Ⅵ
◆◇◆◇◆◇◆◇
僕は病院のベットに膝を抱えてすわっていた。
今までの事を思い出すことは何一つない。
僕のパパもママも。
学校の友達とかいうのが数名病室にお見舞いに来たけどさっぱりだった。
僕がお気に入りだった本を、置いていったけど、どこがどう気に入ってたんだろう?
彼等を見送った後、偶然立ち聞きしてしまった、あの女の人の言葉が気になる。
男の人の耳元で言ってたんだ。
「あの子は響として葬儀をしたの。この子が環か響か分るまで、周りに言うのを控えましょう。」
自信が無いのかいと聞かれると、女は泣きながら、2、3回頷き、えぇと答えた。
僕はどうやら双子だったらしい。
彼女達の記憶の中でも、環か響か分らない。
またしても、僕は曖昧な存在になってしまった。
神様、僕はどうやって生きたらいいんですか?
僕の片方、どうして死んじゃったんですか?
僕は一体誰ですか?
◆◇◆◇◆◇◆◇
ヒビキ?
どこへ行ったの?
また、僕を一人にしないでよ。
ねぇ!行かないでったら!!
ヒビキィっー!!
その時、タマキは自分の奥で大きく揺らぐ意識をかんじた。
触れてはいけない琴線に触れた、そんな揺れだった。
寝顔に、涙がこぼれていた。
タマキが目覚めた時、ヒビキはいなかった。
急に喪失感を覚え、ヒビキを呼んだが返事はない。
タマキはふらふらしながら、ベットから起きた。
飲みかけの紅茶がある。ヒビキのものだ。
ぐるりと部屋を見渡した。
あの絵が視界に入る。
最近ようやく出来上がった。
彼女がこちらをみていた。
近づくと、メモが置かれていた。
“もうすぐ、目覚めの時が来そうだ。
その前に、お前も結論を出しておけよ。
俺はもう決めた。
後はお前に任せるよ。
だから、もう呼ぶな。
俺は、お前の健闘を祈っている。
なに、うまくやれば、この先も何とかなるさ。
ここまで付き合ってくれて、
本当にありがとな。”
「なんだよ、それ。お前に任せるって。」
タマキは怒り出す。
「いつも、二人一緒だったじゃないか。今更なんだよ。ヒビキ!」
唇をかんで、メモを握る。
ヒビキは消えると言っているのだ。
さっき見た夢の続きが現実に起ったような感覚だ。
「ヒビキがいないと、ダメなんだよ。僕を一人にすんなよ!!ヒビキっ!!」
一人ぼっちの双子など意味が無い。
これじゃ、あの時と一緒じゃないか。
タマキは大きな声でヒビキを何度も呼んだ。
呼んでも、呼んでも出てこない。
終いに、彼は暴れだした。
本棚の本を放り投げ、食器を割り、大事にしていたピアノを蹴飛ばした。
これでも、出てこないのか!
なんでだよ。
なんで急に…。
絵の中の彼女が何も言わずこちらを見ている。
この絵だろうか?
この絵で、僕の気持ちが分かってしまったのか?
だったらと、タマキはカッターを持ち出した。
切ってしまおう。
僕のこの気持ちを切ってしまえば、彼は戻ってくる?
彼女は何も言わずにそこにいる。
大きく振り上げた右手は宙で止まったままだ。
・・・出来なかった。
出来るはずなんて無かった。
ヒビキはそれを知っていた。
ちきしょう。
涙が止まらない。
代わりに特製の羽毛のクッションをビリビリに破り、天井に投げつけた。
途端、クッションの中の羽毛が部屋に散る。
机の上に山ほどあるデッサンも、歯がゆくて空中に投げた。
窓からの強い風に煽られ、羽毛とデッサンがタマキの上にヒラヒラ舞い降りてくる。
デッサンの彼女が羽の生えた天使に見えた。
彼女は、彼を包み込んでゆく。
救いが欲しかった。
タマキはすがる子供の様に両手を広げた。
初音はドアをノックした。
中から返事はない。
途中で一緒になった遠田と顔を見合わせた。
遠田は肩をすくめて見せた。
彼等は、学校に来ないタマキを心配して来てみたのだ。
遠田には、もう一つ気がかりがあった。
ためらった後ドアノブを回した。
鍵は架かってなかった。
「入るぜ、タマキ。」
遠田はズカズカ中に入った。
初音もそれに続く。
タマキは自分の部屋にいた。
散らかしたデッサンと、歩くとフアフアして浮く羽の中に、体をうずくまる様に埋もれている。
孵化したばかりの天使みたいだった。
「タマキ」
遠田は腰を屈めて覗き込んだ。
タマキは少し目をあける。
「何があった?」
「…ヒビキがいない。」
遠田は大きく一つ溜息をついた。
「あぁ、響は、…いない。」
驚いたのは初音だった。
いない?どういう事?
知らない間に、どこへ行ったの?
だから、あの時最後と言ったの?
だが、次の遠田の言葉は、もっと衝撃的だった。
「響は、死んだんだよ。」
初音が大きく息を吸い込んだ。
なんて事。
見る見る顔が青ざめて、今にも卒倒しそうだ。
死んだ?
意味は分かるのに、理解できない。嘘でしょ?
「君が言うのは、ずっと前に死んだ響だろ。彼女が混乱してる。」
タマキが寂しげな顔で言う。
「僕が言ってるのは、ヒビキだよ。いつも一緒だった。」
ずっと前?
じゃぁ、同じ名前の人違い?
「ヒビキさんがいないって、どういう事なの?」
「どうもよく分からんな。響の幽霊と一緒だったのか。」
タマキは苦笑いをしながら起き上がった。
「あいつが幽霊なら、僕もそうさ。僕も、ヒビキも、この体にいるんだ。」
「…。」
「…。」
二人は言葉に詰まった。
「遠田のいう、環は、ここで眠ってる。」
そういって、自分の胸に手を当てた。
「解離性同一性障害とか、精神分裂症とか、既存の病名で、言わないで欲しいな。そんな言葉なんかじゃ、僕等を理解できないさ。」
そう言ったタマキは顔を覆った。
あの夜の絵は彼自身であったのだ。
「初音。」
目を合わせず、タマキは彼女を名前で初めて呼んだ。
「今まで、ごめん。黙ってて、ごめんな。」
タマキの横顔は苦しそうだった。
遠田は、キッチンへ行った。
気を利かせたのだ。
しっかし、よくもまぁ、ここまで散らかせたもんだ。
皿の破片が辺りに飛び散っている。
スリッパを探し出し、履いて後片付けをはじめる。
振り返ると、タマキは初音を抱き締めていた。
「タマキさんも、いなくなってしまうの?」
「…。」
困った顔のタマキがいる。
環の意識が深く揺らいだ。
明けない朝は…無い。
◆◇◆◇◆◇◆◇
随分昔の事だ、夏休みで田舎に帰ってた。
その年は台風が多くて、雨ばかりだった。
せっかく楽しみにしていた海も行けなくなってしまった。
環と響は、やることが無くて田舎の道をブラブラ歩いていた。
駆けっこしたり、飛んだり、跳ねたり。
お揃いで買ってもらった新品の青い帽子が二つ、仲良くじゃれあっているようだ。
家から、かなり離れてしまった彼等は、橋にかかった。
台風の影響だろうか、強い風が吹いて環の帽子を飛ばした。
帽子はそのまま、橋の下の川に落ちた。
「帽子が、落ちた!!」
「流されるよ!!」
彼等は帽子を追った。
帽子は、川の途中の中洲近くの岩にはまり込んだ枝に引っかかった。
とりあえず、止まったことにほっとした。
問題は、帽子をどうやって取りに行くかだったが、まだ小学生だった二人は遊びの延長で川に入って行った。
思ったより水が冷たくてビックリしたけど、すぐに慣れた。
帽子は難なく手元に戻ってきた。
中州まで来た時に服までずぶ濡れになっていた。
こうなったら、ここで水遊びしよう。
彼等は、ジャブジャブ遊びだした。
そのうち雨が降ってきた。
中州に置いてある帽子を取りに上がる。
前日からの長雨で瞬く間に水嵩を増した川は、その姿を豹変させてゆく。
少年たちは、雨が止むのを中州で待っていたが、雨は時が経つにつれひどくなった。
中州も徐々に川につかりはじめ、少年たちも危険を感じ始めていた。
その間にも、雨は一段と強くなり帽子無しでは目が開けていられない。
「ここは、もう、危ないよ。」
響が言った。環も頷いて
「向こう岸へあがろう。」
と言った。
彼等は岸へ渡るために川へ入る。
だが、先程とは違い水は重く、足は取られ、思うように体を動かすことが出来ない。
「まって、何とかしないと。」
「手をつなごう。」
環が響に手を出した。
「うん。どんなことがあっても、向こうに着くまで離さない。」
響が握りながら言った。
彼等は慎重に川を渡り始めた。
岸まで後ほんの少しだった。
この夏休みの大冒険は成功で終わるはずだった。
だが、上流から流れてきた長い太い枝が彼等に襲い掛かってきた。
二人はバランスを崩した。
二人の手が離れ、そして川に飲み込まれた。
「ひびきぃっ、どこにいるの!!」
必死に溺れそうになりながら、響の名を呼んだ。
響ははるか先に流されていた。
時々、川から顔を出したりしていた。
「ひびきぃ。」
それが、響を見た最後だった。
病院で目覚めたとき、僕は記憶を失っていた。
両親は、環か響か分からなかったようだ。
母親は、環と呼んだが自信がなかった。
僕は、どんな子であれば、いいかさっぱり分からない。
死んだ片方を、嘆いてばかりいた母親は、そのうち狂ってしまった。
響がいないと探し回る。
そして僕をみると、なぜ一人なのかといって蹴ったりぶたれたりするんだ。
僕は、母親の前でタマキごっこや、ヒビキごっこをはじめた。
そうしていると母親は安定しているように見えた。
いつまでもやっているうちに僕は僕が一層分からなくなった。
彼等も役割分担が決まったようで、タマキは、人当たりのいいキャラになり、ヒビキはあまり人前に出てこないクールなキャラになった。
僕は、自分が誰か知りたかった。
昔の記憶を思い出そうとする。
でも、僕の心は恐怖からかロックがかかってしまい、心の内に閉じこもって閉まった。
そこで仕方なくタマキが表面にでて生活するようになった。
僕は、彼等が表にいるときは、大抵自分探しの思い出を辿っていた。
それはあの響がいなくなった恐ろしい事も思い出さなければならなかった。
苦しかった。
怖かった。
逃げたかった。
だから今まで逃げていたんだ。
さっきの心の声を聞くまで。
―ヒビキ?
どこへ行ったの?
また、僕を一人にしないでよ。
ねぇ!行かないでったら!!
ヒビキィっー!!―
僕が誰であるか分かれば、以前の記憶があれば、僕は安定するのだろうか?
◆◇◆◇◆◇◆◇




