティルダが背後へ回り、短剣を布へ突き立てた。
手応えがない。
刃は文字の渦を抜けて反対側へ出る。
「中身がない!」
「記録だけで動いている」
シグナが祭壇の文字を読む。
「《不死の記録兵は、命令が続く限り活動する》」
「命令は?」
「《侵入者を排除せよ》。一字では安全に崩せない!」
「侵」を消せば、入った者を排除する。
「入」を消せば、侵す者を排除する。
「排」を消せば、除けという命令が残る。
「除」を消せば、排する意味が残る。
鐘楼と同じだ。
白紙会は、レクスが命令文を消せないよう作っている。
ロマンが何度斬っても、布は元へ戻る。
ティルダが足を払っても、倒れたまま腕が伸びる。
シグナは祭壇の周りを探す。
「動力源がない。周囲の死者の記録から力を引いている!」
墓地の壁で、名が一つずつ薄くなっていた。
死者の記録を食べて動いている。
「止めないと、名前が全部消える」
ティルダが叫ぶ。
レクスは候補を探した。
記録兵の腕。
祭壇。
命令文。
注意書き。
どこにも安全な一字がない。
カーニンは少し離れた場所で見ている。
攻撃に加わらない。
レクスが答えを出すのを待っている。
「目的は俺に『不』を消させることですね」
「そう思うなら、別の答えを探せ」
「別の答えも塞いだ」
「今の君には、な」
記録兵の刃がロマンの盾を裂いた。
肩へ入る。
血が飛んだ。
「ロマン!」
「まだ動く!」
ロマンは盾を捨て、記録兵へ体当たりした。
両腕で抱え込む。
「早く決めろ!」
壁の名が消えていく。
一つ。
十。
二十。
死者を覚えていた家族も、同時に記憶を失うかもしれない。
時間はない。
罠だと分かっている。
それでも他の答えが見つからない。
レクスは《不死》へ手を伸ばした。
「待って」
ティルダが言った。
「カーニン、喜んでる。これを待ってた」
「分かっています」
「なら――」
「このままでも全員死ぬ」
レクスは二文字の意味を読む。
生命を持たない。
死の状態にならない。
破壊されても活動を続ける。
「不」を消せば、死の状態が確定する。
記録兵は人間ではない。
中に誰かがいるわけでもない。
消す。
「『不』を喰う!」
一字が黒く崩れた。
喉へ落ちる。
《死》
記録兵の動きが止まった。
腕の刃が消える。
白い布が床へ落ちた。
中に渦巻いていた文字も光を失う。
壁の名が薄くなる現象が止まった。
「終わった?」
シグナが祭壇を見る。
カーニンは笑っていた。
「正解だ、レクス」
彼の指先に一文字が生まれる。
「だから、俺も正解を返す」
赤い文字。
神。
レクスの背筋が冷えた。
カーニンと初めて会った夜に聞いた言葉を思い出す。
死という一字に、何かを足せばいい。
「止めろ!」
レクスが走る。
カーニンの指が《死》へ向く。
「『神』を加える」
一文字が飛んだ。
《死》
その前に重なる。
《死神》
墓地の空気が凍った。
床に落ちた白い布が膨らむ。
中から黒い腕が伸びた。
先ほどの記録兵とは違う。
骨のように細く、指先まで形がある。
巨大な影が立ち上がる。
天井へ届くほどの黒い外套。
顔のあるべき場所には、何もない。
右手に長い鎌が生まれた。
墓地に刻まれた死者の名が、一斉に青く燃える。
《死者支配》
《生命刈取》
《死霊召喚》
能力表示が次々に現れる。
「レクス、消して!」
シグナが叫ぶ。
レクスは《死神》へ手を伸ばした。
意味は分かる。
「神」を消せば《死》へ戻る。
だが、文字が指を拒んだ。
同じ対象には一度しか使えない。
もともと《不死》だった記録兵。
対象は変わっていない。
名前が変わっても、世界は同じ存在として扱っている。
「使えない」
レクスの声が震えた。
「もう、この対象から一文字消した」
「それを確認したかった」
カーニンが言う。
「追加されたあとも、一回は戻らない。君の削除は済んだままだ」
死神が鎌を振る。
ロマンが前へ出た。
盾はない。
剣で受ける。
刃が一撃で折れた。
鎌の先が胸をかすめる。
鎧の上から黒い線が走った。
《生命残量・半減》
ロマンが膝をつく。
「一発で……これか」
ティルダが煙玉を投げる。
死神の顔を黒煙が覆う。
鎌は迷わずティルダへ向いた。
目で見ているのではない。
生きている者を感じ取っている。
レクスは体当たりでティルダを押した。
鎌が背中を通る。
痛みはなかった。
体の内側から熱が消える。
《生命残量・半減》
一度で半分。
二度受ければ死ぬ。
「退くぞ!」
ロマンが叫ぶ。
「古文書のページは!」
シグナが祭壇を見る。
カーニンが紙片を取った。
「欲しければ、次は俺に勝て」
細身の剣で壁の一字を示す。
《閉鎖》
指先に「解」が生まれた。
《閉鎖解除》
墓地の奥に出口が開く。
「なぜ逃げ道を作る」
レクスが聞く。
「ここで死ねば、君は強くならない」
「死神はどうする!」
「白紙会に返す。あれは会の所有物だ」
「制御できるのか」
「たぶん」
カーニンは初めて、少し困った顔をした。
「俺も《死神》まで育つとは思わなかった」
「はあ!?」
ティルダが怒鳴る。
死神の鎌が再び上がった。
カーニンは祭壇へ一枚の札を投げる。
《一時停止》
死神の動きが一瞬止まった。
「十秒だ。走れ」
罠かもしれない。
だが、残れば全滅する。
ロマンがレクスの腕を引く。
ティルダが反対側から支える。
シグナは祭壇を見つめたまま動かない。
「シグナ!」
レクスが呼ぶ。
彼女は紙片を諦め、走った。
四人は開いた通路へ飛び込む。
背後で《一時停止》の文字が消えた。
死神が動く。
鎌が出口へ振り下ろされる。
ロマンが壁の支柱を蹴った。
古い石が崩れる。
通路の半分を塞いだ。
鎌が石を切り裂く。
完全には止まらない。
ただ、数秒は稼げる。
階段を上る。
原簿の部屋へ戻る。
管理人が石蓋を閉じた。
下から衝撃。
蓋に亀裂が入る。
「外へ!」
記録院を出たところで、地下から青い光が噴き上がった。
窓が割れる。
建物全体が揺れた。
それでも死神は追ってこなかった。
白紙会かカーニンが止めたのか。
分からない。
四人は路地へ座り込んだ。
ロマンの胸には黒い傷。
レクスも立てない。
シグナの手は震えている。
ティルダだけが記録院の入口をにらんでいた。
「負けた」
レクスは言った。
誰も否定しない。
正しい文字を見つけた。
意味も理解した。
「不」を消し、《不死》を《死》にした。
能力は成功した。
だから負けた。
カーニンは最初から、その正解を待っていた。
喉の奥には、喰った「不」が残っている。
レクスはそれを吐き出そうとした。
何度も咳をした。
何も出ない。
消した文字を戻す方法は分からない。
今のレクスには、自分が作った《死》を《死神》から救うことすらできなかった。




