9.剣技祭と凱旋
戦争というのはあってはならないことです。外交という局面で避けられるのであれば避けるのが懸命な貴族であると言えましょう。ですが、あってはならないものほど、急に起こってしまうものなのです。昨今、戦争は、その類いのものなのです。
そして、その突然の不幸な出来事に備えるのも貴族には必要なことでございます。
そして、貴族の子息に産まれたからには、剣というのは欠かせないものとなります。殿下の妻として私が殿下の左に立つなら、殿下の右手には剣が握られていることでしょう。大切なものを守ること。権威は徳の上にあるものでございますが、時として、権威は力の上になり立つものでもございます。貴族の殿方たるもの、剣の鍛錬は欠かせません。
「ピアニー。ついに決勝戦ね。どちらが勝つのでしょうか?」と、スタリール家侯爵家が令嬢、ネモフィラが私に尋ねますが、私にもどちらに勝利の女神が微笑むか、見当もつきません。
それにしても、ネモフィラの日傘にほどかされている刺繍はとても繊細です。絹の生地に藍糸で、瑠璃唐草の花びらの刺繍です。
そうです。王立学園では剣技祭が開かれています。教室別の対抗戦です。そして最後の戦い。大将戦。
私たちの教室の大将は、グラジオラス様。「王国の剣、国王の剣」と評される一族で、代々、王立軍の将軍を輩出している家系です。会議場では屈指の戦略を、指揮杖を握れば敵の予測も付かぬ戦術を、戦場では敵を切り裂く剣技を遺憾なく発揮する武家。
戦争となれば鬼神のごとき活躍をするプグナール伯爵家でございますので、次期当主であられるグラジオラス様は、熊のようなお人かと思っていたら、思いの外美丈夫でございました。私の贔屓目があるかも知れませんが、殿下の方が美丈夫です……。ただ、グラジオラス様の婚約者はまだ決まっていないということで、人気がある殿方でございます。辺境の騎馬民族が不穏な動きをしているという情報が王都まで届いておりますから、今後の活躍が期待されるプグナール伯爵家。その次期当主となられる方。そして、美丈夫。恋心を抱かぬ子女は少ないでしょう。
「どちらが勝つか。女である私たちには戦いの行く末など皆目見当がつかないものです。ただ、勝利を信じて愛する人の帰りを待つだけですわ」
「おっしゃることは分かります。ただ、シュピルアール侯爵家のご息女が、まさか敵を応援するなどということはないかと、私は心配しているのですわ」
今回の剣技祭。私にとってはいささか複雑でございます。教室同士で争うこの剣技祭。私たちの代表はグラジオラス。
もう一つの教室の代表は、ウィリアム王子。殿下でございます。
「あまり意地悪をしないで、ネモフィラ。私とて、同じ教室で学ぶもの。グラジオラス様も応援しておりますわ」
「グラジオラス様も! 自軍と敵軍、両方を応援される。まるで、ピアニーは戦女神ね。争う両陣を応援されるなんて!」とわざとらしくネモフィラは大声で言います。もう、今日のネモフィラは本当に意地悪です。私だって分かっていますわ。戦いから帰って来た者に花束を渡すのは女の役目。皆、左手では日傘を、右手には花を持っています。それぞれ意中の殿方たちに、剣技祭での汗の労いをするためにです。
「もう! 本当に意地悪なネモフィラ。私の花束は殿下のためだけに摘まれたものです。あなたもそれを分かっている癖に……」
当然、私は殿下がグラジオラス様に勝とうが負けようが、私の花束は殿下に渡すつもりです。それ以外に、私が花を摘む理由などありません。
そして、戦いは始まり、刹那のうちに終わりました。戦いというものは、刹那にて命を奪う恐ろしいものでございますね。優雅に日傘を差して戦いを見学している私たち貴族の子女ですが、戦いの熱気が全てを焦がす恐ろしさは十分に伝わります。
「勝者、グラジオラス!」
グラジオラス様が殿下を下しました。実力差がいかほどであったのか私には分かりませんが、接戦というにはあっけない幕切れであったように思います。
「グラジオラス様!!」と、一斉にグラジオラス様に子女が駆け寄ります。放り出した日傘が風に吹かれて舞い上がっています。
「ご覧なさい。ネモフィラ。グラジオラス様に花束を渡そうとしているではありませんか? あら? ネモフィラ?」
先ほどまで侯爵席、私の隣に座っていたネモフィラの姿が見えません。どこに行ったのかと思えば、グラジオラス様に真っ先に花束を渡したのはネモフィラでした。
「もう。一番先にグラジオラス様に花束を渡したいがために私に意地悪を言ったのね」と、私は誰にも聞こえないような声で呟きます。私のことなんて警戒するに値しません。だって、私の瞳は殿下しか見えないのですから。
私もいつまでも日傘を差して応援席に座っていてはいけません。この白薔薇を届けるべき人に届けなくては。
「殿下、お疲れさまでございました」
「やぁ、ピアニー。僕は負けてしまったよ。完敗だ……」と殿下は少し残念そうです。
「女の私には剣の技量のことは分かりませぬが……」
「何か感想があるのかい?」
「いえ、ありません。戦に口出しするような恥知らずな真似はいたしません。ただ……」
「ただ?」
「戦われている殿下の御姿。とても……凜々しく、猛々しく、雄々しく……その……とても格好良かったです……。戦っている殿下の御姿が目に焼き付いて、なかなか離れませんわ」
「それは惜しいことをした。焼き付いて永久に離れないくらい、君に戦っている姿を見せたかったな」
「もう殿下しか見えていませんわ。その上、目に殿下の姿が焼き付いてしまったら、私は困ってしまいます」
「僕はわがままだから、君を困らせたいんだ」
「まぁ……殿下。殿下はお人が悪いですわ」
「そうだ、ピアニー。あとでゆっくりと話そう。グラジオラス! この戦いの勝者は君だ。勝ち鬨をあげてくれ!」
「畏まりました。剣技祭に幕を下ろしましょう。荒々しい剣技祭が終わり、もうすぐ穏やかな春がやって来ますな」
グラジオラス様が天に向けて剣を掲げ、勝ち鬨の声を上げられました。これで、王立学園の大きな行事の一つである剣技祭が終わりました。私たちが学園に入学してから半年。あっという間に過ぎてしまいました。充実しつつも、振り返れば時の流れが矢のようです。
「さてさて、凱旋の作法に乗っ取り、我等が学舎へと戻ると致しますか。ネモフィラ様、ご協力を戴けますか?」と、この剣技祭の勝者であるグラジオラス様が言います。ネモフィラは喜んで! と目を輝かせています。
そして、グラジオラス様は剣を鞘にしまい、ネモフィラを両手で抱き抱えました。
本当の戦いの凱旋の場合、王都の城門から王城まで、戦いから帰っていた者達は、女達を抱えて凱旋するのです。戦いからの帰りを待ちわびた女達が、城門の外まで出て殿方を出迎えた、という故事があり、それが伝統となったそうです。
それにしても、殿下に両手で抱えられて学舎に戻る。とても恥ずかしかったです。私が首を少し伸ばせば、殿下の唇と私の唇が触れあってしまいそうでございました。




